外交の世界史の再構築

活動報告

2022年7月31日~8月4日、第5回研究会を開催しました。

7月31日 於:藤女子大学
・趣旨説明:松方冬子「外交の世界史の法的な側面」
・報告
皆川卓(山梨大学)「三十年戦争期神聖ローマ帝国の領邦における占領と外交権の変容−ホーエンローエ伯領とミュンスター司教領の場合から−」
松方冬子「『諭書』をめぐって−約条再論−」
・司会:川口洋史
・参加者
対面:川口洋史、木土博成、木村可奈子、塩谷哲史、大東敬典、松方冬子、松本あづさ、皆川卓、森永貴子
オンライン:岡本隆司、菊池雄太、辻大和、彭浩、堀井優、吉岡誠也

第5回研究会

(参加記)
 研究代表・松方氏による趣旨説明では、これまで「西洋法制史から見た条約・領事」をテーマに2回の研究会が開かれたこと(パート1=2020年12月25日、パート2=2021年7月25日)、そしてさらに理解を深めるため、パート2で報告いただいた皆川先生を再びお招きしたことが述べられました。
 皆川報告では、まず、ウェストファリア条約(1648年)を主権国家体制成立の根拠とはみなしえないとしても、17世紀のヨーロッパで「国家(state)」と「外交(diplomacy)」の概念が成立したこと、その一方で、もともと神聖ローマ帝国では、帝国・領邦ともに外国との交渉権を有していたことが述べられました。そのうえで、三十年戦争(1618-48年)下で皇帝軍が進駐した領邦では、君主が不在であっても、占領軍および被占領側が現地の慣習を共有する限り、後者の交渉権は維持されたこと(ホーエンローエ伯領における管区代官の事例)、しかし、被占領側の統治組織が占領軍を選択・専有するようになると、本来の交渉者に代わって「戦争と平和の権利」を目指すようになったこと(ミュンスター司教領におけるミュンスター市参事会の事例、ただし司教はこれを抑えて交渉権を一元化した)が指摘されました。
 続いて松方報告では、外国人を統制する法令、および居留民の長への出身国もしくは受入国による統制の二つの論点を接続させる手がかりとして、外交機能を持つ国内文書である「諭書」の問題が提起されました。そして、イルクーツク総督の書翰とともに来航したアダム・ラクスマンに松前で読み聞かされた国法書(1793年)、ロシア皇帝アレクサンデル1世の親書とともに長崎に来航したニコライ・レザノフに交付された諭書(1805年)、オランダ国王ウィレム2世の親書への返翰(1845年)と同じ内容の諭書の事例から、こうした文書が、国書を授受していない国の国民で、商人の立場で将軍の版図に出入りする外国人(「疑似臣民」)を外交チャネルとして用いる局面で必要とされたこと、また国書を送る場合はそれを補完するものとして利用されたことが指摘されました。
 全体討論は、主に皆川報告をめぐって展開しました。とりわけ「戦争と平和の交渉」が発展したヨーロッパ「外交」に取り込まれることになる商業協定に関連して、君主や都市のもつ関税ないし通行税の徴収権、協定が必要となる局面、さらに交易利潤の吸い上げ方という点での中国・日本との違いなど、議論が多岐にわたりました。いま一つ話題となった「国家」については、主に交渉や協定の責任主体となりえたかが議論されました。以上の報告と討論で、空間的にも論点上もかなりの範囲が包括されただけに、その全体をどのような言葉で体系化していくかを模索する機会にもなったように思います。

(文責:堀井優)

8月1日 於:藤女子大学
二日目は、以下の三本立てで、研究報告会を開催した。

松方冬子報告「カール・ポランニー『経済と文明』と坂井信三『イスラームと商業の歴史人類学』を読む」
松本あづさ報告「沖の口役と沖の口口銭―松前藩における船・人・積荷への課税―」
塩谷哲史報告「条約条文を読む」

第5回研究会

(参加記)
 松方報告では、「関税」とはなにか、「関税」は独占さえしておけば徴収可能か、といった点につき示唆を得るため、西アフリカを題材にした二著の内容を整理するとともに、近世日本との共通点-ダホメの貿易と長崎貿易の類似性-などについて、見通しが述べられた。
 松本報告では、史料が限られるなか、16世紀から19世紀までを対象に、沖の口で課された口銭(「松前口」を出入りする際にかかる通行・貿易税)を通覧し、賦課の基準が、人、船、品目の三種存在することを明確に指摘し、その時期的変遷を追った。北海道の地で、この報告に接することができたのは、大きな収穫で、とくに最初から品目税があったわけではない、という指摘は、「関税」の本質を考える上でも重要であろう。南方の薩摩-琉球間において、類する事象はなにか、考察する必要性を痛感した。
 塩谷報告では、ロシアが結んだ三つの条約-対ヒヴァ(1842)、対清(1851)、対日本(1858)-をロシア語、および日本語訳で提示し、個別条文の背景などについて、解説する内容であった。討論では、コンスルの訳語として領事という漢語が充てられた経緯や時期などについて議論が交わされ、安政の五カ国条約については、欧文と和文に齟齬がないかなど、綿密に確認する必要性を痛感した。 
 多様な地域を検討することで、徐々に見えてきたのは、やはり「関税」の中身は多様で、議論する者によって、少しずつ意味内容が異なるということである。たとえば、「関税」/「通行税」の違いをどう見るか、という点ひとつをとってみても、国境で課されるか/国内に課されるか、物にかかるか/人にかかるか、(物にかかるとして)利潤にかかるか/移動にかかるか、複数の用法や文脈があり、やっかいな用語である。12月の研究集会では中国史の文脈で、いまいちど考えたい。

(文責:木土博成)

8月2日 国立アイヌ民族博物館見学

 札幌から白老に移動し、国立アイヌ民族博物館(ウポポイ(民族共生象徴空間)内)を見学した。参加者は共同研究メンバーの川口洋史、木土博成、木村可奈子(筆者)、塩谷哲史、大東敬典、橋本雄、松方冬子、松本あづさ、森永貴子(五十音順、敬称略)と、髙鳥廉氏(北海道大学)。
 ウポポイ(民族共生象徴空間)は2020年に開館したアイヌの歴史・文化を学び伝えるナショナルセンターで、国立アイヌ民族博物館の他、体験交流ホールや伝統的コタン、工房、慰霊施設などが設けられている。ウポポイ園内の第一言語はアイヌ語であり、さまざまな施設表示の一番最初にアイヌ語が表記されている。従来のアイヌ語にはない語彙は新たに造語されたという。(例えば展示室は「宝の部屋」を意味する「イコロトゥンプ」)
 国立アイヌ民族博物館では佐々木史郎館長、田村将人氏、永野正宏氏にご挨拶ののち、田村氏から展示概要を伺い、各自展示を見学した。基本展示室では「私たち」アイヌ民族の視点で、アイヌ民族の世界観や、歴史、現代を生きるアイヌの人々についての展示がされている。
 展示順路は決まっていない作りになっているが、入り口近くで上映されるアイヌの世界観を伝えるアニメーションはとても興味深かった。カムイは、「カムイモシリ(カムイの世界)」で人間と同じような姿で暮らしており、「アイヌモシリ(人間の世界)」には人間の目に見えるように衣装をまとってやって来る。動植物や火など様々なカムイがいるが、カムイが身にまとってくるもの(肉や毛皮、木材や薬剤、火…)は人間へのお土産であり、人間はお返しとしてお酒や団子やイナウなどの人間の手を経て作られる物を捧げる。これは人間とカムイの「交易」と言っていいだろう。アイヌは様々な勢力と交易を行ってきた交易の民であり、そのような歴史が世界観にも影響しているのであろう。
 展示や映像資料が豊富で、筆者自身は2時間半程度の自由観覧時間のうちほとんどをこの展示室の資料を見るのに費やしてしまい、他の展示やウポポイ内の他施設を見ることが出来なかった。また、なかなか本州では食べる機会がないので期待していたアイヌ料理を食べる時間も無くなってしまった。到底数時間では見学しきれず、また改めて1日がかりで見学に訪れたいと思う。
 その後、川口、木村、塩谷、大東、松方、松本、森永は道東巡見のため釧路に移動、宿泊した。

8月3日 道東巡見(厚岸・根室)

 この日はバスを借り、釧路からまず厚岸に向かった。厚岸はアッケシ場所が設けられ、オランダ船・ロシア船など外国船の来航もあった土地である。まず厚岸大橋から牡蠣島(弁天社)を眺め、厚岸町郷土館に行き厚岸町海事記念館の菅原卓己氏から解説を受けながら展示を見学した。その後隣接する国泰寺を見学した。国泰寺は蝦夷地が直轄地化したのちに設けられた蝦夷三官寺の一つである。その後菅原氏のご案内でロシア商人シャバリンと松前藩士の会見場所となった筑紫恋に行った。  厚岸ののち根室に向かった。根室市教育委員会の大久保太智氏にご案内いただき、ラクスマン渡来地の弁天島、弁天島を一望できる場所にある高田屋嘉兵衛によって建立された金刀比羅神社、アイヌの砦であるノツカマフチャシ跡を巡った。
 釧路から厚岸、さらに根室とかなりの距離を移動し、スケジュールの都合上ゆっくりとした見学とはならなかったが、実際に来てその土地を体感できたこと自体が非常に意味があった。全く北海道の土地勘がない筆者にとっては、これまで道東はただ地図上の地域でしかなかった。今回各所をめぐり、道中も釧路湿原や風蓮湖、数々の川といった地形やよく出没する野生の鹿(アイヌの世界観では鹿はユクサンケカムイ(鹿を授けるカムイ)が袋の中からばらまいて人間の世界にやってくる。鹿自体がカムイではない。それほど多くてありふれた動物だということの表れである)を眼にし、地図上でしか認識していなかった土地が立体的に理解できるようになった。
 このように実際に現地に足を運び理解することはコロナの流行でしばらくできなかったこともあり、大変刺激的であった。また、道中に参加者とのさまざまな対話を通して刺激を受けるのも巡見の楽しみの一つであり、これもまた久しぶりのことであった。コロナが早く終息し、気兼ねなく巡見できるような日々が戻ってくることを願うばかりである。最後に、ご案内・ご解説くださった皆様、そして研究会から巡見まで様々にご手配くださった松本あづさ氏に御礼申し上げます。

(文責:木村可奈子)

国立アイヌ民族博物館

厚岸町郷土館


左:国立アイヌ民族博物館   右:厚岸町郷土館

国泰寺

筑紫恋


左:国泰寺   右:筑紫恋

弁天島

高田屋嘉兵衛像


左:弁天島   右:高田屋嘉兵衛像

ノツカマフチャシ跡に向かう一行

ノツカマフチャシ跡


左:ノツカマフチャシ跡に向かう一行   右:ノツカマフチャシ跡


2022年5月10日、松方冬子が、イギリスのケンブリッジ大学the University of CambridgeのFaculty of Asian and Middle Eastern Studies (FAMES)で、講演「日本の歴史学は今まで何をしてきたのか」(日本語)を行いました。

 併せて、5月11日学部生のゼミに参加し、事前に学生さんたちが読んでくださった『教養としての世界史の学び方』およびそれに対する松方のコメント(『社会科学と人文学の対話』)について議論を行いました。5月12日には、大学院生のゼミに参加し、事前に読んでおいてもらった松方「普遍、アゴラ、グローバル・ヒストリー」について議論を行いました。また、ケンブリッジ大学ポスドク研究員のJoshua Batts氏と共同執筆中の英語論文について、英文ジャーナルの査読結果を踏まえた改稿について同氏と相談しました。

GHCC

(講演の様子)

FAMES

Selwyn college


(左:FAMESの建物。2階のガラス張りの部分が図書室  右:宿泊したSelwyn collegeの中庭)

2022年5月15日~20日には、科学研究費国際共同研究加速「「循環」を問い直す―物質・文化・環境を繋ぐグローバルヒストリー」(代表:杉浦未樹)の一環として、ウォーウィック大学the University of WarwickのGlobal History Culture Centre(GHCC)で、研究交流を行いました。

(出張の記録)
 今回の出張は、コロナ禍がいまだ明けない、ウクライナ危機の真っ只中で、行かせていただきました。往復の飛行機の飛行時間は、片道2時間の増(アラスカ上空、シルクロード上空経由)でした。
 前半、ケンブリッジでは、ケンブリッジ大学の歴史と資金の潤沢さと、すべての面において感じる「余裕」に感動しました。季節もよく、花の咲き乱れる庭園は圧巻です。

 講演は、先方の求めに応じて、日本語で行いました。学年末の重要な試験を控えた時期であるにもかかわらず、院生を主体とした20名を超える聴衆が集まり、活発な質疑応答が行われました。
 11日、12日の日本学科の学部生、大学院生のゼミにおいても、日本語での議論が途切れることはありませんでした。とくに学部生は、コロナ禍で日本留学が果たせなかった学生もいるらしいのに、日本語力の高さは感動的です。大学院生になると、もはやこちらが発言を促す必要すらなく、さまざまな論点が出されました。仮に、日本語力が不十分で言っていることが明瞭に伝わらなくても、「言いたいことがある」というpassionは確実に感じられます。私が「普遍、アゴラ、グローバル・ヒストリー」で「gift」という言葉に着目したのを受けて、モースの『贈与論』を図書館で借りて持ってきてくれた学生さん、自分の書いた(夏目漱石に関する研究書についての)書評の「ここを読んでほしい」とマーキングをして持ってきてくれた学生さんもいました。一般に、日本人は議論をすることが少ないので、「議論の日本語」を聞く機会は非常に少なく、日本語で議論してみせるのは難しいはずなのに、驚きました。学生は、もちろんイギリス人ばかりではなく、中国人、ポーランド人など国際的です。
 そして、学生、院生が「日本学」を学んでいることに誇りを持っていることが、さらに嬉しく思いました。日本ではすたれてしまった「蘭学」「和学」など「地名のつく学」です――「国際日本学」はとても元気で、「京都学」「長崎学」なども目指されているとはいえ――が、ヨーロッパの「日本学」にはまだ現代的な価値があるようです。それは、「学際的 interdisciplinary」である、ということからきているようでした。一方、「日本に留学してがっかりした経験」を持っている学生も多いようでした。曰く、「日本では、(老)先生の学説を批判してはいけない風潮があり、皆すごく我慢している」とか、「研究者にならないなら、一次資料を扱わなくてもよいと言われた」とか。つまりは、日本の学界が学問に対する向上心を失っているという指摘でしょうか?だとしたら、悲しいことです。東京大学でも、ヒューマニティーズセンター(HMC)などで学際的な活動が始まりつつあるので、もっと宣伝しようと思いました。(願わくば、それにふさわしいロジスティクスが整えられんことを。)
 ケンブリッジで得た感想を一言で言えば、「日本(語)は、もはや日本人だけのものではなくなりつつある」という感覚でしょうか?まあ、そういうご時世だからこそ、「日本の歴史学は今まで何をしてきたのか」という講演をしなくてはならなくなったわけですが。
 一方で、キャンパスには、春に行われたストライキの痕跡もあります。ケンブリッジといえども、非常勤だけで暮らしている研究者も多くいるらしく、不安定雇用の問題は日本と同じようです。大学院生のゼミで「人文学が(一番)弱い人の立場に立とうとするのはなぜですか?」という質問を受けました。きちんと答えられませんでしたが、「人文学はそのためにこそあるものだから」というのが、たぶん正しい答えなのではないかと思います・・・こういう質問が出るってよいですね。
 今回のケンブリッジ滞在とさまざまな貴重な体験は、Joshua Batts氏のご尽力によって可能になりました。同氏に深い感謝を捧げます。
 後半に訪れたウォーウィック大学は、1960年代にできた大学で、Cambridgeとは対照的な新しい大学です。建学時の建物が寿命を迎え新しい建物が立ちつつあります。日本庭園をつぶして作ったという文学部Faculty of Artsの建物は、1月にオープンになったばかりで、最新デザインが目を引きます。「オープンキャンパスで学生(候補者)に気に入られる必要があるとのこと。
 受け入れのGHCCのdirector, Anne Gerritsen氏が新型コロナに感染し、自主隔離でお目に懸かれないというハプニングがありましたが、co-directorのGuido van Meersbergen氏に歓迎していただきました。歴史学会History Departmentの教員は全部で50人ほど(史料編纂所と同規模)。そこに、5つほどのCenterと、いくつかのgroupがあり、複数のcenterに所属できるそうです。GHCCに属している教員は15名ほどで、おもに中南米とインド洋とアフリカの歴史を扱っているそうです。
 GHCCの博士課程院生主体の報告会に参加しましたが、どれも、中南米(チリの国立文書館など)のスペイン語史料や漢文史料と英語史料を組み合わせた研究で、英帝国史との関連を重視しつつも、バラエティに富んだ内容でした。報告者は院生ですが、「自分がその道の第一人者である」と言わんばかりの自信に満ちた報告スタイルと、実証レベルの高さは印象的です。
 GHCCのAGM(年次総会)にも出席させていただき、15周年を迎えるという同センターの運営の一端を見ることもできました。
 Gerritsen氏と会えなかったので、「春にもう一度来たい」と言うと、Van Meersbergen氏(オランダ東インド会社史料を読んで研究しているオランダ人研究者)の返答は「ぜひ来てほしい。来るなら、オランダ語の原史料を具体的に提示して、学生院生と一緒に読みながら、幅広い研究の可能性を示唆するようなWSを企画したいので、報告してほしい。史料編纂所でやっている史料集編纂の仕事も紹介してほしい。」でした。「もちろん、喜んでやります。」と答えましたが、内心「そこをピンポイントで突いてくるのか!」と嬉しい驚きを感じました。もちろん、それは私が何十年もやってきた、一番得意なことです。I felt that they were saying I do not have to be someone else but I can remain Fuyuko Matsukata. In other words, I felt that I was shifting Fuyuko Matsukata from an unknown Japanese researcher, if I may say, in the global academia. ケンブリッジで感じたことと同じことの別の側面だと思いますが、オランダ(語史料)もまた、オランダ人だけのものではなくなりつつあるのでしょう。
 久しぶりの海外で感じることが多い出張でした。この出張を可能にしてくださったすべての方々に感謝を捧げます。

(文責:松方冬子)

2022年3月16日、松方冬子が、イギリスのウォーウィック大学University of Warwick のGlobal History Culture Centre(GHCC)で、報告"Toward a Global History of Diplomacy: An Attempt to Break Down Europe’s ‘City Wall’"(オンライン)を行いました。

 科学研究費国際共同研究加速「「循環」を問い直す―物質・文化・環境を繋ぐグローバルヒストリー」およびモンスーンPJの成果ですが、「外交の世界史」とも深いかかわりがあります。

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