『琉球外国関係文書』編年目録
- 天保十四年癸卯十月八重山島ヘ英国船(サマラング号)渡来ノ事蹟 (第二冊参照)
- 八重山島来舶ノ英国船出帆ニ付届 天保十四年卯十一月廿九日 八重山島在番仲吉里子親雲上 御鎖之側御方 (第二冊参照)
- 英国舩(サマラング号)宮古島ニ来泊追報 天保十四年卯十二月十八日 宮古島在番添石親雲上 御鎖之側御方 (第二冊参照)
- 弘化元年三月十一日(琉球国那覇港ニ仏蘭西国軍艦(アルクメーヌ)渡来三大事請求及ヒ同国人(フォルカード)ヲ在留セシメタル始末)
- 仏艦総督(デュプラン)通信貿易ヲ迫ル第一(漢文) 一千八百四十四年亜物爾月(四月)三十日(第一一冊ノ二にもあり)
- 中山国布政大夫向永保和信貿易拒絶ノ書牘(漢文) 道先二十四年三月十六日 中山府布政大夫向永保 (第四冊にもあり)
- 仏艦総督宣教師在琉ヲ迫ル書翰(漢文) 一千八百四十四年亜物利月(5月)初四日(三月十七日)(第一一冊ノ二にもあり)
- 仏人(フォルカード)通信貿易布教ヲ迫ル第三(漢文) 弘化元年三月二八(?)日(宣教師としての身分を明かす)(第一一冊ノ二にもあり)
- 仏国軍艦(アルクメーヌ)渡来事実報告(在番奉行申暢副伸) 弘化元年辰三月 崎原里子親雲上・神山里子親雲上/長嶺通事親雲上・国場里子親雲上・百名親方 御在番奉行様
- 在琉仏人ニ対スル拒絶応接案 弘化元年四月十四日
- 琉吏仏人ニ答弁書第二(漢文) 道光二十四年四月十四日 中山府布政太夫向永保
- 仏国軍艦渡来ノ事実琉吏申暢第一 弘化元年辰四月十四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 川上十郎兵衛殿(鹿児島琉球館聞役)・桃原親方(鹿児島在勤琉吏) (第四冊にもあり)
- 仏国軍艦渡来ノ事実琉吏申暢第二 弘化元年辰四月十四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 (第四冊にもあり)
- 仏国軍艦渡来ノ始末在番奉行申暢第二 弘化元年辰四月十四日 琉球在番奉行汾陽次郎右衛門 唐船改役衆 (第四冊にもあり)
- 仏国軍艦渡来ノ事実申暢第三 弘化元年辰四月十四日 琉球在番汾陽次郎右衛門 島津石見様 (第四冊にもあり)
- 仏人書牘第一(漢文) 一阡捌陌肆拾肆年陸月(6月)初弐日 フォルカード (布教を求める)
- 去年十月八重山島へ異国舩一艘来着同十二月宮古島ヘ罷渡帰帆仕候段申来候付御届申上候覚 弘化元年四月十九日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 島津和泉様・島津主計様・島津石見様・菱刈安房様・島津 登様・猪飼 央様・調所笑左衛門様 別紙あり
- 仏人請求ノ条件拒絶琉吏議案 弘化元年四月廿一日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子
- 在琉仏人書牘ヘノ補足(漢文) 道光二十四年四月 高隆禀(第一一冊ノ二にあり)
- 仏国軍艦(アルクメーヌ)渡来ノ事実在番奉行申暢第一 辰四月廿三日 平田善太夫 唐船改役衆 (第四冊にもあり)
- 弘化元年五月三日(琉球国那覇港ニ仏蘭西国軍艦渡来三大事請求及ヒ同国人(フォルカード)ヲ在留セシメタル始末 フランス軍艦来航の飛船山川着)
- 琉吏仏人ニ贈ル書牘(漢文) 道光二十四年五月(六日) 中山府布政夫向永保(書牘第一への返翰)
- 在琉仏人琉吏ニ与フル書牘(漢文) 一千八百四拾四年六月二拾三日 フォルカード (布教を要求)
- 斉彬公御宦位御昇進御内願御手扣書 天保十五年五月七日
- 在琉仏人ニ物品ヲ与ヘタル前書副申 弘化元年五月九日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子
- 弘化元年五月十三日(同上 フランス軍艦来航報幕府へ届)
- 弘化元年五月十七日(同上 斉興琉球警備強化命令)
- 在番奉行申暢 弘化元年五月廿日 琉球在番奉行平田善太夫 唐舩改役衆
- 斉興公斉彬公国老調所笑左衛門ヲシテ閣老阿部伊勢守ニ演述セシメタル手扣書 弘化元年五月廿五日
- フォルカード在琉状況についての解説 弘化元年はじめ
- 在留仏人ノ情况報告 弘化元年六月五日 猪飼央・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 在留仏人土人ノ無礼ヲ詰責ス 一千八百四十四年儒利依(7月)二十八日
- 在琉仏人和信或ハ貿易ヲ請フ書牘(漢文) 一千八百四十四年烏月(八月)初三日
- 在留仏人土人ノ無礼ヲ詰責ニツキ返翰 道光二十四年六月十六日 中山府布政大夫向永保
- 在留仏人会釈向訓示 弘化元年六月十六日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 閣老阿部侯ヨリ国老調所笑左衛門ニ口達 弘化元年六月二十日
- 琉球所属八重山宮古島ニ英艦渡来ノ報琉吏申暢 弘化元年六月廿一日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 川上十郎兵衛殿(当時琉球館聞役)・安室親方(在番琉吏)・桃原親方(在番琉吏)
- 弘化元年六月廿三日(琉球国ニ守衛派遣ノ兵員及ヒ武器ノ数 第一陣、六月二五日鹿児島出発)
- 琉球在留人布教謝絶琉吏申暢 弘化元年六月晦日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 長崎港ニ和蘭使節船(パレンバン)渡来ノ形勢在崎藩吏報告 弘化元年辰七月三日 奥四郎
- 在琉仏人布教ヲ乞フノ書(漢文) 一千八百四拾四年烏月(八月)十九日
- 琉球国ヘ軍艦渡来ノ事実国老へ照会書 弘化元年七月五日 赤松主水則甫・調所笑左衛門広郷 島津主計殿(久宝)・島津石見殿(久淳)・菱刈安房殿(隆観)・島津登殿(久備)・猪飼央殿(尚敏)
- 琉球在留外人ノ情況報告
- 琉球国ニ仏艦渡来ノ事実水野阿部両閣老ニ内具申ノ事実照会 弘化元年七月八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 琉球国江軍艦渡来ノ事実国老照会書第二 弘化元年七月八日 赤松主水則甫・調所笑左衛門広郷 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿 前書回答付箋あり
- 琉球国ヘ守備兵派遣命令 弘化元年七月八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 琉球国仏艦処分ヲ海老原清熈ニ命ズ 弘化元年七月八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 和蘭甲比丹忠告及ヒ警誠令 弘化元年辰七月八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 八重山島ヘ外国舩渡来之事実照会書 弘化元年七月八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 八重山島ヘ外国船渡来ノ事実長崎奉行ヘ具申 弘化元年七月二十日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 伊沢美作守様
- 琉球国ヘ仏国軍艦渡来ノ事実長崎奉行ヘ具申 弘化元年七月(二三日) 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 伊沢美作守
- 在留仏人貿易請願ノ事情在番奉行上申 辰七月廿二日 琉球在番平田善太夫 唐舩改衆
- 琉球国警備ノ事実各所ニ通告セムトス 弘化元年七月廿七日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 在留仏人及八重山島ノ情况在番奉行報告 弘化元年七月廿八日 琉球在番汾陽(かわみなみ)次郎右衛門 唐舩改衆
- 弘化元年八月二日(琉球国ニ守衛派遣ノ兵員及ヒ武器ノ数 第二陣任命)
- 弘化元年八月三日 在番琉吏警吏釈会向伺
- 琉球国警吏派出其他報告 弘化元年八月三日 猪飼央・島津登・菱川安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 八重山島ニ渡来ノ英人対話 弘化元年八月九日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 安室親方・桃原親方
- 在琉仏人退去清国政府ニ依頼セント琉吏稟請 弘化元年八月九日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 琉球国警備ノ概況 弘化元年八月十二日 島津石見 琉球在番平田善太夫殿
- 在留仏人処分海老原清熈ヘ命セラレタル報告 弘化元年八月十二日 猪飼央・島津登・菱川安房・島津石見・島津主計 赤松主水殿 別紙あり
- 琉球所属八重山宮古島ニ英艦渡来ノ報 弘化元年八月十六日 松平大隅守
- 琉球国運天港ニ艦渡来ノ事実ヲ具申ス 弘化元年八月十六日 松平大隅守(斉興)届書 老中宛
- 仏国軍艦渡来事実届 弘化元年辰八月十六日 松平大隅守(徳川斉昭写本)
- 琉球及ヒ八重山島ヘ英国舩渡来ノ事実報告 弘化元年八月十七日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 琉球国ヘ仏船渡来ニ付大坂藩邸留守居ヨリ大坂城代及ヒ京都所司代弘化元年八月届書 弘化元年辰八月十九日 松平大隅守内高崎金之進(大坂留守居)
- 琉球在留仏人ノ情況和蘭人ヘ諮詢 弘化元年八月廿日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 琉球国警備ノ人員出発ノ報告 弘化元年八月廿日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 弘化元年八月二十日(山川港に向け出発)
- 在番奉行(汾陽次郎右衛門)交替ノ稟請 弘化元年八月廿六日 島津石見(久淳)・島津主計(久宝) 赤松主水殿
- 琉球警衛渡海延日ノ報告 弘化元年八月廿六日 猪飼央・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 在琉仏人布教脅迫ノ事情報告 弘化元年八月廿六日 猪飼央・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 弘化元年八月廿七日(山川港を出発)
- 在留仏人ノ情况在番奉行報告 弘化元年八月廿八日 琉球在番平田善太夫 唐舩改
- 弘化元年八月廿九日(奄美大島に碇泊)
- 在琉仏人布教請求拒絶ノ案文 弘化元年九月三日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子
- 琉球警備人員出発着琉予想報告 弘化元年九月三日 猪飼央・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 琉球警備人員大島ニ着船報告 弘化元年辰九月五日 二階堂右八郎
- 弘化元年九月八日(那覇に到着)
- 在琉仏人ノ情況報告 弘化元年辰九月九日 琉球在番平田善太夫 唐舩改衆
- 在琉目付役交替ノ稟請 弘化元年九月十二日 琉球詰御裁許掛中村早太 唐舩改役衆
- 在留仏人会釈向訓示 弘化元年辰九月十三日 琉球在番平田善太夫 唐船改衆
- 琉球国警備人員着琉ノ報 弘化元年辰九月十三日 安田助左衛門・松本十兵衛 唐舩改衆
- 在留仏人ノ処分命令ノ回答 弘化元年辰九月十三日 琉球在番汾陽次郎右衛門 唐舩改衆
- 在琉仏人ノ動静及ヒ軍艦渡来否ヤノ照会 弘化元年九月十九日 猪飼央・菱川安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 琉球国警備人員大島へ着帆ノ事実 弘化元年辰九月二十五日 猪飼央・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 警衛人員着琉報告 弘化元年九月廿七日 二階堂右八郎 石見様(島津久淳)
- 在番奉行平田善大夫滞琉ノ具申 弘化元年辰九月廿七日 琉球在番平田善太夫 唐舩改衆
- 琉球国警備人員着琉ノ報告 弘化元年辰十月朔日 琉球在番平田善太夫 琉球掛御用人衆
- 琉球渡海船風順ノ可否報告 弘化元年十月二日 島津主計 調所笑左衛門殿・碇山将曹殿
- 琉球守衛二階堂等着琉否ヤノ照会 弘化元年十月二日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 和蘭国使節船長崎ヘ渡来事実報告 弘化元年辰十月十二日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 在琉仏人動静視察ノ報 弘化元年十月十五日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 在琉仏人ノ動静報告 弘化元年十月十五日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 八重山宮古二島報告 弘化元年十月十五日 島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 在琉仏人退琉云々清国政庁ヘ訴願ノ報告 弘化元年辰十月二十日 安田助左衛門・松本十兵衛 唐船改
- 警吏二階堂着琉清仏人処分訓諭復報 弘化元年辰十月廿日 二階堂右八郎 島津石見殿
- 在留仏人ノ情況報告 弘化元年辰十月二十二日 伊東仙太夫
- 在琉監祭親報
- 滞琉藩吏帰国ノ報 弘化元年辰十月廿九日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿 同報江戸への回送 弘化元年十一月二十二日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 和蘭使節長崎奉行対話報告 弘化元年辰十一月三日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 在留仏人ノ形況幕府ヘ具申云々照会 弘化元年辰十一月十八日 赤松主水・調所笑左衛門 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿
- 仏国欽差大臣布教ヲ請フ(漢文) 道光二十四年十一月十九日
- 弘化元年十一月廿七日 在琉仏人動静報告
- 在留仏人処分命令請託ノ回報 弘化元年辰十一月二十九日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 来崎和蘭船書翰和解廻送 弘化元年辰十二月朔日 島津石見 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 仏国軍艦来琉再報 弘化元年辰十二月十二日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津石見・島津主計 調所笑左衛門殿・赤松主水殿
- 仏国軍艦渡来ノ事実長崎奉行ヘ具申 弘化元年十二月十二日 猪飼央(尚敏)・島津登(久備)・菱刈安房(隆観)・島津石見(久浮)・島津主計(久宝) 伊沢美作守様・遠山半左衛門様
- 斉彬公御宦位御昇進御内願御手扣書 天保十五年辰十二月十三日
- 斉彬公御宦位御昇進御内願御手扣書 弘化元辰十二月十七日
- 琉球平穏ノ報 弘化元年辰十二月廿九日 島津石見 赤松主水殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 琉球警吏着琉ノ報 弘化二年巳正月朔日 調所笑左衛門 赤松主水殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 仏国軍艦琉球那覇港ニ来ル及ヒ警備之事実具申第一 巳正月九日 松平大隅守(斉興) 御用番牧野備前守(第十一冊ノ三にもあり)
- 巳正月九日 早川五郎兵衛 主水様(赤松則甫)
- 琉球平穏ノ報第二 弘化二年巳正月廿九日 島津石見 赤松主水殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 閣老阿部正弘在琉仏人ノ情况ヲ質問ス 巳二月七日 半田嘉藤次
- (老中阿部正弘質問につき報告) 巳二月九日 半田嘉藤次 赤松主水様
- 琉球平穏ノ報第三 弘化二年巳二月十二日 猪飼央 赤松主水殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 在留仏人ニ付首尾書ヲ閣老ニ提出ス 弘化二年巳二月十六日 赤松主水 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿・調所笑左衛門殿・御中途碇山将曹殿
- 在琉番吏野元一郎事実報告ノ為帰国ノ報 弘化二年巳三月朔日 調所笑左衛門・猪飼央・島津登・島津石見・島津主計 赤松主水殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 在留仏人布教ヲ促ス書牘 一千八百四拾五年黙月二十四日(弘化二年三月十四日?) 夥爾加助(フォルカード)(第十一冊ノ三にもあり)
- 閣老阿部正弘在琉仏人ノ情况ヲ質問ス舟問 巳三月十五日 半田嘉藤次 御家老座
- 在留仏人平穏ノ報 弘化二年巳三月廿一日 島津石見 種子島六郎殿・平田直之進殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 在留仏人平穏ノ報第二 弘化二年巳三月廿九日 島津主計 種子島六郎殿・平田直之進殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 閣老ヨリ問合ニ付打合 弘化二年巳三月廿九日 種子島六郎 調所笑左衛門殿・碇山将曹殿
- 閣老ヨリ問合ニ付打合別紙 弘化二年巳三月廿九日 平田直之丞・種子島六郎 島津主計殿・島津石見殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿・調所笑左衛門殿
- 藩庁筆吏野元一郎ニ再ヒ渡海ヲ命ズ 弘化二年三月 笑左衛門(調所)(第十一冊ノ三にもあり)
- 琉球警吏半バ帰国ヲ命ス 弘化二年巳三月 調所笑左衛門・島津石見・島津主計 二階堂右八郎殿(第十一冊ノ三にもあり) 二階堂へ滞琉ヲ命ス 滞琉ヲ命シタル人名
- 琉球警吏帰国ヲ命シタル報告 弘化二年巳三月 調所笑左衛門・島津石見・島津主計 二階堂右八郎殿 帰国交代人名
- 在琉仏人ノ動静具申 弘化二年巳四月四日 松平大隅守
- 在留仏人平穏ノ報第三 弘化二年巳四月廿一日 島津石見 種子島六郎殿・平田直之進殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 琉吏留仏人退去ヲ清国政府ニ訴フ 弘化二年巳四月廿七日 伊計親雲上・喜舎場親雲上 表御方御取次衆
- 在留仏人ノ書翰提出スベキ旨阿部正弘内達 弘化二年巳四月廿九日 猪飼央 島津石見殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 在留仏人布教ノ申出ヘノ返答 道光二拾五年四月 日 中山府布政大夫向永保(第十一冊ノ三にもあり)
- (老中阿部正弘質問につき報告) 巳五月朔日 半田嘉藤次 御家老座
- (幕府への届) 巳五月二日 松平大隅守内半田嘉藤次
- 閣老へ差出ヘキ書面送付 弘化二年巳五月五日 調所笑左衛門・猪飼央・島津登・菱刈安房・島津主計 島津石見殿
- 在琉仏人ノ動静松平大隅守具申ニ付井上逸作書翰 島津石見宛 巳五月九日
- 在留仏人平穏ノ報告 弘化二年三月一日より五月十一日(第十一冊ノ三にもあり)
- 島津斉興帰国ニ付琉球情勢報告ノ命ヲ受ク 弘化二年巳五月十四日 島津石見 島津主計殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿・調所笑左衛門殿
- 琉球詰人数交代ニ付打合 弘化二年巳五月十四日 島津石見 島津主計殿・調所笑左衛門殿
- 在留警吏仏人ノ動静報告 弘化二年巳五月十七日 二階堂右八郎 島津主計殿・調所笑左衛門殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 琉球警吏交替帰国ノ照会(英国船来航の報) 弘化二年巳五月十七日 平田善太夫・二階堂右八郎 島津主計殿・調所笑左衛門殿 琉球警吏帰国乗船ノ報あり
- 在琉仏人対話書長崎ニ於テ和解(漏洩) 五月廿五日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿・碇山将曹殿
- 琉球在番奉行滞留ノ照会書 弘化二年五月廿九日 島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿 (第九冊にもあり)
- 在琉藩吏在留英仏人ノ情況具申 (弘化三年)五月廿九日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿 (第九冊にもあり)
- 在留仏人布教申出ノ報 弘化二年巳六月九日 島津豊後 島津石見殿(第十一冊ノ三にもあり)
- 琉球及ヒ八重山島ニ異国船渡来ノ報告 弘化二年巳六月九日 猪飼央・島津登・菱刈安房・島津頼母・島津豊後 島津石見殿 弘化二年巳六月九日 松平大隅守(第十一冊ノ三にもあり)
- 在留仏人ニ付口演書ニ漢文之一冊迄相添閣老ニ提出ス 弘化二年巳六月廿三日 島津石見 島津主計殿・菱刈安房殿・猪飼央殿・島津登殿・調所笑左衛門殿
- 口演手扣 六月廿三日 阿部伊勢守様ヨリ御尋付別冊相添大迫源七ヨリ差出
- (阿部へ在琉仏人書翰提出ニ付)大迫源七書翰 巳六月廿三日 島津石見
- 同書面提出済ノ報 弘化二年巳六月廿九日 島津石見 島津豊後殿・島津頼母殿・菱刈安房殿・島津登殿・猪飼央殿・調所笑左衛門殿
- 御用番阿部伊勢守様ヘ差出候御書付 巳六月廿九日 松平大隅守内早川五郎兵衛(第十一冊ノ三にもあり)
- (琉球渡来仏船長崎渡航の届ニ付)早川五郎兵衛書翰 巳六月廿九日 島津石見
- 英国測量船八重山島ニ来ルノ報 弘化二年巳七月八日 八重山島在番翁長親雲上 御鎖之側親方
- 長崎ヘ英国舩(サマラング号)渡来ノ報 弘化二年巳七月廿日 島津豊後 島津石見殿
- 在琉仏人退去琉吏清国政府ヘ訴タル始末照会 弘化二年巳七月廿日 調所笑左衛門・島津豊後 島津石見殿 同追報 弘化二年巳七月廿八日 島津豊後 島津石見殿
- 在福州英国船琉球諸属島ノ測量ヲ乞フニ付咨文 道光弐拾伍年捌月初四日 (第11冊にもあり)
- 仏朗西人一件布政司ヘ覆咨漢文 道光弐拾伍年捌月初四日 同和解 (第11冊にもあり)
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙八月十二日条
- 在福州英人ト琉吏応接始末 弘化二年巳八月廿四日 在留湖城里子親雲上・在留牧志里子親雲上 (第九冊にもあり)
- 在福州英国船琉球諸属島ノ測量ヲ乞フニ付咨文提出 弘化二年 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 (第11冊にもあり)
- 在福州英国船琉球諸属島ノ測量ヲ乞フニ付咨文提出ノ報 弘化二年巳八月廿四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 喜舎場親雲上・伊計親雲上 (第11冊にもあり)
- 在留藩吏仏人退去ヲ清国政府ニ哀訴セシメタル始末ノ報 弘化二年巳八月廿四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 喜舎場親雲上・伊計親雲上 (第11冊にもあり)
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙八月二六日条
- 在留仏人へ天主教布教拒否通告 道光二十五年八月廿九日 中山府布教大夫向永保(漢文) (第九冊にもあり)
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙八月二九日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙九月二一日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十月十日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十月十三日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十月十六日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十月二六日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十一月三日条
- 在琉仏人転居及ヒ日本習書ヲ乞フノ事実具申別紙十一月五日条
- 在清琉吏英人ト談話始末具申 弘化二年巳十一月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 (第九冊にもあり)
- 琉吏仏在人カ布教請求ヲ拒絶ス 弘化二年巳十一月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調処笑左衛門殿 別冊あり(漢文) (第九冊にもあり)
- 英国測量船八重山島ニ来ル 弘化二年巳十一月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人転居及ヒ日本習字教師請求始末具申 弘化二年巳十一月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙あり (第11冊にもあり)
- 在琉藩吏仏人退去ヲ清国政府ニ哀訴セシメタル始末第二報 弘化二年巳十一月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙(弘化二年巳八月廿四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 喜舎場親雲上・伊計親雲上) 仏朗西人一件布政司ヘ覆咨之大意 漢文あり (第11冊にもあり)
- 在琉仏人転居及ヒ日本習字教師ヲ再請ス 弘化二年十一月廿九日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 (第八冊にもあり)
- 在留仏人ノ情况具申 正月十三日
- 江戸大火ノ報 弘化三丙午年正月十五日
- 仁孝天皇崩御 弘化三年正月
- 琉球国警吏交替否ヤノ照会 午正月廿九日 島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在留仏人ノ情况具申 二月十五日
- 弘化三丙午年二月廿日琉球在留仏人事件等水戸前中納言殿御書牘 同日御返翰
- 琉球国警吏交替否ヤノ照会 午二月廿九日 島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在琉警吏松岡ニ帰国ヲ命ス 二月廿九日 調所笑左衛門 島津豊後殿
- 斉彬公御宦位御昇進御内願御手扣書 弘化三午二月
- 在留仏人ノ情况具申 三月廿日
- 在琉清仏人ノ情况報告 午三月廿三日 島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在琉清仏人ノ情況報告 午三月廿六日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 斉彬公御官位御昇進御内願御手扣書(口演) 弘化三年三月
- 江戸大火ノ報 弘化三年三月
- 在琉警吏松岡ニ帰国ヲ命スルニツキ遅延 四月二日 調所笑左衛門・島津石見 島津豊後殿
- 英人伯徳令カ在留ヲ謝絶ス 道光二十六年四月初七日 中山府政大夫向永保 和解
- 在留英仏人ノ情况具申 四月五日
- 在留英仏人ノ情况具申 四月六日
- 英国軍艦那覇港ニ渡来ノ事実琉吏報告 午四月十四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 島津豊後様・島津壱岐様・島津石見様・菱刈安房様・島津登様・調所笑左衛門様
- 仏国軍艦那覇港ニ渡来ノ事実琉吏報告 午四月十四日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 川上十郎兵衛殿・富島親方
- 英国人伯徳令(ベッテルハイム)在琉ノ事由 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来食料ヲ請求ス 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留英仏人ノ情况具申 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人ノ情况 四月十五日 (平田善太夫か)
- 仏国軍艦再ヒ食料ヲ請求ス 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留仏人琉吏ニ面接セント請フ 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 英人伯徳令宗教書及ヒ物品ヲ贈ル 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦那覇港ニ渡来ノ事実報告 午四月十五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 英仏舩渡来ノ事実具申書 午四月十五日 平田善大夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙
- 友野市助海老原宗之丞ニ在琉清仏人ノ処分ヲ特命ス 弘化三年四月十七日 調所笑左衛門 島津豊後殿
- 在琉英人伯徳令カ請求書ニ対フル書
- 署福建等処承宣布政使司為咨覆事案准 道光二十六年肆月二十伍日(日本弘化三年丙午)
- 同年四月廿六日水戸公御書牘 副楮 同日御返翰
- 英仏舩渡来ノ飛報(上野早太派遣) 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 英仏舩渡来ノ飛報(第一報) 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来ノ予報 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 久米島ニ異国舩渡来ノ報 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦将官等在留英人伯徳令ニ面接セシ報 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留英人伯徳令琉婢ヲ雇ハムト乞ウ 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留英国人伯徳令カ舉動報告 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦ニ琉吏ヲ召待ス 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 運天港碇泊仏国軍艦贖求品 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙
- 仏国軍艦再ヒ渡来ノ凖備及ヒ在留仏人ノ動静具申書 午五月二日 平田善大夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 四月十五日
- 四月十六日
- 四月十七日
- 四月十八日
- 四月二十日
- 四月二一日
- 四月二二日
- 四月二三日
- 四月二四日
- 四月二五日
- 四月二六日
- 四月二七日
- 四月二八日
- 四月二九日
- 五月一日
- 琉吏在留英人ヲ招待セムトスルノ議 午五月二日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙(英人ヘ招之儀申入候節彼ノ方ヨリ差出候文 右之和解)
- 仏国軍艦ノ請求品ヲ謝絶ス 道光二十六年五月初三日中山府布政官大夫向永保 同和解
- 喜界島ニ異(英)国舩渡来 弘化三年五月七日
- 飛報舩沈没ノ報 午五月七日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人保護吏ノ附従ヲ謝絶ヲ具申ス 午五月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 英人伯徳令在琉情況 弘化三午年五月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 運天港碇泊仏国軍艦贖求品目具申 午五月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門 別紙
- 仏国軍艦再ヒ渡来ノ予報 弘化三午年五月八日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿 別紙
- 五月三日
- 五月四日
- 五月五日
- 五月六日
- 仏国軍艦運天港ニ来リ薪水ヲ請フ 弘化三午年五月九日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 英人伯徳令カ動静報告 弘化三午年五月十一日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国人再ヒ渡来在留ノ始末報告 弘化三午年五月十一日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 阿部正弘在留英仏人ノ処分内訓 五月廿四日 早川五郎兵衛 将曹(碇山)様
- 阿部正弘ヨリ斉彬宛在留英仏人処分ノ訓諭 五月廿五日 同上ニ付報知 五月廿五日 早川五郎兵衛 将曹(碇山)様
- 在琉球仏人対話書長崎ニ於テ和解漏洩 (弘化三年)五月廿五日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿・碇山将曹殿
- 阿部正弘より斉彬宛諭達ノ照会書 五月廿六日 大迫源七 将曹碇山様
- 琉球国ニ外国舩渡来斉彬公御下国ノ事実及ヒ布告 五月(廿八日)
- 天王教義諭訓書和解 午五月廿八日 名島清左衛門・加納利助
- 琉球国飢饉藩廰ノ救恤 午五月廿九日 島津豊後 調所笑左衛門殿
- 徳島ニ仏国軍艦渡来 弘化三年五月末
- 琉球護衛ヲ増ス 倉山作太夫 五月末ヨリ
- 米国軍艦浦賀ニ渡来通信貿易ヲ請フ 弘化三年丙午五月
- 仏国軍艦四艘那覇港ニ渡来ノ飛報江戸報告 午閏五月二日 島津豊後 平田善太夫殿
- 運天港碇泊仏艦購求品 午閏五月三日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦総督首里城ニ登リ中山王ニ面接セムト請フ 午閏五月三日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来ノ再報 午閏五月三日 島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来ノ始末ヲ照会ス 午(閏カ)五月六日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在留仏人渡来ノ本国艦ニ行ント小舟ヲ雇ハムト乞フ 午閏五月六日島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在留仏人渡来ノ本国艦ニ行ント小舟ヲ雇ハムト乞フニ付長崎奉行ヘ届 閏五月六日 島津壱岐(久武)・島津豊後(久寳) 井戸対馬守様・山口内匠様
- 在邸国老島津石見警備ノ為メ帰国ヲ命ズ 島津石見 閏五月 別紙(島津石見帰国ニ付通達)
- 島津石見守禦ノ為メ帰国ノ布告 閏五月 豊後島津久宝
- 仏艦総督瑟西爾(セシーユ)琉官吏ニ与ル書第一(弘化三年)
- 仏国軍艦暗礁ニ触タル始末ヲ具申ス 午閏五月廿日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 警吏松本仏国軍艦渡来ノ始末ヲ具申ス 午閏五月廿日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留英仏人遭難ノ仏艦ヲ訪問シタル事実 午閏五月廿日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 運天港碇泊軍鑑ノ士官那覇ニ来ル 午閏五月廿日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在留英人仕丁清人ヲシテ仏軍艦ノ情况ヲ探ル(長崎航行の情報) 午閏五月廿日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦総督請求スル処ノ諸件拒絶ノ報告 午閏五月廿日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿 調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦請求ノ条件拒絶ノ文 同和解報告 午閏五月廿日 平田善太夫(名護間切ヨリ) 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 琉吏在留仏人ニ国情ヲ申告ス 道光二十六年閏五月二十一日 同和解
- 同年閏五月廿一日水戸公御書牘
- 同年閏五月廿二日御返翰
- 琉球国ヘ外国舩渡来ノ始末其他処分法方国老調所広郷ヲシテ閣老ニ申禀セシメント乞フ 午閏五月廿三日 松平大隅守
- 琉球国ヘ外国舩渡来ノ始末其他処分法方国老調所広郷ヲシテ閣老ニ申禀セシメント乞フ 午閏五月廿三日 午閏五月廿三日 半田嘉藤次 石見様(島津久浮)
- 仏国軍艦総督請求スル所ノ事件ヲ拒絶ス 午閏五月廿五日 平田善太夫 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 琉球国ヘ外国舩渡来ノ始末其他処分法方国老調所広郷ヲシテ閣老ニ申禀セシメント乞フ 午閏五月廿五日 半田嘉藤次 将曹様
- 国老調所広郷閣老阿部正弘ニ就テ琉球国外国人処分法ヲ申禀ス 午閏五月廿五日 大迫源七 将曹様(碇山久徳)
- 御口上(手控)
- 口上(手控)
- 琉球国ニ於テ外国人処分ノ為メ斉彬公ニ帰国内諭 閏五月廿七日 阿部伊勢守様ヨリ御留守居御呼出
- 阿部閣老斉彬公斉興公ニ代リ帰国密喩 弘化三年閏五月二七日
- 斉彬公帰国願及ヒ賜暇 弘化三年閏五月二八日
- 琉球ニ於テ外国人処分ノ為メ斉彬公御帰国御願書 午閏五月廿八日 松平大隅守 (第一八冊にもあり)
- 斉彬公琉球国外国舩事件ニ就御下国云云照会書 閏五月廿八日 名越彦太夫・種子島六郎 御国元御側御用人衆
- 斉彬公御帰国発布 閏五月廿八日 将曹(島津久徳)
- 斉彬公御帰国ニ付テ将軍ヨリ物ヲ賜フ
- 種子島時〓003家記抜抄 斉彬下向同伴 閏五月廿九日 将曹(島津久徳)
- 琉球在勤目付役松元十兵衛帰国事実具申 弘化三年閏五月
- 琉球国ヘ異国舩渡来京都風説 六月
- 当時京攝ニ於テ流行 六月
- 斉彬公ヘ達書 六月朔日
- 斉興公斉彬公同登営閣老列坐達書 六月朔日(六月八日条参照すべし)
- 閣老阿部正弘斉彬公ト琉球処分ヲ密議スルニツキ呼出 午六月四日 半田嘉藤次 将曹様
- 閣老阿部正弘官邸ニ斉彬公ヲ喚ヒ外国人処分ノ意ヲ問フ 午六月五日
- 斉彬公江戸邸御発駕ノ事実 六月六日
- 斉彬公御帰国御出発延日 六月六日
- 長崎ヘ仏国舩渡来ノ報 午六月六日 在番長崎御附人兼務奥四郎 豊後(島津)殿
- 長崎仏国軍艦渡来続報 午六月八日 在勤長崎御付人兼務 奥四郎 異国舩掛御用人衆
- 長崎仏国軍艦渡来続報 午六月八日 在勤長崎御付人兼務奥四郎 豊後 (島津) 殿
- 同上別紙
- 久松土岐太郎差出候書面 六月七日
- 唐通事ヨリ差出候書面 六月七日
- 阿蘭陀通事ヨリ差出候書面 六月七日
- 仏国軍艦ヘ送与品 午六月八日九日
- 阿部侯官邸ノ会議 六月七日
- 閣老阿部正弘国老調所広郷ヲ官邸ニ喚ンテ琉球在留ノ外国人処分ヲ内諭ス 午六月八日 阿部伊勢守様ヨリ笑左衛門御呼出
- 閣老阿部正弘国老調所広郷ヲ官邸ニ召喚ス 六月八日 半田嘉藤次 笑左衛門様
- 斉彬公琉球国ヘ外国舩渡来ニ就テ御帰国及ヒ閣老阿部侯ヘ処分御伺并海防御指揮ノ事実 弘化三年六月
- 国老調所広郷阿部閣老ニ就テ仏国人処分申禀 六月
- 仏国軍艦具申書和解
- 仏国軍艦来崎ノ再報 午六月九日 在勤長崎御附人奥四郎 豊後(島津)
- 仏国軍艦ニ付解説
- 長崎奉行仏舩渡来始末上申書 午六月十日 井戸対馬守
- 斉彬公御着城当日行粧ノ布告 六月(十日)
- 斉彬公御帰国布告 六月(十日) 壱岐(島津)
- 琉球ニ於テ貿易内允密報 午六月十一日 調所笑左衛門 島津将曹殿
- 甑島ニ異(仏)国舩三艘渡来 弘化三年六月十二日
- 長崎港ニ仏国軍艦渡来ノ報告 午六月十三日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 在琉警吏事情具申ノ為メ帰麑ス 午六月十三日 島津壱岐・島津豊後 島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦出没ニ付届 六月十三日
- 仏国舩来崎京都町奉行ヘ届書 六月十四日
- 島津石見カ率ル所ノ兵員 六月十四日達
- 運天港碇泊仏国軍艦日本ニ向ハントスル報告 午六月十五日 調所笑左衛門 島津将曹殿
- 琉球国ヘ外国舩渡来島津石見警衛ノ為メ帰国山川郷ニ出陣ス 弘化三年丙午六月十七日
- 島津石見着麑ノ次日山川港ニ出張ス 六月十八日
- 渡来ノ仏艦在留ノ仏人ヲ列レ帰ラムトスルノ報 午六月十八日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 長崎港ニ仏国軍艦渡来ノ報告 午六月十八日 島津将曹 調所笑左衛門殿 別紙
- 此節仏蘭西舩三艘長崎渡来一件ニ付在勤御奉行ヨリ江戸表届入手 午六月十八日 島津豊後 調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦長崎ニ渡来ノ報 六月十八日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦長崎ニ渡来ノ報 午六月十九日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 長崎港ニ仏国軍艦渡来ノ報告 午六月廿日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 斉彬公水戸前中納言殿ヘ往復書三通(琉球在留仏人事件) 六月廿三日 同返翰
- 御帰国御暇賜布達 六月廿九日 壱岐
- 斉彬公御帰国御祝儀 六月廿九日 壱岐
- 琉吏仏英人ノ状况報告 七月六日 国吉親方・小録親方・与那原親方・浦添王子 島津豊後様久宝
- 在琉外人処分ノ要領閣老ヘ御伺書ニツキ上意 弘化三年七月 松平修理太夫
- 江戸大洪水大坂蔵屋敷ヘ来状 七月十二日
- 斉彬公御着城 七月廿五日
- 琉球国ニ於テ異国船御処分ノ事ハ閣老阿部侯ト御密議ノ趣中山王及ヒ在番奉行等ヘ御密達セラレタリ (弘化三年七月)
- (島津石見へ 七月 山川より人数引上げの布告)
- 島津石見山川港解陣ノ布告 弘化三年丙午八月朔日
- 那覇港ニ仏国軍艦渡来国人一名在留セシメタル事由報告 午八月十二日 平田善太夫 島津豊後殿・島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 仏朗西国水師提督瑟西爾差出候書状并和解 同書状ニ付報告(午八月十二日 平田善太夫 島津豊後殿・島津石見殿・調所笑左衛門殿) 別紙
- 那覇港碇泊仏艦購求品の報告 午八月十二日 平田善太夫 島津豊後殿・島津石見殿・調所笑左衛門殿
- 琉球国ヘ仏英二国軍艦渡来ニ就キ帰国期日伺書 弘化三年午八月十四日 島津斉興
- 久米島ヘ異国舩漂来ノ事実具申 午八月十五日 松平大隅守
- 斉興公琉球処分ニ就テ御帰国ノ期伺書 八月廿日 松平大隅守
- 斉彬公帰国中上申書 弘化三年午八月廿八日 松平修理太夫
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年八月二八日 種子島六郎 巡見御用掛
- 平戸領水銀流出ノ報 八月
- 参考 勅シテ海防ヲ厳ニセシム
- 当時京都流行八島ノ切 夏
- 那覇港ニ英国軍艦渡来ノ報 午九月三日 平田善太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・調所笑左衛門殿
- 斉彬公封内海岸御巡視国老島津将曹附従ス 午九月九日 調所笑左衛門 種子島六郎殿・名越彦太夫殿
- 斉彬公山川其他ノ海岸御巡見ノ布告 弘化三年九月 将曹(島津久徳)
- 琉球国ヘ仏艦渡来ノ届書 弘化三年午九月十二日 島津斉興
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年九月一三日 種子島権助 巡見供
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年九月十五日 種子島六郎 斉彬参府供
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年九月十五日 種子島六郎 巡見地頭代
- 斉彬公封内海岸御巡視 九月十五日
- 久米島ヘ異国舩漂来ノ事実松平大隅守具申ニ付報告 未(午か)九月十六日 大迫源七 将曹(仝上)様
- 琉球警吏山川滞陣渡琉停止照会 午九月十八日 海老原宗之丞・友野市助 笑左衛門様
- 琉球警吏倉山新納出航ノ報 午九月十八日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 斉彬公山川其他海岸御巡視国老島津将曹附従ノ照会 午九月十八日 島津壱岐 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年九月二三日 種子島権助 巡見道橋見分
- 藩吏大迫源七琉球事件ノ密用ヲ含ンテ至急下麑ス 午九月廿五日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 那覇港ニ仏国軍艦渡来ノ事実報告(その1) 午九月廿六日 島津将曹・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 那覇港ニ仏国軍艦渡来ノ事実報告(その2) 午九月廿六日 久徳(島津将曹)・久浮(島津石見)・久武(樺山伊織) 平賀信濃守様・山口内匠様
- 那覇港ニ仏国軍艦渡来ノ事実報告(その3) 午九月廿五日 島津石見 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 那覇港ニ仏国軍艦渡来ノ事実報告(その4) 午九月廿六日 島津将曹・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 琉球国ヘ外国舩処分ニ就キ帰国期日伺 弘化三年午九月廿八日 松平大隅守 右ニ対シ口演
- 琉球在留仏英人ノ事情具申ノ手続照会 午九月廿九日 調所笑左衛門 嶋津壱岐殿・嶋津石見殿・嶋津将曹殿
- 斉彬公山川其他海岸御巡視ノ照会 午九月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年十月一日 種子島権助 御馬預兼務
- 斉彬実際の巡見は十月十五日
- 斉彬公封内海岸御巡視要衝ニ砲台築造
- 午十月十五日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 午十月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 午十月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 午十月廿九日 島津将曹・島津石見・島津壱岐 嶋津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 午十月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来届書 弘化三午十月廿二日 島津斉興
- 琉球在留仏英人ノ事情具申ノ手続照会 午十月廿九日 調所笑左衛門 嶋津壱岐殿・嶋津石見殿・嶋津将曹殿
- 種子島時〓003家記抜抄 弘化三年十月より 種子島権助 巡見時行動
- 仏国軍艦渡来届書ニ対シタル修理大夫伺 弘化三午十一月朔日 阿部正弘宛
- 斉彬公水戸前中納言殿ヘ往復書 十一月十二日 同封書類
- 那覇港ニ英国軍艦渡来ノ報 午十一月廿二日 島津将曹・島津石見 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 調所笑左衛門種子島六郎ヘ海岸御巡視云云照会 弘化三年十一月廿七日 調所笑左衛門 種子島六郎殿
- 同年十一月廿九日水戸公ヘ送ラル御書簡
- 仏国軍艦渡来届書ニ対シ大隅守伺 弘化三午十一月晦日 御名大隅守 阿部正弘
- 斉彬公封内海岸御巡視ノ報 午十二月二日 調所笑左衛門 島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿
- 英国軍艦渡来ノ始末ヲ老中阿部正弘ニ具申ス 十二月十一日 松平大隅守
- 閣老阿部正弘琉球国警備ヲ質問ス 午十二月十三日 早川五郎兵衛 笑左衛門様 右ニ対シタル具申
- 警吏交替否ヤノ照会 宮内清之進・橋口五助・岩切英助の件 午十二月十八日 調所笑左衛門 島津石見殿・島津壱岐殿・島津将曹殿
- 老中阿部正弘より琉球警衛ニ付照会 午十二月十八日 調所笑左衛門 島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿
- 閣老阿部正弘在琉仏人ノ処分密諭 未正月十四日 半田嘉藤次 豊後様(島津久寳)
- 琉球ニ於テ外国人処分再度ノ達書 未正月十六日阿部伊勢守江斉興見舞ノ節直ニ承知 第二三冊は重出
- 閣老密諭ノ趣意報告 未正月十九日 島津豊後 島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿
- 閣老密輸ノ趣意通報ノ為メ藩吏渡琉ス 未二月二日 島津将曹・島津壱岐 島津豊後殿
- 薩海ヘ異国舩渡来戦争云々ノ説当時各藩流布ノ書辨偽 未二月十一日 松平大隅守
- 閣老密輸ノ趣意通報ノ為メ藩吏渡琉ス 未二月十二日 島津将曹・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿
- 備荒貯蓄布令 未二月
- 琉球外国舩事件御届書 三月五日 松平大隅守(斉興公)
- 琉史記録抄 道光廿七年未三月十二日
- 斉彬公御参府布告 弘化四年三月十三日
- 異国舩処分ノ功ニ依リ国頭按司王子エ陛進ス 三月十四日 第二三冊には重出
- 中山王相続謝恩使参府ヲ促ス 四月十二日 浦添王子・与奈原親方・小禄親方・国吉親方 島津将曹殿(久徳)
- 在琉英国人ノ退去ヲ促ス 四月十五日
- 国頭王子カ功労ヲ賞ス 四月十五日 浦添王子・与奈原親方・小禄親方・国吉親方 島津将曹様
- 外国人退去ヲ祷ル 四月十六日 国吉親方・小禄親方・与奈原親方・浦添王子 島津将曹様
- 琉吏斉興公斉彬公ノ帰国及ヒ参府ヲ賀ス 四月十六日 国吉親方・小禄親方・与那原親方・浦添王子 島津将曹様
- 中城王子謝状 四月十六日 国吉親方・小録親方・与那原親方・浦添王子 島津将曹様
- 斉興公伊集院平ニ命シテ英仏人ノ情況ヲ探ラシム 四月十六日 浦添王子 伊集院平様
- 仏国軍艦渡来ノ届書 四月十六日 浦添王子
- 外国舩暗礁ニ触ル 四月十六日 浦添王子
- 清国政府ニ外国人処分ヲ依頼ス 四月十六日 浦添王子
- 洋銀及ヒ物品引揚ヲ令ス 四月十六日 浦添王子
- 琉球国守備増遣(予備) 四月二十一日 (石室秘稿)
- 琉球国ヲ賑恤ス 四月二五日 浦添王子 調所笑左衛門殿 第二三冊には重出あり
- 清国政府へ嘆願使ノ届 四月廿五日 浦添王子
- 仏朗西国大総兵来着和好交易等ノ儀申立 四月二五日
- 仏国軍艦那覇港ニ来ル 四月二十七日
- 琉球国警備ノ上申 四月(?) 第二三冊には重出あり
- 在崎和蘭人ヘ在琉英仏人ノ情況ヲ探問ス 未五月廿二日 奥四郎 将曹様(碇山久徳)
- 琉球国ヘフランス舩并「エケレス」舩之儀ニ付御尋之趣甲比丹見込 未五月 楢林鉄之助・岩瀬弥七郎
- 琉球国ヘ「フランス」舩并「エゲレス」舩再ヒ致渡来候付出島在館之「カビタン」ヘ極蜜々承合 未五月 楢林鉄之助・岩瀬弥七郎
- 琉球国警衛人員多寡ノ嫌疑 五月廿五日 阿部正弘と松平大隅守・松平修理大夫と 内達 第二三冊には重出あり
- 閣老阿部正弘琉球国整備名実相違否ヤヲ内問ス 未五月廿六日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 琉球表取扱一条ニ付廿五日少将ヘ阿部伊勢守ヨリ書取ヲ以テ直達 未五月廿六日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 琉球表守衛向之儀ニ付廿五日阿部伊勢守ヨリ書取ヲ以少将様ヘ直達 未五月廿六日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 御内用筋有之折田八郎兵衛・有馬次郎右衛門急差立 未五月廿六日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 琉球表守衛之儀ニ付阿部伊勢守ヨリ書取ヲ以少将直達之趣逐一承知奉恐入 未五月廿六日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 折田八郎兵衛内用之儀国許ヘ差越 五月廿五日 将曹
- 平田直之進・有馬次郎右エ門内用之儀国許ヘ差越 五月廿五日 将曹
- 在琉仏人処分及ヒ警備ノ事実具申ノ内議
- 未六月朔日 大迫源七 将曹様
- 未六月二日 井上逸作 将曹様
- 未六月五日 早川五郎兵衛 将曹様
- 未六月十二日 大迫源七 将曹様
- 六月十一日 将曹
- 未六月十三日 早川五郎兵衛 将曹様
- 琉球名護間切ニ外国舩渡来ノ報 未六月三日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿・島津将曹殿
- 右回答 未六月廿七日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 在琉英仏人ノ情况報告 未六月三日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿・島津将曹殿
- 右回答 未六月廿七日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐 島津豊後殿・島津将曹殿(差出・宛先逆か)
- 琉球表御取扱少将ヘ阿部伊勢守ヨリ直達趣太守承知之上受届 未六月三日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 斉彬公着府布告 弘化四年六月九日
- 斉彬公青山下野守ト琉球処分談話 六月十一日
- 清国ヘ異国一件願ノ使者 六月十二日
- 斉彬公阿部伊守ト琉球処分談話 六月十三日
- 有馬次郎右衛門折田八郎兵衛差下内用向逐一致承知 未六月十九日 調所笑左衛門 島津将曹殿
- 阿部伊勢守ヨリ少将ヘ御談有之先月廿五日出候様前日達 未六月十九日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐 島津将曹殿 右回答 七月廿九日
- 和蘭使節提出書和解内閲ヲ允ス
- 五日阿部伊勢守用人ヨリ達半田嘉藤次・早川五郎兵衛宛切紙到来 未六月廿七日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 辰年長崎ヘ使節船来着和蘭国王ヨリ差上候書翰并御返翰之一条ニテ誠不容易御書面 未六月廿七日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 琉球及ヒ大島ヘ異国船渡来ノ始末具申否ヤノ照会 未六月廿七日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 閣老阿部正弘琉球ニ於テ外国舩処分法方密示 未六月廿九日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 軍制改革第一着手 六月 近江(末川久平)・笑左衛門(調所広郷)
- 閣老阿部正弘琉球警備事実相違否ヤヲ再問ス 未七月廿九日 島津将曹・島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所左衛門殿
- 島津権五郎ヘ琉球警衛ヲ命ス 未七月晦日 調所笑左衛門 島津将曹殿
- 井上逸作・有馬次郎右衛門・折田八郎兵衛内用之儀ニテ出府 七月 将曹
- 孝明天皇御即位御予定斉彬公京都ヘ勤向ノ例規ヲ調査ス 未八月三日 大迫源七 将曹(碇山)様
- 在琉仏人取扱向斉彬公阿部侯ヘ談話ノ照会 未八月九日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 琉球其他各島ニ異国舩漂来ノ事実長崎奉行ヘ具申 八月十五日 平賀信濃守様 別紙あり
- 英米鯨猟舩琉球其他各島ヘ渡来ノ事実具申否ヤノ照会 未八月十六日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐・島津豊後 島津将曹殿 右回答 九月廿九日
- 久米島其他各島ニ異国舩漂来ノ事実 未八月十六日 調所笑左衛門 島津将曹殿 右回答 九月二九日
- 封内沿岸守防砲台修築云々照会 未八月十六日 調所笑左衛門・末川久馬・島津壱岐・島津豊後 島津将曹殿 右回答 九月廿九日
- 在琉警吏二階堂志津馬ヲ以テ在琉仏人ノ動静具申セント乞フ 未八月十八日 松平大隅守
- 封内沿岸要衝ニ砲台修築ヲ具申ス 未八月十八日 松平大隅守
- 琉球国及ヒ内地沿岸警備ノ事実具申 未八月十八日
- 二階堂志津馬琉球在留仏人ノ情况具申ノ為メ出府ヲ命シタル照会 未八月廿二日 調所笑左衛門・末川久馬・島津石見・島津壱岐・島津豊後 島津将曹殿 右回答 九月廿九日
- 閣老阿部正弘琉球警備事実相違否ヤヲ斉彬公ニ親問ス 未八月廿三日 調所笑左衛門 島津将曹殿 右回答 九月二九日
- 閣老阿部正弘在琉仏人処分事件ノ密書ヲ与ヘタル照会 未八月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿 右回答 未九月廿九日
- 水戸中納言殿阿部正弘ヘ琉球ニ於テ外国人処分ノ御意見書 八月(弘化四丁末)
- 琉球王へ使者之儀阿部正弘へ報告 未九月廿一日 半田嘉藤次 将曹様
- 領内海防阿部正弘へ報告 未九月廿一日 半田嘉藤次 将曹様
- 島津山城(久光旧名)海岸防禦ノ代理ヲ命シ及ヒ改名届書 未九月廿六日 半田嘉藤次 将曹様
- 二階堂志津馬江戸上着眼病届書 未九月廿七日 大迫源七 将曹様
- 琉球国及ヒ内地沿岸警備ノ事実具申 未九月廿九日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左エ門殿
- 琉球国及ヒ内地沿岸警備ノ事実具申 未十月朔日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 琉球国及ヒ内地沿岸警備ノ事実具申 未十月朔日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 阿部伊勢守用人三富甚左衛門ヘ出会 未十月五日 早川五郎兵衛 将曹様
- 老中阿部伊勢守用人服部九十郎ヨリ勝手迄罷出候様切紙到来 未十月十一日 井上逸作 将曹様
- 琉球国異国舩渡来ニ付彼地之事情且清国対談形行申上度二階堂志津馬阿部正弘面会 未十月十三日 半田嘉藤次 将曹様
- 二階堂志津馬琉球在留仏人ノ動静事実ヲ親述ス 未十月十七日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 二階堂志津馬十三日阿部伊勢守方ヘ罷出被仰付内用筋手扣書 未十月十七日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 二階堂帰国否ヤノ内伺 未十月十七日 半田嘉藤次 将曹様
- 桑山六左衛門ヘ二階堂志津馬同道罷出廿五日当地出立 未十月廿三日 半田嘉藤次 将曹様
- 老中阿部伊勢守用人三富甚左衛門ヘ出会 未十月廿四日 半田嘉藤次 将曹様
- 阿部伊勢守用人服部九十郎勝手ヘ罷出二階堂志津馬同道 未十月廿四日 半田嘉藤次 将曹様
- 阿部伊勢守用人服部九十郎面会二階堂志津馬へ御用筋委細被仰達 未十月廿四日 半田嘉藤次 将曹様
- 二階堂志津馬阿部伊勢守御逢之上被仰付越候御内用手扣書 未十月晦日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左エ門殿
- 琉球仏人何モ相替儀無之 未十一月三日 島津豊後 島津石見殿
- 愚説前書ニ対シ烈公ノ説 十一月廿八日ノ書翰
- 阿部伊勢守用人三富甚左衛門出会二階堂志津馬被仰付儀太守様承知 未十二月廿一日 早川五郎兵衛 将曹様
- 阿部伊勢守用人山岡衛士出会二階堂志津馬御用被仰達候趣太守様承知 未十二月晦日 早川五郎兵衛 将曹様
- 愚説ニ対シ烈公ノ説 弘化四丁未十二月十四日
- 閣老阿部正弘在琉英仏人ノ動静ヲ問フ 申正月三日 島津将曹 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人病死及ヒ英人伯徳令カ動静ヲ具申ス 申三月廿九日 半田嘉藤次 将曹様
- 斉彬公水戸公往復書 嘉永元年(カ)四月六日 洋書貸借夷情琉球ノ件
- 斉彬公水戸公往復書 仏国製小銃贈遺並琉球等ノ件 四月廿三日 修理大夫
- 在琉英仏人ノ動静報告 申五月六日 早川五郎兵衛 将曹様
- 在琉英仏人ノ動静報告 申五月廿日 島津将曹 島津壱岐殿・島津石見殿・末川久馬殿・調所笑左衛門殿
- 在琉英仏人ノ動静報告 申七月七日 早川五郎兵衛
- 在琉英仏人ノ動静報告 申七月四日 松平大隅守内半田嘉藤次
- 在琉英仏人ノ動静報告 申七月四日 半田嘉藤次 豊後様
- 在留英人伯徳令医術ヲ説諭ス 道光二十八年七月二十一日(○本邦嘉永元戊申) 大英医生伯徳令
- 在留英人伯徳令下婢雇用ヲ催促ス 道光二十八年七月二十七日
- 在琉仏人病死ノ照会 申七月廿九日 調所笑左衛門 島津豊後殿
- 在琉仏人退去ノ事実具申申七月晦日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿 右回答
- 警吏新納四郎右衛門帰国照会 申七月晦日 倉山作太夫 調所笑左衛門殿
- 琉球豊見城間切大嶺村沖ニ仏国舩渡来ノ報 申八月三日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿
- 琉吏英人伯徳令カ婢雇ヲ謝絶ス 英人女雇相断候付中国之律例ニ致相違候段申出之文 道光二十八年八月初参日 英国医生伯徳令謹
- 在琉仏人退去ノ形况 申八月四日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人飼養ノ綿羊繁殖ス 申八月四日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿 別紙
- 仏国軍艦購求品物代価 申八月四日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿
- 在流仏人病死及ヒ英人伯徳令カ動静具申 申八月七日 松平大隅守
- 在琉佛英人ノ動静ヲ長崎奉行ニ具申ス 申八月七日 廣郷調所・久平末川・久徳碇山・久浮島津・久武島津 井戸對馬守様 同上詳細
- 在琉佛人死去及ヒ英人ノ動静具申 申八月十三日 調所笑左衛門・末川近江・島津将曹・島津石見・島津壹岐 島津豊後殿
- 在琉佛人退去具申 (嘉永元年八月)
- 琉吏清國政府ニ在琉英佛人退去歎訴書案第一 道光二十八年八月(嘉永元戊申)
- 琉吏清國政府ニ在琉英佛人退去歎訴書案第二 道光二十捌年捌月
- 在流仏人病死及ヒ英人伯徳令カ動静具申ニ付連絡 申九月十一日 半田嘉藤次 豊後様(島津久宝)
- 斉彬公水戸公往復書 嘉永元年九月十二日 琉球軍艦並島津入道(市広云島津入道ハ十五代貴久実父相模入道日新斉詠歌ハ伊呂波歌ナルヘシ)詠歌及ヒ物品贈酬等ノ件
- 在琉仏人退去ノ飛報 申九月十九日 末川近江・島津将曹・島津壱岐 調所笑左衛門殿
- 琉球豊見城間切大嶺村沖ニ仏国舩渡来ノ再報 申九月十九日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 在琉仏人退去ノ事実照会 申九月十九日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 在琉仏人退去ノ事実新納四郎右衛門届 申九月十九日 島津将曹 調所笑左衛門殿
- 在琉仏人退去ノ事実長崎奉行届 申九月廿 末川近江・島津将曹・島津石見・島津壱岐 調所笑左衛門殿
- 仏国軍艦渡来ノ事実長崎奉行ヘ具申 申九月廿三日 久平(末川)・久徳(碇山)・久浮(島津)・久武(島津) 稲葉出羽守様
- 在琉佛人死去及ヒ英人ノ動静具申返事 九月二九日
- 在琉仏人退去及ヒ英人伯徳令カ動静ヲ具申ス 申十月十一日 松平大隅守 同上に付連絡 申十月十一日 半田嘉藤次 豊後様
- 在琉仏人退去ノ事実回答 申十月廿四日
- 在琉仏人退去将来ヲ訓誡ス 申十月
- 在留英人妻懐胎及ヒ下婢雇入レント乞フ 申十一月三日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿
- 琉吏英仏人退去ヲ清国ヘ歎訴其他形勢照会 申十一月三日 倉山作太夫 島津豊後殿・島津壱岐殿・津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿・調所笑左衛門殿
- 在留仏人退去後警誡達書 申十一月四日 末川近江・島津将曹 島津豊後殿・調所笑左衛門殿
- 在琉仏人退去警吏帰国ヲ命ス 申十二月廿四日海老原宗之丞
- 斉彬公水戸公往復書 嘉永元年(カ)十二月廿六日 珍綿及ヒ蒸気船ノ書和薬一万法琉球等ノ件
- 斉興公御帰国在琉英人退去処分特命 酉正月廿八日 半田嘉藤次 豊後様
- 在琉仏人退去警戒訓諭 正月晦日 豊後
- 琉球警吏大島在陣島津久包ニ渡琉ヲ命ス 酉正月 取次 吉利仲
- 在琉英人ノ動静具申 酉四月五日 半田嘉藤次 豊後様 口演扣
- 在琉英人ノ動静報告 酉四月十六日 島津豊後 川上東馬殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿
- 琉球ニ於テ外国舩ヨリ大小砲ヲ贈リタル風説佐賀福岡二侯内報 酉四月十六日 島津豊後 川上東馬殿・島津壱岐殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿
- 琉球及ヒ久米島ヘ英米舩渡来或ハ在留英人女子分娩ノ報告 酉閏四月二日 松平大隅守
- 徳島其他琉球諸島ニ英米舩渡ノ事実具申 酉五月廿八日 松平大隅守
- 在琉英人ノ動静具申 酉六月廿八日 松平大隅守
- 八重山島其他各所ニ外国舩渡来ノ事実具申 酉六月廿八日 松平大隅守
- 在琉英人ノ動静阿部侯ニ就テ内申 酉九月廿九日 島津壱岐 川上東馬殿・島津石見殿・島津将曹殿・末川近江殿
- 在琉英人ノ動静阿部侯ニ就テ内申口演之覚 酉十月三日 松平大隅守内大迫源七
- 在琉英人ノ動静阿部侯ニ就テ内申報告 酉十月三日 大迫源七 壱岐様
- 在琉英人ノ動静阿部侯ニ就テ内申報告 酉十月三日 早川五郎兵衛 壱岐様
- 琉球国英人形行阿部伊勢守ヘ昨日御届 酉十月四日 半田嘉藤次 壱岐様