P1 看聞日記
【現況】洋装本八冊分 もと和本をとじ合わせたもの
【目次】一丁目上辺に鉛筆書き「Fushimi no Miya Sadanari,Prince of Japan」
【備考】蔵書票「1907」
【内容】
一 ★洋装本第一冊
○目次 「看聞日記目録」
第一巻 応永二十三年自正月至十二月
第二巻 同二十四年自正月至十二月
第三巻 同二十五年自正月至十二月
第四巻 同二十六年自正月至十二月
第五巻 同二十七年自正月至十二月
第六巻 同二十八年自正月至十二月
第七巻 同二十九年自正月至十二月
第八巻 同三十年自正月至十二月
第九巻 同三十一年自正月至十二月
第拾巻 同三十二年自正月至十二月
第拾一巻 正長二年三四八九十十二
第拾二巻 永享二年自四月廿八日至十二月
第拾三巻 同三年自正月至十二月
第拾四巻 同四年自正月至四月
第拾五巻 同年自五月至十二月
第拾六巻 同五年自正月至六月
第拾七巻 同年自七月至十二月
第拾八巻 同六年自正月至六月
第拾九巻 同年自七月至十二月
第二拾巻 同七年自正月至三月
第二十一巻 同年自四月至七月
第二拾二巻 同年自八月至九月
第二拾三巻 同年自十月至十二月
第二拾四巻 同八年自正月至三月
第二拾五巻 同年自四月至六月
第二拾六巻 同年自七月至九月
第二拾七巻 同年自十月至十二月
第二拾八巻 同九年自正月至六月
第二拾九巻 同年自七月至十二月
第三拾巻 同十年自正月至三月
第三拾一巻 同年自四月至六月
第三拾二巻 同年自七月至九月
第三拾三巻 同年度十月至十二月
第三拾四巻 嘉吉元年自正月至十二月
第三拾五巻 同年自四月至六月
第三拾六巻 同三年自正月至三月
第三拾七巻 同年自四月至六月
第三拾八巻 同年自七月至八月
第三拾九巻 同年九月
第四拾巻 同年自十月至十二月
第四拾一巻 文安四年自十月十四日至同五年四月七日
別巻 応永十五年三月八日行幸之記 一冊
同 自文安四年十二月十五日至宝徳二年十二月記 一冊
惣数四拾三冊
1看聞日記 応永十五年行幸之記 14丁
2看聞日記 壱 応永廿三年自正月至十二月 90丁
末尾識語「宮中雑事御仏事等委細記録後見尤有憚、雖然、後日自然為不審巨細記之、万歳以後須投火中 月次連歌懐紙散在不可然之間、態と飜懐紙書之、且後日為一覧也、百韻守次第続之、更不可有混乱、」(以下の巻の分はほぼ同文、省略)
3看聞日記 応永廿四年
4看聞日記 応永廿五年自正月至十二月
ニ★洋装本第二冊
5看聞日記 四 応永廿六年自正月至十二月
6看聞日記 五 応永廿七年自正月至十二月
7看聞日記 六 応永廿八年自正月至極月
8看聞日記 七 応永廿九年自正月至十二月
三★洋装本第三冊
9看聞日記 八 応永三十年自正月至十二月
10看聞日記 九 応永三十一年自正月十二月
11看聞日記 十 応永三十二年自正月十二月
12看聞日記 十一 正長二年三月・四月(十月分まであり)
13看聞日記 十二 永享二年四月(十二月分まであり)
四★洋装本第四冊
14看聞日記 十三 永享三年自正月至十二月
15看聞日記 十四 永享四年自正月至四月
16看聞日記 十五 永享四年自五月至十二月
17看聞日記 十六 永享五年自正月至六月
五★洋装本第五冊
18看聞日記 十七 永享五年自十月至十二月
19看聞日記 十八 永享六年自正月至六月
20看聞日記 十九 永享六年自七月至十二月
21看聞日記 廿 永享七年自春至夏
六★洋装本第六冊
22看聞日記 廿一 永享七年自四月至七月
23看聞日記 廿二 永享七年八月九月
24看聞日記 廿三 永享七年自十月十二月
25看聞日記 廿四 永享八年自正月至三月
26看聞日記 廿五 永享八年夏
27看聞日記 廿六 永享八年自七月至九月
七★洋装本第七冊
28看聞日記 廿七 永享八年自十月至十二月
29看聞日記 廿八 永享九年自正月至六月
30看聞日記 廿九 永享九年自七月至十二月
31看聞日記 卅 永享十年自正月至三月
32看聞日記 卅一 永享十年自四月至六月
33看聞日記 卅二 永享十年自秋至冬
34看聞日記 卅三 永享十年自十月至十二月
八★洋装本第八冊 →状態 綴じ等注意
35看聞日記 卅四 嘉吉元年自正月至十二月
36看聞日記 卅五 嘉吉元年自四月至六月
37看聞日記 卅六 嘉吉三年自正月至三月
38看聞日記 卅七 嘉吉三年自四月至六月
39看聞日記 卅八 嘉吉三年自七月至八月
40看聞日記 卅九 嘉吉三年九月
41看聞日記 四十 嘉吉三年自十月至十二月
42看聞日記 四十一文安四年(自十月十四日至同五年四月七日)
43看聞日記 別巻 自文安四年十二月十五日至宝徳二年十二月
P2 むさし鐙・江戸炎聞志
【背表紙】背文字は「江戸記聞」
【表紙】表紙はなし、一五三丁
【備考】蔵書票「1907」
【内容】
○第一丁の右下に朱枠印二つ
「 対梅宇主 「百好亭文庫」
萩原乙彦
蔵于俳書
二酉精舎」
○第一丁
「むさし鐙 定本」
○第三〇丁裏 寅年ハ寛文二年也、万治二三年後也
「于時万治弐丁寅年初秋吉日
己■なり、筆者謬歟
明暦三丁酉のとし三年め也
明和三戌のとし写之
万治二年より今年迄百八年ニ成ル
大火事百十年になる也
○第三一丁表
「一対武蔵鐙」
明暦以来の大火となった明和九年二月二十九日の大火について記す
○第三八丁裏の末に「天明四辰のとし」、第三九丁に「跋」を記す
○第四〇丁表
「江戸炎聞志巻之上」 第一丁と同じ朱枠印二つ
○第九四丁裏
「江戸炎聞志巻之上終」
○第九五丁表
「江戸炎聞志巻之下」 第一丁と同じ朱枠印二つ
P3 椎の実筆
【現況】洋装本 もと和本の表紙なし
【内容】天保期の随筆 「椎の実筆」の抜粋本
【詳細】
① 「椎のミ筆 無巻数 今補目録
壱 子冬渡来唐船風説書写 弐 平井権八郎とかの墓
三 大御所様御不例 四 若年寄林肥後守御役御免
五 十返舎一九 六 御代々御仁政御意
七 乗馬覧姓名 七ノ内 炮術上覧
八 酒井左衛門尉所替百姓嘆願 九 牧野備前守家中へ申含書
十一 御府内町人江申渡覚 十 秋雲信士墓」
② 「椎のミ筆 巻数目録を欠く、今目録を補
壱 三女中御刑罰事略 二 佐野善左衛門手疵為負■
三 金山弁財天開運寺 四 中山前大納言尊号不取計
(以下略)」
③ 「椎の実筆 巻二
一 田安宗武卿御作誨蒙進言 二 行基作面
(以下略) 」
【備考】蔵書票「1907」。一丁目上辺に鉛筆書「Hachiya Mokitsu」。末尾に、N3末尾のものと酷似した書き込みとスタンプあり(こちらは朱でなく黒インクか)
【参考】国書総目録 蜂屋茂橘(日本古典文学大辞典に解題あり)の著作 天保十二年序 東大史料にも蒲堂叢書書き抜き本あり
P4 摂陽落穂集
【現況】洋装本 もと和本の表紙なし 各巻末に朱蔵書印Aあり
【著者】浜松歌国
【内容】
「摂陽落穂集序
秋の田の穂ひろふわさハ寡婦の利とこそきけ、(以下略)」
①摂陽落穂集第壱之巻
一大坂古名之事
一大坂の坂の字之事
一道頓堀川の事
(以下略)
②摂陽落穂集第弐之巻
一堂島古絵図之事
一往昔の踊子歌之事
(以下略)
③摂陽落穂集第参之巻
一西之宮百大夫之事
一天皇宿之事
(以下略)
④摂陽落穂集第四之巻
一天王寺に薬来らさる事
一土塔まつりの事
(以下略)
⑤摂陽落穂集第五之巻
一住吉忘草之事 并霊元法皇勅定之事
(以下略)
⑥摂陽落穂集第六之巻
一国内拾二郡堀之事
(以下略)
⑦摂陽落穂集第七之巻
一釣鐘町銘文之事
并三郷地子石高之事
(以下略)
⑧摂陽落穂集第八之巻
一大坂大火之事
(以下略)
⑨摂陽落穂集第九之巻
一根津の四郎右衛門之事 并半時庵漬の事
(以下略)
⑩摂陽落穂集第拾之巻
一四天王寺回録之事 并猫之門之事
(以下略)
⑪摂陽落穂集付録目録
一つるの橋
【備考】蔵書票「1907」
【備考】拾巻の末尾に、「文政十丁亥歳臘月写之、 蔵書印A 蔵書印B」
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Hamamatsu Utakuni」
【備考】和本部分全体の末尾にN3末尾のものと酷似した書き込みとスタンプあり(こちらは朱でなく黒インクか)「■■■■文?洲?堂卅九八百六十五 ????」(六より下は手書き)
P5 粟田日記抄録
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もとは和本 表紙「畑維龍著 粟田日記抄録」
【備考】和本部分表紙上辺に鉛筆書き「Hata Koretatsu」
【備考】和本部分上辺タイプ貼り紙「Awada nikki sho-roku」
【内容】天明京都火事後
畑維龍の寛政四年十月自序と、「老樵閑田子蒿蹊」(伴蒿蹊)の序あり、
「粟田雑記
畑維龍識
天明戊申の春、かくつらの神の崇有て桓武帝遷都よりこのかた年ふりたる花の都も一陣の烟となり、鳳輦ハ危河をわたりて聖護院の宮を行在所と定められ、上皇ハ粟田の宮にならせ給ひ、太上皇后は■頂山をよらさせ給ひ、皇太后ハ妙法院にうつらせ給ひ、(以下略)」
(末尾)「此書原本ハ三冊にて種々のあたらしき考とも書つめたりてハ、すこし計をぬき書せし也、小倉■■かねより借得て一わたり■■をりにものせし也、天保亥のとしやよいのすゑ」
※参考 国書総目録 寛政四年序 畑維龍(鶴山)著の随筆とあり、伝本は国会・内閣等多数 畑鶴山は京都の儒医
P6 一宵話
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もと和本 和本分表紙「一宵話 壱弐参」 表紙右下蔵書印「阿出川蔵書印」
【表紙】和本表紙上部貼紙「Hitoyo banashi,(Miscellaneous notes on antiquities) by Maki Bokusen, pseud.,Gekko-tei. The authors preface dated 1810. Manuscript.3v.in 1v.」
【内容】随筆 刊本の写し
【参考】日本随筆大成にあり、国書総目録→諸本あり、もと刊本、欧州所在目録 三井バークレー等にもあり、 秦/滄浪( はた/そうろう ) ・牧/墨僊( まき/ぼくせん ) 文化七年序
P7 名語集
【備考】蔵書票「1907」の書き込みのない蔵書票(他の1907蔵書票と同じ用紙)あり
【現況】洋装本 もと和本 ①の末尾右下に「上?ト二ヒ?」N3と同様の記号か
【印記】各①②の冒頭に蔵書印「高須氏図書印」
【内容】
①名語集 上
②名語集 下 末尾に「本朝名語集」ともあり、
秀吉から家綱までの逸話集
P8 代始和抄
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もと和本 和本表紙あり 題簽「代始和抄 ■」 末尾にN3同様の記号書き込みあり、
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Ichijo Kanera」
【備考】一丁目上辺貼り紙「Dai-hajime wa■■■」
【内容】
「代始和抄
一御譲位事
父子ニ非スシテ受禅ノ時ハ皇太子参上シテ倚子ニツキテ上表ノ礼アリ、(以下略)
」
(末尾識語)
「依種玉老人厳命聊顕累葉之家風者也、莫敢外見矣 神祇長上卜部朝臣在判」
「右一冊借請宗祇所持之本於灯下率爾書写之以暇日可令清書莫許他見矣 文明十三年長月不知夜天 龍作藤御判」
「件本端後成恩寺禅閣自筆問答宗祇以他筆書加之、奥兼倶卿自筆也、 美乃紙袋草子紺表紙銘色紙禅閣筆跡也 幽齋玄旨 花押」
「享保四年己亥正月廿九日灯下書功畢 友部安崇」
「享保十四年九月十四日 写功終 木村安益」
【参考】国書総目録 写本多数あり、有職故実書
P9 公事根源
【現況】写本。一冊。元外表紙を除いて洋製本。全文一筆。朱筆等なし。書写奥書なし。
【冒頭】「正月一日/四方拝」(同前)
【文末】「慶雲二年十二月…なやまされ侍りしなし」
【印記】冒頭に蔵書印あり、文末に古書店印あり
【備考】元所蔵者?の銘と花押あり
P10 金石搨本考
【備考】蔵書票「1907」と同じ用紙を添付。ただし、1907との書き込みはない。
【現況】洋装本。もと和本。
【表紙】和本表紙上辺鉛筆書き「Ichkawa Kansai」
【内容】
「金石搨本考惣目
第一巻
第一幅 二種合装
南都法隆寺造薬師銅像記 推古帝十五年
河内古市船後首墓志 天智帝七年
第二幅
南都法隆寺造釈迦銅像記 推古帝三十一年
(中略)
第九十四幅
豊後岡唐人屋敷石敢当碑」
「附録目録
武蔵仙波北院梵文光明真言碑 建武三年
(以下略) 」
「像目録
像第一幅
南都東大寺大仏蓮華座鎸仏像
(以下略)
」
【参考】国書総目録→内閣・無窮等に写本あり、市川寛斎編
P11 伊勢貞丈翁随筆抜書
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もと和本 和本表紙表上部 貼り紙「tei-jo no zhi-hitsu nuki-gaki Selections from notes on Japanese antiquities Ise sadatake By Ise Sadatake」
【備考】一丁目右下蔵書印三点
【内容】
「伊勢貞丈翁随筆抜書巻之一
婚嫁贈答歌
元禄十六年九月三日一条殿姫君へ久我の御嫡子より結納遣るる時歌を贈られし也との事、(以下略)
私党 ふちふち (以下略)
(以下第四巻まであり)」
P12 舳艫訓
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もと和本 和本一丁目右下蔵書印四種 うち「吉野弘隆蔵書」「貴志文庫」
【表紙】洋装部分表紙に貼り紙「舳艫訓 (蔵書印) 壹」
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Ise Sadatake」
【内容】第一巻~第五巻
【参考】国書総目録 国会・内閣等写本多数、伊勢貞丈著作随筆
P13 校合雑記 上・下
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 もと和本 表紙なし
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Kohanawa Gengouemon」
【内容】
三河松平氏より近世初期まで雑記
①上 壹~参
②下 四~五
【参考】国書総目録→小花和源五右衛門編雑記 写本多数あり
P14 杏翁酔話
【現況】洋装本 もと和本 罫紙(「杏花邨舎」)使用
【内容】
雑史 家康~天明期ころ
「杏翁酔話目次
巻之一
名君話上
巻之二
名君話下
巻之三
賢臣話上
巻之四
賢臣話下
」
編者として「淡路 河野逸輯」とあり、
「杏翁酔話序
杏村翁毎欽酔翁之為人、竊学之年来至半百亦称翁々好読史尤喜近代其与人対酌未曾不酔々乃挙名君賢臣事蹟為話其意蓋寓儆戒也、翁性能忘故読史則抄々終復読而眼毎如新併抄忘之胸記将如之何夫多読而忘不如少読而記也於是分前日所抄為四巻名曰杏翁酔話置之梧右毎忘復読則覚話富嗚呼洋学日闢国俗一変墨去魯来新話自多而翁之話徒止于此四冊子甃蛙之笑不亦宜乎雖然墨魯之話豈為脩齊治平之助耶如此小冊子所記皆嘉善行読之未必不無少補也、酔翁曰酔能其楽醒能述以文是酔翁之所以可欽而翁之所以願学之也、安政紀元抄冬杏村翁自識于杏花邨舎北窓之下」
【備考】蔵書票「1907」
【参考】国書総目録には見当たらず、河野/杏村(1811~67)には、他に著作多数
P15 熊野漫筆
【現況】洋装本 もと和本 表紙なし
【内容】 随筆
「一熊野別当湛増ハ藤原実方卿後胤と云伝ふ、実方の子別当長快、其子湛快、其子湛増、一説、実方の子泰救、父の卿と同じく奥州名所郡山石村郷に配流なり、(以下略)」
「一紀州国新宮城主堀内安房守氏善、代々紀州の人にして(以下略)」
以下、記事は、近世初期分まであり
○新田武蔵野合戦 ○三河大河内家 ○大河内源次郎忠政 ○服部小平太
○岡本下野守重政 ○今川左馬介氏豊 ○下間左衛門宗重 ○竹腰氏先祖
○志水氏 以下略
【末尾】「鎌倉大樹守邦親王ハ鎌倉滅亡後潜に武蔵国比企郡増尾郷に来り給ふて薙髪し、梅王寺と申奉る、其住し給ふ所を御門村といふ、(下略)」
【備考】蔵書票「1907」/一丁目上辺 鉛筆書き「Kumano manpitsu」
【参考】国書総目録→内閣(昌平坂学問所本)に同名の一冊本あり
P16 家守杖
【現況】洋装本 もと和本 表紙なし
【目録】
「目録
一平日心得之事
一御触并達物心得之事
一御成 御道筋心得之事
(以下略) 」
【序】
「家守杖序
家守を勤るものは町用専一ニ相励之、利欲に抱るへからす、利欲に抱る時は自然と役儀等閑に相成へし、渡世の余りを以て家主を勤る心得なる者は多しといへとも、家守たる物、是町用おこたる余力を以て家業を出精し、家族を扶助すへきなり、家守式にて町内店中の事のみ抱りてハ渡世に相ならすと心得たるものは元よりいえ守致すましく、此書は吾友の一助にもならんと大凡の心得を私に記し、家守杖と名づくといへとも誤多からん、後公朝の義は伺へし、私事ハ評談を得てたらさるの補あらん事お請のミ
文政四年歳春辛巳三月
麹街
桃井欽三誌」
【跋文】
「家守杖後跋
人は大法を守り、其職業を■むるを常とすへきなり、家守を勤るものハ卑賤の家といへと党其家守たれは尚然るへきなり、(中略)
文政四年 歳在辛巳春三月 欽三貞一跋」
【備考】蔵書票「1907」。一丁目上辺鉛筆書き「Momonori Kinzo」
【参考】国書総目録→桃井欽三著文政四自序 国会等写本多数あり 別称「家守指南針」 〔活〕未刊随筆百種一二
P17 耳袋
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 1の背表紙に「甘袋」と誤記 2の背表紙には「耳袋」とあり、もと和本
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Negishi Yasumori」
【備考】1・2の一丁目右上に蔵書印Aあり
【内容】 随筆
一 耳袋巻之一上
「禅気狂歌之事」「下風道二齋か事」「小野次郎右衛門立身并伊藤一刀齋か事」「小野次郎右衛門遠流付御免ニ而被召帰事」「有徳院様御射留之御格言并御仁心之事」(以下略)
二 耳袋巻之巻ノ二
「実母散起立之事」「蜂の巣を取捨る呪の事」「人性忌嫌ふ物ある事」「天命自然の事」「旧宝風狂の事」(以下略)
【参考】国書総目録→根岸守信著の随筆 写本多数あり 活字刊本多数
P18 耳袋
【備考】蔵書票「1907」
【現況】洋装本 背表紙1「耳嚢 上巻」・2「耳嚢 下巻」もと和本
【備考】一丁目上辺鉛筆書き「Negishi Yasumori」
【備考】一丁目蔵書印三種 A「上野養寿院蔵」・B「■■寺印」・C「大行満願海蔵」(願海、幕末から明治初年延暦寺僧)
【内容】
一
耳袋巻之壱弐参
目録
禅気狂歌の事
下道風二歌の事
(中略)
実母散起立の事
蜂の巣を取捨る呪の事
(中略)
歯牙の奇薬之事
二
①耳嚢巻之六・七目録
聊の事より奇怪を談し初る事
人の言葉によりて仏像流行する事
水野若狭守経済奇談之事
(下略)
町家の者其利を求る事工夫の事
②耳嚢巻之八・九目録
耳へ虫の入し事
耳中へ蚿入りし奇怪の事
(下略)
雷を嫌ふ者薬の事
【参考】国書総目録→根岸守信著の随筆 写本多数あり 活字刊本多数
P19 好古堂随筆
【内容】米沢藩国家老・莅戸善政による随筆、細川重賢のエピソードなど
【奥書】奥書・印記など無し
【備考】蔵書票「1907」
【巻頭】
好古堂随筆巻之上
寡婦利 大華鵬士雲著
読此篇者譬之拾于遺者雖粃/稈簸楊之則不無嘉穀伊寡婦之利
将軍御城の時ハ長屋内より通御をすき見・・・
【下巻書出】
好古堂随筆巻之下
細川家のむかし奉公人抱られける時兄弟二人/きたりて奉公人の望
【巻末書出】
肥後国熊本の城主細川越中守殿ハ学問を好ミ/給ひて賢明君也・・・
P21 翁物語
【表紙】元表紙裏か:「よしと宣りか様の事迄」※抹消したか、「全部五冊」
【構成】1-3、4-5のに分冊に合巻
【備考】蔵書票「1907」
【内容】
一
○1
(蔵書印1)「連城*」
(蔵書印2)「志ば与」
(巻頭)
翁物語 壱
一或時翁語て云甲州武田法性院信玄公/或夜馬場内藤高坂山縣其外伺公をし/折から・・・
○2
(蔵書印)1に同じ
(巻頭)
翁物語 二
一或時翁語て云関東八王寺の城秀吉公より/責させ給ふ時前田又左衞門関東衆に長/尾景勝*落城して前田又左衞門所よりハ/討取首数景勝よりハ百五十出来す
○3
(蔵書印)1に同じ
(巻頭)
翁物語 三
或夜江戸御籏本之老人語て云く/関ヶ原乱之時家康公ハ浜松に御座候・・・
(巻末)
「徳川大納言殿
家来本田仲務少輔
柳原小平治 」
二
○4
(蔵書印)1に同じ
(巻頭)
翁物語 四
或老人語て曰敵自国へ押寄と聞/居城之大手にかさしの塀或ハ曲輪なと/取出して俄に作事せん時ハ好ても/其塀白土よりハ唯の黒土にて塗て/利有へし・・・
○5
(蔵書印)1に同じ
(巻頭)
翁物語 五
或時備前牢人語て曰輝政之代に由緒/有て侍壱人切腹被申付候ニ付、無二に/咄者七八人有し・・・
P22 おきく物語(浪華城菊物語)・吉川家由緒書
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【内容】「お菊物語」は元和元年五月の大阪城落城時に城内にいた、菊という女性の、落城前後の見聞・体験談などを、後人がまとめたもの。「吉川家由緒書」は岩国藩主吉川家の由緒をまとめたもの。文中に関ケ原合戦前後の吉川家文書を引用している。「お菊物語」は戊寅年(文政元年カ)に、「吉川家由緒書」は文政四年に鈴木恭が書写したもの。
【備考】SML104にあたるカ
P23 温故随筆
【巻頭】
題温故随筆首
稗官小説閎覧博雅之君子則有所不棄/也・・・明和(七年)庚寅之歳夏五月紀人劉維翰撰
【本文首部】
温故随筆巻之一
竹叢小野先生著
男 欽斎高潔
門人藤原景明校
一日向国高千穂峯ハ日向風土記ニ臼杵郡知鋪鄕ト有リ・・・
【奥識語】
本邦之学国史官牒ヲ先ンシ諸家之実/録亜之然後野史小説ヲ見ル時ハ正偽/自明也・・・故ニ/十一ヲ千百ニ存シ八十三条別テ四巻/名以温故随筆予文ヲ飭ルニ暇ナク只/其旨趣ヲ記シテ跋トスト云
明和七年立春 小野高潔書
【構成】巻一から巻四まで合綴
【著者】小野高尚著の「温故随筆」を子の小野高潔抄受し門人藤原景明とともに校す
【備考】蔵書票「1907」
P24 白水郎囀
【受入】1891年寄贈
【内容】坂昌周編の辞書
【構成】1-4の4冊合綴、印記無し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【内容】
一 白水郎之囀
○1
(外題)
右端にあるはずだが合綴の喉のテープにより隠れている
(識語)
いにしへは万のことわさを/しるせるもの多かれと/もろこし舟のより所のみ/しけく和哥のうらの/美るめかることすくなし爰に其のこれる玉を/ひろひわれ貝のまた/からさるもあつめて/いやしきあまの子に/見よとてなむ白水郎の/囀といふひとへにつたなき/身のわたのそこ八重のくま/もとむへきならねは/まことに津ゝ井の城の/海をしらすとやいはむしか/あれとも岩まにひそむ/いさなひとつをもうる/ことあらはまたこのけみの/はちならむかも
延享丁卯年十二月日
藤嶽子
源昌周
(本文首部)
白水郎之囀
諺 坂昌周記之
一
○伊勢や日向の物かたり〈あなたこなた一方ならぬ/物かたりをいへり〉
神代巻下ニ天細女命猿田彦/大神問曰汝何処到耶・・・
(本文末尾)
二百三十三雪ハ豊年のしるし 本朝文粋紀納言春雲ニ云適在遅日之可楽還知豊年之致瑞
※
※
○2
(外題)
「伊呂波仁保辺登」
(本文首部)
白水郎之囀巻第二
坂昌周記之
伊
一
○いとおし〈媾或ハ鍾愛也〉大和物語源氏等にもこの言/葉多し
(本文末尾)
二百七十六
○とぎ〈伽也〉増鏡に云ありつる人のかへりこんほと御と/きせんはいかゝなといへは云云、
※
※
○3
(外題)
「知利奴留遠和加」
(本文首部)
白水郎之囀巻第三
坂昌周記之
○知
一
ちいん〈知音/なり〉
清輔奥儀抄
なき人はをとつれもせてことのをゝたちし月日そかへりきにけり
六百番哥合顕昭
(本文末尾)
二百五十八
かはり〈渝或ハ/易也〉
萬葉集巻第八
棚霧合雪毛零奴可梅花不開之/代尓曽倍而谷将見
※
※
○4
(外題)
「与太礼曽都祢柰」
(本文首部)
白水郎之囀巻第四 坂昌周記之
与
一
よばいぼし〈*(人偏に勺)/也〉文徳実録ニ云、是夜有流星大如/斗余云云順和名しょう鈔ニ云兼名苑ニ云流星一名奔星〈和名与八/比保之〉
夫木集為忠
うらやまし誰をみ空のよはひ星くるれは出てひかりしるらん
(本文末尾)
二百七
なかこと〈中言/也〉
万葉集巻第四大友宿祢家持
蓋毛人之中言聞可聞幾許雖待君/之不来益
※
※
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二 白水郎之囀
○5-8合綴
○5
(外題)
「良武宇乃久」※実際には合綴の喉のテープにより隠れており読めない
(本文首部)
白水郎之囀巻第五 坂昌周記之
良
一
らうこう〈老功/なり〉長明無名抄にいはく顕昭等かき/きおよばぬ名所あらんやいと思ひてやゝもせば/なんじつへくおぼえ侍しかどたれか哥ざまのよろしく見えしかば/所を起てさやうに申て侍し也これすなはち/老の功なりとなん申侍し云云
(本文尾部)
百卅四
くぎぬき〈開木/也〉順和名鈔説文云関〈古還反字亦作関俗云貫乃木〉以横木持門曰関所以閉也
夫木集隆源
守人もまた絶なくに川口の関のくきぬきはやくちにけり
※
※
○6
(外題)
「也末計不古衣天」
白水郎之囀巻第六
一
やきかね〈焼金/なり〉
花山院御集
もろこしの人にみせばややきかねのこがねの色にさけるやま吹
公実家集
やきかねの色ににほへる山吹ははかりもしらぬ花の色かな
(本文尾部)
二百四十四
てうらかす〈私為嘲哢とは意たかひ侍らん歟
源氏物語柳巻にうろめろうせらるゝとあるは/てうろうすることなり是はいとけなき子をてう/らかすといふか宇良加志とあるに手をくはえていうにや
出雲風土記云大神大穴持命御子/阿生須伎高子命御鬚八握于昼夜哭/坐之辞不通尓時祖命御子乗船而率/巡八十鳥宇良加志給鞆尚不止哭之云云
日本紀に椎の字をうつらかすと訓せりうら/かすといふもこれにおなしき歟
※
※
○7
(外題)
「阿佐幾由免美志」
(本文首部)
白水郎囀巻第七 坂昌周記之
安
一
○あきなひ〈商売/なり〉竹取物語に云いとかたきあきなひ/なり云云大和物語に云いとあはれにかゝるもの/あきなひ之世にふる人いかならんといひて云云
(本文尾部)
三百五
○しもはしら 霜柱也
同(夫木)集光俊
谷深み岩やにたてる霜柱誰冬こもるすみかなるらん
※
※
○8
(外題)
「恵比毛世須」
白水郎之囀巻第八 坂昌周記之
恵
一
○ゑみ〈咲或/笑也〉住吉(衍)吉物語に云まゝはゝしかゝゝときこ/ゆれはゑみたはむれて云云源氏物語末摘花巻/に云今はあさちりくる人もあとたえたるに・・・
(本文末尾)
百四十六
○すゞきのなます〈鱸魚/鱠也〉
夫木集俊頼
秋風に鱸の鱠おもひ出てゆきけん人の心ちこそすれ
(奥跋文)
蜑之囀跋
雅辞之為雅固雅而俚語/之為俚亦俚矣・・・嗚呼昌周/潜志乎吾業予固与之於/是乎跋
于時
延享五歳戊辰仲春初吉
詠帰堂瀬川叟昌郁誌
P25 旅路のうちぎき
【著者】清水浜臣, 1776-1824.
【蔵書印】「吉野弘隆蔵書」「雑司谷片山賢」「佐度萩埜邎之圖書記」(萩野由之蔵書)
【奥書】「こハ清水浜臣都にありしほとの筆すさひなりとて九月十一日見せけるをうつしとりて本書ハ十四日かへしやりぬとみにうつしけれハ書あやまれるも有へし見む人其こゝろして見給へかし/光彪」
「天保七年三月廿七日うつし畢ぬ/伴直方」
「天保十二年八月九日筆字おこして十三日に功なりぬ原本うつしあやまれる所多くかなつかひなといとミたりなれと今本のまゝにうつしけむ/片山賢」
【備考】蔵書票「1907」/現物はSML4として配架
P26 浮世廼夢
【序文】
浮世廼夢
江南の橘を江北に植れは枳穀となる是地味風/土の然らしむる処ならん其道は善に禍し悪に福す・・・神祖の道利の意に恨む国家に忠を尽さん事を/証偏思慮して風数の萬一を助け奉るへし萬一/外窺あらん時身命を抛て社*の為に忠を尽さん/事を志すへきなり聊も改革に顕して是を序とすと言所
【本文首部】
浮世廼夢 一
隅田川の辺浅草のわたりに金龍山に伝法院といへる/寺刹あり寺中に三十六院あり其院主の中代僧御祈祷僧とて数多有之
【本文末尾】
努々/疑ふへからすと聞へる事も*に似てゆめにあ/らん歟然として/神慮の高き所をかしこみつゝあらましを書付侍りぬ也
【備考】蔵書票「1907」
P27 野翁物語
【内容】寛政頃までの巷説などを蒐集したもの
※
【目次】
○1 巻之一
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
※「伊勢九」の印有り
○2 巻之二
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
※
○3 巻之七
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
※
○4 巻之八
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
※
○5 巻之三
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
⑳
※
○6 巻之四
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
※
○7 巻之九
①
②
③
④
⑤
⑥
※
○8 巻之拾
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
※
○9 巻之五
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
※
○10 巻之六
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
⑳
21
※
※
P28 和字聚説
【内容】伊勢貞丈著故実書など六点を書写し合綴したもの
【印記】巻頭に蔵書印二有り、「(印文不明)」・「松本」
【備考】蔵書票「1907」/本文中の「松本義方」の蔵書か
【詳細】
① 字聚説 ※表題朱にて小書きし有り
(本文首部)
和字聚説付狩襖狩袴奴袴指貫素襖/狩衣H元H鷹狩N鷹飼大*なとの着る服なるへし・・・
(本文尾部)
一襖の字俗にふすまと訓して表裏ニ重合せ多なものゝ/名とするH何N拠て名付たる義なる歟いまた詳ならす/追記正字通ニアリそれNよりて裏ある狩衣を狩襖と云説か不用之、
安永九年庚子二月朝 伊勢平蔵貞丈記
② 冠服問答 ※表題朱にて小書きし有り
(本文首部)
一帝の御袍H貫*染と申Hどのやう成染N御座候哉
答Mる茶のはけたる様なる色のよし承候未見候・・・
(本文尾部)
又狩襖/と狩衣とH別のものゝことくしるしたるもの有/之誤Nて候多の人わきまへぬ事N候
天明三十二十七 伊勢平蔵貞丈著
③ 小野道風像冠服考
(本文首部)
小野朝臣道風従四位下参議峯守孫大宰大弐/葛玄男(中略)
小野道風像冠服考
鳥羽院有仁左大臣と仰合されて冠服に衣文と云事を始/めさせ給ひしより装束こはくなりえほしなとも品々/にかはりし由・・・
(本文尾部)
後代H一帯/に丸鞆と巡方とを交へ付て両様を兼る也昔Hなき事也
安永九年庚子霜月十五日 伊勢平蔵貞丈考
④ 烏帽子折問答
(本文首部)
烏帽子折問答
一士烏帽子H古代折えほし引立えほし梨打えほ/しに極り古代Hいつれにても上下の差別なく銘々/の物すきにて右の内を用申候旨此間御伝授被下奉承知候・・・
(本文尾部)
且又衣文といふ事始りえほしと/かたくなりぬりかためにH花園左大臣有仁公よりは/しまり後白川院の御宇也その事H続世継物語/に見へたり
右九ヶ条問 多賀氏常政
同答 伊勢氏貞丈
明和九年八月六日
享和三年二月十二日 伴信友写蔵(花押)
文政七甲申年潤八月十五日自書写畢
北條平氏定(花押)
嘉永三庚戌年七月六日於京師〔謄〕騰写畢
松本義方(花押)
⑤ あかとり考
(本文首部)
あかとり考
今川上総介源範国青野カ原合戦の後詰の日/馬に赤鳥を付て笠験にせられしそのあか/とりH女の具なるよしかの子息伊予守/貞世の難太平記にしるされたり赤鳥といふ/物いかなる物にやあるらん・・・
(本文尾部)
右あかとり染の事女の具のあかとりに紛ら/Hしき故其同し物にあらざる事をしらせんが/為にするし置也
安永十年辛丑正月十日 伊勢平蔵貞丈記
(中略)※「徒然草貞徳抄」に見えし絵あり
文化十五年四月二日自書写一校了 伴信友
⑥ 赤鳥捺物再顕記
(内題)
赤鳥捺物再顕記
(本文首部)
往昔駿河の今川殿の代々に伝へて物し/給ひし赤鳥のさし物てふ物者義元朝臣/の尾張の桶狭間に戦ひて卒玉ひし頃/ほひより失て其行方はさらなり・・・
(本文尾部)
こは義彰主の田邨敬則翁にかたり/給ひし字往年田邨翁の葛根に語られしなりこたひ立入ぬしの/かき**を物せよとありける**/聞置つるまゝを筆のまにゝゝ物し/つるなり文化八年葉月廿日/の夜平安の都二條堀川の御館に宿直のいとま書つけ**
江戸人 津田葛根
右吾友津田葛根によて自記しつけて贈られし本也/後の考に備ふべし
伴立入信友
右赤鳥考再顕記伴信友むしの蔵書を/こひて文政七年甲申後八月十六日うつ/し了
北條平氏定
右壱冊拠北条氏蔵*義方〔謄〕騰写之于時/嘉永三七月八日
於京北**
甚五郎
P29 今物語
【本文首部】
大納言なりける人内へまゐりて女房あまたものかもり者/ける処にやすらひけれは・・・
【本文尾部】
・・・ひとゝゝをかしく思ひあへりけり
【奥書】
右今物語一帖者右京権大夫信実朝臣之抄也/信実者為軽入道寂超之孫右京大夫隆信朝臣/之子少将内侍弁内侍等之父於*並画而巧能/也
天保十亥年九月廿二日写之
【備考】蔵書票「1907」
P30 熊手集
【内容】
聴雨軒御弦/美弦(文化年間頃)による著作・随筆の他、故実・風俗などの雑多な記事の集成
※美弦による朱書き有り
【目次】
一 熊手集 第一
(序文)
王か父聴雨軒御弦翁世耳いま/ししをり(中略)弘化二とせといふとしのふみつき
① 古画嚢
② 閑ゝ之ことこの名 雨*主人
③ 下枝のもみち葉
④ 美籠 雨*蔵
⑤ 可々美
⑥ 聴雨謾録
⑦ 砂持の記
⑧ 源氏五十四帖投扇興図絵
⑨ 松の落葉巻三の内
⑩ 世のさま
⑪ 述懐
⑫ 産物筥
⑬ い*まほしき已上 全 葦舎御弦/藤原美弦
⑭ 聴雨軒夷曲集
⑮ 近世装束抄 飛鳥川 聴雨軒御弦/聴雨軒美弦
⑯ 壒嚢抄一
⑰ 雅游漫録 浪華大枝流芳著
二 熊手集
① (古画集)
② 智具飛諸家産
③ 抜萃
④ 下八辺四郎の場
⑤ 春湊注暦 備前国士紀経平著
⑥ 老子誦読翼
⑦ 雨屋随筆
⑧ 琉球事略・長崎夜話抜書
⑨ 南筑魯斎亜防人数定・附聞書
⑩ 和歌人物志
⑪ 拾題
⑫ 国史中名人略伝
⑬ 作者略考
⑭ 経緯考
⑮ 字の反様
⑯ 積塵抄・土壌鈔
⑰ 筑紫日向考
⑱ 新取替はや物語一〜五
三 熊手集第三
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
四 熊手集第四
①
②
③
④
⑤
⑥
五 熊手集第五
①
②
③
④
⑤
【備考】蔵書票「1907」
P31 百首師説抄
【本文首部】
百人一首師説抄
一此百人一首ヲ定家卿撰シ置ルヽ事 小倉山庄ノ障子ノ色紙形ノ和哥/ナリ新古今集ノ撰彼卿ノ気ニ入ラサルニヨッテノ事ナリ・・・
【内容】百人一首の解説
【印記】蔵書印三有り
【備考】蔵書票「1907」