東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

保古飛呂比 佐佐木高行日記 一

本書は、佐佐木高行の伝記史料である。
高行は、天保元年、土佐藩馬廻組、祿高百石の家に生れた。幼時父を亡くし、養父となった姉婿が病身であり、また自らも大病に罹るなどし、辛酸を嘗めた。幕末の政治危機のなかで、武市瑞山等の勤王党に近づき、守旧派の藩当局から危険視されたが、幕末の大詰めの時期に、大目付に昇進したことから、維新変革の檜舞台に立つに至った。高行は、後藤象二郎等公議政体派、板垣退助等倒幕派、そして坂本竜馬等脱藩の志士の間を周旋し、山内容堂の大政奉還工作を成功に導いた。その功によって維新政府に挙げられ、土佐藩出身の最初の参議となり、岩倉使節の欧米巡廻に随行し、帰国後、大判事、左院副議長等を経て、元老院議官となり、兼ねて一等侍補として天皇の側近に仕えた。自由民権運動の高まった際、元老院副議長となり、ついで明治十四年政変で工部卿となった。同十八年太政官制廃止を機会に、政界を退いて宮中に入り、明宮教養主任等諸親王の養育に当り、また宮中顧問官、枢密顧問官として天皇の信任を得、明治四十三年、八十一歳で歿した。
 本書は、高行が晩年、手許に存する日記・書翰・政務記録等の書類をもとに、丸橋金次郎に嘱して編纂せしめたものである。王政復古までが完成され、政界引退までが未定稿、その後は蒐集史料のままで、全一二〇冊に及ぶといわれる。高行が残した書類は、この本書原本を含め、大部分が焼失あるいは伝存状況不明であって、津田茂麿著『明治聖上と臣高行』によって、それらの概要に接し得るほかは、維新史料編纂会が旧蔵し、本所が引継いだ本書の写本六三冊、明治十六年までのものが、研究者の利用に供せられているに過ぎない。
 本書は、この史料編纂所本を底本とした。原題は「保古飛呂比」である。本書は、編年体の伝記史料であって日記ではないが、底本の外表紙題簽にある「佐佐木高行日記」という題名が流布しているので、刊行に当って原題の下に併せ掲げた。
 本冊には、巻十、文久三年までを収めた。生い立ちから、劔術修行のための出府(嘉永五年)、ペリー来航に際しての出府(嘉永六年)、家計不如意による逼塞(安政三年)、文武小目付・操練調役兼帯(安政三年)、二度の出府(安政三年・万延元年)、文武調役(文久元年)、大病(文久元年〜文久二年)、文武調役・小目付兼帯(文久二年)、海防御用取扱(文久三年)、山奉行・作事奉行兼帯(同年)、三郡奉行(同年)と、高行自身の履歴を中心に、開港と将軍継嗣問題を契機に急転する政治危機、それを背景として、山内容堂・吉田東洋の藩政改革、勤王党の活動、東洋暗殺、守旧派の藩政掌握、容堂の帰国奪権、瑞山投獄と展開する土佐藩の動向が、史料によって綴られている。
 本書の刊行は、「明治百年記念」臨時事業費によるものである。
(例言一頁、目次一頁、本文六五五頁)
担当者 吉田常吉・小西四郎・山口啓二


『東京大学史料編纂所報』第5号p.117