Q1 地震奇談録
【内容】Q1-1、Q1-2は同内容。安政江戸地震での旗本屋敷の被害状況
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一 地震奇談録
【表紙】なし。
【詳細】本文冒頭と末尾に「地震奇談録」とあり。
【内容】安政江戸地震による大名・旗本等の被害状況、とくに死者について、三九件の箇条書に纏めた写本。
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二 地震奇談録
【表紙】なし。
【詳細】本文冒頭に「地震奇談録」、末尾に「地震奇談録ク」とあり。
【内容】安政江戸地震による大名・旗本等の被害状況、とくに死者について、三九件の箇条書に纏めたもので、Q1-1と全く同じ写本。
Q2 信陽大地震御届写
【表紙】「弘化丁未四 三月廿四日 信陽大地震御届写」
【内容】弘化四年三月の善光寺・越後高田地震についての記録
【目録】
弘化四丁未三月廿四日、信州大地震ニ附諸家御届書之写
一松代初度御届(三月廿六日) *真田信濃守
一同 岩倉山抜崩犀川堰留御届(四月朔日)
一同 戸尻川湛留御届(四月二日)
一同 拝借金御願(四月十二日)
一同 虫倉山抜崩御届(四月十三日)
一同 鹿谷村分地高地川荒間沢湛留御届(四月)
一同 犀川湛水押切洪水御届(四月十四日)
一同 八度目御届(四月十八日)
一松代国役御普請御願(五月朔日)
一善光寺潰焼失取調御届(四月)
一飯山初度御届(四月二日) *本田豊後守
一同 潰御届(四月十三日)
一中之条初度御届(三月廿五日) *代官川上金吾助
一同 二度目御届(未四月)
一同 三度目御届(未四月)
一同 潰家流失御届(未四月)
一同 五度目御届(未四月)
一同 六度目御届(未四月)
一同 水内郡青倉山抜御届(未四月十日)
一同 犀川湛水押切洪水御届(未四月)
一同 脇往還人馬継立差支御届(未五月)
一同 拾度目御届(未四月)
一中野初度御届(未三月廿五日) *代官高木清左衛門
一同 潰御届幷拝借金御願(弘化四未年四月)
一同 犀川湛水押切洪水元〆ゟ御届(未四月)
一同 四度目御届(未四月廿四日)
一須坂初度御届(三月廿六日) *堀長門守
一同 犀川湛水押破洪水御届(四月十四日)
一上田初度御届(四月朔日) *松平伊賀守
一松本初度御届(三月廿七日) *松平丹後守
一高田初度御届(四月四日) *榊原式部太輔
一同 弐度目御届(四月七日)
一川浦初度御届(未三月廿五日) *代官小笠原信助
一同 二度家御届(未四月)
一大垣風損御届(四月廿二日) *戸田采女正
一同 風痛水押調御届(五月六日)
一津軽異国船相見江候御届(四月二日) *津軽越中守
(右のうち高田・川浦は越後地震、大垣は四月十日の美濃国強風雨の被害届書、最後は津軽領分海岸原舘沖へ三月二十四日に異国船が見えたことの届書。また 日付および*は本文中より)。
【裏表紙】「嘉永元戊申年七月 川中嶋戸部村 青木休五郎写之」
Q3 信越地震記
【表紙】「弘化四丁未三月廿四日 信越地震記」
【内容】弘化四年三月の善光寺・越後高田地震についての記録
【目録】
三月廿六日 真田信濃守御届(松代)
四月四日 真田信濃守御届(松代)
四月十四日 真田信濃守御届(松代)
四月朔日 松平伊賀守家来大嶋郡之丞御届(上田)
三月廿六日 堀長門守御届(須坂)
四月二日 本多豊後守御届(飯山)
四月十三日 本多豊後守再御届(飯山)
三月廿七日 松平丹後守御届(松本)
四月四日 榊原式部太輔御届(高田)
四月七日 榊原式部大輔再御届(高田)
四月 榊原式部太輔御預所役人武藤門吾御届(高田)
三月廿五日 御普請方高崎与八・西村覚内御届
四月三日 御普請方高崎与八・西村覚内大地震之場所見聞取調書
三月晦日 御代官高木清左衛門御届(中野代官)
四月四日 御代官高木清左衛門再御届(中野代官)
四月七日 御代官高木清左衛門御届(中野代官)
三月廿五日 御代官川上金吾助御届(中之条代官)
四月八日 堀出雲守家来奥田為太郎御届(須坂)
弘化四丁未三月廿四日夜四時頃信濃国ニ而善光寺近隣大地震ニ付潰家幷死人数凡書付
三月廿九日 真鶯庵主人宛為赤城覚書
四月廿八日 中村平蔵宛同五太夫・源次郎書状(「信濃国水内郡柏原村ゟ来候文通写」)
四月八日 中村屋平蔵宛かつらや弥助書状(「信州柏原ゟ来ル文通写」)
(年未詳) 信州柏原ゟ中村や平蔵方へ差越候書付写
未四月 高木清左衛門伺書(「大地震急難御救拝借金之義ニ付奉伺候」)
四月十四日 真田信濃守御届(松代)
未四月廿一日 高木清左衛門上申書(「信州千曲川大洪水之始末申上候書付」)