YAJカタログ(日本語反訳版)

版経類

(B a 1) 百万塔
     4種。
     高さ13.6㎝。長さ8.3㎝。直径10.6㎝。塔の内部に陀羅尼経が納められている。

    1.無垢浄光経根本陀羅尼。5.5㎝ × 56.5㎝
    2.無垢浄光経相輪陀羅尼。5.6㎝ × 41㎝
    3.無垢浄光経自心印陀羅尼。5.7㎝ × 44.6㎝
    4.無垢浄光経六度陀羅尼(写真)。5.3㎝ × 31㎝。

    塔の底部には、謎の銘が見られる。
    1.云二五四
      右吉伊
    2.云二十二十八
      右口万
    3.右三年六月十二日伊

     『続日本紀』やその他の古い書物には、764年に称徳天皇が祈りを捧げるために行い、770年に完遂した巨大な事業のことが書かれている。すなわち、小さな三つの屋根がついた高さ4.5インチ、底3.5インチの塔を百万個制作し、さらにそれぞれの塔の空洞には四つの陀羅尼(根本、自心、相輪、六度)を入れ、それらを十大寺に奉納したのである。これらのたくさんの塔のうち、いくつかは先に述べた十の僧院の一つである奈良の法隆寺に保管されているが、残りは紛失または破壊された。この目録に記されている四つの塔と三つの陀羅尼はこれらの貴重な古い標本と同じものであり、陀羅尼はおそらく日付が確認された版経の中では世界でも最も古いものである。六度陀羅尼の四点の巻物はめったに見ることができない最も貴重なものであり、我々は原本を守ることができず後悔している。
     引用した銘についての注釈が必要である。「云」の文字は「雲」の省略であり、元号の「神護景雲」の四つの文字の最後の一字である。それゆえ、「云二五四」とは、「神護景雲2年5月4日」、つまり「768年5月4日」を意味している。同様に、「云二十二十八」は、「768年12月18日」を、「三年六月十二日」は「769年6月12日」と解釈できる。「吉伊」と「伊」と「□万」は人名の省略であり、おそらく制作者の名前である。「右」の字は明らかに「左」と対照するものであるが、両方とも解読できない。塔の底に書かれた手書きの銘は頻繁に見られるものである。
(B a 2) 四分比丘戒本疏
     第1巻(全2巻)。1巻。
     27.5㎝ × 981.6㎝、最初の余白を含む。

     鎌倉時代初期(12世紀初頭)に印刷され、「喜多院」流のヲコト点があり、巻物の裏面には発音の注がある。全体的に非常に価値がある「reading literature読み物?」の標本である。
(B a 3) 大般若波羅蜜多経
     十帖。
     17巻………25.8㎝ × 899.5㎝
     74巻………26㎝ × 948㎝
     103巻………26㎝ × 948㎝
     109巻………26㎝ × 863㎝
     199巻………26㎝ × 922㎝
     275巻………26㎝ × 879.5㎝
     286巻………26㎝ × 837.5㎝
     303巻………26㎝ × 996.5㎝
     329巻………26㎝ × 930.5㎝
     561巻………26㎝ × 918㎝

     これらはもともと巻子本であったが、折本の形に直された。附属の奥書によれば、ある藤原家の女性が1374年に美濃国小松寺に奉納した大般若経の抜粋600巻の一部であることが明らかである。以下の点が興味深い。
     561巻の題のすぐ下に書かれた「偉大な誓願の達人、平みつやす」を意味する手書きの6つの文字から、この巻物の提案者であることがわかる。書式からこれが鎌倉時代のものであることを示唆している。
     跋文に「仏陀の子さだたか」と書かれた17巻は他の9巻とは一風変わった印刷様式であることがわかる。
(B a 4) 大般若波羅蜜多経
     351巻。
     26.2㎝ × 907㎝

     経典の最後に四文字の「沙弥照禅」という、僧侶の名前を意味する黒印がある。
(B a 5) 大般若波羅蜜多経
     517巻。
     26.2㎝ × 925㎝

     経典の最後に、筑前国の権守を意味する「筑前権守ためつぐ」の六文字が印字されている。
(B a 6) 大般若波羅蜜多経
     453巻。
     27.7㎝ × 822㎝

     跋文から、この版経が応永5年(1398年)に作られたことがわかる。
(B a 7) 地蔵本願経
     断簡。一帖。

     経典の背面に銘、応永25年9月12日に、Raiyoによって、長きにわたる願望成就の記念として写経されたという趣旨の銘がある。
(B a 8) 妙法蓮華経
     細字。2巻。
     10.8㎝ × 1416㎝
     10.8㎝ × 1079㎝

     この二つの小さな巻物は法華経6巻をまとめたものである。このような小さな判を作った理由はおそらく持ち運びやすいように、つまり、法華宗や日蓮宗の信心深い人々が持ち歩く縁起物として便利であるからである。
     本文前の余白には、「開眼主日下」と簡単な銘が書かれている。「開眼主」とはおそらく著者が「その仕事に魂を込めた」ことを意味し、日下は京都本圀寺の29番目の僧侶の名前であり、1775年に死去。
(B a 9) 仁王般若波羅蜜多経
     二帖。
     初版
     第二版

     この経典は、肥前国平戸藩の松浦氏の命令によって、彼の領土の寺院に奉納するために、天保11年(1840年)に出版された。
     本文の最後に以下のような銘がある。「これらの二書は、威厳ある刊行であり、国の安寧を祈ることを目的として、領内の寺院に奉納するものである。肥前平戸藩主、源朝臣松浦。天保11年8月秋」。
(B a 10) 五山版僧宝正続伝
     五山版:2巻本、偉大な僧侶の伝記。
     1巻と11巻。1冊。

     これは、祖秀によって選定された、中国の刊本を日本で再版した本であり、宋代の著名な僧侶の伝記が含まれている。これはいわゆる「五山版」の一例である。
     鎌倉、室町時代の日本人禅僧の間でもっとも人気があるこの文芸作品は臨済宗の僧侶と学者によって創作された。それゆえ、「五山文学」の名前で呼ばれる。これらの僧侶は、宋代や元代の大量の古典作品を再生産する責任を負っていた。これらの作品は、「五山版」といわれる形式をとった。
(B a 11) 太賢法師義記
     一帖。

     太賢法師として知られる朝鮮の僧侶によって編まれた、朝鮮由来の「菩薩戒本宗要」を再編した仏教の戒律の本である。印刷された跋文によれば、これは1628年11月、東山の太賢法師によって出版された。
(B a 12) 環𧮾録
     1冊。

     環𧮾録は、無準師範の弟子で、宋代の著名な僧侶、環𧮾による唯一の回想録であり、これは1711年の活版印刷の典型的な見本である。日本の禅宗の発展に多大な貢献をした無準師範(仏鑑禅師)は、1235年に中国に渡った弁円(京都東福寺を開いた)の師である。無準と環𧮾は当時よく知られた人々である。
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