YAJカタログ(日本語反訳版)

写経

(A b 1) 根本薩婆多部律攝
     第15巻。1巻。
     27.6㎝ × 514㎝

     巻物の始めの部分の背面に、「第1読者の清成による8点の省略と第2読者の大伴による3点の省略」という趣旨のいくつかの単語が解読された。これらの単語の書体から、この文書は775年のものと判明した。銘と巻き軸からも時期が判明した。
(A b 2) 華厳経
     紺紙銀字。断簡。
     108㎝(総丈)。23㎝ × 55.5㎝

     かつてこの仏典が保管されている二月堂で火災が発生したため、「東大寺二月堂の燃えた仏典」としてよく知られている。奈良時代(708-780年)の銀字の仏典であり、この種のうちで疑いなくもっとも古い史料である。
     後鳥羽天皇は関東の強力な軍の統治者らが原因で朝廷の力が減少することを遺憾に思い、制圧するための軍事行動に出た勇敢な天皇である。しかし、北条義時に敗北し、晩年は日本海に浮かぶ孤島である佐渡に流された。有名な『新古今和歌集』が編纂されたのは彼の命令による。後鳥羽天皇は悲劇的な流刑地での生活により、1239年に60歳で死去。
(A b 3) 大般若波羅蜜多経
     第383巻。1帖。
     24.8㎝ × 810.2㎝
     奈良時代。

     この壮大な仏典は600巻からなる16の仏典を集めたものであり、最終の目的は「太陽の下ではすべてが空である」という神秘的な教えを説くこと、彼らを人生に縛り付けているさまざまな錯覚の負担から人々の心を自由にすることである。「Maha」は「大」を、「prajna」は「賢者」、「pramita」は「生死の世界を克服し、解脱の目的を達成する」を意味する。
(A b 4) 大般若波羅蜜多経
     第568巻。断簡。
     25.5㎝ × 170㎝ 総丈:189.3㎝
     前欠。

     仏典の最後の部分に、短い詩が書かれている。だいたい以下のように解釈できる。
     「般若の金言の徳によって、乗り越えられない不幸はなく、必ず祝福が与えられる。これが「空(the great void)」の教義である。これこそが、この経典が仏教の父母であり、全ての賢人の教師であるといわれる所以である。それゆえ、私は、三世(過去、現在、未来)を悟り、今後を照らす十界(全世界)の智恵と、未来永劫の救済の祈りを確かな物とする、600巻の般若心経を写経する名誉を遂行した。
     貞観13年(871年)3月3日。上野国安倍小水麿。」
     このように、この経典は871年に書写されたことがわかる。武蔵国の慈光寺には、類似の跋文が記された般若心経152巻が保管されており、国宝に指定されている。
(A b 5) 大般若波羅蜜多経
     第390巻。1帖。
     24.9㎝ × 954.5㎝ 総丈:984㎝

     平安時代初期のもの(9世紀)。
     最初の25行は後世にさらに付け加えられたもの。
(A b 6) 大般若波羅蜜多経
     第385巻。1帖。
     35.2㎝ × 871.5㎝ 総丈:883㎝

     おそらく平安時代初期のもの(9世紀)。
(A b 7) 根本説一切有部毗奈耶経
     第45巻。前欠。1巻。
     27㎝ × 866㎝ 総丈:883㎝

     おそらく平安時代初期のもの(9世紀)。
(A b 8) 仏説金剛頂瑜伽中略出念誦経
     第1巻。1巻。
     28㎝ × 682㎝ 総丈:706㎝

     この仏典は注釈とおそらく校正のための赤字(朱色)の句読点を含んでいる。平安時代初期(9世紀)の作品と信じられている。
(A b 9) 金剛頂瑜伽中略出念誦経
     第1巻。1巻。
     27㎝ × 109.2㎝ 総丈:118.5㎝

     この写経はいつ、どこで、なぜ写されたのかといった項目が記された跋文がある。それによれば、この写本は1108年、紀伊国高野山で作られたことがわかる。句読点は後世に付け加えられたもの。
(A b 10) 仏説菩薩蔵経
     初巻。前欠。1巻。
     27.6㎝ × 822.5㎝ 総丈:849㎝

     おそらく平安時代初期のもの(9世紀)。
(A b 11) 大般若波羅蜜多経
     440巻。
     27㎝ × 857.5㎝ 総丈:883.5㎝

     以下のような跋文がある:
     「興福寺の僧であるprayer-master祈祷師?のShogenが初めてまるまる一冊写経を行った。この写経はShogenから、Genkenの手に渡り、GenkenからEnseiへ渡った。200年の時が経つ合間に、写本は虫に食われ、また損傷を受けた。そのため、Enseiが適切に修復し、供養を行った。現在に至るまで、この経は多くの人に繰り返し読まれ、そのため写経をした祈祷師の僧は願いが満たされ、すべての人が彼の善行をありがたく思っているであろう。治承2年(1178年)11月23日」

     この写経によれば、上記の奈良の興福寺のGenshoとはGenshuである(文字通り、祈祷師、すなわち、宗教的誓いを立てた人かその支持者)。1178年後期に、この巻物を受け継いだ僧のEnseiが虫食い箇所や損傷箇所を修復した。本文にはさらに朱で注釈が付けられている。
(A b 12) 菩薩見實三昧経
     第9巻。前欠。1巻。
     28.2㎝ × 827.2㎝

     経の最後に2つの朱印が見られ、どちらも3つの文字、「高山寺」が書かれているが、これはおそらく山城国の高山寺で保管されていたことが影響していると思われる。付属の書は明らかに藤原時代(10世紀)に書写されたものである。
(A b 13) 大般若波羅蜜多経
     第147巻。1巻。箱入。
     後欠。
     26.2㎝ × 441㎝ 総丈:509㎝

     「料紙」には金の線で装飾がなされている。書式はこの時代の古典的な中国式で、early-period style「初期」式?といわれる日本の作法もいくらか取り入れられた。これは藤原時代(10世紀)の純粋な日本の書の典型的な一例である。
(A b 14) 大般若波羅蜜多経
     第1巻。1帖。
     23.2㎝ × 812㎝ 総丈:827.5㎝

     藤原時代(10世紀)の作品。線で分割されている写経の最初の部分は後の時代に付け加えられたもの。
(A b 15) 大般若波羅蜜多経
     第142巻。1帖。
     25.5㎝ × 648㎝ 総丈:674.9㎝

     藤原時代(10世紀)に筆写された経典。
(A b 16) 大般若波羅蜜多経
     第362巻。1帖。
     25.7㎝ × 877.5㎝ 総丈:885㎝

     この経典にはいくつかの跋文と朱で書かれた注がある。最初の跋文には、1159年に京都鴨の河合社に同じものを施入した僧のShakusoの代わりに、僧の願空が600巻におよぶ経典を写経したことが書かれている。他の跋文には、僧の賢誉が1174年に山城国の随心院にある経典を参考にして句読点を付けたことが書かれている。
(A b 17) 大般若波羅蜜多経
     第600巻。1帖。
     24.6㎝ × 813.5㎝ 総丈:823.5㎝

     24.6㎝ × 813.5㎝ 総丈:823.5㎝
(A b 18) 大乗本生心地観経
     第6巻。1巻。
     263㎝ × 711㎝ 総丈:734㎝

     6字以上の文字が跋文の最後に書かれている。裏面には黒印が押してある。おそらく平家時代(12世紀)に写経されたもの。軸もまた同時期。
(A b 19) 大宝積経
     第87巻。前欠。1巻。
     27.5㎝ × 473.5㎝ 総丈:496.5㎝

     この仏典は正式に山城国の神護寺に保管されている。おそらく平安時代初期(9世紀)のもの。
(A b 20) 大般若波羅蜜多経
     第386巻。1帖。
     24.9㎝ × 785.5㎝ 総丈:792.5㎝

     この仏典には文章の最初に簡潔な銘と、最後に2つの跋文が書かれている。そこから以下の事が推論できる。すなわち、問題の仏典は、かつて大和国山辺郡の春日社に保管されていたこと。藤原時代(11世紀)から平家時代(12世紀)の間のものであり、1229年に句読点が付けられたことが明らかである。1368年と1716年の二度に渡って校正増補が行われた。
(A b 21) 大般若波羅蜜多経
     第180巻。1帖。
     一帖。(一片にのり付けされている)

     仏典の最後に3つの跋文があり、この仏典は1242年に僧のKenshinが薬師如来(サンスクリット語ではBhaishjyaguru)に捧げた600巻に及ぶ偉大な仏典の一部であることを示している。
(A b 22) 大般若波羅蜜多経
     第161巻。一帖。(一片にのり付けされている)
     広げた状態で、25.8㎝ × 25.5㎝

     跋文に、「尼寺御堂、薬師如来」の「祈祷師」、「Norinobu」の名前と、「1242年9月3日」の日付が書かれている。
(A b 23) 大般若波羅蜜多経
     第408巻。1帖。(一片にのり付けされている)

     跋文の日付が書かれている。「1242年9月4日」。
(A b 24) 法華経
     紺紙金泥。
     断簡。1巻。
     35.5㎝ × 24.8㎝ 総丈:81㎝

     おそらく平家時代(12世紀)に書かれたもの。
(A b 25) 法華経
     紺紙金泥。断簡。1巻。
     24.5 ×  25.5㎝ 総丈:74㎝

     おそらく平家時代(12世紀)に書かれたもの。
(A b 26) 大般若波羅蜜多経
     第316巻。前欠。1巻。
     25.6㎝ × 787㎝ 総丈:815㎝

     “first reading over”という主旨の短い跋文がある。書体から鎌倉時代(12-13世紀)のものであると推定される。
(A b 27) こけら経
     12枚。
     それぞれ1.5㎝ × 29.7㎝

     こけら経は、小さな長方形の板であり、法華経に書かれた五大元素、すなわち、地、水、火、風、空を表象している。書の形式等から推定するに、おそらく鎌倉時代初期(12世紀)の作品である。こけら経は仏舎利塔の建設の際や惜しまれながら死んだ人の救済を祈って頻繁に作られた。こけら経はまたの名を笹塔婆といい、これは小さい仏舎利塔という意味である。こけらの語はその長方形の板の形から、わらぶき屋根のこけら板に由来する。
(A b 28) 仏説仏母出生三法蔵般若波羅蜜多経
     第23巻。1帖。
     27.9㎝ × 620.5㎝ 総丈:630.5㎝

     本文と同じ筆跡で書かれた跋文を含む。
     優雅な詩の形で書かれた他の跋文も含む。
     これらの文から、1354年に後醍醐天皇の魂のために、また、元徳の時代(1331年)から続いている戦争で死んだ味方と敵両方の魂のために、将軍尊氏が書かせた一切経の一部であることが明らかである。東寺院に寄贈され、後に近江国の園城寺へ移された。尊氏の二文字は尊氏自身によって書かれたもの。
(A b 29) 大般若波羅蜜多経
     第578巻。
     総丈:23.3㎝ × 836㎝

     おそらく徳川時代初期(17世紀)に写されたもの。
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