
二〇〇七年十一月八日・九日の両日、大阪歴史博物館に赴き、同館寄託太
田家文書の調査・撮影を行った。参加者は、金子・黒嶋ほか、科学研究費基
盤研究(C)「「信長記」諸本の史料学的研究」の研究分担者堀新、研究協力者
杉崎友美・桐野作人・矢部健太郎・和田裕弘である。
太田家は『信長記』の著者太田牛一の末裔にあたり、近世には摂津麻田藩
青木家に仕えた。同家の伝来史料のうち主要なものは、明治四十五年に本所
(当時東京帝国大学文科大学史料編纂掛)の採訪を受け(当時の所蔵者太田
直敬氏)、現在謄写本(『猪熊物語』『青木民部少輔組高付』『太田由緒書』
『太田系図』『青木伝記』)・影写本(『摂津太田文書』)として架蔵されている。
このとき史料編纂掛の採訪を受けなかったとおぼしき史料として、『信長
公記』写本九冊一四帖(天正十年にあたる巻一五を欠く)がある。石田善人
氏によって初めて紹介されたものであり(「池田家文庫等貴重資料展『信
長記』と池田氏解題」岡山大学附属図書館、一九七七年)、太田牛一末裔
に伝来した写本ということで注目される伝本である。
現在太田家伝来の史料は一括して大阪歴史博物館に寄託されている(現在
の所蔵者は直敬氏令孫直憲氏)。今回は前記『信長記』ほか、史料編纂掛採
訪済史料や、太田家の由緒を伝える近世文書を含め、あらためて調査・撮影
を行った。撮影リストは左記のとおりである。冒頭の数字は大阪歴史博物館
作成の目録番号。※印は史料編纂所に謄写本で架蔵しており、〔〕内に登
録書名と架番号を掲げる。*印は影写本『摂津太田文書』収録文書。
1 猪熊物語(太田牛一自筆)※〔2040.5-78〕 一冊
2 信長公記 九冊
3 太田系図 一巻
8 一新公・一貫公御判物包紙 一紙
9 天正十三年壬八月二十二日豊臣秀吉判物* 一紙
10 十一月三十日徳川家康判物* 一紙
11 昭和六年九月七日豊国大明神臨時御祭礼記受取状 一紙
12 由緒書※〔『太田由緒書』2075-310〕 一冊
15 慶長十八年正月青木民部少輔組高付(文化三年写)※〔『青木
民部少輔組高付』2053-52〕 一冊
16 嘉永三年正月御当家被召出候以後由緒書 一冊
17 元禄五年信長記題跋写* 一紙
18 江原家持青木伝記※〔『青木伝記』2075-312〕 一冊
19 嘉永四年四月太田牛一自筆本由来 一紙
20 東京帝国大学史料編纂所書状 五通
21 豊国神社書状 五通
22 寛文四年四月五日幕府知行宛行状写(青木重兼宛)* 一紙
23 元和九年十二月二十八日藤堂高虎知行宛行状* 一紙
24 明治四年二月二十二日麻田藩庁掌任用状 一紙
25 元和四年十月十八日藤堂高虎知行宛行状* 一紙
26 豊国大明神臨時御祭礼記録写(昭和六年写) 一巻
27 太田系図※〔2075-311〕 一巻
28 旧藩主青木家系図 一巻
29 宝暦四年十二月二十八日知行宛行状(太田牛暢宛) 一紙
30 宝暦八年二月二十八日知行宛行状(同右) 一紙
31 宝暦十二年正月晦日知行宛行状(太田牛教宛) 一紙
32 明和七年九月六日知行宛行状(同右) 一紙
33 安永四年六月四日知行宛行状(同右) 一紙
34 天明二年五月十九日知行宛行状(太田牛直宛) 一紙
35 文化七年七月六日知行宛行状(同右) 一紙
36 宝暦七年九月十日知行宛行状(太田牛教宛) 一紙
37 文化十年七月三日知行宛行状(太田城之助宛) 一紙
38 文政四年八月十一日知行宛行状(太田牛孝宛) 一紙
39 文政八年十一月二日知行宛行状(同右) 一紙
40 天保四年正月十一日知行宛行状(太田豊作宛) 一紙
41 天保七年正月十一日知行宛行状(同右) 一紙
42 天保九年正月十一日知行宛行状(同右) 一紙
43 天保十三年正月十一日知行宛行状(同右) 一紙
44 弘化四年十二月二十八日知行宛行状(同右) 一紙
45 嘉永二年十月二日知行宛行状(同右) 一紙
46 嘉永三年九月二十三日知行宛行状(太田牛脩宛) 一紙
47 安政三年八月二十八日知行宛行状(同右) 一紙
48 文久四年正月十一日知行宛行状(同右) 一紙
49 慶応二年正月十一日知行宛行状(同右) 一紙
50 慶応二年十月十日知行宛行状(太田牛信宛) 一紙
51 明治二年九月十九日知行宛行状(太田牛貞宛) 一紙
55 太田亦兵衛(牛輝)来翰集 一巻
62 慶長七年四月十六日馬術秘伝書 二通
所蔵史料調査撮影の許可を与えられた所蔵者太田直憲氏および同照夫氏、
また、情報収集でご協力を賜わったうえ調査当日もご参加いただいた寝屋川
市教育委員会市史編纂課長尾﨑安啓氏、寄託先であり調査撮影場所を提供い
ただくなど種々便宜をお図りいただいた大阪歴史博物館、同館大澤研一氏に
厚く御礼申し上げたい。
(金子拓・黒嶋敏)
『東京大学史料編纂所報』第43号p.80