東京大学史料編纂所

2012年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 『信濃史料』古代編(2・3巻)に係る未収史料の収集に関する基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織
 研究代表者   福島正樹(長野県立歴史館)
 所外共同研究者 傳田伊史(長野県立歴史館)・佐藤全敏(信州大学)・北村安裕(飯田市歴史研究所)
 所内共同研究者 山口英男・田島 公

研究の概要
(1)課題の概要
長野県ではかつて、県・信濃毎日新聞社・信濃教育会の三者が中心になって「信濃史料刊行会」を組織し、監修者として東京大学史料編纂所長坂本太郎氏、東京大学教授宝月圭吾氏らを据え、東京大学史料編纂所・徳川林政研究所などの学術研究機関の協力を得ながら、古代(記紀の時代)~中世(寛永年間)の編年史料集『信濃史料』全三〇巻(三二冊)を刊行した。 しかし、古代編刊行から六〇年近くを経、その間に見いだされた信濃国内に関係する新出史料も相当な数に上っている。そこで、この機会に『信濃史料』収載の本文史料の校訂、新出史料の補充を行い、さらには将来的には本文のデジタル化を展望し、誰もがどこからでも検索・利用できる条件を整備する必要があると思われる。
本研究では、上記のうち、古代編について、本文の校訂と新出史料の補充作業を行う。
(2)研究の成果
二〇一一年度に和歌山県海草郡紀美野町小川八幡神社所蔵「大般若経」の調査の結果、赤外線カメラのデジタル画像により、奈良・平安時代の識語部分の一部に意図的に擦り消された部分があることが判明し、また信濃など「東国写経」の経巻は同社所蔵「大般若経」の一部分であることが明確になった。すでに和歌山県立博物館の調査等で明らかになっているとおり、小川八幡神社の大般若経は、南北朝期に高野山から施入されたものなどを含むことが明らかになっている。信濃関係の大般若経には安楽寿院所蔵「大般若経」が存在することから中世以降の「大般若経」の移動と再集積を考える必要が出てきた。そこで、京都国立博物館に寄託されている安楽寿院所蔵の「大般若経」を実見し、信濃関係の巻を調査する過程で、そこには奈良期から中世にいたる経巻が含まれていることが明らかになった。二ヶ年にわたる調査では調査時間が限られていたことや釈読出来ていない部分があるため、今後の調査に委ねる部分も多く、全貌の解明にはなお時間を要することが判明した。なお、予定していた小川八幡神社所蔵「大般若経」の再調査については、所蔵者との日程調整がつかず、遺憾ながら調査を実施することができなかった。
 そのかわり、新たに長野県東筑摩郡麻績村の天台宗寺院である福満寺所蔵の仏像(賓頭廬尊者像)に見出された院政期の刻書銘の調査を麻績村教育委員会の協力を得て実施することが出来た。その結果、「應保元年辛巳十二月十一日己酉 麻續鍬山寺ヲ造了」の刻書銘を確認したが、その史料的性格等については仏像本体の詳細調査を経て確定していきたい。さらに、木簡についても信濃国関係する新出木簡を見出すことが出来た。
 一方、県立歴史館を中心に実施している『信濃史料』のデジタル化について、二〇一二年一〇月から長野県の予算が付くことになり、二〇一三年度にかけて全巻のデジタル化に取りかかることになり、継続して実施することとなった。なお、『信濃史料』綱文データベースの作成や木簡などの出土文字資料の収集や釈文の確認を、県立歴史館を中心に引き続きおこなった。これらの作業は、共同研究終了後も継続して実施し、可能な限り早くデータベースに反映させることとしたい。


一般共同研究 研究課題 但馬地域を中心とした兵庫県下中世史料の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織
 研究代表者   前田 徹(兵庫県立歴史博物館)
 所内共同研究者 高橋敏子・村井祐樹

研究の概要
(1)課題の概要
兵庫県における中世史料は、『兵庫県史』の刊行により、その全貌がほぼ明らかになっている。本研究で対象とする但馬地域についても、一九八八年に刊行された『県史 史料編 中世三』に多くの史料群が掲載されている。しかしながら、種々の事情により悉皆調査を行ったものではなく、存在は把握していながらも採録ができなかったものや、原本調査に至らず、史料編纂所架蔵影写本に拠らざるを得なかったものも多数ある。また刊行以降に発見された史料も少なくなく、さらには、『県史』刊行後に売却されたり、行方不明になったものもあり、それらの再把握も課題となっている。
以上の様な状況の中で、本課題で対象とする但馬地域は、市・町による史料調査の成果を踏まえつつも、なお踏み込む余地があり、一方で、散逸した文書が確認されるなど、早急に調査を行う必要のある地域である。そこで、明治・大正期に作成された影写本や、昭和以降に撮影された写真帳等、豊富な複本類を持つ史料編纂所と共同することで、調査を無駄なく、効率的に進めることが可能となろう。
(2)研究の成果
兵庫県立歴史博物館が収集した現地の新出史料情報と、史料編纂所が蓄積あるいは独自に入手した情報を統合した結果、いくつかの新発見史料、また所在が曖昧であった史料の存在を明らかにすることができた。
 具体的には以下のような成果をあげ得る。
 但馬地域の新発見史料として、山名氏の発給文書一六通を含む豊岡市の「秦文書」、戦国期の詳細な寺領納帳を含む「大岡寺文書」や、一時行方不明になっていたものの、所在が再確認された朝来市の「枚田文書」がある。これらは「枚田文書」を除いて『兵庫県史』にも収められておらず、写真についても未撮影、あるいは非公表であったが、今回の調査をきっかけに史料編纂所にて閲覧をすることが可能となった。このうち「秦文書」については近年刊行される『新鳥取県史』において釈文が掲載される予定である。
 また、但馬近辺地域の丹波・播磨・摂津地域の史料で、京都府南丹市の「内藤文書」・「摩気神社所蔵小畠文書」箕面市の「池田文書」・川西市の「吉川文書」、姫路市の「芥田文書」は今回、その所在を把握し、撮影および原本調査を行った。これらは何れも近年発見されたもの、あるいは存在は知られていたものの、ここ数十年原本を実見できていなかったもので、写真という形とはいえ、研究資源として一般研究者に利用可能となった意義は極めて大きい。
 さらに、同じく播磨地域の「飯尾文書」は、「嘉吉軍物語」以外は所在不明ということが判明した。これも現状の史料所在状況の確認という本研究の課題にとっては一つの成果と位置づけることができよう。


一般共同研究 研究課題 埼玉県関連中世武蔵武士関係史料の調査・研究

研究経費 40万円
研究組織
 研究代表者   新井浩文(埼玉県立文書館)
 所外共同研究員 黒田基樹(駿河台大学)・清水 亮(埼玉大学)
 所内共同研究者 井上 聡

研究の概要
(1)課題の概要
本研究は二〇一一年度に続き、埼玉県に関連する中世武蔵武士に関する調査・研究を実践するものである。埼玉県下においては『新編埼玉県史』資料編の刊行より約三〇年を経て、新出の中世史料が多数発見されるに及び、新たな史料集の刊行が切望されてきた。申請者の所属する埼玉県立文書館においては、こうした新出史料をまとめ『埼玉県史料叢書』として刊行に着手し、平行して史料調査を展開しつつある。昨年度より史料編纂所と共同調査することによって、デジタル技術を活用した方法論を確立するとともに、調査データ・成果の管理・蓄積・公開に関する新たな実践を目指した。当年度もかかる経験の蓄積を進めるとともに、史料の舞台となった現地調査も併せて実践し、総合的な考察を深めた。また前年度よりの継続として、史料編纂所における埼玉県下所在中世史料の採訪活動と協力することで、史料編纂所架蔵史料の拡充にも貢献することを意図した。同時に共同調査によるデータを、埼玉県立文書館ならびに史料編纂所でそれぞれ管理する体制を整え、互いにバックアップしうる体制を構築することで、地方自治体と拠点大学の学術的協業のあり方についても模索した。
(2)研究の成果
前年度の経験にもとづき調査方法の標準化をすすめ、デジタル機器を活用した採訪スタイルの共有化を行った。あわせて史料デジタル画像の共有、各種メタ情報の相互利用についても検討を進めたところである。
 具体的な実践としては、前年度よりの継続として武蔵武士団関係史料のうち「安保文書」を対象に据えて採訪を行った。当年度は、武蔵から西へと移動していった一族のうち、特に詳細が判明していない美濃国に居を構えた一流に注目した。現在岐阜県下呂市金山町に所在する祖師野八幡宮には、県指定文化財の大般若経が所蔵されているが、そのうちには安保氏が書写したことを示す奥書を持つものが多数ある。この奥書については、『新編埼玉県史』や『岐阜県史』にて既に紹介されているものの、巻数や文言に齟齬が見られ、全体像の解明が待たれていた。二〇一二年八月に調査を実施し、大蔵経の成立経緯や奥書をもつ巻の詳細などを明らかにするとともに、その成果については、新井浩文「祖師野八幡宮所蔵大般若経奥書調査概報」(埼玉県立文書館『文書館紀要』二六号、二〇一三年三月)に示したところである。このほか安保氏旧蔵文書の調査として、二〇一二年十二月に横浜市立大学の所蔵史料を、二〇一三年三月には埼玉県立文書館所蔵史料の撮影も行った。これにより安保氏関連史料の主要部分については、大半の調査・撮影を完了したことになる。なお昨年度実施した八坂神社所蔵の安保氏関係文書調査の詳細については、清水亮「史料紹介 八坂神社文書「旧建内文書 社領十八」所収の安保氏関係文書調査概報」(『埼玉地方史』第六六号、二〇一二年十一月)として公表した。


一般共同研究 研究課題 夢窓派関係史料の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織
 研究代表者   榎本 渉(国際日本文化研究センター)
 所外共同研究員  西山美香(公益財団法人禅文化研究所)
 所内共同研究者 山家浩樹・川本慎自

研究の概要
(1)課題の概要
夢窓疎石を祖とする臨済宗夢窓派は、夢窓疎石が後醍醐天皇や足利尊氏との関係から建武政権・室町幕府の宗教政策や文化の形成に関わって以降、代々の鹿苑僧録を輩出し、各地の大名にも招聘されて多くの寺院を開創するなど、中世後期において政治・社会・文化に大きな影響を及ぼしている。このため、単に仏教史・禅宗史としての関心に留まらず、政治史・経済史・文学など各方面からの注目を集めてきた。しかしその関連史料は文書・記録のみならず語録・漢詩文・墨蹟・絵画・指図など多岐にわたっており、歴史研究者や文学研究者のそれぞれの関心からの研究では、その総体が十全に活用されてきたとは必ずしも言いがたい状況にあった。そこで本研究は、歴史学・文学の研究者が共同で調査を行うことにより、夢窓派に関する史資料を総合的に活用する端緒を開こうとするものである。
(2)研究の成果
本研究においては、夢窓派に関する史料についての調査を数回にわたり実施した。
 まず、夢窓疎石の法嗣である義堂周信の日記『空華日用工夫略集』について、国際日本文化研究センター(以下、日文研)の所蔵する南禅寺帰雲院旧蔵本について調査を行い、本文の異同や伝来の過程について検討を行った。また、夢窓派と密接な関係を持つ一山派の季瓊真蘂の日記『蔭涼軒日録』についても、日文研所蔵の南禅寺金地院旧蔵本の調査を行った。なお、これらの史料についてはマイクロカメラによる撮影を行い、史料編纂所および日文研にフィルムを架蔵することとした。
 また、京都市内の夢窓派関係寺院において数回の史料調査を行い、目録作成のためのカード取りを行った。悉皆調査に準ずる形での調査となったため、調査対象は中世文書以外にも禅籍・文学資料・近世対外関係史料・指図・絵画など多岐にわたっており、共同研究の形で多分野からの検討を加えることで大きな成果を得たものと考える。
 なお、日文研において調査を行う過程で、禅籍類の他にも医書で注目すべき史料が架蔵されていることが判明した。この点については二〇一三年度に改めて一般共同研究「中近世医書に見る外来医学知識の研究」として調査を開始する予定である。


一般共同研究 研究課題 峯ケ岡八幡神社所蔵「僧形八幡神坐像像内納入文書」の研究

研究経費 49.2万円
研究組織
 研究代表者   永井 晋(神奈川県立金沢文庫)
 所外共同研究員  角田朋彦(京都造形芸術大学)・下山 忍(埼玉県立越谷北高等学校)・佐々木清匡(吉川市役所)
 所内共同研究者 山家浩樹

研究の概要
(1)課題の概要
 埼玉県川口市の峯ケ岡八幡神社にある僧形八幡神坐像は、鎌倉時代中期の像内納入文書を持つことが知られている。しかし、『川口市史』に全文翻刻があるのみで、活用の難しい資料群とされてきた。僧形八幡神坐像は鶴岡八幡宮伝来の八幡神像と同様式であるため、鎌倉の文化圏で鎌倉在住の願主が造立を発願したものと考えられる。願文の中には、北条顕時の病気平癒を記したものがみられるので、奉籠した人物の中には金沢家の縁者がいると推定される。今回の調査では、同文書群を文化財の取り扱いに慣れたカメラマンに新写を委託するとともに、鎌倉時代中期の鎌倉の状況を説明する称名寺伝来資料群に隣接する資料群として位置づけようと試みたものである。また、北条顕時が失脚した霜月騒動に関する聞き書きなどを含む愛知県安城市の本證寺所蔵の「梵網経戒訴日珠抄」紙背文書を撮影する機会を得たので、同文書群内の未翻刻文書も確認でき、弘安年間の資料群として写真資料の収集を行った。弘安年間の北条顕時関係の像内納入文書と紙背文書を新写できたことで、金沢氏関係資料の充実が期待される。
(2)研究の成果
峯ケ岡八幡神社は明治時代の神仏分離によって天台宗の新光寺(埼玉県川口市峯)と分離した神社で、武蔵国ではめずらしい新羅源氏との関係を由緒として語っている。鎌倉時代に制作された僧形八幡神坐像の像内納入文書の奉籠年代は、江戸時代に奉籠した文書には弘安五年七月二十二日と記されているが、これは現在納入文書として確認される文書群に記された年紀と符号するので、江戸時代に開いた際に確認した上で創作したか、何らかの寺伝が残っていたものと考えられる。納入者の中で「平朝臣宗泰」と記された人物は大仏宗泰の可能性が高く、この願文類は大仏家の関連資料として読む込むことができる。もうひとつの注目点は、「たいらのあきとき」の病気平癒を祈願した願文である。大仏家と金沢家の婚姻関係を明確に示す資料は確認されていないが、称名寺聖教の中には、「入殿諷誦文」など大仏家が使用した諷誦文を称名寺が入手して金沢家の人々の供養のために上書きして再利用したものが見える。金沢家の人々の書状にも、大仏家の人々の動向を記した物があるので、両家の間に何らかの関係は認められる。金沢家の正室は、実泰・実時・顕時・貞顕四代は確定している。金沢家から大仏家に嫁した女性など、現状では明らかになっていない婚姻関係を想定する必要があるのであろう。


一般共同研究 研究課題 出雲鰐淵寺文書の研究

研究経費 48.7万円
研究組織
 研究代表者   井上寬司(島根大学名誉教授)
 所外共同研究員 野坂俊之(出雲市文化環境部文化財課)・八幡一寛(同上)
 所内共同研究者 久留島典子・小瀨玄士

研究の概要
(1)課題の概要
天台宗の古刹として知られる出雲市別所町に位置する浮浪山鰐淵寺は、中世にあっては「(出雲)国中第一の伽藍」と称され、出雲大社の本寺として重要な位置を占めた。当寺には、鎌倉初期以来の中世文書約四百点が所蔵され、内容的にも極めて注目される。本文書に関しては、一九六三年に島根県文化財専門委員曽根研三氏によって『鰐淵寺文書の研究』として翻刻されたことがあるが、多数の誤植・誤読が含まれていて利用に困難が多く、かねてより全国の研究者からその改訂版の刊行が強く求められてきた。本研究はその課題に応えようとするものである。具体的には、『出雲鰐淵寺関係史料集』として、鰐淵寺所蔵文書以外の関係文書も合わせ刊行することとし、とりわけ鰐淵寺文書については詳細で厳密な原本校正を通じて、信頼の置ける史料集を完成させたいと考えている。同時に、この作業と並行しながら、鰐淵寺そのもの(出雲大社との関係なども含む)についての研究も進めていきたい。
(2)研究の成果
主要には次の三点を指摘することができよう。
1.鰐淵寺境内の悉皆調査を踏まえ、現在確認できるすべての中世文書を、マイクロフィルムとデジタルカメラの両方で撮影した。これは、鰐淵寺文書の厳密で学術的な写真撮影という点では初めてのことであり、今後における史料の公開と活用に大きく道を開いたものとして重要な成果だといえよう。
2.鰐淵寺文書には多数の無年号文書や読解の困難な文書が含まれていて、その翻刻には大きな困難を伴っていた。しかし、何度にも渡る精緻な原本校正と集団的な検討などを経て、鰐淵寺文書解読の決定版といえる内容を調えることが出来た。
3.鰐淵寺文書以外の鰐淵寺関係文書の、全国的な視野に立った収集作業により、現在確認できるすべての史料を収集した。鰐淵寺所蔵の文書以外の金石文や聖教類を含め、その数約二九〇点(寛文七年の出雲大社との「神仏分離」以前のもの)に及ぶ。
以上のうち、とくに1と2に関しては、高度な写真撮影技術と装置、及び多方面にわたる優れた研究者の結集など、これらの作業を本共同研究として実施したことによって初めて可能となったところのもので、その成果は高く評価することが出来るであろう。※研究協力者 杉山巌・戸谷穂高・木下聡(ともに東京大学学術研究支援職員)


一般共同研究 研究課題 加藤清正文書の基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織
 研究代表者   大浪和弥(延岡市教育委員会文化課)
 所外共同研究者 山田貴司(熊本県立美術館)・鳥津亮二(八代市立博物館)
 所内共同研究者 金子 拓

研究の概要
(1)課題の概要
豊臣秀吉の家臣であり、肥後の近世初期大名として知られる加藤清正について、本研究では全国各地に散在する関連一次史料、具体的には加藤清正発給文書の情報を把握するため、史料編纂所所蔵の研究資源・データベースおよび全国の所蔵機関にて調査を実施する。原本確認可能なものについては実見調査をおこない、画像データを含めた史料情報を集積し、史料年代を分析する。そのうえで蒐集した文書の編年目録を作成し、公開することを目的とする。
(2)研究の成果
史料編纂所をはじめ各地の史料所蔵機関における所在調査、および諸文献調査により、これまで加藤清正の発給文書六一三通の存在を確認している。このうち史料編纂所所蔵の影印や写真等の画像データを把握しているもの、あるいは史料所蔵機関で原本を調査・撮影の上、画像を蒐集した文書は四四〇通ほどである。また、確認できた文書のうち、展覧会図録、自治体史、史料集のたぐいに釈文が掲載されている史料点数は、現在把握している限り四〇〇通ほどであるが、一方でいまだ活字化されず研究にも供されていない文書が二〇〇通以上あることが判明した。
これら数字だけに目を向けると、熊本県内外において中世および中近世移行期研究の基礎史料集として現在でも広く利用され、加藤清正発給文書を最も多く収録している『熊本縣史料』(中世篇全五巻)の二二七通に対し、これらを大幅に上回る数の史料があることが判明した。本研究で網羅した目録については、今後細かい部分での修正が必要ではあるが、おおよその文書目録が出来上がりつつある。また、画像データの収集により、文書の形状や花押・印章等の文字外情報も蓄積され、これまで考慮されることのなかった清正文書の古文書学的アプローチの可能性を広げ、目録の編年化に必要な無年号文書の年次比定が進捗するなど、より精度の高い文書目録の作成が可能となりつつある。
さらに発給文書調査と並行して受給文書調査も実施し、これまでおおよそ二〇〇通ほどの受給文書を確認している。これらについても現在目録化に取り組んでいる。
本研究は、加藤清正関係文書についての研究環境を整備するための所在確認、目録化に重点を置いていることから、内容分析という観点から言えば深くは立ち入ってはいない。当然、無年号文書の年次比定や史料そのものの真偽を見極めるために内容を通読してはいるが、全体的な内容分析作業までには及んでいない。内容そのものの具体的な分析については今後の課題であるが、本研究で整備した目録は、共同研究の成果として刊行し、将来的には論集や史料集の刊行も視野に入れている。


一般共同研究 研究課題 丹波国山国荘地域における由緒書と偽文書に関する史料学的研究

研究経費 50万円
研究組織
 研究代表者   坂田 聡(中央大学)
 所外共同研究員 薗部寿樹(米沢女子短期大学)・岡野友彦(皇學館大学)・吉岡 拓(日本学術振興会・特別研究員)
 所内共同研究者 前川祐一郎

研究の概要
(1)課題の概要
本研究がフィールドとする丹波国山国荘(近世の山国郷)は、①中世の在地文書が個々の百姓の家に残され、それが今日まで伝存している点、②同一のフィールドにおいて、中世文書・近世文書・近現代文書が連続して伝存している点―の二点において、他の地域に類例を見ない特色を有している。こうした中、代表者を中心とするグループは、ここ一五年ほど同地の古文書調査を続けてきた。 同地の中世史料の中には、中世年号を持ちながら、実際には近世に作成された由緒書や偽文書の類がかなり含まれている。つまり、中世史料と近世史料が連続して残存しているという点で稀有なフィールドである山国荘において、中世史料の史料学的な考察を進めることによって、これまで研究が手薄だった近世前期の畿内・近国における由緒書や偽文書の研究、さらには、中近世移行期の村落構造や上層農民の動向に関する研究が大きく進展する可能性が高いのである。
そこで、本研究では、①山国荘における中世文書の網羅的な調査を実施した上で、②その中から由緒書と偽文書をピックアップし、史料学的な考察を進めることとした。
(2)研究の成果
山国荘地域の古文書は従来、野田只夫編『丹波国山国荘史料』などによって一部が活字化されていたものの、史料情報が十分に学界で共有されているとはいえない状況にあった。今回の共同研究による史料調査では、井本正成家文書の中世~近世初期にかけての文書約一一〇点(史料編纂所ではこれまで未採訪)と、鳥居家文書の中世~近世初期にかけての文書・帳簿・系図など約一一〇点をデジタル撮影した。これらの文書は、代表者を中心とした山国荘調査団によってマイクロ写真撮影と文書目録の作成が行われていたものの、広く一般の研究者への公開を意図した研究資源化は未だなされていなかった。今回の調査撮影により、公開に適した画質のデジタル写真の史料編纂所データベースへの登録が可能となり、同地域の史料の研究資源化に前進をみたことは、共同研究としての本研究の大きな成果といえる。同時に、本研究の課題たる由緒書や偽文書の分析のための基礎的データが得られ、今後公開される予定の由緒書・偽文書の研究の進展にもつながった。
また、今回の共同研究では、古文書の調査撮影と同時に、山国荘調査団と合同での研究会が開催され、活発な討論や意見・情報の交換が行われた。調査団には、中世史・近世史のみならず近現代史や民俗学・社会学の研究者たちも多く含まれ、相互の研究交流から多くの知見と示唆を得ることができた。これも、史料編纂所の通常の史料調査・研究では機会の乏しい、共同研究ならではの一つの成果といえ、特定の地域を対象とする史料調査・研究に、新たな展開の可能性を切り拓くものとなったと思われる。