
京都大学文学部日本史研究室所蔵「西尾種熊氏文書」については昨年度調査を行い、その目録を所報第三五号に掲載した。そのうち天平勝寶八年七月十二日大井荘勅施入文案については『大日本古文書』『奈良遺文』『岐阜県史』などに未紹介であることが確認されたため二〇〇〇年一〇月に再度調査した。その釈文を左に掲げる。
□旨所
大井庄壹處
在美濃國安八郡
四至東限藤江 南限生子墓西限若森 北限川口
以前奉去三月五日 勅所入如件、
天平勝寶八歳七月十二日
從二位行大納言紫令(ママ)中衛大將近江守藤原朝臣仲麻呂
從二位行左京大夫兼侍從大倭守藤朝臣□手
□□[ ]上紫微少弼兼少將山背守法萬(ママ)朝臣福信
[ ]微大忠正五位下兼行左衛率右馬監加茂朝臣角足
[ ]五位上行紫微少忠葛木連戸主
□□□宣旨等大井庄四至云々、
大政官牒東大寺(ママ)
應如舊領掌美濃庄貳箇□[ ]
[ ]□□郡□[ ]
○以下欠
○以下、一紙欠あって延久三年六月三十日太政官牒案〔前後欠〕(東大寺図書館所蔵未成巻文書1—25—519)に繋がる。なお本太政官牒案の別案は、『大日本古文書 東大寺文書之五(内閣文庫所蔵)』九八号(一〇)にある。
(遠藤基郎)
『東京大学史料編纂所報』第36号p.60