YAJカタログ(日本語反訳版)

道徳や精神教育に関する人気の本

(B c 1) 翁問答
     全5巻。

     中江藤樹(著名な儒学者)著。
     風月堂宗智によって、慶安3年(1650年)の初冬に出版された。
     この書物は他でもない近江聖人中江藤樹によって、人気の形式で書かれている。一般の人の質問に老人が答えるという形式で、古典に由来する難しい主題を扱っており、この書物はおそらくもっとも古く、且つもっとも代表的な心学書の形式のひとつである。
     徳川時代に人気を得た「心学」は、8代将軍吉宗の時代の著名な儒学者である石田梅岩によって創始された。庶民の道徳行為を改革しようという目的を持った独特の社会運動である。梅岩は寛保4年(1744年)〔※原文はGenpo元年(1830年)となっているが訳者により訂正〕に死去。
(B c 2) 集義和書
     第1巻から第16巻。6冊。

     著名な学者である熊沢蕃山によって書かれたもの。後の版。
     儒教の経典から引いた道徳的教訓を教える書物であり、熊沢(中江藤樹の弟子)が傾倒した陽明学の解釈にもとづいている。蕃山は元禄4年(1691年)に死去。
(B c 3) 集義外書
     第1巻から第16巻。10冊。

     熊沢蕃山著。
     京都、河波によって出版。
     「蒹葭蔵書」の印がある。
     先に書かれた書物の姉妹本であると考えられ、公共の問題についてや庶民の福祉の促進などが説かれている。
(B c 4) 道二翁道話
     6巻。

     中沢道二によって書かれ、大坂の八宮斎が出版。
     これは後年の版で、初版は寛政6年と7年(1794、5年)に出版。
     いわゆる心学(心のために学ぶ、つまり道徳教育)の創始者である石田梅岩によって始められたその驚くべき人気の教育的活動は、手島堵庵によってより一層整備され、さらに彼(手島)の弟子であり、最も熱心で効果的な伝道者で、心学の教義においてすっかり師を超えた中沢道二によって創設された。〔※英語原文要検討。訳者注〕この書物には、教育を受けていない人にもわかるように簡単な言葉で、神道、儒教、仏教の基本的な原理がいくつかの講義が書かれており、また神学の素晴らしい教科書である。道二は享和3年(1803年)に死去。
(B c 5) 鳩翁道話
     1巻、2巻、3巻からなる。18冊。

     柴田亨著。
     天保6年から10年(1835-1839年)の間に書かれた。
     個人と優れた国家行政のための気質の形成に関する道徳的主題について、人気のある道話をまとめた書物。文体は簡潔で、道話は民衆の日々の生活に由来したたとえ話を用いて面白く作られている。鳩翁は柴田亨の号。天保10年(1839年)に死去。
(B c 6) 家道訓
     1巻から6巻。1冊。

     貝原篤信(号は益軒)著。
     これは後の版で、初版は正徳2年(1712年)に出版された。
     学者で、著作者、永久的な名声のある道徳教師でもある貝原益軒は、長い生涯に数多くの著作を執筆した。彼が当時の人々に大きな教育的影響を及ぼしたことを示す最も有名なものは、いわゆる「益軒十訓」であり、これらは人々を健康に、幸福に、そして人生に役立つように作ったものである。十のうちの一つである家道訓は徳川時代の間の人々の家庭での生活に洞察を与えるものである。これは貞享4年(1687年)、彼が58歳の時に書かれたもの。
(B c 7) 楽訓
     「上」、「中」、「下」巻。3冊。

     貝原益軒著。
     文化12年(1815年)に出版、宝永7年(1710年)に初版。
     「楽訓」は、先に述べた十訓の内の一つで、著者が81歳の時に書かれたものである。この本はすぐに使える幸福の秘訣について教えている。すなわち、人生を楽しみ、価値あるものにする最も良い方法は他者を幸せにすることであるということである。
(B c 8) 養生訓
     1巻から8巻。4冊。

     貝原益軒著。
     文政10年(1827年)に出版され、初版は正徳3年(1711年)。
     道徳指南の貝原十訓の一つである養生訓は、人々の生活を幸福で健康的なものにするための健康法と公衆衛生について扱っている。益軒が84歳の時の著作。
(B c 9) 女訓抄
     上、中、下巻。3冊。

     初版は、寛永19年(1624年)、京都の三条菱屋町の林甚右衛門による。
     この本は女性向けの道徳的教訓と指南を集めた書物。10章に分かれている。
(B c 10) 教訓女大学教草
     絵入り。1冊。

     短縮された題名「女大学」の名で知られるこの本は、一般的に貝原益軒の作品であるか、または彼の妻の貝原東軒によるものと考えられているが、しかし我々はむしろそれが後の著者によって、益軒十訓の一つ、いわゆる童子訓、またはその一部の女性の作法を扱った部分から抜粋して書かれたものであると考えている。しかしながら、徳川時代においてこの本は広く読まれ、女性の性格や作法を身につける上で莫大な影響を与えた。女性が好まれる態度や、または、徳川時代の女性の社会的地位を浮き彫りにした。
(B c 11) 御家法訓女大学
     絵入り。1冊。

     教育を受けていない人にも読めるように仮名で書かれた、「女大学」の簡易版。
(B c 12) たまのこし
     絵入り。5冊。

     天保12年(1841年)に出版された増補版の写本。初版は明和期(1764-1772年)。
     女性向けの道徳書。宝石がちりばめられた輿は女性の一番の望みが叶った象徴であった。
(B c 13) 今川諺解
     1冊。

     元禄2年(1689年)、中村孫兵衛によって出版された。
     応永10年(1403年)、今川了俊が息子のために書いた「今川状」をもとにした書物。
     これらの手紙に書かれた忠告や教訓は、若者への指南にとてもふさわしいので、様々な形式で出版され、若い人々の教科書として用いられた。これらの古い版の中には、寛永7年(1630年)の印が押されている。当時驚くべき教育的影響を持ったことが特筆される。この一冊にすべてが書かれた巻数は民衆に人気の形式であった。
(B c 14) 古状揃證註
     1冊。

     高井蘭山著。
     江戸の玉巌堂により出版、日付は天保4年(1833年)。
     「今川状」や義経の「腰越状」のようないくつかの有名な手紙が、若い読者のために意味や文章の発音などの注記付きで書かれている。
(B c 15) 実語教童子教
     絵入り。1冊。

     「実語教」は弘法大師によって書かれたものと言われているが、実際はそうではない。文永期(1264-1275年)に出版された本に書かれていたことによれば、極めて古い起源であることが推定される。「童子教」もまた著者が不明である。これらの書物は若い人々の道徳書として広く読まれ、庶民の若い人々への教育に最高の影響を与えた。
(B c 16) 実語教童子教證註
     1冊。猪狩貞居著。

     江戸の五書堂により出版。
     注と説明のついた、有名な本の人気の版。文化13年(1816年)の日付が記されている。
(B c 17) 小野篁歌字尽
     絵入り。1冊。

     寛政期(1789-1801年)に出版される。
     若い人々が使うための辞書の一種。
(B c 18) 教訓身の冥加
     1冊。

     堀源右衛門著。
     月麿による絵入り。
     天保14年(1843年)に出版。
(B c 19) 学問のすすめ
     1冊。

     福沢諭吉、小幡篤次郎によって書かれた。
     再版は明治6年(1873年)。
     大衆教育をきっかけに明治初期に大量に出版された例として、歴史的な価値がある。
(B c 20) 教訓絵本話草
     5冊。

     山東京伝改訂。
     大坂の河内屋太助により、文化13年(1816年)に出版。
(B c 21) 易術夢断
     1巻から3巻。1冊。

     片倉如圭著。
     易についての人気のある解釈本で、夢にも適用している。著者は宝暦期(18世紀中旬)に成功した人である。
(B c 22) 日本歳時記
     春、夏、秋、冬の巻。4冊。

     貝原好古編集。
     貝原篤信改訂増補。
     貞享5年(1688年)、出版。
     庶民にもわかる文学的な書式で、日本の主な一年間の祝い事について書かれており、また、秩序や教訓的傾向がある。好古は益軒の甥であり、多くの学者が貝原家から出た。

往来本

(B c 23) 庭訓往来
     1冊。

     寛文期(1661-1673年)前後の書物。
     何百年に渡って何度も模倣されてきた文学的な書式のこの有名な書物は、僧の玄恵による作品と考えられてきたが、確かではない。しかしながら、足利時代初期(14世紀中期)に最初に出版されたことは間違いない。「往来」の言葉はコミュニケーションやメッセージを意味し、12ヶ月に分けられ、一年の内のその月に書かれたものや、書くべきことが示されている。このように、本の題は一年中遵守すべき家庭での教えの適切なあり方が含まれていることを意味している。これらの教訓は、しかしながら、上流の侍階級に向けて書かれたものであり、上流層の侍が遵守すべき作法や習慣について、教訓的手法で叙述されている。つまり、この本は理想的な侍の家庭とは何かを示す手本であった。徳川時代、この本ほど大いに必要とされた本はほとんどなく、足利時代から4世紀後の徳川政権の終わりまで、繰り返し読まれ、注が付けられたり、模倣されたりしながら、「往来」の言葉は、たとえば「読み本」、「~のいろは」、「~の手引き」などを意味するその時代の決まり文句となった。その結果、情報や教訓を含んだ学問色を帯びていない一般向けの本が「往来本」として知られたのであった。これら「往来」シリーズが、封建制の時代の人々の心や作法に大いなる教育的影響をもたらしていたことは注目すべきことである。
(B c 24) 滝本庭訓往来
     2冊。

     この本は有名な本の写本版で、1622年に書家として有名な滝本坊昭乗(松花堂と称した)によって写された。彼は木版刷りを行い、手と心の進歩のために写本が用いられた。
(B c 25) 庭訓往来注
     2冊。

     明暦元年(1655年)に出版。
     難解な文章に注が付けられた有名な作品の版。
(B c 26) 庭訓往来
     「ひなまつり」が描かれた版。1冊。文政8年(1825年)版。
(B c 27) 訂正絵鈔校本往来
     絵入り。1冊。

     後の版、原本は文政9年(1826年)に刊行。
(B c 28) 庭訓往来絵抄
     1冊。

     蔀関牛著。
     文政12年(1829年)に刊行。
(B c 29) 庭訓往来具註抄
     1冊。

     蔀関牛著。
     弘化3年(1846年)版、原本は天保5年(1834年)に刊行。
(B c 30) 新版庭訓往来平仮名付
     1冊。
(B c 31) 庭訓往来絵抄
     2巻。2冊。

     槐亭賀全著。
     元治元年(1864年)版。
(B c 32) 庭訓往来
     1冊。
(B c 33) 寺子教訓諸職往来
     1冊。

     大坂、玉栄堂が刊行。
(B c 34) 萬歳江戸往来
     1冊。

     江戸、西宮新六により、天明8年(1788年)に刊行。
(B c 35) 江戸往来
     1冊。

     いろは一覧を付した、大きな文字で印字された人気の版。
     大坂の柏原屋清右衛門によって刊行された。
(B c 36) 明衡往来富貴大成
     1冊。

     京都の中川茂平衛により刊行。
(B c 37) 御家消息往来
     1冊。

     観我堂著。
     騰采閣刊。
(B c 38) 世話字往来
     絵入りの人気の版で、草書体のいろは一覧付き。1冊。

     天保期(1830-1844年)に再版された。
(B c 39) 童宝必読世話千字文
     1冊。

     天保14年(1843年)版。
(B c 40) 商売往来
     1冊。

     大坂の勝尾屋六兵衛により刊行。
(B c 41) 謹身往来
     1冊。

     東京の須原屋茂兵衛により、明治期(1868-1912年)に刊行。
(B c 42) 改正農業往来
     1冊。

     大阪の宝文堂により、おそらく明治初期(19世紀後半)に刊行。
(B c 43) 銅版画入万国往来
     1冊。

     1871年刊行。
(B c 44) 郡名産物日本地理往来
     柾木正太郎により書かれ、1872年に刊行。
(B c 45) 南朝太平忠臣往来
     1冊。

     橋本香坡編集。
     松川半山画。
     原文は岡本竹藪による。
     大坂の文海堂と他二つの出版社により刊行された。
     序文に「元治元年」(1864年)の日付あり。

手習本

(B c 46) 鼇頭類語書翰初学抄
     1冊。

     寛永9年(1632年)に刊行。
     「鼇頭」とは、西洋の本の「脚注」に相当する日本語である。日本語の書物は、左ではなく右側から始まり、文章も、左から右ではなく、上から下へ書かれる。
(B c 47) 女筆続指南集
     3冊。

     長谷川妙貞による。
     享保20年(1735年)に刊行。
(B c 48) 広沢古詩帖
     1冊。

     太保堂により刊行。
     江戸の著名な学者で、書画であった細井広沢による作品で、古詩を集め、彼の手により書かれたもの。広沢は享保20年(1735年)年に、78歳(79歳という人もいる)で死去。
(B c 49) 敝帚帖
     1冊。

     徳川時代の著名な書家、市河米庵によってまとめられた手紙のコレクション。跋文に「文政2年」(1819年)の日付あり。
(B c 50) 習字之近道
     1冊。

     明治6年(1873年)に刊行。

儀式、礼儀作法、料理の本など

(B c 51) 大和家礼
     1巻から8巻。絵入り。4冊。

     大和田気求著。
     京都の大和田九左衛門により、寛文7年(1321年)に刊行。
     中国の書物「家礼」(宋代の文庫による)の日本語訳であり、儀式の風景や調度品、道具などの絵入りで、特に女性や子ども向けに出版された。
(B c 52) 書礼口訣
     1冊。
     横本。

     元禄12年(1699年)、柳枝軒により刊行された。
(B c 53) 小笠原流諸礼法
     2冊。

     おそらく寛永期(1624-1644年)の版。
     小笠原家によって定められた、侍や上流階級に向けての作法が説かれている。
(B c 54) 料理の書
     1冊。

     寛永20年(1643年)に刊行。

算術の専門書、その他の本

(B c 55) 新版和漢算法大成
     1巻から9巻。7冊。

     宮城清行著。
     正徳2年(1712年)、大坂の池田屋三良右衛門により刊行。
     序文に元禄8年(1695年)の日付がある。
(B c 56) 具応算法
     1巻から5巻。5冊。

     三宅賢隆著。
     享保2年(1717年)、刊行。
(B c 57) 大日本二千年袖鑑
     1冊。

     中川先生撰。
     歌重、重宣による絵入り。
     嘉永2年(1849年)に出版、嘉永4年(1851年)に増補版が出版された。
     著者は、この本は日本に関するあらゆることの日付の本であり、当時までに、それらが、どれほど長い年月を経ているかを読者が一見して知ることができると述べる。
(B c 58) 新板改正安政武鑑
     3冊。

     安政3年(1856年)版。
     この本には、将軍や大名などの上流階級から、下流階級の侍にいたるまで、すべての有力な侍の家の系譜や役職、階級、歳入などについて、短い説明が書かれている。
(B c 59) 御三家方御附諸御役目録
     2冊。

     武鑑の別冊付録。
(B c 60) 袖中雲上便覧
     1冊。

     安政5年(1858年)、再版。
     天皇やその他の公家に仕える、京都の公家に関する書物。公家は「雲上」の人物であるとたびたび言われた。
(B c 61) 列藩一覧
     1冊。

     慶應4年(1868年)版。
     徳川政権が維新(1868年)まで、年に一度出版していた最後の武鑑。
(B c 62) 職員録
     2冊。

     明治初期の版。
     明治時代(1868-1912年)の政府官僚についての初期の名簿の一つ。
(B c 63) 市中制法
     1冊。

     明治5年(1872年)版、滋賀県当局が出版した。
     都市行政を行うための様々な法律や規則が記されている。
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