C1 源流綜貫
【内容】巻之一 正統:徳川本宗家の系図
巻之八 水戸本宗:水戸徳川家の系図
【序の末尾】享保十二年丁未七夕」参議源宗尭撰
C2 明良洪範
【著者】真田増誉
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一 明良洪範 上
【内容】前篇巻之一~巻之十二
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二 明良洪範 下
【内容】前篇巻之十三~巻之二十五
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三 明良洪範後編
【内容】後編巻之一~巻之十五
C3 昇平日新録
C4 藩翰譜
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一 藩翰譜 一~六
【序】藩翰之有譜何大一統也、(中略)享保改元歳次丙申秋九月十七日」英賀室直清謹序
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二 藩翰譜 七~十二
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三 藩翰譜 十三~十八
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四 藩翰譜 十九~二十四
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五 藩翰譜 二十五~三十
C5 柳営譜略
【内容】家斉までの徳川家の家譜
【備考】「波多野文庫」
C6 柳営譜略
【内容】家斉までの徳川家の家譜
【備考】「忠蔵書」/中川忠英謹撰/C5と同じ
C7 柳営譜略
【内容】家斉までの徳川家の系図
【備考】C5・C6とは別
C8 歴代帝王世統譜略
【構成】序:日東元禄三年龍次上章敦牂姑洗之月上弦之日、洛陽布衣東涯散人伊藤長胤原蔵甫、頓首題
巻一:漢土歴代国統之図 漢土歴代所都 建都年紀 歴朝詩括 漢土歴史目 国朝歴史目 国朝源氏世系分流図 国朝平氏世系分流図 干支 歴代年号類聚」
巻二:国朝紀 南朝紀 将軍載記」
巻三:漢土紀一」
巻四:漢土紀二」
巻五:漢土紀三
【内容】中国の歴代王朝と日本の歴代天皇・将軍の詳細な一覧
C9 名家年表
【内容】大化元年より慶応3年までの忌日一覧 鉛筆書き
C10 神徳集
【著者】鵜殿長快敬慎
【内容】和論語、連年落穂集、三河物語などに基づいた徳川家康の伝記史料集成
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一 神徳集 上
【構成】巻之一~巻之四
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二 神徳集 下
【構成】巻之五
C11 筑波根於呂志
【構成】上之巻・下之巻
【内容】水戸藩の廃仏毀釈史料
C12 赤穂事蹟
【表紙】「徂徠物氏案、頼惟完」
【内容】赤穂事件関係の以下の書物(表紙に題名を列挙)を集成
【構成】
1「義士実録 泉岳寺僧覚書」
奥書:「文化丙子十二月借抄於植木鑾峰君濱死洞主人鈴木恭記」
2「寺坂氏事実」
「寺坂吉衛門」
本奥書:「右の書付宝暦九年己卯七月八日、両国矢の倉斎藤立数亭ニ而写、山内主膳土佐ノ大守分流也、領三千石、屋敷三田新堀、大田孫三郎、御評定所儒者、領百五十表、役料五重俵、日東山曹渓寺《済家妙心寺末/三田古川町》
書写奥書:「天保辛卯五月借抄于桐嶋鳥羽氏」
3「寺坂氏覚書」
「寺坂吉衛門覚書」
本奥書:「山内遠江守家中寺坂吉衛門所持也、文化乙丑五月写本書者也」
書写奥書:「天保七年丙申五月白藤鈴木■(立心篇に共)写」
4(表紙に題名なし)
「柳沢秘記」
5「無名氏覚書」
題名なし
書出し:「広沢先生赤穂の義士大高源吾と親交て・・・」
6「天野屋利兵衛伝」
「天野屋利兵衛伝」
奥書:「弘化四未年従九月十六日至十一月朔日写竟、直道」
C13 秋田家系図
【序文】「予嘗聞秋田家為安倍氏、松前家為武田氏、而未得其詳也、今茲因紺野 得見両家所蔵系譜抄、大略于左、以備後日之展閲云時尓、己巳初冬、確斉」
C14 総葉概録
【序文】「総ノ州ノ名ハ神武天皇ノ御宇ニ・・・」
【序文末尾】「正徳五年乙未冬十二月日、佐倉府、磯辺昌言(黒印)(印文、一松神主)」
【奥書】「正徳五年未冬十二月集編/延享四年卯正月書写之畢、柴崎所持之書、宮内大膳/寛政十一年己未三月日書写之畢、下総匝瑳郡大田宿加瀬佐兵衛秘蔵/文化十四年丁丑睦月書之、上総長柄郡一松郷神主狩野主膳(黒印)(印文、一松神主)
【内容】千葉氏の事蹟・系図を編集したもの
C15 細川家系図
【内容】細川氏の系譜・伝記・事蹟などを集成
【構成】他に以下の系図を収録:「松井氏系譜」「米田氏系譜」「有吉氏系譜」
【備考】題名・奥書など無し
C16 由緒書
【表紙】「公儀江差出有之、由緒書之写、京都町奉行支配桂姫」
【末尾】「享和二戌年十二月、桂姫光子」
【内容】京都町奉行支配御中老格桂姫の代々の事績
C17 松平家譜
【内容】松平定勝三男定綱以降の家譜
【構成】2の首部下に朱印「酒井蔵書」
2の中ほど(4巻目の末尾)に「天保四癸巳歳、晩夏写之、酒井朝脩」
【備考】題名・奥書など無し
C18 松平崇宗啓運記
【構成】「松平崇宗啓運記巻上」「松平崇宗啓運記巻中」「松平崇宗啓運記巻下」
【内容】三河記・甲陽軍鑑と徳川記を比較し徳川家の歴史を編集したもの
【備考】「巻下終」の後にも記事あり
「右此書者祐天大僧正御所持之以本書写之者也」
「此書当寺五世円蓮社通誉上人御代、享保十四己酉年仲冬写之」
C19 三河藤原姓松平氏
【表題】「三河藤原姓松平氏《本氏/戸田》」
【内容】三河藤原姓松平氏の家譜
【奥書】「嘉永五稔臘月、於仁科陣営謹写、篠田政一蔵、(朱印)(朱印)」
C20 参陽松平御伝記
【内容】三河松平氏およびその一族の家譜
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一「参考松平御系譜 上」
【構成】「参陽諸氏御伝記巻第二終」
「参陽松平御伝記巻第三」
「参陽松平御伝記巻第三終」
「参陽松平御伝記巻第四」
「参陽松平御伝記第四終」
「参陽諸氏伝記巻第五」
「参陽松平御伝記第五終」
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二【「参考松平御系譜 下」
【構成】「参陽松平御伝記第六」
「参陽松平御伝記第六終」
「参陽松平御伝記巻第七」
「参陽松平御伝記巻七終」
「参陽松平御伝記巻第八」
「参陽松平御伝記巻八終」
「参陽松平御伝記巻第九」
「参陽松平御伝記巻九終」
「参陽松平御伝記巻第十」
「参陽松平御伝記巻第十大尾」
C21 古見録
C22 楢崎家記録 ※2013年調査者杉森玲子氏の記録もあり
C22 楢崎家記録
享保二~十三
享保十四
享保十四~十六
享保十七~十九
享保十九
~延享五
延享五
~宝暦十一
記事の年代
(寛文八)
~宝暦五
享保十七~延享三 ※
延享三~四
延享五
~寛延三
寛延四
~宝暦五
・十一冊の竪帳から成る。現在は各冊にハードカバーの表紙が付され、洋装本の状態で保管されている。洋装の表紙の見返しにYale University Library のラベルが貼られ、1907とペンで書かれている。
・第一冊には外表紙(嘉永五年)とその内側にさらに古い時期の表紙がある。第二~十一冊には表紙はない。表紙を除いた丁数、記事の年代の幅は右記の通り。
※第二冊には、楢崎家が元禄六~宝暦十三年につとめた御用の書上と明和二年の記事が含まれ、明和五年までの年数を記した付箋も付されている。
・上下の小口に第一~五冊は「い」、第六~十一冊は「ろ」の後に番号を付した表記がある。「い」を含む五冊と「ろ」を含む六冊とでは筆跡が異なっている。第一~五冊には、楢崎家の系譜やその居町などに関わる記事も含まれるが、第六~十一冊は楢崎家とともに作事方の御用をつとめた万屋藤次郎に関わる内容の記事が多く、前半五冊と後半六冊では作成者が異なると考えられる。
・錯簡のみられる冊がある。綴じる順が冊全体で逆転しているものや、冊をまたいで内容が続く部分もある。嘉永期には小口に文字が記されていたとみられるため、こうした錯簡はそれ以前の時期に生じたと考えられる。
一 楢崎家記録 一
・外表紙裏には、嘉永五年三月に八代目楢崎庄右衛門知好が旧記の由来について記している。それによると、嘉永四年十二月二十三日、幕府の作事方役所から「元禄年中=之日記」を持参するようにという指示があり、旧記十一冊を持参したところ、大工頭等による見分があり旧家であるとして御褒があった。そのため、嘉永五年三月、旧紙を裏打ちしたり表紙と認めたりして補修したという。また、十一冊以外に失われた旧記があったとされる。
・表紙の「楢崎正右衛門」は、明暦二年に長州に生まれ寛文八年に江戸に出て、江戸の親類方で竹商売を習った庄右衛門の孫にあたる。第一冊は、庄右衛門とその父母などの親類、および御用の開始(尾張藩・幕府)についての記述から始まり、庄右衛門の出生百年にあたる宝暦五年頃までの楢崎家の事蹟を中心に書上げている。
(外表紙表)
楢㟢家記録
(外表紙裏)
嘉永四亥年十二月廿三日、元禄年中=之日記持参可致旨、御作事方御役所=御達シ有之、則旧記拾壱冊御役所江持参仕候処、御大工頭安西久次郎殿・下奉行大野藤十郎殿・御披官筆頭菅谷源次郎殿御見分被成、旧家之由御褒有之候、依之同五子年三月旧紙裏打其外表紙与認手入いたし、いノ一、又いノ壱よりいノ四、ろの壱=ろ六迄都合拾壱冊、いの壱より又いの壱迄の処失ひ、旧記知れす、当家系図者別紙にくわしく有之
嘉永五子年三月 八代目楢崎庄右衛門知好
(表紙)
「((朱筆))㊀ 」 二冊之内
扣
楢崎正右衛門
(第一丁表)
委キ系図楢崎平八郎殿=写シ来り別紙有之
本国備後楢崎城主
〇楢崎三河守――(嫡子)平兵衛――――十兵衛―――
――太郎左衛門―― 庄右衛門――
――太郎(幾右衛門事)左衛門―(儀親)―正右衛門 (米喬)
(押紙)
「天和亥ノ年=御用初り丑とし迄 六十三年也」
(第一丁裏)
惣領女 二男 三男 四男
妙閑 庄右衛門 興禅寺 庄兵衛〇
庄右衛門弟 庄兵衛甥又左衛門事
〇庄兵衛―――庄兵衛―――又治郎 病死四歳
元禄十三年 享保元年十月十一日病死
辰九月廿三日 又左衛門弟
病死 ―甚四郎 ―きわ 十五歳
又左衛門妹 養子
大和屋 ―さん 庄兵衛 ―庄吉
伊右衛門へ嫁 宝暦二年 庄吉妹
又左衛門弟 申正月廿六日―てう
―又右衛門 急病死
角喜右衛門事
(第二丁表)
庄右衛門明暦二申年出生、宝暦五亥年迄百年ニ成ル、寛文八申年十三歳ニ而春若孫三(母方ノ伯叔)郎方へ養子ニ長州=罷下り候処、其節孫三郎江戸ニ而養子致シ置申候間、遺言ニ金子五拾両差添京橋ニ而親類長門屋九兵衛方養子ニ罷成、拾ヶ年程相過、養母と不和ニ付是=別宅ニ成ル、百年内(右二口都合)廿三年引キ、左之通り 但シ長州様へ願書ニ委細末写シ有之
当家初り七拾七年相続 但シ宝暦五亥年迄
(第二丁裏)
一、禮信居士元禄三庚午年十二月廿八日 九十四歳
(付箋)
俗名楢崎「太郎左衛門と申、長州御納戸奉行相勤、浪人被致候由、寺ハ萩」
貞享元甲子年正月三日八十八歳 米ノ札幷寿二枚有之、宝暦四甲戌年迄七十一年ニ成ル
一、清鑑大姉 元禄九丙子年九月廿四日 七十三歳
清岸院江葬送 過去帳ニ竹屋庄右衛門母と有之
右庄右衛門父母也
二 楢崎家記録 二
・祖父の庄右衛門が亡くなった後、父の太郎左衛門も既に他界していたので正右衛門が竹商売を引継ぎ、享保十七年に正式に家督を継いだ。第二~五冊は、家督相続以降、宝暦五年までの記事を正右衛門が記したとみられる。第二冊には、正右衛門が家督相続を居町の炭町に弘め、二代目の長門屋庄右衛門として尾張藩や薩摩藩の御用をつとめつつ幕府の定小屋御用の請負を続けようとしていた状況を示す記事がある。
・元文元年と同二年の記事の間に、初代と二代目が元禄六~宝暦十三年につとめた御用の書上げ(本書収載論文「『楢崎家記録』について」【表2】参照)があり、作事方の定小屋御用の始まりから明和五年で五十一年になると記した付箋が付されている。書上げに続いて、宝暦五年に定小屋御用を離れてからも楢崎家が御用をつとめたことを記す明和二年の文書も記載されている。これらの記事は、第五冊までの内容を一通り作成した後に付け加えられたと考えられる。
・薩摩藩や長州藩の屋敷に出入する際の御門札の写が書き留められている。
三 楢崎家記録 三
・第七二・七三丁、第七一丁から第一丁へと遡ると本来の順番となる。
・薩摩藩の屋敷普請に関わる記事あり。
・二代目庄右衛門のつとめた御用⑪に関連する記事あり。
・延享四年四月十六日、江戸城二の丸が焼失した際、町火消が城内に入ったという記事あり。
四 楢崎家記録 四
・二代目庄右衛門のつとめた御用⑫に関連する記事あり。
・延享五年の朝鮮人来朝時の様子についての記事あり。
・延享五年の町内人別に関する記事あり。
・尾張藩の「御天守御修復見分之義」について相談を受けた記述あり。
五 楢崎家記録 五
・三河吉田橋の掛直しについての記事あり。
・宝暦五年十二月に「御作事方本途直段町落札之者」へ定小屋で仮証文が仰せ付けられたが、長門屋や万屋には沙汰がなく、足代方の証人として申請された長門屋庄兵衛のことを「不届者」と記している。
・最終丁には元文四年を含む記事があるが抹消されている。ここに綴じられているのは錯簡によるものか。その前の丁には「宝暦六子年」と年号だけが記され、記事がない。
六 楢崎家記録 六
・前半五冊とは筆跡が異なり、第六~十一冊はいずれも万屋藤次郎の立場で記されている。
・享保二年の神田橋・鍛冶橋新規御普請で、万屋徳左衛門(藤次郎の父)が証人となって橋本屋五郎作が御門台石を落札した件についての記事あり。
・享保十三年の日光社参に向けた準備、行列の順などの記事あり。
七 楢崎家記録 七
・冊全体で綴じる順が逆になっており、最終丁から第一丁へと遡ると本来の順番となる。
・万屋の人別に関する記事あり。
・作事方の小買物御用を和泉屋・長門屋の組と万屋・大和屋の組でつとめてきたが、万屋の組の方に損金の多い品がまわされては困ると述べた記事あり。
八 楢崎家記録 八
・作事方の御用を請負った際の「小買物類損料諸小屋竹矢来定御請負証文之事」(享保十四年十二月)あり。
・「指上申御肴御用請負証文之事」(享保十五年五月)あり。
九 楢崎家記録 九
・享保十八・十九年の記事の後に享保十四年の記事あり。享保十九年の記事は第十冊の冒頭の内容に続く。
・最初の方に彩色絵図があり、御堀浚(享保十八年か)のため「此広小路ニ而当分本船町・小田原町・安針町新肴場肴問屋船着小屋建」という説明がある。
・「男子誕生 名徳次郎」の記事あり。
一〇 楢崎家記録 十
・第二丁のノドに「三百十七」という文字が見える。これは第六~九冊の丁数の合計(三一九丁)に近く、数字が丁数を表すものだとすると、最終の第八六丁は「四百一」となるはずである。
・享保十九年の本所御米蔵御普請御用についての記事あり。
・「左市誕生」(享保二十年四月)の記事あり。
・延享五年の朝鮮人来朝についての記事あり。
一一 楢崎家記録 十一
・多くの丁のノドに「四百…」という文字が見える。「四百五十六」とある最終丁の内容は第一丁に続いており、第一丁には「四百五十七」とある。第三四丁には「四百九十一」とあるが、第三五丁では「四百弐」となっており、「四百一」となるはずの第十冊の最終丁と時期的にもつながるため、第十一冊の本来の第一丁は第三五丁であったとみられる。なお、第三四丁には「紙数〆五百八枚」と記されていることから、数字は丁数を示し、この丁が第六~十一冊の最終丁にあたるとみられるとともに、落丁があった可能性が考えられる。
・宝暦四年に万屋藤次郎が息子の左市の見習願を神宝方役所に差出した記事あり。
・三州吉田橋の掛直し普請についての記事あり。
・万屋のつとめた御用を「御作事方・御小細工方小買物勤候年数」として書上げている。
C23 野中家系
【見返し表貼付】野中兼山に関する新聞記事(二十四年六月四日高知日報)
【見返し裏覚書】「明治廿年十月十一日高知西小路住横山清男君所賜 (花押)」
【内容・構成】
野中家系(野中道永……良継)/野中君遺事略/野中伝右衛門家族記事/文書数通/土佐国室戸港記(野中兼山)/書土佐国室戸港記後(三城成章謹記)/考証(于時宝永三丙戌暦夾鐘望日、日垣新右衛門)/帰全山墳墓/夫人秋田氏墓表(山崎闇斎先生)/帰全山記(闇斎記)/祭文/祭文/招祷祝詞/鎮神祝詞(安政己巳載梅月吉日)/書状(二月二十八日、野中氏安履亭再拝、安田道玄良医様机下)
C24 沼田真田記
【末尾】竊欲尋古今来由為文不専意則不※専意則志局於此唯先将之交名ヲ欲伝末代漸撰之名古今沼田真田記
C25 小笠原武田略系
【内容】小笠原略系図 義光…忠真
【構成】
一本
又一本
右小笠原家略系図者師家伝来之御家譜為本書加之対伊勢氏所蔵及流布之尊卑分脈其他数本校正畢
小笠原平兵衛殿御家
水嶋家伝統
武田略系図
右武田家略系図者以師家伝来為本書加之対大久保氏所蔵足利武田系図温古堂文庫承応二年後浄明院摂政殿下奥書之本及尊卑分脈其他以三本校正依開善寺殿四百五十回忌辰為追福刻之
寛政十一年己未八月 筑後久留米家臣/松岡平次郎源辰片
文化七庚午年五月十三日写畢 上野守※(花押)
C26 武田二十八代之系圖
【内容・構成】
武田廿八代之系図
武田氏之家系幷御旗楯無之事
于時元禄庚辰晩春下旬
武田廿八代之系図
右武田之系譜私所考如斯説々不分明者各註其下猶実説尋出則追而可書加者也
若州武田之系図
御旗楯無之事
C27 御系譜[植村氏]
【内容・構成】
源姓植村氏其先出土岐氏世家三州家紋囲中一文字訓桔梗也
按拠系図之名目則従清和帝至植村源三郎持益蓋十八代也
C28 諸家略譜
【内容・構成】
得川氏(→家康) 島津氏(→義弘) 細川氏(→忠興) 佐竹氏(→義宣) 南部氏(→信時) 小笠原氏(→貞慶) 喜連川氏(→国朝) 板倉氏(→勝重) 松前氏(→慶広) 稲葉氏(→貞通) 真田氏(→信之) 石川氏(→家成) 松浦氏(→鎮信) 有馬氏(→豊氏) 京極氏(→高次) 黒田氏(→忠之) 朽木氏(→植元) 織田氏(→信雄) 上杉氏(→景勝) 相馬氏(→盛胤) 北条氏(→氏直) 毛利氏(→秀就) 越前家(→秀康) 伊達氏(→政宗) 伊東氏(→祐兵) 有馬氏(→晴信) 大村氏(→純頼) 奥平氏(→家昌) 保科氏(正直) 前田氏(→利長) 浅野氏(→幸長) 鍋島氏(勝茂) 池田氏(→利隆) 井伊氏(→直政) 藤堂氏(高虎) 蜂須賀氏(→至鎮) 榊原氏(康政) 本多氏(→忠勝) 大久保氏(→忠世) 立花氏(→宗茂) 丹羽家(→長重) 牧野氏(成定) 中川氏(→秀政) 水野氏(→勝成) 内藤氏(→清長) 脇阪氏(→安元) 加藤氏(→光泰) 加藤氏(→明成) 溝口氏(秀勝) 亀井氏(→政矩) 鳥居氏(→忠政) 木下氏(→利房) 森氏(→長可) 分部氏(光喜) 建部氏(高光) 新庄氏(→直頼) 遠藤氏(慶隆) 山内氏(一豊) 丹羽氏(氏次) 安部氏(元真) 秋元氏(→富朝) 深溝松平氏(→忠利) 形原松平氏(家忠) 戸澤氏(政盛) 仙石氏(→忠政) 堀氏(秀政) 遠山氏(友政) 一柳氏(直盛) 小出氏(秀政) 谷氏(衛好) 土方氏(雄久) 片桐氏(貞隆) 渡辺氏(→重綱) 米倉氏(→昌尹) 九鬼氏(→喜隆) 秋月氏(→種実) 大関氏(高清) 太田原氏(資清) 津軽氏(→為信) 戸田松平氏(宗光) 相良氏(忠房)
河内国狭山一万石 平氏北条姓家譜
出羽置賜郡米沢城主十五万石平氏上杉姓家譜
難波軍治国拾集綴記
望遠雑録由井記抜書 全
C29 故実抄抜粋
【原文表題】「故實抄抜萃」
【現況】板本
【書出】「伊勢家故實抄
役名之事
○家老ハ家令也、小補韻會を引て命也、…
○用人と云名目、昔ハ今のことく…
(中略)
官位之部
(下略) 」
【備考】裏表紙裏に「天保二辛卯三月」とあり。
C30 戸田家明細書抜
【内題】藤原姓戸田氏系図
【内容】宇都宮藩戸田氏の系図 天保年間まで
C31 今川記
【内題】今川系譜考
【内容】系図、難太平記、今川記、義元分限帳など今川氏にかかわる史料の抜粋集成
【備考】藤枝上伝馬町三輪新九郎蔵印
C32 徳川十有一代年譜
【内容】御年譜、創業記、列祖成蹟など多数史料に基づいた歴代徳川将軍ごとの編年史。
【備考】家斉期が三分の位置を占める。
C33 御家人先祖覚書
【首部】先祖代々之勤覚書 九鬼半之丞
【奥書】右者嘉永六癸丑年九月、従松山氏借求、○暇二書写之畢、 虎好
【内容】元禄二年十二月~元禄三年二月に提出された御家人の家の由緒に関する回答書の集成。
C34 本朝諸家略伝
【書出】「いにしへより経史ありて、経ハ道藝を後につたへ、史は世傳を今にしらしむ、此冊子引書考證なけれとも、元禄・正徳・享保の頃より交物盛になりて、中國名家の書法を慕ひて、人生の一楽をなす……」
【内容】三筆・三蹟からはじまり、以下、菅神・和様・近衛・定家等々、四十一の書法の流派について解説している。
【備考】書名は「本朝書家略伝」が適当か。
C35 土井家勤方記録
【現況】1~18まで、それぞれ小切紙の横帳仕立て
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一 土井家勤方記録 一
【構成】御番式勤方之事/三丁控并御成之節火之廻り之事/着服之事/御門式并御通行之事/御客様方白洲下取扱之事/御使者并参上取扱之事/上物定式之分/御居間向披露并上物取扱之事/御使者并御代拝御寺詰之事/御使者兼書奥書/社家様より拝受物有節之事/御広間御帳筆墨紙之事/諸受取物之事
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二 土井家勤方記録 二
【構成】上之部/両敬/公辺/御触達書//見聞/自分/同勤同席/出火地震違変/届願./雑/公儀御法令
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三 土井家勤方記録 三
【序】自序 当勤者先々より之書留部分も少して事柄早速分恙候付、諸家之手留御使番御取次日記申継帳書抜等を基して今度星野 勤方の覚を作り一統江相談有し帳面出来相成、予是ニ自己の部分を欠増し為一冊子孫此勤を蒙らバ向後洩 候事ハ可有追加者也、文久三癸亥初冬」渡辺陟誌
【構成】御番式勤方心得仮役新役/御客/参上取扱/御使者取扱/参上取扱/寺院山伏神主社家/御医師町医浪人町人取扱/以下之衆取扱/御使取扱/御中之口御客御使者等/御三家御門主江御使者/御門式并御通行下座下リ/御広間帳認振/御座敷向/諸請取物/出火之節心得/定式進物受納之分/御成并火之廻り/御寺詰心得/御留守居代/御前披露上物取扱/年中行事/雑
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四 土井家勤方記録 四
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五 土井家勤方記録 五
【表題】伝達帳 渡辺
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六 土井家勤方記録 六
【表題】御役中大小姓勤方留/書抜
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七 土井家勤方記録 七
【表題】利経公御部屋方仰より御家督後迠御刀番手控/文政十亥年
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八 土井家勤方記録 八
【首部】天明四辰四月十四日御成之事
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九 土井家勤方記録 九
【表題】雁之間御席中御家格/御刀番勤方/従近藤敦礼借写/渡辺陟
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一〇 土井家勤方記録 十
【表題】御刀番見聞/渡辺陟
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一一 土井家勤方記録 十一
【表題】御近習番/勤方定/金子氏留借写/渡辺陟
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一二 土井家勤方記録 十二
【首部】三ヶ日 井伊直一留写
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一三 土井家勤方記録 十三
【表題】天保十一子年六月写之/勤方定/渡辺繁富
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一四 土井家勤方記録 十四
【表題】渡辺
【首部】大御番勤方留下書
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一五 土井家勤方記録 十五
【表題】大御番/諸勤方留/矢作氏より臼井氏被借写候留、同氏ヨリ借写/渡辺
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一六 土井家勤方記録 十六
【首部】勤方備忘目録
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一七 土井家勤方記録 十七
【表題】御祠堂式/渡辺陟控
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一八 土井家勤方記録 十八
【表題】日記/西丸大手御門番之節/平士 渡辺権右衛門
C35 土井家勤方記録
【備考】蔵書票「1907」
近世の写
「御取次勤方留」(鉛筆書)
「此題ハ余ガ仮ニ設ケシモノ也 朝河」と表紙にあり
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C35-1
【目次裏】
此帳皆御使番御取次日記并
申継帳之書抜也
但御使者并御寺詰等は古来より之
手留之写且心得ニも可相成儀は見
聞及候事共を具ニ記置之、
【構成・内容】
御番式勤方之事:宝暦4年3月21日~安政7年3月9日の詰番所の勤番心得の書き抜き
三丁控并御成之節火之廻り之事:土井利位期~安政3年の火事場見廻りの心得書き抜き。三丁とは原三丁のこと(詳細不明、地名か)
着服之事:文政5年11月~安政3年2月17日の当番の着服についての心得書き抜き
御門式并御通行之事:宝暦13年正月9日~安政4年5月1日 タイトル通り
御客様方白洲下取扱之事:年代不詳
御使者并参上取扱之事:寛政7年4月16日~安政3年正月13日 他家よりの使者の扱い
上物定式之分:年代不詳
御居間向披露并上物取扱之事:寛政9年11月15日~安政3年3月11日
御使者并御代拝御寺詰之事:文化4年9月~文政14年
御使者兼書奥書:←御使者勤書奥書が正しい
①御使者相勤候節御挨拶振申合 但同席申合:「天保7年丙申年二月認替 但先年認候張紙古び候付今度書替ニ成」とある
②御使者并勤書:天保9年4月18日~安政4年7月14日 諸家への使者の書き抜き
③御寺詰:文政12年2月15日~安政2年11月25日 法事の記録
④御法事之節御寺詰之事:寛政7年7月10日誓願寺での法事の詳細な記録 図面あり
⑤御留守居代ニて惣献上御使者被仰付候節平川口坂下御門御番所図之通ニて相勤申候又其節能々可承合之事:文政8年3月21日 図面あり
社家様より拝受物有節之事:文化5年9月24日~同年9月11日 諸家からの拝受物への御礼の記録
御広間御帳筆墨紙之事:文政5年6月20日~文久3年9月朔日
諸受取物之事:文政12年8月14日~安政5年4月15日 諸事務用品の受け取りの記録
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C35-2
【構成・内容】
上之部:土井利位の略年譜。寛政8年12月24日~嘉永7年10月26日 家臣の勤方書き抜き
両敬・御由緒・御続:①文政12年11月晦日~安政3年12月15日 両敬の諸家への使者書き上げ
②由緒のある諸家書き上げ、両敬帳
公辺:文政6年5月3日~安政5年6月26日 幕府関係書き上げ
御触達書:安政2年2月19日~安政5年9月朔日 幕府よりの触達書き上げ
見聞:文政12年5月朔日~安政5年12月9日 土井家中の人事記録など
自分:天保6年12月26日~安政5年8月14日
同勤同席:文政13年8月18日~安政5年8月15日
出火地震違変:文政12年3月21日火災 安政2年10月21日地震
届願:届手紙文体。差し出しは「末次鎗次郎」
雑:明和2年6月16日~安政4年2月18日 土井家に関する雑多な記録
公儀御法令:武家諸法度(宝暦11年2月22日)
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C35-3 御取次勤方之留
【序】
自序
当勤者先々より之書留部分も少して事柄早速分兼候付、諸家之手留御使番御取次日記申継帳書抜等を基して今度星野 勤方の覚を作り一統江相談有之、帳面出来相成、予是ニ自己の部分を欠増し為一冊子孫此勤を蒙らバ向後洩替候事ハ可有追加者也、
文久三癸亥初冬
渡辺陟誌
【構成】御番式勤方心得仮役新役/御客/参上取扱/御使者取扱/参上取扱/寺院山伏神主社家/御医師町医浪人町人取扱/以下之衆取扱/御使取扱/御中之口御客御使者等/御三家御門主江御使者/御門式并御通行下座下リ/御広間帳認振/御座敷向/諸請取物/出火之節心得/定式進物受納之分/御成并火之廻り/御寺詰心得/御留守居代/御前披露上物取扱/年中行事/雑
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C35-4 御取次勤方之留
【表題】天保十一庚子年」御家格」大小姓御給仕」伝達留」正月写 渡辺陟
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C35-5 御取次勤方之留
【表題】伝達帳 渡辺
【備考】「御家格大小姓伝達留」と鉛筆書きあり
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C35-6 御取次勤方之留
【表題】御役中大小姓勤方留/書抜
【年代】天保9年4月12日~天保10年6月2日
【内容】土井利位西丸老中在任中の記録
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C35-7 御取次勤方之留
【表題】利位公御部屋住より御家督後迠御刀番手控/文政十亥年
【備考】遠岡昇より生江勝定借写
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C35-8 御刀番伝達留
【首部】天明四辰四月十四日御成之事
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C35-9 御取次勤方之留
○土井家勤方記録
【表題】雁之間御席中御家格/御刀番勤方/従近藤敦礼借写/渡辺陟
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C35-10 御取次勤方之留
【表題】御刀番見聞集/渡辺陟
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C35-11 御取次勤方之留
【表題】御近習番/勤方定/金子氏留借写/渡辺陟
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C35-12 御近習番勤方留(鉛筆書き)
【表題】三ヶ日 井伊直一留写
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C35-13 御取次勤方之留
【表題】天保十一子年六月写之/勤方定/渡辺繁富
【備考】大森氏ヨリ渡辺氏被借写候写
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C35-14 御取次勤方之留
【表題】渡辺
【首部】大御番勤方留下書
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C35-15 御取次勤方之留
【表題】大御番/諸勤方留/矢作氏より臼井氏被借写候留、同氏ヨリ借写/渡辺
【年代】天保7年5月~万延元年7月7日
【内容】土井家大番頭の勤務規式
【目次】
一、御番式
二、御使者心得
三、勤書奥書認方
四、着服
五、外廻リ内廻リ
六、辻固メ外固メ出役
七、蛎売町辻番所出役
八、御燈籠附心得同断日暮門留
九、御参詣御延引御介添勤方之例
十、御介添
九下、末姫君様御住居江御立寄之節辻固ノ例
十一、別帳面御両敬通例答仕掛御使者 御代拝等諸願
十二、同着服
十三、雑 御代拝等老用江御使
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C35-16 御取次勤方之留
【首部】勤方備忘目録
【内容】土井家小納戸の勤務規式
【目次】
一、上之部
二、恐悦
三、伺 御機嫌
四、御祠堂
五、年中行事 五節句并御祝儀事等
六、御拝領物
七、御着服并御衣冠御装束
八、寺社神仏御参詣并御拝
九、召人并御茶之間入断 御錠口通行
十、新役取計
十一、御小姓御側坊主御茶道
十二、御礼事
十三、諸届断
十四、諸願并御用自分旅行
十五、御番式
十六、御髪方
十七、御到来并御答礼
十八、御召下
十九、被下物
廿、差上物并献上
廿一、請取物并引替
廿二、請取手形
廿三、御使者并御使御代拝
廿四、御手許并御役所御道具附御修復
廿五、御乗物并御乗馬
廿六、両山御下屋敷等御先番心得
廿七、御帰 城
廿八、御参府
廿九、手附并御庭掃除御湯番
卅、出火
卅一、不調法并差控伺
卅二、御客御楽会御城坊主 御稽古事
卅三、御直書并御書下ケ 上書御用状
卅四、御口上書并奉札
卅五、雑
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C35-17 御取次勤方之留
【表題】御祠堂式/渡辺陟控
【目次】
一、御時祭手続 御鷹之雁御告も有之
二、三汁八菜図入
三、御祥忌御茶菓
四、弐汁五菜
五、御発駕前日御仕舞
六、御帰城并御時祭
七、九月御時祭式
八、御煤下ケ御式
九、御参勤御礼済 御告
十、元日御備之図
十一、朔望御備之図
十二、雲雀并初米御備之図
十三、御時祭御備之図
十四、御時服御備之図
十五、御鷹之雁御備之図
十六、御祥月御茶菓御備之図
十七、二汁五菜御備之図
十八、御祠堂内并御備之節之図
十九、御櫝長持納順之図
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C35-18 御取次勤方之留
【表題】子六月/日記/西丸大手御門番之節/平士 渡辺権右衛門
【内容】渡辺権右衛門の日記