G1 訂正増訳采覧異言
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一 訂正増訳采覧異言一
訂正増訳采覧異言序
(中略)文化改元四月朔日
若狭医員 紫石杉田勤撰
増訂采覧異言序
(中略)享和壬戌之冬
磐水 平茂賀撰
訂正増訳采覧異言凡例
(中略)享和癸亥春三月 山村昌永 識
訂正増訳采配異言引用書目
(中略)「以上西洋三十二種、漢土四十二種、本朝五十二種、通計一百二十六種
訂正増訳采配異言
目録(一~十二)
采覧異言輿地総叙
地球略全図/欧羅巴洲輿地図/亜細亜洲輿地図/南亜墨利加洲輿地図/亜弗利加洲輿地図/北亜墨利加洲輿地図
訂正増訳采覧異言巻之一 エウロパ
土浦 山村昌永子明 増訳
若狭 杉田勤士業 校正
仙台 大槻茂質子煥 参閲
訂正増訳采覧異言巻之二(S増訳以下三名同前、以下同じ) セルマアニヤ他
訂正増訳采覧異言巻之三 イスパニア他
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二 訂正増訳采覧異言二
訂正増訳采覧異言巻之四 ヲランダ他
訂正増訳采覧異言巻之五 アフリカ
訂正増訳采覧異言巻之六 亜弗利加洲諸国
訂正増訳采覧異言巻之七 アシア
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三 訂正増訳采覧異言巻之八
(巻頭) 訂正増訳采覧異言巻之八
土浦 山村昌永子明 増訳
若狭 杉田勤士業 校正
仙台 大槻茂質子煥 参閲
訂正増訳采覧異言巻之八 マラバアル他
訂正増訳采覧異言巻之九 マロカ他
訂正増訳采覧異言巻之十 ロソン他
訂正増訳采覧異言巻之十一 ソイデアメリカ
訂正増訳采覧異言巻之十二 ノイデアメリカ
G2 参百箇条
【内容】石州流茶道の作法書
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一 参百箇条
【内表紙】三百箇条〈并怡渓和尚和解、了和三百ヶ条外ニ書入出ス〉上巻
【冒頭】三百ヶ条曰書 上巻目録〈并怡渓和尚註解、了和三百ヶ条外ニ書入を出す〉
※第一条より第百条に至る
【奥書】右、宗易より不立文字の禁戒也トイエトモ我従弟梶民部、無学ニテ通シカタシ、達テ覚書所望故、筆を染者也、
文政十二寅年初秋 一木庵所持書
双紙亭松山写之、
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二 参百箇条
【表紙】三百箇条〈并怡渓和尚和解、了和三百ヶ条外ニ書入出〉中巻
【冒頭】三百ヶ条〈并怡渓和尚和解、了和三百ヶ条外に書入品々〉
※第一条より第百条に至る
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三 参百箇条
【内表紙】三百箇条〈并怡渓和尚和解、了和三百ヶ条外ニ書入出〉下巻
【冒頭】三百ヶ条下巻〈并怡渓和尚和解、了和三百ヶ条外ニ書入〉
※第一条より第百条に至る
G3 小野宮年中行事
【状態】写本一冊。おそらく元は和綴じ本。現洋製本
【追記】奥書なし、ただし追記(一丁)のようなものあり
【印記】蔵書印三つあり。うち二つは重ねて押印
【冒頭】「年中行事
正月
元正…」
【朱筆】朱筆の校訂、返り点、ふりがなあり。別の朱筆で校訂、頭書あり。
【備考】群書本にはない「首書云」、勘物の張り紙、後書き的な勘物あり
G4 車服制度手記
【冒頭】(朱印)「虚受庫」 野宮卿答荒[新]井逐語守問車服制度手記
【上巻末尾】野宮郷答荒井筑後守問車服制度手記巻上
【下巻冒頭】(朱印)「虚受庫」野宮郷答荒[新]井筑後守問車服制度手記巻下
【下巻末尾】野宮卿答荒[新]井筑後守問車服制度手記巻下
【奥書】宝暦十庚辰九月廿三日書写畢、旧本非無漏脱誤字、後日得善本而可校合者也、
蒼生 鳳凰庵 了篤
G5 韃靼物語
【冒頭】韃靼物語/越前国三国浦新保村竹内藤右衛門・同子藤蔵船弐艘・国田兵右衛門船一艘、以上三船ニ五十八人載申候、松前へ商ノタメ出船仕リ、
【奥書】右ノ趣、韃靼国ヨリ帰朝仕リ候十五人ノ中、国田兵右衛門・宇坂与三次郎ト申者、越前ヨリ江戸ヘ指越スニ付、様子委細ニ相尋申、口々タンゝゝ如件、
正保三年戌八月十三日
G6 漂民御覧の記
【著者】桂川甫周
【内容】大黒屋光太夫の漂流記
【冒頭】(人物図、奉行所指図)
漂民御覧の記/寛政五年癸丑九月十八日吹上/御物見に於て去天明二年壬寅十二月十三日、勢州白子を出船し候を、夜駿州の沖にて俄に
【奥書】右件の問答、終にて弐人の漂民は御暇を賜り、雉子橋の外なる御厩の宿りに帰りぬ、実に昇平大和の御代生れ出、御身近く仕ふまつるゆへにこそ、かゝる事をも見まぬれ、春にてもたゝに聞すてべきならねばとて、柄みしかき筆をとりて、密に記し終ルのみ、
G7 環海異聞
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一 環海異聞 上
【著者】大槻玄沢
【内容】津太夫の世界一周記
【冒頭】環海異聞序例言/寛政五年癸丑の冬、我仙台の舟子等江戸え運送の錐を載せ、去十一月廿七日、船を牡鹿郡石巻の湊に開帆して奥州岩城の海上逆風に逢ひ、洋中漂ふ(中略)巻首序例目録一巻共拾六巻、図一百十五、従寛政五癸丑年至文化二乙丑年十三ヶ年ト成也、
【構成】巻之一より巻之五に至る
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二 環海異聞 下
【著者】大槻玄沢
【冒頭】環海異聞巻之六/葬礼第七/凡死亡の事あれは屍を臥さしめる様子に作りたる棺に斂めるなり、
【構成】巻之六より巻之十三に至る
G8 亜墨利駕国漂流実奇談
【書名】亜墨利駕国漂流実奇談
【内容】高知に帰郷した伝蔵、萬次郎らからの聞き書き
【内表紙】亜墨利駕国/漂流実奇談
【冒頭】漂客奇談/第一談/先年異域に漂流致し候土佐国吾川郡宇佐浦漁人伝蔵・同人弟五右衛門、幡多郡中之浜萬次郎、此度致し、御詮義済ニ相成面談之□□ニ及候次第、左にごとし、
【奥書】右之外段々相尋度存候得共、十一ヶ年之談話を忽ち一口に承り候故、粗略忘散、且海外之義者、甚不案内に候間、唯漂客の申に随ひ相記申候、/嘉永五年子季秋
G9 箙書 伊勢家
【書名】箙書
【内容】箙書と恵比羅廼書の二冊を合綴する
①
【奥書】右之条々、当道之大事雖為代代口授、予及老衰失念之儀多焉、今数十巻之口伝とも縮于一巻隠置者也、家之外堅不可有外見者也、可秘々々、
慶長十五年十一月日 武田三十郎入道吸松斎清芸
右一帖、自伊勢貞春相伝写之、
享和二年壬戌三月廿二日 土井主税利往(花押影)
天保十四年 六月四日写畢、
②
③
【冒頭】奥秘箙書/負征矢数之事
【奥書】此矢搦法一巻、予家奥秘也、累世深蔵簡中為 魚所厄或不可読、今従一本以繕写之、禁妄漏于他者也、
延享元年甲子二月八日 伊勢兵庫貞丈(花押影)
④
【冒頭】箙の矢からみの秘伝
【奥書】右箙矢搦の秘事、古より口伝にてその書なし、右に其伝のほろひん事をおそれて是を壱巻にしるし置者也、みたりに人に伝ふへからす、秘すへしく、
秘すへしとは此道を好まさる人に秘するなり、好む人には秘する事なかれ、
宝暦十二壬午年二月朔日 伊勢平蔵貞丈(花押影)
⑤
【冒頭】箙矢からみの巻
【奥書】右之条々当家やからみの極意也、嫡流一人之外、不能免就中乱さしの矢からみは当家之外、天下にしるものあるへからす、是を以当道成就之為表儀、努々不可有口外者也、
慶長十五年十一月 武田三十郎源信直入道 吸松斎清芸在判
武田流奥秘矢搦法契合、予家伝深秘古伝、往々魚食不可読焉間、又雖有可見、然後人之追加者不聊加臆、今従一本以校正加別伝中、禁妄漏于他者也、
明和二年乙酉二月五日 伊勢平三貞丈
G10 小笠原家弓法
【内容】
当家弓法大草紙巻第一 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第二法量門上 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大草紙巻第三法量門下 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第四宮仕門上 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第五宮仕門下 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第六殿中門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第七供奉門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第八射法門上 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元年〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第九射法門下 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十狩射門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十一馬法門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十二蹴鞠門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十三膳部門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十四書法門上 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大草紙巻第十五書法門下 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
当家弓法大双紙巻第十六実検門 (印)「花神亭」
(奥書)嘉吉元歳〈癸卯〉四月三日 小笠原大膳大夫政康
G11 (書名不明)
【題名】御成道筋巨細書,
【年代】天保12 (1841)年
【寸法】12 x 17 cm.
【備考】蔵書票「1907」
G12 近代内裡炎上之記
【現況】元外表紙を除いて洋製本。写本一冊(国書によれば、「近代内裡炎上記」なる書が三条家に写本としてあり)
【構成】
【元内表紙?】「近代内裡炎上之記」
【その裏】「梶井殿記」の建保三年正月七日条抜き書き
【本文冒頭?】
「近代禁裡仙洞春宮等炎上部類
目六
(以下略)」
【内容】以下、目録にみえる日記部類。最後の天明八年の仮名記文末には花押影と書写奥書ありその丁裏に、書写奥書あり
ここまでが「近代内裡炎上之記」なのか?
次丁から
「滋野井公澄卿記宝永五年三月」八日〜五月卅日まで(冒頭IMG_1470.JPG、末尾撮影IMG_1471.JPG)
次丁から
「天明回禄不外聞記序」
「天明回禄不外聞記上巻」
「天明回禄不外聞記下巻」この文末が、冊子全体の末尾 奥書等なし
これら全体がもとから一冊本だったかは不明。それぞれ筆跡複数。
【備考】天明回禄不外聞記は、国書には、天明八年、鴨川漁著のものがみえる。
G13 永代落橋一件記
【現況】洋装の表紙の見返しにYale University Library のラベル、年代の記載はなし
【表紙】表紙あり(記載はなし)
【丁数】表紙を除いて九五丁
【印記1】第一丁表の右下、第九五丁裏の左上に「好文堂」の朱枠印あり
【印記2】第一丁表の右真ん中(のど)に「明治五改」の朱枠印とその下に「酉」の朱枠印あり
【内容】文化四年八月十九日、深川の富岡八幡宮祭礼の日に永代橋が落ちた際、入水した者を引き上げ等に関わった船乗等の名前を書き上げたもの
【第一丁】
「一文化四丁卯年八月十九日深川永代橋落候ニ付南御番所江御書上之事
一存命ニ被助候存命之者男女死骸引揚候者名前助船ニ罷出候舟数助船人数之事
一御役所ニ而御取扱死骸之分之事
一御役所ニ而御掛り死骸惣高之事
附り芝口御橋際掛ケ札之事
一水死人死骸之内武家御屋鋪之男女之事
出家女中其外幷子供等之事
一根岸肥前守様御番所ニ而肝煎名主共江被 仰渡
御手当頂戴幷深川四人之者御手当頂戴之事 」
G14 夢乃憂橋
【著者】田南畝
【内容】文化4年永代橋崩落事故に関する様々な記事や風聞を集めたもの。
【冒頭】(朱印)「松鳩文庫」夢乃憂橋/題詞/冨岡神会大江頭岸上連棚岸下舟越車超乗霊厳島衫服新裁永代路
士女喧闐溢九達虹橋天柱子尤危摧頽共委江 腹歌笑炎涼変一時
累々遺骸曝路隅水郷秋社 歓娯如狂一国人皆散橋断江天缼月孤
杏花園(朱印)「南畝」
G15 畿内治河記
【内題】畿内治河記
【著者】新井白石
【冒頭】天和三年癸亥、国家有議、大興畿内治河之役、蓋水之為患、所在有之、而源遠泒悍者、其患大矣
【奥書】右、治河記、白石源君美少時、為河村氏食客日、聴聞詳悉、以作之云、
G16 明暦三年火災記
【内題】「明暦三年火災記 全」
【丁数】表紙を除いて二三丁
【冒頭】火事記 明暦三〈丁酉〉年正月十八、十九日火災/我一とせ武州江戸城之辺に旅宿候て春秋を送りける、む月中旬の頃おひ、思ひの外なる火難にあひ、やうやう命のかれて、辺土民屋に居侍ける、まこたにとひかよはす、友ひとりふたり来り、たかひにひちを枕として時の物かたり、そこはかとなく語り居たりけるに、
【奥書】
「明暦三年六月廿三日/延享四年四月三日■■(抹消)手写」で終わる
【備考】蔵書票「1907」
G17 文政十二年江戸火事の記
【内題】なし
【丁数】四一丁
【冒頭】文政十二年丑年三月廿一日巳中刻より外神田佐久間町より出火いたし、泉橋焼落、柳原辺り御大名・御旗本様方不残、御国地より弁慶橋焼落、○○嶋町より両国橋にて留り、南は浜町・山伏井戸、御大名・御旗本様方不残、村松町・久松町、此辺橋不残焼落ル、
【内容】
三月廿二日/一酒井雅楽頭蛎殻町中屋敷同氏河内守居宅長屋共類焼/一西尾隠岐守木挽丁屋敷類焼ニ付、同氏豊後守外神田居屋敷より為引移候届/出火ニ付御届〈文政十二年三月廿三日、町奉行手控之写〉
【備考】蔵書票「1907」/第一丁表の余白に鉛筆で「Okubo,Yoshitomo」とあり(Oの上にバー)/第二〇丁裏に「筋違外の図」として御救小屋の絵あり/筋違外なる小屋の札は「類焼ニ付野宿之者共御救小屋」(初めは三、四十人、十日ほど過ぎると二〇〇人)、両国なる小屋の札は「町会所御救小屋場」(第二〇丁表)
G18 喫茶新語
【著者】大関増業
【自叙】(上略)于時天保八歳次丁酉臘月、乗化亭隠士於豊島箕輪邑述之、
G19 推棟記
【統一書名】推東記
【著者】水島卜也著.
【寸法】24 cm.
【備考】蔵書票「1907」
【年代】 延宝4 (1676)年
【現況】ハードカバー 背文字なし
G20 朝廷年中行事
【現況】写本(近世。内容的にも近世朝廷行事)。一冊。元外表紙を除いて洋製本。
【内容】全部一筆。朱筆なし。
【冒頭】「朝廷年中御行事次第/正月/元月 寅剋四方拝」
【文末】「年中御行事次第尾ス」
【印記】古書店印あり
G21 蹴鞠
【統一書名】蹴鞠口伝之抄
【背表紙】「蹴鞠」
【著者】松下教久著
【寸法】18 x 25 cm.
【備考】蔵書票「1907」
G22 十種香
【寸法】24 cm.
【備考】蔵書票「1907」
【現況】背文字なし
G23 香合
【寸法】16×23 cm.
【備考】蔵書票「1907」
【現況】背文字なし
G24 勝之助漂流記
【統一書名】漂流記
【背表紙】「勝之助漂流記」
【年代】天保3 (1832)年
【寸法】24 cm.
【備考】蔵書票「1907」
G25 指南書
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一 「指南書 上」
指南書
折本
【表題】「指南書 上」
日置流弓術指南書「能射手に教之条々」
【末尾】
以上六拾五ヶ条
伴喜左衛門入道道雪
一安在判
伴喜左衛門尉
一秀在判
伴喜左衛門尉
一政在判
鈴木十郎左衛門尉
重時在判
鈴木浅右衛門尉
重勝在判
石井友之進
利豊在判
猪瀬大仲
延正在判
湊金左衛門尉
広命在判
片岡庄八郎
正弘在判
若林雲八郎
文政四年
辛巳十二月吉日 正興(花押)(朱印)「源正興印」
本多頼母殿
参
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二 「指南書 下」
【現況】折本
【表題】「指南書 下」
日置流弓術指南書「悪射手直様之条々」
【末尾】
以上五拾弐ヶ条
右射芸之秘術、日置之一流、的今之家伝数代に及、(中略)安門弟之ために彼目録百拾七ヶ条致注脚者也、
伴喜左衛門入道道雪
一安在判
伴喜左衛門
一秀在判
伴喜左衛門
一政在判
鈴木十郎左衛門
重時在判
鈴木浅右衛門
重勝在判
石井友之進
利豊在判
猪瀬大仲
延正在判
湊金左衛門
広命在判
片岡庄八郎
正弘在判
若林雲八郎
文政四年〈辛/巳〉
十二月吉日 正興(花押)(朱印)「源正興印」
本多頼母殿
参
G26 射儀指南歌
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一 「射儀指南歌 全」
【現況】折本
【表題】「射儀指南歌 全」
【内容】日置流弓術指南書
【末尾】
右一百余首、為愚息等教訓、令愚吟与訖、爾来巻而懐之耳、可嗤々々、
伴喜左衛門入道道雪
一安在判
伴喜左衛門
一秀在判
伴喜左衛門
一政在判
鈴木十郎左衛門
重時在判
鈴木浅右衛門
重勝在判
石井友之進
利豊在判
猪瀬大仲
延正在判
湊金左衛門
広命在判
片岡庄八郎
正弘在判
若林雲八郎
文政四年〈辛/巳〉
十二月吉日 正興(花押)(朱印)「源正興印」
本多頼母殿
参
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二 日置流弓許目録
【Title】Heki-ryū yumi yurushi mokuroku, [mid 19th cent.?].
日置流弓許目錄, [mid 19th cent.?].
【Physical Description】scroll
【Size】19 x 279 cm.
【Yale bookplate date】1907.
【Language】In Japanese
G27 諸珍戯談集
【現況】三冊合冊
【内題】「〈狂歌落/流行言〉諸珍戯談集」
【内容】江戸時代後期から明治初年の、世間での出来事や噂・流行の話題、狂歌・狂句などを書き留めたもの
【印記】「藤井蔵書」「望月氏」の朱印アリ
【その他】
文政四年四月に江戸城清水門石垣が崩れ、中世の「石碑」が出土
「暦□□〔応四〕年二月日」「至徳三年十一月廿一日 西住」「□□〔応永〕卅年十一月 蓮性」「嘉吉元年八月五日 妙言禅尼」「宝□〔徳〕二年四月廿一日 道阿禅門」
G28 指南車
【現況】折本
【表題】「指南車 全」
【内容】日置流弓術指南書「悪射手直様之事」
【末尾】
右此一巻者他門之沙汰には無之候、貴殿当流弓術数年之依御執心令伝授畢、夢々不可有他見者也、
湊金左衛門
広命在判
片岡庄八郎
正弘在判
若林雲八郎
文政四年〈辛/巳〉
十二月吉日 正興(花押)(朱印)「源正興印」
本多頼母殿
参