YAJカタログ(日本語反訳版)

純文学、和歌、俳諧など

(B d 1) 古今和歌集
     「上」、「下」巻。二冊。

     この古典的な和歌集は、紀貫之らによるものであり、天皇の勅命によって編集がなされた。ここにある本は、一般的に「嵯峨本」として知られているもので、すなわち山城国嵯峨に住む角倉素庵という裕福な人によって出版された日本古典文学の一連に属しているものである。素庵は様々な活動や本の出版などに親密に関わっていた本阿弥光悦のもとで書を学んだ藤原惺窩の弟子。
(B d 2) 古今和歌集
     雛本(雁皮紙に印刷された)。
     1冊。

     安永9年(1781年)に再版、初版は享保2年(1717年)。
     守月亭源高尋によって書かれた版木のための写本。
     一時、大変人気のあった小型の本の典型例である。これがいわゆる雛本と呼ばれたのは、3月の雛祭りの飾りの代わりとなるにふさわしく十分小さいと考えられたため。
(B d 3) 類字名所和歌集
     1巻から8巻。
     「赤本」。8冊。

     里村昌琢による。
     寛永8年(1631年)と、著者による日付が後書きに書かれている。
     「廿一代集」から景観の名所が書かれた絵のような和歌を集めたもので、「いろは」の順と様々な国の順に並べられた。
(B d 4) 百人一首一夕話
     1巻から9巻。絵入り。9冊。

     尾崎雅嘉による。
     絵は大石真虎による。
     敦賀屋九兵衛により、天保4年(1833年)に出版された。
     多くの歌人による百種の和歌の意味についての説明と、また歌人自身の伝記が書かれている。
(B d 5) 職人尽歌合
     絵入り。1冊。

     寛政元年(1789年)、大坂の加賀屋善蔵による、安永7年版(1777年)の再版。
     様々な職人が、彼らの特徴的な風俗を和歌で表し、また歌合の形のように描かれている。
(B d 6) 江戸職人歌合
     2巻。2冊。

     絵は磯部千貝による。
     文化5年(1808年)付の藤原泰周による序文があり、そこでは、浅草寺で文化2年(1805年)7月に行われた歌合での磯部千貝による記録をもとに書かれたことが記されている。
(B d 7) 絵入貞徳狂歌集
     3冊。

     原本の再版が、天和2年(1682年)に柏屋与一により出版された。
     狂歌の達人であった貞徳によって編集された、菱川師宣による絵入りの狂歌集。
(B d 8) 岡持家集我おもしろ
     2冊。

     狂歌と漢詩を集めたもので、序文に寛政1年(1790年)の日付がある。
     手柄岡持はこの本の著者。
(B d 9) 奥の細道
     1冊。

     松尾芭蕉著。
     もっとも優れた俳句(17文字の詩)の達人である芭蕉の有名な業績であり、いわゆる奥州地域の旅行の記録である。広範囲に渡る旅行を扱っている:1689年に江戸を発ち、上野、下野、岩城、岩代、陸前、陸中などを訪れた後、陸奥と出羽へ、さらに北海道へ渡り、美濃に戻り、そこで船に乗り、伊勢へと向かう旅をした。
     これは、1770年に蝶夢により再版された井筒屋版であり、元禄7年(1694年)の素龍と、翌年の去来による跋文が書かれている。
(B d 10) 俳諧一葉集
     9冊。

     松尾芭蕉著。
     古学庵らによって編集された。
     芭蕉の全集で、俳句に加えて、彼の生涯における書簡や多方面に渡る文章を集めたもの。
     序文には、文政10年(1827年)の日付がある。
(B d 11) 武玉川
     3巻。1冊。

     宝暦2年(1752年)、江戸の万屋清兵衛刊行。
     俳句の一種である「川柳」を集めたもの。川柳は俳句が持つ規則やしきたりを無視し、一般的に人生の面白さや風刺が含まれている。宝暦明和期(1751-1772年)に大変流行した。短い滑稽詩と言える。
(B d 12) 徒然草
     絵入り。2冊。

     吉田兼好著。
     この版の後の再版本には、寛文10年(1670年)の日付が書かれている。
     この種の文学作品の中でもっとも有名なものであり、1330年から1336年の間に僧の兼好によって書かれた折々の随筆である。この書は多方面にわたる関心や考え得るあらゆる主題を扱い、無秩序であるが、しかしそこには文学的隠遁者特有の確かな哲学的潮流が見られる。その形式は一見格調高いが、簡潔で明快、そして考えや心情は儒教や仏教、道教までに及ぶ。そこには珠玉の詩や風刺詩、短い物語、小さな議論、芸術に対する鋭い批判、人生や作法についての辛辣な観察がある。兼好僧侶は、彼の書いたものから察するに、世間に通じていた人でありながらも哲学者であり、また文学的傾向のある隠遁者であった。彼は1350年に死去。

古典恋愛小説など

(B d 13) 伊勢物語
     1冊。

     万治寛文期(1661-1672年)の間に復刻、再版されたもの。この版には、長禄2年(1458年)の三条西実隆による跋文が記されている。
     伊勢物語は和歌集の作法に則ってつくられたもので、歌人の人生を読むように書かれている。多くの和歌は有名な歌人在原業平によるものであるが、実際、この本の著者が業平自身であるとは立証されていない。なぜなら、業平の時代以降の人々による和歌が含まれているからである。しかしながら、伊勢物語は平安時代の文学の典型的な事例であり、後の日本文学に多大な影響を及ぼした。
(B d 14) 伊勢物語
     絵入り。2冊。

     下河辺拾水による絵入り。
     寛政5年(1793年)、須原屋により刊行。
(B d 15) 源氏物語
     系図付。絵入り。30冊。

     「桐壺」の巻に始まる、この55帖に及ぶ偉大な作品の著者は、才知ある宮仕えの女性、紫式部である。1001年から1006年の間に書かれたと考えられている。疑いなく大傑作であり、狭く限定された京都御所内を舞台として描かれる膨大なスケールの物語であり、日本文学史上最高峰に位置する。
     さらに、この本は、当時の社会状況が写実的に描写されていること、当時の上流階級の女性の内面的世界が描かれていること、さらに人生や自然の様々な側面への鋭い観察が描かれていることに大きな歴史的価値がある。日本国文学への影響は巨大なものであり、後世の作家の文学的創造を生み出す不朽の源泉となった。
(B d 16) 栄花物語
     「項目」の系図などが付属。絵入り。9冊

     この本は、光孝天皇(第58代天皇)時代の「六国史」に続く、伝統的な日本史の書物のひとつであると考えられているであろう。栄花物語は、宇多天皇(第59代天皇)の時代に始まり、堀河天皇(第73代天皇)の治世の時代、すなわち1092年までのおよそ2世紀にわたる主な出来事を描いている。40巻で構成されており、最初の30巻はおそらく赤染衛門によって、後の10冊は出羽弁によって書かれた。
     この巻は徳川時代に一般に流布した典型的な本であり、1661年から1703年の間に刊行されたものである。
(B d 17) 平治物語
     1巻から3巻。3冊。絵入り。

     1685年、文台屋治郎兵衛により刊行。
     この本は、藤原信頼と藤原通憲(信西)の間の政治闘争に起因する、平氏と源氏の二つの対抗する氏族の軍事的対立である1159年の平治の乱を描いた本である。著者は葉室時長と考えられてきたが、実際はそうではない。
(B d 18) 平家物語
     1巻から12巻。12冊。

     享保12年(1727年)の日付が書かれた版本を、天保14年(1843年)に再版したもの。
     この本の題名は至って的確である。というのも、悪名高い専制君主である平清盛の父忠盛の記述から始まり、短命の独裁政権全時代の栄光を描いた、偉大な平家の物語であるためである。清盛の台頭からその必然的な没落までの、贅沢で、独裁的で、豪華な20年の物語である。この本全体に、「盛者必衰」、そして「今生の名望を投げ捨て、来世の菩提を求めん」といった仏教的無常観が見られる。それゆえ、没落の苦難と悲劇は、繁栄の豪華さよりも、痛烈な言葉で描かれている。文体は素晴らしく、全体の構成が散文体なのは琵琶の伴奏で歌われるためである。著者は不明であるが、数名の権威者は入道行長であるという。一般的に、鎌倉時代初期(13世紀初頭)に書かれたと考えられている。
(B d 19) 義経記
     1巻から8巻。8冊。

     元禄10年(1687年)、梅村三郎兵衛により刊行。
     著者は不明であるが、足利時代(1333-1573年)の初期から中期の間に書かれたものと信じられている。源義経の悲劇的な人生が描かれている。すなわち、平家との戦いで不可欠の役割を果たした源義経が、そのことによって兄の頼朝よりもはるかに優位に立ち、兄からの嫉妬が原因で人生の最後を哀れにも逃走して過ごさなければならず、そして北国の山で逃走の末に悲劇的な死を遂げたことが描かれている。
(B d 20) 曾我物語
     1巻から12巻。絵入り。12冊。

     寛文11年(1671年)刊行。
     1193年に、富士山の近くで頼朝の狩りに同伴していた父親の仇工藤祐経を夜襲した、祐成と時致の有名な曾我兄弟による復讐の空想的で感傷的な物語である。「曾我兄弟の仇討ち」の物語は、前述の義経の物語とともに、文学的素養と芸術的感性に富んだ世代を築き、この英雄の名前は日本中に知れ渡った。著者は不明であるが、この物語が14世紀に書かれたと考えられているのは、この本の初版が室町時代(1392―1603年)中期に影響を与えたからである。

江戸期のフィクション

(B d 21) 蛾眉公子
     1巻、2巻。2冊。

     一誠堂編。
     明和6年(1769年)刊行。
     1608年から1774年の間に出版された様々な小説のいくつかの部分を含んだ戯作の一種。これはいわゆる「滑稽本」で、軽快でユーモアがあり、不道徳な絵も含まれている。この選集は小説の各分野の最も典型的かつ古風なものを集めている。それらは6つに分類される:仮名草子、地誌、西鶴本、浮世草子、好色本、八文字屋本。
(B d 22) 小あつもり
     絵入り、絵巻。1冊。

     万治から寛文期(1657-1673年)に出版。
     いわゆる「仮名草子」(短編小説集)と呼ばれる分野に属す物語である。これは一ノ谷の戦いで死んだ、有名な平敦盛の人生の物語である。英雄の孝行や仏陀や神々への素晴らしい信心の話にあふれている。
     仮名草子は藤原期の偉大な文学に見られるような優美な恋愛物語を模倣した作品の一種である。その形式は簡潔で大衆的であるが、扱われている主題は上流階級の貴族や武士から得た難しいもので、特に女性や若い読者の道徳の向上を主目的としている。物語は多種多様で、一見宗教的な話や、仏教の説法風のもの、恋愛や復讐の話、幽霊話などがある。
(B d 23) 仮名草子
     1巻と2巻。2冊。

     水谷不倒編。
     明治初期の版(19世紀)。
     「仮名草子」の研究書。
(B d 24) ふじの人穴物語
     絵入り。1冊。

     寛永4年(1626年)版。
     第二代鎌倉将軍頼家の子分であった英雄仁田四郎忠綱が、主の命令により富士山の洞窟の大胆な調査物語を行った物語。
(B d 25) 一本きく
     絵入り。3冊。

     万治3年(1660年)版。
     簡潔な恋愛物語。
(B d 26) 当世銀持気質
     第1巻から第5巻。1冊。

     永井堂亀友による。
     明和7年(1770年)版。
     いわゆる「気質物」の特徴的な例で、「当世銀持」の人々の気質について取り扱った小説である。その形式は簡潔でユーモアに富んでいる。こうした種類の小説、すなわち、面白い性質や特徴的な作法、異なる階級への考え方、また男性の仕事について描き、もしくは描きだそうとした小説が多く出版された。
     この小説の種類は、しかしながら、ただの支流、つまり有名な井原西鶴が代表的人物である「浮世草子」として知られる包括的で軽い文学の支流である。彼の「好色一代記」もまた有名である。前述した「仮名草子」は公家や侍などの上流階級の人々を扱った室町時代(1392―1603年)の「御伽草子」の文学的伝統に沿ったものであるが、その一方で、西鶴によって創始された「浮世草子」は、主に一般の人々の生活や作法を扱っている。
(B d 27) 世間母親容気
     第1巻から第5巻。絵入り。1冊。

     南圭梅嶺による。
     寛政5年(1793年)版。
     典型的な母親のよくある特徴を描いた小説。
(B d 28) 日下開山名人そろへ
     複製。1冊。

     「赤本」という小説の一例。「赤本」はいわゆる子ども用の本で、手の込んだ装飾がなされ、おとぎ話が書かれた子ども向けのものである。本の名前はこの種類の本の表紙が赤色であったことに由来する。
(B d 29) くま一疋とらうな
     複製。1冊。

     赤本の興味深い標本。この種類の本は宝永(1704年)から宝暦(1764年)年間に流行した。
(B d 30) 赤本智恵鑑
     第1巻から第5巻。1冊。

     臍斉主人飯袋子著。
     明和7年(1770年)版。
     おもしろおかしく書かれた子どものための教訓的な物語。厳密には「赤本」ではないが、同種であると述べられているために赤本に含まれる。
(B d 31) 新版曾我一代記
     絵入り。5冊。

     二人の曾我兄弟による有名な復讐についての空想的な物語。挿絵は鳥居派の浮世絵。おそらく宝暦期(1751-1764年)に刊行。
     いわゆる「黒本」の代表例。黒色表紙の装丁がなされ、子どもでも簡単に読める文体で書かれているが、一般の人々を対照としている。黒本は延享(1744年)から安永(1781年)年間に流行した。
(B d 32) 寿福円満
     絵入り。2冊。

     富川吟雪による挿絵入り。
     「黒」本。
(B d 33) 盛衰記
     絵入り。2冊。

     鳥居清経挿絵。
     「黒」本。
(B d 34) 京伝主十六利鑑
     山東京伝挿絵。
     寛政11年(1799年)版。
     題は「著伝主十六羅漢」のパロディである。安永(1772年)から文化(1818年)年間に流行した、黄色い表紙を特徴とする、いわゆる「黄表紙」の代表例である。最初は、黄表紙は一般的に冗談や洒落、言葉遊びを含んでいたが、後に恋愛や復讐の話を扱い、時に風刺の言葉を用いながら、面白く表現するようになった。
(B d 35) 昔語丹前風呂
     1冊。

     式亭三馬著。
     歌川国定による挿絵入り。
     「合巻本」の一例。黄表紙が5丁(10頁)から成るのに対し、合巻本は、書名が示す通りに、何冊かの薄い本を重ねて作られた厚みのある本である。
(B d 36) 却説浮世之助話
     1冊。

     式亭三馬著。
     歌川国貞による挿絵入り。
(B d 37) 先読三国小女郎
     1冊。

     山東京伝著。
     歌川国貞による挿絵入り。
     天保10年(1839年)版。
(B d 38) 於花半七月娥眉尾花振袖
     1冊。

     山東京山著。
(B d 39) 童謡妙々車
     25冊。

     1巻から8巻。安政2年(1855年)から安政6年(1859年)間、種員著。
     9巻から13巻。安政6年(1859年)から万延2年(1861年)間、春馬著。
     14巻から25巻。文久2年(1862年)から慶應4年(1868年)間、種彦著。
     合巻本の重要な一例。簡単な言葉と多くの絵を用いて書かれた長編物語。
(B d 40) 画口合瓢之蔓
     3冊。

     雲和亭湖竜著。
     松川半山による絵入り。
     翠栄堂により嘉永4年(1851年)刊行。
     洒落や言葉遊びなど無意味な言葉を用いた、いわゆる「地口本」の代表例。
(B d 41) 故事附古新話
     2巻。1冊。

     寛政4年(1792年)、岡白駒による序文が書かれている。
     冗談や滑稽話の本。

娯楽の本など(謡曲、仕舞、浄瑠璃、演劇など)

(B d 42) 項羽
     「光悦本」の一種。
     木版刷り。
     23.9㎝ × 18㎝。

     謡曲、つまり「能」、または古典劇で謡われる詞章は、足利義満(1358-1490年)の時代に起源をなし、義政(1433-1490年)の時代に頂点を迎えた。
     ここにある本は観世流の謡曲本の豪華版の一つで、手の込んだ紙に印刷され、装飾がなされ、版木は光悦自身の手書きに則して彫られた。
     これは日本の印刷技術史の栄光を独占している、いわゆる光悦本の一つである。光悦は刀関連の鑑定家であった本阿弥家の代表的人物であり、彼自身も立派な刀の鑑定家であった。一方で光悦は本職に加えて様々な業績を残した。優れた書家でもあり、芸術の批評家でもあり、そのために、当時もっとも人気があった人物である。当時の貴族や高官たちとの友情のもと、光悦は充実した、うらやまれるような人生を送り、寛永14年(1637年)に死去した。彼の遺体は京都の北方、鷹峯に埋葬されている。
(B d 43) 謡曲本〔観世流謡本〕
     4冊。

     1.「道明寺」、「七騎落」、「雨月」、「綾鼓」、「常陸帯」。
       元禄3年(1690年)、山本長兵衛により刊行。1冊。
     2.「葵上」、「黒塚」、「山姥」、「紅葉狩」、「道成寺」。
       元禄11年(1698年)、北村四郎兵衛により刊行。1冊。
     3.「右近」、「兼平」、「姥捨」、「錦木」、「鞍馬天狗」。延宝5年(1677年)に刊行。1冊。
     4.「邯鄲」、「殺生石」、「野々宮」、「錦木」、「唐船」。
       天保11年(1840年)、山本長兵衛により複製。原本は正徳6年(1716年)版。1冊。
(B d 44) 外謳字引
     1巻。

     明和7年(1770年)、大坂の寺田善助により刊行。
     謡曲、または謡の言葉の辞典。
(B d 45) 仕舞付百番
     20冊。

     林和泉により、万治元年(1658年)に刊行。
(B d 46) 頼家吉書始
     絵入り。1冊。

     「六段本」と呼ばれる浄瑠璃物語。
(B d 47) ゑんやの小次郎夜討対決
     絵入り。1冊。

     「六段本」の浄瑠璃物語。
(B d 48) 素戔嗚尊日本振袖初
     竹本筑後掾によって用いられた伝統的な版。1冊。

     近松門左衛門著。
     浄瑠璃本として知られる書物、すなわち舞台上の人形の動きに合わせて義太夫が語る物語のことであるが、そのなかでも注目すべき一例である。「伝統的な版」というのは、これが有名な義太夫の竹本筑後掾、またの名を竹本義太夫によって謡われた権威ある物語だからである。元禄13年(1701年)に筑後掾が義太夫の名前を名乗り、宝永2年(1705年)に竹本座を開設、―それはちょうど近松門左衛門がその劇場で正規の浄瑠璃作家となった時であった。
(B d 49) 浄瑠璃大系図
     3冊。

     竹本筆太夫構想。
     近松春翠編纂。
     天保13年(1842年)、刊行。
     小野於通に始まる浄瑠璃作家の様々な流派がわかる系譜。
(B d 50) 俳優世々の接木
     1巻から5巻。5冊。

     俳優堂夢遊著。
     安政6年(1859年)、好遊堂より刊行。
     三都、すなわち江戸、大坂、京都の主演俳優の系譜。
(B d 51) 役者大福帳
     小さな、横長の本。3冊。

     八文舎自笑と梅枝軒泊鶯による共著。
     天保2年(1831年)、出版。
     江戸、京都、大坂の主演俳優の比較考察を面白おかしく書いた本。
(B d 52) 三府劇場客者評判記
     3冊。

     「三馬」により書かれた。
     文化7年(1810年)版を、明治7年(1874年)に再版。
     三都の自称劇場批評家に対する風刺と批判を含む滑稽本。
(B d 53) 芝居細見三葉草
     2冊。

     立川焉馬著。
     歌川国貞による絵入り。
     役者や役などについての詳細が書かれている。
(B d 54) 大津絵ぶし五色調
     1冊。

     貞信による絵入り。
     謡曲の本。
(B d 55) 相撲起顕
     10冊。

     1869年に刊行。
     二年ごとに出版された、1774年から1854年に行われた年二回行われる夏と冬の本場所の取組の結果を編纂したもの;相撲の歴史についての情報も書かれている。
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