東京大学史料編纂所

2011年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 『信濃史料』古代編(2・3巻)に係る未収史料の収集に関する基礎的研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   福島正樹(長野県立歴史館)
 所外共同研究者 傳田伊史(長野県立歴史館)・佐藤全敏(信州大学)
 所内共同研究者 山口英男・田島 公
研究の概要
(1)課題の概要
 長野県ではかつて、県・信濃毎日新聞社・信濃教育会の三者が中心になって「信濃史料刊行会」を組織し、監修者として東京大学史料編纂所長坂本太郎氏、東京大学教授宝月圭吾氏らを据え、東京大学史料編纂所・徳川林政研究所などの学術研究機関の協力を得ながら、古代(記紀の時代)から中世(寛 永年間)までの編年史料集『信濃史料』全30巻(32冊)を刊行した。
 しかし、古代編刊行から60年近くを経、その間に見いだされた信濃国内に関係する新出史料も相当な数に上っている。そこで、この機会に『信濃史料』収載の本文史料の校訂、新出史料の補充を行い、さらには将来的には本文のデジタル化を展望し、誰もがどこからでも検索・利用できる条件を整備する必要があると思われる。
 本研究では、上記のうち、古代編について、本文の校訂と新出史料の補充作業を行う。

(2)研究の成果
 和歌山県小川八幡神社所蔵「大般若経」600巻の内、某郡主政外少初位上大坂真長・主帳外少初位上大坂勝義麿ら大坂氏が発願し、経生佐久郡丸子真智成らが加わった、仁寿3年(853)2月15日の「大般若経」巻445を中心に、奈良・平安時代の識語のある経巻を赤外線カメラも使って調査した。特に某郡主政・主帳の大坂氏が信濃国佐久郡の主政・主帳層であるか否か、同社所蔵「大般若経」が如何なる性格をもつのか、を解明するための基礎調査を行った。その結果、赤外線カメラのデジタル画像により、奈良・平安時代の識語部分の一部に意図的に擦り消された部分があることが判明し、また信濃など「東国写経」の経巻は同社所蔵「大般若経」の一部分であり、安楽寿院所蔵「大般若経」の存在も考えると、中世以降の「大般若経」の移動と再集積を考える必要が出てきた。調査時間が限られていたことや釈読出来ていない部分があるため、今後の調査に委ねる部分は多いが、来年度は、安楽寿院所蔵「大般若経」とあわせて、同社所蔵「大般若経」全体の性格を更に解明する必要があることが判明した。
 前回の調査とその後の検討によって、長野県立歴史館単独による調査を再確認するとともに、新たに擦消された奥書の存在を確認し、「大般若経」全体の性格を確定する必要を確認出来たが、この点は、今回の共同研究の大きな成果である。
 また、『信濃史料』綱文データベースの作成や木簡などの出土文字資料の収集や釈文の確認を、県立歴史館を中心におこなった。更に、史料編纂所では、正倉院文書や正倉院所蔵宝物の銘文集成より、最新の調査結果に基づく信濃関係史料の釈文の収集、編纂所の古記録・古文書データベースを利用した牧や駒牽、信濃布などの史料検索を行った。これらの作業は、来年度継続の予定である。
 そして、既に『信濃史料』に収録されている本文の見直しを行い、従来、創作の可能性があるとして、検討の対象外にあった、記紀に見える七世紀中葉以前の科野関係の記事に関しても、新出の出土文字資料を援用して、再検討を行い、上記、牧・駒牽関係の新史料の紹介・検討すると共に、2012年3月11日、長野県立歴史館でのセミナーで、中間報告をした。更に、『信濃史料』の編纂・刊行に果たした長野県内の研究者や機関と東京大学史料編纂所との関係に関しても、当時の記録を元に、再現した。
 なお、福島正樹「『信濃史料』『長野県史』と信濃の古代史」(『長野県立歴史館研究紀要』18号 2012年3月)は研究の成果の一部を活字化したものである。


一般共同研究 研究課題 称名寺聖教「聖天一括」紙背文書の復元研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   永井 晋(神奈川県立金沢文庫)
 所外共同研究員 真鍋淳哉(青山学院大学)・角田朋彦(京都造形芸術大学)
 所内共同研究者 山家浩樹

研究の概要
(1)課題の概要
 金沢文庫が称名寺から新寄託を受けた熈允本『聖天一括』(「聖天」と記された包紙にくるまれた枡形折本)のうち、紙背文書を持つ12冊の表裏を撮影し、総合的な研究を試みるものである。史料を通覧したところでは、紙背文書は極楽寺長老順忍の書状を数多く含むことが確認されている。本調査は、新寄託聖教の紙背文書群を料紙論からの分析、本文の翻刻、年代推定を中心とした解説の三段階を踏まえて資料的価値を明らかにしたいと考えている。
 本史料群は、以下の特徴がある。
 ・称名寺長老釼阿と極楽寺長老順忍がやりとりした書状を中核とするので、鎌倉時代末期の1320年代が中心の年代となる。
 ・この年代は、金沢貞将が父貞顕から受け取った自筆書状を供養経料紙として選り抜いた金沢貞顕自筆書状が中核なので、極楽寺長老順忍と称名寺長老釼阿がやりとりした書状群は今まで明らかになっていない分野の解明が期待される。

(2)研究の成果
 『聖天一括』は、称名寺五世長老什尊(熈允から改名)が真言密教における聖天関係の次第と口伝を枡形の折本に書写し、包紙に包んで一括保存した写本群である。ただ、良祐書写本を混じるため、欠本の補充など後で加えた本を含む。その紙背には、極楽寺長老順忍と称名寺長老釼阿がやりとりした鎌倉時代の書状群があり、鎌倉時代後期の両寺のやりとりを知る貴重な書状群となっている。升形折本とするため、料紙は左右の裁ち切りは少ないが、上下は大きく裁ち切られているところがある。料紙は檀紙で、書状の中央部で上下二紙に裁ち切っているため、復元される書状の中央部に一文字分程度の欠字がある。上下は升形本の寸法に合わせての断ち切りとなるため、残存の状況は書状によりさまざまである。現在のところ、上下に裁ち切られた書状の多くは接続が難しく、全文の明らかになるものは少ない。そのため、上下に切断された書状の多くが、他の聖教の書写に使われて離れ離れになったと推定される。
 この書状は、極楽寺長老順忍(1326年入滅)が差出となるため、1320年代が中心になると思われる。聖教の奥書には、「建武元年12月15日 於称名寺書写了 良祐」(歓喜天口伝)や「于時建武3年乙子8月1日 於武州六浦庄称名寺綱維房書写了 金剛末子熈允」(歓喜天口伝 成典)があり、順忍書状以外のものも古文書の紙背に書写された聖教の年代、建武年間が年代推定の下限となる。鎌倉時代末期の新出文書群の詳細な解説と翻刻については、『金沢文庫研究』で紹介したいと考える。


一般共同研究 研究課題 『覚禅鈔』諸本の調査研究―東海・関東所在の蒐集史料を中心に―

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   上川通夫(愛知県立大学)
 所内共同研究者 菊地大樹・藤原重雄
 研究協力者   横内裕人(文化庁)・鳥居和之(名古屋市博物館)・井上佳美(愛知県武豊町)

研究の概要
(1)課題の概要
 小野流真言僧覚禅(1143~1213頃)が編集した『覚禅鈔』(『百巻鈔』)は、院政期の政治事情に密着した日本真言密教の実態を詳細に伝える文献である。密教学では修法復元の基礎史料として、美術史学では図像集への高い関心から、文献史学では引用された古文書・古記録など歴史情報の探査対象として、豊富な研究課題を蔵している。ただ、大部かつ難解で、自筆本が未発見の一方で、写本が諸寺院に秘蔵されてきたため、刊本(『大正新脩大蔵経』『大日本仏教全書』)に依拠されてきた。近年、写本ごとの調査が進み、独自記事の発見、各写本の成立・伝来、散逸写本の探査、覚禅自筆本の一部発見、といった新しい動向が現れている。本共同研究では昨年度より、各々の原本調査の経験を持ち寄って、東海・関東に所在する散逸中世写本の調査を開始した。共同研究こそ有効な『覚禅鈔』の調査研究を継続し、多分野にわたる重要史料に関する研究基盤の整備を進める。

(2)研究の成果
 昨年度からの継続で、名古屋市博物館にて大御堂寺所蔵分を、佼成図書文書館にて2巻を、本所写真室(谷昭佳・高山さやか)により撮影し、千光寺本『覚禅鈔』の大部分をデジタル画像で把握できるようになった。本所図書室での閲覧とともに、図版掲載なども可能な質を確保して、書写者の分類なども進めている。『覚禅鈔』研究のみならず、地域の歴史を伝える貴重な史料として再評価されることが期待される。
 奈良国立博物館で同館所蔵『覚禅鈔』諸本の調査を行い、同館学芸員とともに検討会を持った。館蔵品二巻が千光寺本であることを確認するとともに、薬師寺寄託の一巻が千光寺本と同体裁(図像を別紙に描き粗放に貼付する)との情報を得た(谷口耕生氏ご教示)。これにより、さらに3巻の千光寺本が加わった。また、千光寺本以外のものとしては、今年度に追加された知見として、藤原の調査で布施美術館(滋賀県)に宝亀院本の1巻が所蔵されていることを確認した。
 上川『日本中世仏教と東アジア世界』(塙書房)・菊地『鎌倉仏教への道』(講談社選書メチエ)では、本課題での成果を一部盛り込んだ。藤原「佼成図書文書館所蔵勧修寺大蔵経本「修法表白」」(『勧修寺論輯』8、2012年)では、影印に解題を付して紹介した。


一般共同研究 研究課題 埼玉県関連中世武蔵武士関係史料の調査・研究

研究経費 44万円
研究組織
 研究代表者   新井浩文(埼玉県立文書館)
 所外共同研究員 黒田基樹(駿河台大学)・清水 亮(埼玉大学)
 所内共同研究者 井上 聡

研究の概要
(1)課題の概要
 埼玉県下においては、昭和57年刊行の『新編埼玉県史』資料編の刊行より約30年を経て、新出の中世史料が多数発見されるに及び、新たな史料集の刊行が切望されている。申請者の所属する埼玉県立文書館においては、こうした新出史料をまとめて『埼玉県史料叢書』として刊行することを予定しており、その前提となる史料調査を計画している。調査にあたり、関連史料の豊富な蓄積を持つ史料編纂所と共同して行うことができれば、調査の効率化は言うまでもなく、調査精度の向上や成果の管理・蓄積・公開に関する新たな実践を行うことが可能となる。申請者が公務として行っている調査・研究・編纂・公開という作業は、史料編纂所における研究業務と共通する所が大きく、互いに経験交流を行う意義は大きい。また史料編纂所においても、近年、埼玉県下の中世史料の採訪を十全に実施しておらず、本研究のめざす共同調査はそれを補うものとなるだろう。あわせて撮影機材の革新や、ネットワークの深化などをふまえ、前近代日本史情報国際センターの支援を仰ぎつつ、調査成果の共有や公開に関する実験的な取り組みも実践してゆきたい。

(2)研究の成果
 埼玉県関連史料の調査にあたっては、情報の交換などにおいては協力関係を築いてきたが、一体となって調査を行うことはなかった。共同研究として調査を実践することで、史料所蔵者の負担を低減するにとどまらず、それぞれの方針に根差した調査技法の交流、管理・保存・公開にむけた調査情報の標準化などを通じて、文書館と研究機関間の連携や機能分有のあり方を探ることができた。今後、さらに継続的に取り組むならば、機関間連携におけるモデルを構築することができるだろう。
 個別具体的には、武蔵武士団関係史料のうち、複雑な伝来をたどり、かつ関連史料が各地に散在する「安保文書」の調査・研究を実践した。良質の近世写本を多く所蔵する尾道市在住の安保清和氏宅を訪ね、調査・撮影を行い、既に原本が失われている史料群の検出を行った。また京都八坂神社においては、同社領であった播磨国須富荘関係史料の調査・撮影を行い、安保氏庶流の活動実態を検証することができた。同社所蔵史料は、文書館・史料編纂所ともに未見であり、初めて原本にもとづくテキスト校正・調書作成をすることが叶った。両調査の実践によって中世安保文書の総体を復元しうる段階に達し、基礎的研究条件が整ったと言えるだろう。なお安保文書の調査に平行 して、埼玉県内所在の中世武蔵武士関係史料について、両機関の有する情報を精査し、新出文書の検出および目録整備を行った。


一般共同研究 研究課題 永青文庫伝存細川忠利授受文書の情報資源化と基礎的研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   稲葉継陽(熊本大学)
 所外共同研究員  吉村豊雄(熊本大学)
 所内共同研究者 山口和夫・木村直樹

研究の概要
(1)課題の概要
 公益財団法人永青文庫所蔵、熊本大学寄託、同図書館保管の膨大な熊本藩主細川家伝来「永青文庫」史資料の詳細目録調書編成と史料群の全容把握とを進める基礎作業の一部として、標記課題について共同研究を進める。
 具体的には、幕藩体制確立期の二代目小倉藩主・初代熊本藩主(1620元和6襲封-1641寛永18年歿)細川忠利に焦点を定める。
 文庫伝来史料のうち、細川忠利文書につき、受信文書原本(将軍家・江戸幕府老中・所司代・旗本・諸大名等から忠利充)、発信文書原本(嫡男光尚や奉行衆充)・案紙(父忠興や諸方充)を総体として扱い、史料デジタル画像および目録を作成し、それらを公開することを目的とする。

(2)研究の成果
 史料受託・研究機関に属する代表者等と、『細川家史料』を調査・研究・編纂中の史料編纂所専任教員との協業により、 大規模な細川家伝来永青文庫史料群中で、研究対象とした細川忠利授受文書のうち裁可文書群(全57巻約2500通)、当主の奉行宛達書群(約500通)等原本の相当分について、史料デジタル画像の作成と、対応する目録データ稿の作成(内容調査・年次比定等)とが進捗した。
 双方が蓄積してきた素材・事項・人名等のデータを共有し、検討会合を実施したことは、目録データ稿作成上、効果があった。
 さらに、共同研究・共同史料調査の知見を加味し、研究代表者所属機関・史料編纂所とも、当該年度刊行の史料集の内容を向上させることもできた。


一般共同研究 研究課題 中世古文書に使用された料紙の顕微鏡画像のデータベース化と非繊維含有物の分析

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   江前敏晴(東京大学)
 所外共同研究員 佐藤円香(法務省法務史料展示室)
 所内共同研究者 保立道久・久留島典子・金子 拓・高島晶彦・山口悟史

研究の概要
(1)課題の概要
 古文書史料を構成する料紙を、単なる筆記材料としてではなく、当時の文化社会状況を推定する根拠とするための第一歩として、史料料紙の系統的な識別と分類を試みている。紙に含有する非繊維の粒子状物がどのような物質であるかを分類基準にしようという考えに立って、裏面からの照明を使って顕微鏡で写真撮影を行い、その他の史料情報とともに研究資源として蓄積することを目指す。含有物として想定できるのは、植物組織である柔細胞、米粉デンプン、白土などの鉱物、残留煮熟剤であるが、分光分析やX線回折法を使って粒子状物の成分を科学的に同定すると同時に、それらがどのような外観と特徴を持つかを顕微鏡観察により把握する。両者の対応関係を見出すことで、顕微鏡画像による粒子の形状や外観から、物質の種類を同定することが可能となる。

(2)研究の成果
 大徳寺における調査については、精細顕微鏡を輸送し、(1)繭紙類については引合(上)2点、引合(中)5点(その他類似の料紙2点)、引合(簀肌)6点を確認した。(2)強紙類については強杉原6点を確認し、その他、強杉原に澱粉が大量に添加された料紙三点を確認した。(3)澱粉紙については6点の文書の詳細データを取り、室町幕府奉行人奉書(竪紙)と守護の使用する杉原がほぼ同質の紙であるという結論をえた。(4)柔細胞紙については美濃紙から柔細胞由来と考えられる膜状物の写真を確保した。これらの透過光、顕微鏡画像の公開について所蔵者の了解をいただいた。大徳寺文書に関しては、最終的に40点の文書料紙について100倍、200倍、400倍の画像各2枚ずつの顕微鏡撮影を行い、合計240枚の顕微鏡画像データベースを作成した。
 岐阜県美濃市蕨生の長谷川和紙工房で保管されている美濃紙及び石州半紙を顕微鏡観察した結果、前者では柔細胞が観察され、後者では透明な膜状物が観察された。この膜状物は、柔細胞内に含まれていたデンプン及びヘミセルロースからなるものであるか、抄紙工程で添加されたネリからなるものかは両者の比較だけでは判別できない。紙の原料繊維となるコウゾの甘皮を煮熟前後で比較すると、直径約10マイクロメートルの柔細胞と2マイクロメートル程度の透明な粒子が前者で観察された。後者では柔細胞のほか、柔細胞と同程度の寸法を有する無機物質の存在が、偏光を使うことによって(結晶性物質のみが光る)確認されたが、この粒子はシュウ酸カルシウムと考えられた。紙打ちを行って(木槌で打って)乾燥しただけのコウゾ繊維試料を観察したところ、繊維間に膜状物を確認することができた。偏光下では暗く見えたことから、セルロース(結晶構造を有する)ではなく、柔細胞が破裂して流出したデンプン及びヘミセルロースであると考えられた。この膜は透明な均質フィルムではなく柔細胞の中に含まれている直径1~2マイクロメートル程度のデンプン粒子らしきものが混在していたことから、膜状物は紙打ち行程中の柔細胞の破裂によって形成されることがほぼ結論できた。紙打ち後に紙出し(網に繊維を入れて流水で洗う工程で灰汁の残りや柔細胞が除去される)の工程を経たものは、ほとんど膜状物は観察されないこともこれを支持する。ただし、紙出し後にネリを加えるとわずかながら膜状物質が観察されたものの、ネリを添加していない場合にも残存する柔細胞に由来すると考えられる膜状物がわずかながら見られたことから、ネリ由来の膜状物生成は皆無ではないにしても極めて少ないと言える。
 古今紙漉紙屋図絵に関しては、奈良時代から昭和30年代に至るまでの144種類の和紙について100倍、200倍、400倍の画像各2枚ずつの顕微鏡撮影を行い、合計864枚の顕微鏡画像データベースを作成した。同一産地の和紙について、近現代の紙と古和紙では、非繊維物質に違いがあるのかどうかという考察が可能と思われるが、今回は時間的な制約により十分な考察には踏み込めなかった。今後の課題としたい。


一般共同研究 研究課題 対馬宗家文書の料紙研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   富田正弘(富山大学名誉教授)
 所外共同研究員 地主智彦(文化庁)・藤田励男(九州国立博物館)
 所内共同研究者 鶴田 啓

研究の概要
(1)課題の概要
 長崎県立対馬歴史民俗資料館の宗家文庫史料には、朝鮮国の礼曹・東莱府・訳官などから対馬藩側に送られた文書やその翻訳(和解)、対馬藩から朝鮮側に送った文書の控が数多く残されている。朝鮮産紙と日本産紙の判別は、その生産技法に即した研究の結果、ようやく可能となってきた。一般に、朝鮮側が発給者である文書は朝鮮産の紙に、対馬藩側が発給者である文書は日本産の紙を用いたと考えられるが、これはまだ料紙の面から確認された事実ではない。また、対馬・朝鮮間でやりとりされる文書は多様であり、印の有無だけでは文書の性格(正文、案文、控、写など)を確定しにくいものもある。そのような場合、その料紙が朝鮮産か日本産かが分かれば、文書の性格について重要な情報を提供できることになる。  そこで、宗家文庫史料のうちの朝鮮との往来文書全体の料紙について1点ずつ調査し、また日本国内に所蔵する朝鮮国古文書(京都大学所蔵)の料紙と比較することにより、朝鮮産紙の特徴と日本産紙との区別をより明確にしようとするものである。このことにより、対馬で偽造されたという外交文書についても、料紙の面からいくつかの所見を提供することができるようになると考える。

(2)研究の成果
 『京都大学附属図書館における調査では、朝鮮時代の土地売買証文を主とする河合文庫文書を対象に、朝鮮時代の古文書料紙の調査を行った。対馬歴史民俗資料館では、朝鮮国礼曹・東莱府使・訳官などから対馬側にもたらされた書状類や覚(手控え)類の料紙調査を行った。調書の主要項目は、料紙の縦横寸法・厚さ・重さ・密度、繊維の太さ・長さ、紙面の簀目本数・糸目幅、簀目・板目・刷毛目・紗目の側面(裏か表か)、繊維束の有無、吊皺の有無、漉斑の有無、混入物の有無、填料の米粉・白土の有無、非繊維物質の残存の有無などである。
 その結果、①朝鮮の楮紙では、一般に糸目幅が2センチメートル以内で日本の楮紙のそれよりも狭いこと、②朝鮮では文書発給者の高下や正式文書か略式文書かなど、いわば文書の「格」による紙の使い分けが顕著であること、③格式の高い文書の場合、一般に打ち紙を施した上で貼り合わせた紙を料紙として使用すること、すなわち朝鮮ではこのような紙が上級の紙と認識されていたらしいこと、④化粧裁ちのない紙の寸法から、元々の大きさ(=漉き上がり状態での大きさ)が100×66センチメートルほどであったと考えられること、⑤文書料紙は、縦長の紙を縦横とも適当に切って使用していること、その大きさは④の大きなものでも縦130センチメートル、横80センチメートルが限度であること等の知見を得た。
 これらを利用すれば、対馬宗家に伝えられた朝鮮国礼曹や東莱府(あるいはその下の訳官)名義の文書について朝鮮産料紙か日本産料紙かを判断することができ、その文書の作成経緯(朝鮮か対馬か)についても、発給者名や文面とは別の情報を得ることが可能になる。


一般共同研究 研究課題 益田氏系図の研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   井上寛司(島根大学・大阪工業大学名誉教授)
 所外共同研究員 原 慶三(島根県立松江商業高等学校)・木原 光(益田市教育委員会)
 所内共同研究者 久留島典子

研究の概要
(1)課題の概要
 中世史分野を中心として、現在確認し得る限りの益田氏系図のすべて(東京大学史料編纂所所蔵の益田家文書やその他の収集分のみならず、山口県立文書館や島根県益田市内等で確認できるものなどを含む)を収集するとともに、それらの類型区分と、その相互の比較検討、及びそれらの系図と益田家文書や益田氏関係文書との照合などを通じて、中世益田氏系図のより正確な復元と、中世益田氏の系譜に関わる諸問題(中世益田氏の出自、南北朝期益田兼見の益田氏惣領との関わり、中世益田氏の惣領・庶子関係と各種庶流家の分布状況、益田氏を含む三隅・福屋・周布氏以下の御神本氏一族の全容など)の解明を進める。

(2)研究の成果
 益田(御神本)氏系図に何種類か存在することは従来から知られていたが、その全体が調査・検討の対象とされることはなかった。今回初めてそれが実施され、次のような成果を収めることができたと評価できるであろう。
 1.益田市内や島根県立図書館、山口県文書館、萩博物館及び東京大学史料編纂所等で所蔵・収集されているものなど、今日において確認可能な益田(御神本)氏系図のほぼすべて(約30点余り)を収集することができた。
 2.これら諸系図相互の比較・検討などを通して、その全体が大きく2つのグループに区分できることが明確となった。益田譜録の影響下にあるもの(A)と、それに先行して成立したため、その影響を受けていないもの(B)とである。
 3.この類型区分を踏まえ、とくにBに盛り込まれたAとは異なる情報と益田氏関係文書との対照や詳細な検討などを通して、室町・戦国期に較べ、関係文書の残り方に大きな制約がある平安・鎌倉・南北朝期の益田氏の歴史的実像の解明(=益田氏関係文書の欠落を系図によって補う)が、多面的な形で可能となることが明確となった。例えば、益田氏の出自について、従来はA類型の系図や益田譜録の理解に基づいて、都から降って来た国司が土着したものと考えられてきたが、石見国衙在庁官人の系譜を引く旧郡司層などの在地豪族である可能性の極めて高いことが明確となったことなどである。
 なお、本研究は島根県(益田市)と東京大学史料編纂所との「共同研究」として進めたことによってとりわけ大きな成果が得られたと考えられる点で、大いに注目されるところといえる。それは、史料の収集から分析、研究成果の取りまとめに至る作業のすべてについて、島根県(益田市)と東京大学史料編纂所のそれぞれに拠点を置く研究者が、ともに地の利を活かしながら、それぞれの抱える条件に応じた形で作業を分担し、主体的、かつ緊密な連携に基づいて調査・検討を進めたことによって達成されたものであったことによると考えることができよう。


一般共同研究 研究課題 古文書料紙の物理的手法による調査研究―上杉家文書による戦国期料紙の再検討―

研究経費 44万円
研究組織
 研究代表者   角屋由美子(米沢市上杉博物館)
 所外共同研究員 藤田励夫(九州国立博物館)
 所内共同研究者 鴨川達夫・高島晶彦

研究の概要
(1)課題の概要
 近年、古文書料紙の材質や製法を詳しく調査することによって、モノとしての古文書料紙を分類して体系的に位置付け、歴史学研究の資料として活用しようとする動きが高まっている。
 米沢市上杉博物館所蔵国宝上杉家文書中の戦国期文書料紙については、平成12~16年度において史料編纂所が大型科学研究費(COE)によって、調査を実施し、すでに一定の研究成果が蓄積されている。その後、古文書料紙研究は大きく進展し、戦国期文書に限っても、楮と雁斐の混合紙が相当数存在することが明らかにされるなど、新しい局面を迎えている。また、測色計、光沢度計や高精細顕微鏡による調査など、新たな研究手法が付け加えられるようになった。
 本課題では、先行研究の成果と近年の古文書料紙研究分野の進展状況を踏まえ、新手法も交えながら、より精度の高い戦国期古文書料紙研究を目指す。

(2)研究の成果
 今回の調査で、戦国大名後北条氏の当主・一族・家臣の発給文書62点のうち、41通が斐紙、18通が楮紙、1通が三椏紙、2通が混合紙であることが判明した。
 楮・雁斐・三椏の典型的な顕微鏡画像と光沢度や配向の客観的数値をえることができた。基本的には、密度・光沢度は、雁斐、三椏、楮の順で、雁斐が高いものである。密度や光沢度は、紙の薄さ、斑、デンプンの量、漉き返しかどうかによって数値が下がることが判明した。実際雁斐で密度0.35、0.39といった数値を示すものがあり、本来であれば楮紙の数値であるため、若干の課題が残った。
 雁斐繊維に墨のようなものの付着や、藍色に染めた繊維が微量に混入されているなど純粋な雁斐繊維ではないことが判明した。
 繊維配向性について、雁斐・混合紙(斐楮)と思われるものは、書記面より非書記面の平均値のほうが高いことが判明した。


一般共同研究 研究課題 益田家文書御用状についての史料学的研究

研究経費 45万円
研究組織
 研究代表者   田中誠二(山口大学)
 所外共同研究員 木部和昭(山口大学)・森下 徹(山口大学)
 所内共同研究者 久留島典子・杉本史子・及川 亘

研究の概要
(1)課題の概要
 史料編纂所所蔵益田家文書近世分には、近世前期における萩藩家老職在任中の史料が多く含まれている。萩藩の藩庁史料としては山口県文書館毛利家文庫が知られるが、編纂史料が中心で近世中後期に比重があるために、現用史料を多く含む益田家文書はその欠を補うものとなっている。なかでも注目されるのは、国元と江戸との間で交わされた御用状の存在である。近世前期の幕藩関係はもとより、国元や、江戸、大坂での情報も多く得ることができる。益田家文書には写や下書きも含めてたくさん見出すことができるし、一定の期間についてまとめた「御用状控」も17世紀半ばのものが残されている。本研究は、山口県在住の萩藩研究者が史料編纂所内の研究者とともに御用状の史料学的研究を行い、同時に「御用状控」を翻刻して細目録も付して公開することで、近世前期の幕藩関係史、萩藩政史研究、都市史研究などに資することをめざすものである。

(2)研究の成果
 東京大学史料編纂所蔵益田家文書に含まれる御用状控は、近世前期の萩藩中枢における意思決定過程をうかがうことができ、また幕藩関係史のうえでの貴重な内容を含むものでもある。本研究は昨年度に引き続き、その利用環境を整備することをめざして、翻刻・公開の準備を行った。昨年度は御用状を1ケ月程度ごとにまとめた御用状控のうち、翻刻原稿のあった慶安5年から承応2年までのものを対象に、写真版および原本による確認作業を行った。今年度は翻刻原稿のなかった承応2年分について、あらたに筆稿原稿を作成した上で、史料編纂所にて原本による文字の確認を行った。また史料的な性格についても研究打ち合わせ会の場で意見交換した。所蔵機関の共同研究員と萩藩を研究フィールドにしている山口県在住の研究者とが共同で検討することで、円滑に作業を進めることができた。
 なお本研究の研究成果の公開としては、研究期間中に作成した御用状控の翻刻を『東京大学史料編纂所蔵 益田家文書「御用状控」』(「東京大学史料編纂所研究成果報告」の2012-1)として刊行した。