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所報 - 刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十七 大徳寺文書別集 真珠庵文書之七

本冊においては、一九八八年度より出版してきた真珠庵文書の重書箱の部分の編纂を終了するとともに、真珠庵の所蔵する重書箱に整理された以外の文書(便宜、箱外文書と称する)の編纂に取りかかった。

まず重書箱については、前冊につづき、壬箱の編纂を行い(九〇八号より九二〇号)、さらに以箱の編纂を行った(九二一号より一〇一五号)。なお、壬箱に続く癸箱、また以箱に続く呂・波などの諸箱は、禪籍・詩歌あるいは近代の諸書類などの類を主とする関係で、収録していない。

次に、箱外文書の様態はきわめて多量・多様である。本冊においては、まず二つの手箱から編纂に取りかかった。この手箱はどちらも漆塗りのものであるが、その箱蓋表の文様により、その第一を亀甲箱(一〇一六号より一〇三六号)、第二を松竹梅箱(一〇三七号より一〇四七号)と称した。

内容について箱順に説明すると、まず壬箱はおもに室町期から戦国期の文書で、真珠庵あるいは酬恩庵・深岳寺などの所領に関わる文書を巻子にまとめたものである。波多野秀忠・柳沢信政・宮木宗賦・柳本賢治など武人の興味深い文書も多い。また九一七号は、従来、連歌師の宗長手記などによって知られていた大永六年の大徳寺山門造営の関係文書である。その他、九一六号文書は今宮神社古文書であり、これも貴重なものである(そのうち(8)
は、今宮神社文書に第一紙のみ別案がある。なお、今宮神社文書をふくめて、壬箱はすべて史料編纂所架蔵の真珠庵文書影写本(大正一五年作成)にふくまれている)。

以箱の内容はきわめて多彩であって、一々の説明はむしろ省略したい。ただ、寺史にとって欠かせないのは九二一号の将軍護良親王令旨、九九四・九九五号の華叟宗曇の文書、九五八・九五九号の実伝宗真関係文書、九三一号の将軍足利義詮御判御教書などであろう。とくに最後のものは徹翁義亨の大徳寺・徳禪寺住持職を安堵し、門弟相承を認めたもので、従来は『龍宝山志』によって知られていたものである。その他、九三二号の中院良定、九四六号の洞院公敏などの後醍醐近臣の書状は後醍醐と宗峰妙超の関係を示唆する意味でもきわめて重要なものであり、また九三九号から九四四号の住吉関係文書も南朝と大徳寺の関係を示すものということができる。なお、一〇〇四号文書の沙弥常興(大館尚氏)書状は、封紙が折封、本紙が無封である。料紙が鳥子で、封紙内面に封帯の墨引の墨映もなく、いわゆる切放ち封でもないと判断した。

最後に亀甲箱・松竹梅箱の文書の内容についても同じく省略に従うが、ただ一〇四〇号の晦翁宗昭書状の花押がこれまで知られている本坊所蔵文書(八二四号文書など)とは異なっている。これは晦翁が但馬祐徳寺から臨向寺に隠棲の後に、使用する花押を変えたものではないかと考えている。

(例言二頁、目次二一頁、本文三〇二頁、花押印章等一覧一六頁、本体価格六、九〇〇円)

主担当者 保立道久

『東京大学史料編纂所報』第44号 p.32-33