東京大学史料編纂所

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京都大学所蔵「讃岐国善通寺領絵図(写)」の調査・撮影

 二〇〇〇年六月と七月の二回にわたり、京都大学総合博物館・文学部古文書室に出張し、『日本荘園絵図聚影』五上・西日本一(二〇〇一年二月刊行)に収載するため、「讃岐国善通寺領絵図(写)」二点の調査を行った(以下、甲本・乙本と仮称)。『日本荘園絵図聚影』五上では甲本を「讃岐国善通寺領絵図(写) その一」、乙本を「同 その二」として収録した。両者とも、善通寺所蔵の重要文化財「讃岐国善通寺伽藍並寺領絵図」の近代に作製された模写本である。乙本については、(株)便利堂を同行して八×一〇判モノクロ一カット(全図)、同カラーポジ四カット(全図一、分割三)の写真撮影を実施した。調査に際し種々便宜を図っていただいた京都大学文学部古文書室助手有坂道子氏に厚く謝意を表する。
 甲本の登録名称は「讃岐国善通・曼荼羅両寺領絵図(写)」で、もと文学部国史学研究室(古文書室)に所蔵され、現在は総合博物館所蔵となっている。内容は、料紙の欠損・虫食い等を含め、善通寺所蔵原本をほぼ現状のままに模写したもので、裏打はなく、いわば模写本作製の際の下書きに相当する図のように思われる。ただ、甲本には、善通寺所蔵原本に現在は見られない記載が四箇所(A)あることが注目される(金田章裕『微地形と中世村落』)。逆に原本に存在する記載で甲本にないものが三箇所(B)あり、また、原本で絵図の面の裏に記されている徳治二年の年紀のある墨書(C)も写されていない。
 乙本の登録名称は「善通寺境内并近傍之図」で、文学部古文書室の所蔵とされている。「京都帝国大学図書之印」の蔵書印と登録印が捺されている。登録日は「大正6・9・8」とあり、また上記のCの墨書を写した部分に「大正六年ヨリ遡リテ/六百十一年」と朱書した付箋が貼付されている。乙本は、礬水引きした料紙を用い、復元模写に近い描写で記載され、裏打・表紙を付すなど装幀も施されている。こうした点から、乙本は大学の正式な蔵書とするために作製された清書本であるように思われる。ただ、乙本には、原本にあって甲本にない記載が写されている場合があり、原本で絵図の面の裏にある墨書(C)を、絵図と同じ面の西南部分(原本では記載のない部分)に写しているほか、上記のBの記載も乙本には存在する。一方で、甲本にあって現状の原本に見られない記載(A)は乙本になく、あるいは原本と甲本にある記載で乙本に写されていないものも存在する。記載の異同については、原本との関係を含めなお詳細に検討する必要があろう。甲本をもとに清書本として乙本が作製されたと考えるにしても、乙本作製の段階で原本(ないし甲本とは異なる模写本)と対校されたことが推定される。原本に添付されている書き付けによれば、原本が京都山科の随心院から善通寺に持ち帰られたのが明治四〇年一月であり(高橋昌明・吉田敏弘「善通寺近傍絵図現地調査報告」、『荘園絵図の史料学および解読に関する総合的研究』所収)、京都帝国大学の創設が明治三〇年、同文科大学の増設が同三九年、乙本の蔵書登録が大正六年という時間的関係の中で、甲本・乙本の作製と甲本のみに見える記載(A)が生じた経緯をどう考えるか、解明が必要な課題であろう。
 (山口英男)


『東京大学史料編纂所報』第36号p.59