YAJカタログ(日本語反訳版)

複製本

(C 1) 聖徳太子御筆法華経義疏
     第1巻から第4巻。4巻。国宝。
     原本は長さ24.2㎝。

     この貴重な巻物は、以前は奈良県の法隆寺が所有していたが、皇室に移された。1巻の題のちょうど下に、「この本は自分自身で書いたものであり、渡来したものではない」という趣旨の補足が見える。4つの巻物に付された象牙の札には、「法華経義疏4巻、御製」という文字が刻まれている。そこに書かれた書体は明らかに推古天皇の時代に流行したものである。「上宮聖徳太子伝補闕記」には、「推古22年(614年)に聖徳太子はこの本を書き始め、翌年書き終えた」と記されている。このように、この本の信憑性には疑いの余地はほとんどない。
(C 2) 聖徳太子七歳像
     1巻。
     写真。原物は彩色の木像。
     高さ58.2㎝。冠から顎まで16㎝。
     奈良県法隆寺に保管されている。

     578年、聖徳太子が七歳の時に、朝鮮から輸入された仏典を座って読んでいる様子が表現されている。仏師円快と絵師秦致貞により、1069年に作成された作品であることが、像の内部にある銘によって知られている。
(C 3) 本邦古写経
     1巻。
     原本は紙。

     仏典を含む、最も典型的な古文書を集めたもの。
(C 4) 古写本日本書紀
     7巻、8冊。
     第10巻。応神天皇治世の歴史。田中教忠所蔵。国宝。1巻。
     第11巻。仁徳天皇治世の歴史。前田侯爵所蔵。国宝。1巻。
     第14巻。雄略天皇治世の歴史。前田侯爵所蔵。1巻。
     第17巻。継体天皇治世の歴史。前田侯爵所蔵。1巻。
     第20巻。敏達天皇治世の歴史。前田侯爵所蔵。1巻。
     第22巻。推古天皇治世の歴史。東洋文庫所蔵。1巻。
     第24巻。皇極天皇治世の歴史。東洋文庫所蔵。1巻。
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     第1巻。神話時代の章。1節のみ、他の部分は不明。佐佐木信綱所蔵。1冊。政府の保護下にある。
     第2巻。神話時代の章。二部、すなわち一部と二部からなっている。1冊。これと続く6巻は、宮内省図書館に保管されている。
     第10巻。応神天応治世の歴史。1冊。
     第12巻。履中天皇、および反正天皇治世の歴史。13巻。允恭天皇、および安康天皇治世の歴史。1冊。
     第14巻。雄略天皇治世の歴史。1冊。
     第15巻。清寧天皇、および武烈天皇治世の歴史。17巻。継体天皇治世の歴史。1冊。
     第21巻。用明天皇、および崇峻天皇治世の歴史。22巻。推古天皇治世の歴史。1冊。
     第23巻。舒明天皇治世の歴史。24巻。皇極天皇治世の歴史。1冊。

     日本の古典のなかで、日本書紀は、疑いなくもっとも貴重に保管されてきたものの一つである。この膨大な巻の歴史は、元正4年(720年)の勅命により、舎人親王の指揮のもとで編集された。天皇統治の起源と日本国の創設に始まり、支配者と被支配者の関係や国の組織と人々の地位などが説明される。これらの巻は保管された最古の実例、平安初期貞観時代のもの複製である。この本の詳細な解説はこれらに付随した特別付録の巻に記されている。
(C 5) 扇面法華経
     1冊。
     国宝。大阪、四天王寺所蔵。
     色紙に書かれている。長さ25.7㎝。

     開いた時に上部が底部よりも幅が広くなっている、扇の形をした書物。法華経は下半分に書かれており、上半分には昔の作法や習慣がカラーで描かれている。藤原時代後期のこの作品は、当時流行していた、本作りの優れた芸術的格式を示すものと考えられている。彼らが到達した文化の優雅さと、敬虔な信仰の行いとして始まり、後に芸術の分野へと移った、写経習慣の実態を表している。
(C 6) 平家一門奉納経副本
     1巻。
     広島県厳島神社所蔵。
     原本は色紙に書かれている。長さ27.3㎝。

     安芸守であった平清盛は安芸の厳島神社の熱心な信者であった。彼や平家の人々が美しい巻物に写経を行い、厳島神社に納めたことは歴史上の有名な話であり、現在も33巻が残っている。紙とそれを巻物に貼る方法には高い芸術的価値があり、それぞれの巻物は、この上なくすばらしい嗜好と美、さらに宮廷の生活に特徴的なように、極めて典型的な豪華さと優美さが見て取れる。巻物には長寛2年(1164年)の日付が付されている。ここにある巻は有名な平家納経がどのようなものかを表すために書かれた複製品である。
(C 7) 平親宗筆金剛寿命陀羅尼経
     1巻。
     国宝。広島県厳島神社所蔵。
     長さ26.1㎝。

     藍地に金泥で書かれたこの経典には序文があり、それによればこの経典が正治2年(1178年)〔※正治2年は1200年、1178年は治承2年。訳者注〕4月24日に平親宗により、彼が聖なる神社への巡礼のための船に乗っている際に書かれたことが明らかである。
(C 8) 華厳縁起
     6巻の内の2巻。
     義湘本、第3巻。元暁本、第3巻。
     京都高山寺所蔵。
     色紙に書かれている。長さ31.2㎝。

     新羅の僧、義湘が僧の元暁に付き添われて、華厳宗を学ぶために中国へ向かった旅路と、苦難や困難にも関わらず、彼らが得た教えを故郷の人々に広めたいという熱意が描かれた書物。
     高山寺は僧侶の明恵上人によって、後鳥羽上皇の時代に、華厳宗を広めるために建立され、これらの巻物は華厳宗の信者の伝記であると考えられている。鎌倉時代中期の作品で、典型的な日本の絵巻物にあるように、異国風の色鮮やかな下地を持つ、有名な作品である。
(C 9) 石山寺縁起
     1巻、2巻、3巻。7巻の内の3巻。国宝。滋賀県石山寺所蔵。原本は紙に書かれた。
     長さ33.7㎝。

     これらの3点は、先に述べた寺に保管されていた7つの巻物の内の最も良いものであり、色彩豊かな描写で、寺の建立の縁起にまつわる霊験譚が描かれている。
     絵は春日験記を描いた高階隆兼に、詞書は石山寺の高僧座主によると考えられている。鎌倉時代後期のもの。
(C 10) 長谷雄卿草紙
     1巻。
     国宝。細川公爵所蔵。
     色紙に書かれた。
     長さ29.7㎝。

     この物語の主人公である紀長谷雄は、高貴な性格と詩の才能を有する貴族で、菅原道真の賞賛を受けた。延喜12年(911年)に死去。この草紙の内容は次のようなものである。すなわち、長谷雄がある日、外見が普通の人間ではないという印象を抱かせるある男と出会った。二人は双六の勝負をすることになり、ゲームの勝者が褒美に美しい女を得ることに同意した。長谷雄はゲームに勝ち、女を得た。彼は100日間の貞節を誓わせられたが、99日で破ってしまう。すると女は水となって流れてしまった。彼が双六をした相手は化けた鬼であったのだが、長谷雄は北野天神の慈悲によって、この恐ろしい出来事から助かることができた。この巻物はおそらく南北朝時代のもの。
(C 11) 足利尊氏の和歌の懐紙〔長門一宮奉納足利尊氏以下和歌懐紙〕
     1巻。
     国宝。山口県一宮神社所蔵。

     この巻物には足利尊氏と彼の親戚によって書かれた和歌が記された懐紙が含まれている。神功皇后の魂を祀る山口県一宮神社を参詣した際に奉納したもの。尊氏が神社に個人的な敬意を払ったのは1336年のことであり、ここには、弟の足利直義、1344年に訪れた斯波高経、1351年に訪れた尊氏の息子の足利直冬らの懐紙も含まれている。
(C 12) 金平本全集
     31巻。
     絵入り。大阪毎日新聞社、1926年刊行。
     水谷弓彦による注あり。

     「金平本」はいわゆる金平浄瑠璃、すなわち和泉太夫が語ったものやそれを模した他の浄瑠璃が書かれた本の一般名称。「金平」は英雄坂田金平に起源を発する。彼は比類無き肉体的な勇敢さを持ち、その優れた功績は様々な劇の主題となった。物語は室町時代後期の状況や出来事がもとになっているが、江戸時代初期、特に17世紀半ばに好評を博した。これらの巻に含まれているのは、金平浄瑠璃のもっとも典型的なものである。
(C 13) 谷川士清画像。
     1巻。リトグラフ。

     このリトグラフの巻物以外に、ここに言及した他のすべての本や巻物は写真複製である。
     士清は日本古典の有名な学者で、1776年に70歳で死去。『和訓栞』『日本書紀通証』などの著者である。
(C 14) 王右軍奉橘帖
     1冊。
     中華民国13年、延光室により刊行。

     書の写本、王羲之の自筆が書かれている。王羲之は最も偉大な中国の書家で、彼の書は中国同様に日本にも多大な影響を与えた。
(C 15)名賢尺牘
     1冊。

     名賢尺牘と呼ばれる38人の実例が描かれている。後年の犬養氏が所有。
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