YAJカタログ(日本語反訳版)

墨蹟

(A d 1) 手鑑帖
     1冊。
     39.4㎝ × 1550㎝

     有名な人物の筆跡を集めた帖であり、書き手の名声だけでなく、書の美しさが重んじられている。書を集め、それを大切な家宝として保管するという、昔から人気があるこの習慣は、徳川時代において特に支持され、著名な鑑定家が生じた。この帖には「極札」“alleged”が付けられた真偽が疑われる大量の筆跡が含まれているが、何人かの批評者の意見によって、重要人物によるものであると明らかにされた。しかしながら、これらの書の筆跡は、たとえ自筆の書でないとしても、大昔、奈良時代(708-780年)以来の、もっとも特徴的な書の代表として、重要なものである。以下の目次では、特筆すべきこと以外は省略した。

    ・「極札」聖武天皇写経断簡。
     有名な天皇による自筆の書ではないが、奈良時代の写経の際に使われていた筆跡として、高い価値がある。
    ・「極札」光明天皇仏典断簡。
     銀線が施された紙の全面に銀の斑点が書かれている。
    ・「極札」後鳥羽天皇自筆書断簡。
     新古今集(鎌倉時代に出版された有名な和歌集)の筆写の断簡。
    ・「極札」後深草天皇自筆書状断簡。
    ・「極札」後宇多天皇自筆書状断簡。
    ・「極札」亀山天皇自筆和歌断簡。
    ・「極札」伏見天皇自筆書断簡。
    ・「極札」伏見天皇『後撰和歌集』和歌断簡。
    ・「極札」後二条天皇自筆『玉葉和歌集』断簡。
    ・「極札」後醍醐天皇自筆『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」後光厳天皇『後撰和歌集』筆写断簡。
    ・「極札」後円融天皇書状断簡。
    ・「極札」後小松天皇和歌断簡。
    ・「極札」称光天皇小色紙。
    ・「極札」後花園天皇和歌断簡。
    ・「極札」後土御門天皇和歌断簡。
    ・「極札」後土御門天皇皇后侍女断簡。
    ・「極札」後柏原天皇和歌断簡。
    ・「極札」後奈良天皇中国式懐紙。
    ・「極札」後奈良天皇による色紙(装飾が施されている手の込んだ四角い紙)に書かれた日本の和歌。
    ・陽光院自筆書状断簡。
    ・後水尾天皇和歌色紙。
    ・本阿弥光悦自筆書状断簡。日付、6月19日。
    ・後西天皇和歌色紙。
    ・後水尾天皇和歌色紙。
    ・「極札」津守神自筆、短冊(細長い一片)に書かれた和歌。
    ・近衛三藐院の書式。和歌色紙。
    ・後水尾天皇和歌色紙。
    ・「極札」近衛道嗣自筆、新古今集筆写断簡。
    ・「極札」近衛政家自筆、物語断簡。
    ・「極札」近衛尚通自筆、古今集筆写断簡。
    ・「極札」近衛稙家自筆。
    ・「極札」近衛信尹自筆、禅文断簡。
    ・「極札」近衛信尋自筆、書状断簡。
    ・昭子内親王自筆。
    ・「極札」九条道家自筆、「勝如」断簡。
    ・「極札」二条昭実自筆、古今集筆写断簡。
    ・一条兼良自筆。
    ・「極札」一条冬良自筆、和歌断簡。
    ・「極札」一条教房自筆。
    ・「極札」京極良経自筆。
    ・「極札」鷹司信尚自筆。和歌(新緑晴花)断簡。
    ・「極札」飛鳥井雅親自筆、和歌集断簡。
    ・「極札」花山院政長自筆。和歌集断簡。
    ・「極札」徳大寺公胤自筆。新拾遺和歌集(有名な和歌集)和歌断簡。
    ・「極札」世尊寺行俊自筆。和歌断簡。
    ・「極札」足利義政(8代将軍)自筆。『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」藤原定家自筆。書状断簡。
    ・「極札」同上、日記断簡。
    ・「極札」同上、和歌断簡。
    ・「極札」藤原俊成自筆。
    ・「極札」中院為家自筆。和歌集断簡。
    ・「極札」二条為氏自筆。
    ・「極札」二条為世自筆。後撰和歌集断簡。
    ・「極札」二条為定自筆。
    ・「極札」二条爲親自筆。『古今和歌集』和歌断簡。
    ・「極札」二条為明自筆。『歌集抄』断簡。
    ・「極札」二条為重自筆。
    ・「極札」二条為相自筆。『新千載和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為相自筆。『後撰和歌集』断簡。
    ・「極札」阿仏尼自筆。『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為栄自筆。『続古今和歌集』断簡。
    ・「極札」二条為藤自筆。『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為之自筆。『新古今和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為富自筆。
    ・「極札」冷泉為広自筆。『拾遺和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為益自筆。『新勅撰和歌集』断簡。
    ・「極札」冷泉為満自筆。『新勅撰和歌集』断簡。

    以下は手鑑帖の裏面に貼られたもの。
    ・「極札」藤原鎌足(藤原氏の祖)自筆。金字で書かれた仏典断簡。
    ・「極札」宗尊親王自筆。
    ・青蓮院宮入道尊円親王自筆。跋文の断簡。
    ・「極札」後崇光院自筆。新勅撰和歌集断簡。
    ・「極札」伏見宮邦高親王自筆。連歌断簡。
    ・「極札」伏見宮貞敦親王自筆。
    ・『詞花和歌集』の断簡。
    ・「極札」八条宮智仁親王自筆。
    ・「極札」壬生家隆自筆。『千載和歌集』断簡。
    ・木下勝俊自筆。
    ・「極札」源俊頼自筆。『三宝絵』断簡。
     いわゆる「有名な自筆断簡」、または「東大寺切」として知られ、コレクターの間で高く評価されている。
    ・「極札」二条為家自筆。『後拾遺和歌集』。
    ・「極札」園基氏自筆。
    ・「極札」世尊寺行能自筆。『和漢朗詠集』断簡。
    ・「極札」世尊寺行能自筆。
    ・「極札」世尊寺行俊自筆。『吾妻鏡』断簡。
    ・「極札」世尊寺行尹自筆。
    ・「極札」世尊寺定成自筆。『和歌朗詠集』断簡。
    ・「極札」世尊寺経朝自筆。
    ・「極札」鴨長明自筆。和歌。
    ・「極札」飛鳥井雅経自筆(藍の紙)。
    ・「極札」飛鳥井雅有自筆。『後拾遺和歌集』断簡。
    ・「極札」飛鳥井雅親自筆。『新続古今集』断簡。
    ・「極札」飛鳥井雅綱自筆。懐紙断簡。
    ・「極札」日野俊光自筆。『後拾遺和歌集』断簡。
    ・「極札」烏丸光広自筆。和歌色紙。
    ・「極札」小倉実名自筆。『名歌集』断簡。
    ・「極札」清水谷実秋自筆。『拾遺和歌集』断簡。
    ・「極札」三条西実隆自筆。
    ・「極札」中山信親自筆。和歌懐紙。
    ・「極札」入道道堅自筆。『新古今和歌集』断簡。
    ・「極札」姉小路済継自筆。
    ・「極札」滋野井教国自筆。『新勅撰和歌集』断簡。
    ・「極札」富小路資直自筆。『新続古今和歌集』断簡。
    ・「極札」北畠親顕(有名な学者政治家)自筆。和歌色紙。
    ・「極札」万里小路惟房自筆。
    ・「極札」細川持之自筆。『新古今和歌集』断簡。
    ・「極札」源頼政(有名な武将)自筆。『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」二条院讃岐自筆。『源氏物語』断簡。
    ・「極札」二条為兼自筆。
    ・「極札」西行法師(有名な僧侶)自筆。手紙。
    ・「極札」称光院自筆。『歌集抄』断簡。
    ・「極札」日比正広自筆(正広は東福寺の祐筆である正徹の門人)。『新古今和歌集』断簡。
    ・「極札」連歌師牡丹花肖柏の自筆。和歌集断簡。
    ・「極札」尭孝法印自筆。『新続古今和歌集』断簡。連歌断簡。
    ・「極札」民部少輔若山澄秀自筆。
    ・「極札」律師周興自筆。『後拾遺和歌集』断簡。
    ・「極札」尭憲法印自筆。『古今和歌集』断簡。
    ・「極札」惣持院法印行助自筆。『歌集抄』断簡。
    ・「極札」相良為続自筆。和歌集断簡。
    ・「極札」里村昌叱自筆。連歌断簡。
    ・「極札」連歌師宗養自筆。
    ・「極札」連歌師宗全自筆。
    ・「極札」連歌師宗龍自筆。
    ・「極札」定法寺殿公助自筆。
    ・「極札」武田元光自筆。『古今集』和歌。
    ・「極札」連歌師宗牧自筆。物語断簡。
    ・「極札」連歌師宗長自筆。
    ・「極札」津守経国自筆。藍紙に金字で書かれた仏典の断簡。
    ・「極札」連歌師紹巴自筆。
    ・「極札」連歌断簡。
    ・「極札」積善院尊雅自筆。
    ・「極札」武野紹鴎自筆。
    ・「極札」烏丸冬光自筆。連歌断簡。
    ・「極札」細川三斎自筆。和歌色紙。
    ・本阿弥光悦自筆。
    ・滝本昭乗自筆。和歌。
(A d 2) 尊円入道親王御筆、雲州消息[青蓮院尊円法親王御筆]
     断簡。1巻。
     文章:30㎝ × 48.7㎝
     跋文:29.5㎝ × 16.5㎝
     台紙:30㎝ × 120.5㎝

     東洋の芸術において、書が優位な地位を占めていることは、よく見られることである。知識と知恵を分かち合う手段として、書には、絵や彫刻よりも、この上ない敬意が払われており、また絵や彫刻が傍流とみなされているのに対して、実際に書は芸術として認識されている。絵から建築に至るまで考えられるすべての流派の他のどんな作品よりも、書が大きな影響を及ぼすことは否定できない。典型的な日本の書に見られる独特の線と同様に、書風の優雅さや大胆さは、人々が二千年近くに渡り鍛え上げてきた書の影響に起因すると思われる。文字を書く際に筆を常用していること、また、ヨーロッパの人々が手紙を書く時に手首から書いているのと違って、肘から、実際は肩から書く習慣、もしくは書の達人がよくいうように内面から書かれるものであることが、手や腕を制作の手段とする芸術や工芸のすべての作品に必ず視覚的影響を残す独特な作法を助長してきた。それ故、プロの書道家や芸術家同様に、著名な学者や、政治家や武士による昔の書の作品が、はるか昔の大変貴重な遺物として扱われるのはさほど不思議ではない。日本語の文字は、その件では中国語の場合も同様であるが、他のどの国で書かれた文字よりも、書いた文字の線や一筆に筆写の個性が認められると言える。
     奈良の正倉院に保管されている、皇室の宝物の記録によれば、奈良時代においてまでも、王羲之(中国の書道家)のような書の達人の作品は敬われ、模倣されたことが明らかである。後に、嵯峨天皇が書に熱心であったことがわかった。しかし、書の達人の先駆者の称号は、9世紀初頭に中国で芸術を学び、それを故郷に持ち帰った弘法大師に与えられるべきである。本来中国芸術であったものを日本化し、本来の書の地では誰も見たことのない独特な書風を考案したのは小野道風である。この流派は何段階かにわたる発展を経て、ほぼ申し分ない、藤原佐理や中国の古典的な書風とは対象を成した独特の日本的革新とされる、いわゆる世尊寺流として有名な藤原行成を輩出した。行成の時代からこの文章の冒頭で示した鎌倉時代の青蓮院入道尊円親王まで、世尊寺流は父から息子へ伝えられた。尊円親王は、この書風を学び、その熱烈な愛好者となり、ついには世尊寺モデル後の、青蓮院流と呼ばれる日本の書の新しいスタイルを生み出し、将軍家の書式、つまり、いわゆる「御家流」として将軍に採用される名誉を得た。この巻物は、偉大な書家が書と手紙の構成手本として書写した、藤原明子によって書かれた手紙のコレクションである『雲州消息』の原本から抜粋し、具現化した形が見て取れる。
     この巻物に全体の一部しか含まれていないことは、多くの弟子たちがそれを求めた熱意のために、原本が細かく切られ、幸運な弟子たちの間で分けられたという事実が原因であることがわかる。
     跋文には1597年に近衛前久からある人物に授けられたことが書かれている。
(A d 3) 青蓮院尊朝法親王御筆手本
     本文:35.3㎝ × 105.4㎝
     総丈:跋文も含む、258.5㎝

     正親町天皇の養子である尊朝法親王は天台宗の座主となり、秀吉によって破壊された〔※ママ。訳者注〕京都の比叡山の延暦寺を再建する責務を負った。書では、尊円法親王派の有名な愛好者である。1597年に死去。
     この巻物には、「いろは」の二つの形の音節表と3つの短歌、そして1683年の日付が見られる。
(A d 4) 松花堂昭乗自筆書状五通
     1巻。
     本文:30.2㎝ × 325.5㎝
     総丈:跋文を含む、371㎝長。

     これらの手紙の筆者は当代の三筆の一人である。他の二人は本阿弥光悦と近衛信尹。
     初め、彼は尊朝法親王に学び、後に弘法大師流を稽古した。1639年に死去。
(A d 5) 松花堂昭乗による書の手本集
     木版刷り。1帖。
     34㎝ × 610.5㎝。
(A d 6) 玄龍による書の手本集〔佐々木玄龍筆手本〕
     1巻。
     28.4 ㎝ 734㎝。

     江戸出身で、当代の傑出した書家。1722年に死去。
(A d 7) 青木半蔵による書の手本集〔青木半蔵筆手本〕
     二巻。

     青木は文化文政期(19世紀初頭)、日下三之丞〔日下部鉄之助か?訳者注〕と同時代の人で、偉大な書家の一人に数えられる。彼は将軍の右筆であった。
(A d 8) 橘守部による「いろは」手本〔橘守部筆いろは法帖〕
     1帖。
     33㎝ × 1286㎝

     この巻物には手習いのために「いろは」の表がさまざまな書風で書かれている。守部は日本古典の著名な学者、1849年に死去。
(A d 9) 土肥丈谷による手本〔溝口流土肥丈谷筆手本〕
     5帖。

     1.38.4㎝ × 491㎝
      表紙には「天保10年」(1839)と書かれている。

     2.39㎝ × 516㎝
      表紙には「天保13年」(1842)と書かれている。

     3.38㎝ × 489㎝
      表紙には「溝口派の土肥による見本」と書かれている。

     4.32㎝ × 363㎝br/>   上記と同じ銘が書かれている。

     5.38㎝ × 718㎝
      上記と同じ銘が書かれている。

    土肥丈谷は書の師匠で、溝口派の東谷の弟子。
    丈谷は溝口派の書道家。
(A d 10) 市河米庵書〔市河米庵書扇面〕
     扇に書かれたもの。2枚。

     米庵は古代中国の書を研究することによって名をあげた。当時広く普及していた元来の「御家流」に対して、唐様の書に影響を受けた自身の筆を確立した。1857年に死去。
(A d 11) 巻菱湖書〔菱湖書扇面〕
     1枚。

     江戸の有名な書家。多くの弟子がおり、彼の書風は当時大変流行した。1833年に死去。
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