東京大学史料編纂所

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春日大社・奈良国立博物館所蔵史料の調査

 二〇〇〇年二月一日から四日の四日間、『大日本史料』第三〜八編編纂関係の史料蒐集のため奈良市内に出張し、春日大社・奈良国立博物館所蔵史料の調査を実施し、調書の作成・原本校正を行った。調査には所蔵機関のご高配を賜り、とくに春日大社祭儀課長岡本彰夫氏・同宝物殿主任学芸員松村和歌子氏、奈良国立博物館仏教美術資料研究センター資料管理研究室長西山厚氏にはご教示・ご協力を賜り、奈良国立文化財研究所歴史研究室長綾村宏氏のご同行も得た。ここに謝意を表す。以下、形式は整序されていないが、主な所見を示す。
1【春日大社所蔵史料】
 マイクロフィルムによる撮影を行うようになって以降、本所では、春日大社所蔵史料等のうち古文書(刊本『春日神社文書』所収)は、一九七二(昭和四十七)年度にほとんどの撮影を終了し、一九八一(昭和五十六)年度より、『春日神社記録目録』(昭和四年、官幣大社春日神社社務所)を手がかりに、記録類の調査・撮影を開始して、一九八五(昭和六十)年度まで五回にわたり、毎年五日間程度の史料採訪を行っている。詳細については『所報』十七〜二十一号に目録が掲載され、すでに写真帳『春日神社文書』[6171.65—20]、『春日大社史料』[6170.65—4]が配架されている。記録類は、『春日神社記録目録』「目録部」の全てと、「日記部」「仏事部」「造営部」のうち近世初頭以前のものにつき、マイクロフィルムによる撮影を終了した。一部虫損などで状態が悪いものや紙背文書のある史料については、本所の技術部にて修補し、修理後に改めて本所でも撮影している。
 しかしながら、「社記部」は一部について調査のみを行い、『目録』で先の各部に分類されているもののうち、「書画」の番号が振られているものについては未撮影が残る。また「祭典部」「制度部」「楽舞部」ほかの部へは調査が及んでいない。そこでこの度、調査再開の準備を兼ねて、古代中世編年史料と関わりの深いものを中心に調査を行った(後日、撮影・修補のため、虫損の甚しい史料等五点を借用した)。以下は、その目録と所見である。なお文中、「神社文書」は、『春日神社文書』(全三巻、春日神社社務所、一九二八〜四二年)を、「大社文書」は、『春日大社文書』(全六巻、吉川弘文館、一九八一〜八六年)を指し、前掲『春日神社記録目録』での頁を示した。

[社記(宝庫)]
(書二五)「神木御帰座次第書」 一巻                 目録一頁
[社記(書庫)]
(社一九)「春日神社御幸之記」 一巻                  目録四頁

 ※巻子。貼付外題「表 春日社御幸記/裏 大和舞之記」、ラベル「大正十五年塚田□□(武馬)氏寄附」、奥書「右依大破加修理者也、干時/嘉永二年六月十六日 冨田光美(印)」。表には、治安元年十月十四日後一条天皇宣命写(「大社文書」一一一五号)、元亨二年八月日行造伊勢豊受太明宮事所書下、永仁元年氏長者近衛家基春日詣文書写等(「大社文書」一一二九号)。裏には、大和舞式等(「大社文書」一一二九号)。『春日大社名宝展』(奈良国立博物館、一九九五年)五九頁に一部図版掲載。  

(社二三)「弘安五年御進発日記」                   目録四頁

 ※一冊、袋綴、三〇・五×二三・〇。虫損甚し。塚田武馬氏寄贈本。中臣祐世、弘安五年五月一日〜八月二十一日、神木動座の間の神事日記。奥に「[ ]帰座次第大概注進如件、/弘安六年三月 日春日執行正預正五位下中臣[  (祐家)/  ]二条殿□□文ト云々、」とあるが、全体にかかる記載かなお検討を要する。『春日社を映す鏡』(春日大社宝物殿、一九九六年)二〇頁に一部図版掲載。永島福太郎『春日社家日記』(高桐書院、一九四七年)六四頁以下に言及のある史料。

(社四七)「旧記数本之抜記〈寛永二十年〉」  一冊(大正五年写)   目録六頁
(社四八)「旧記内勘例〈始安貞二年終元亀三年〉」           目録六頁

 ※一冊、袋綴、二六・八×一九・〇。虫損甚し。表紙「始安貞二年終元亀三年/旧記内勘例/若宮神主祐栄」、表紙見返「春日社々家/大東家所蔵」、本紙第一丁オ「一、旧記之内勘例恠異言上之事/安貞二年祐賢記ニ/…」、奥「春日社々家/大東家所蔵/墨付五十二丁」。

(社四九)「旧記先例勘進覚事〈慶安元年〉」  一冊(大正八年写)   目録六頁
(社五〇)「旧記勘例〈自天正十六年至元和五年〉」  一冊       目録六頁
(社五一)「注進旧記之写〈自寛元四年至建治四年〉」          目録六頁

 ※一冊、袋綴、表紙とも一五丁、二七・六×二一・五、近世写。水屋河に関わる社家日記からの抜書。1『中臣祐定記』寛元四年三月三十日、2『中臣祐賢記』文永四年三月八日〜七月二十二日、3『同』文永十年十二月二十日、4『同』建治四年六月一日所引「春日社条々制事」の一条。奥書「右分、若宮神主家之旧記之内且撰出之、」  

(社五二)「注進旧記之内〈自建治四年至寛喜三年〉」          目録六頁

 ※一冊、袋綴、表紙とも一五丁、二七・四×一九・七、近世写。(社五一)とほぼ同内容の記載。4、2、3、1(四月一日も)に続き、「寛喜三年六月廿六日、於水屋上之法師自客、依之御供水取止之、」とある。

(社五四)「十ヶ条取調書草〈明治五年〉」               目録六頁
(社五五)「十ヶ条取調書〈明治五年〉」                目録六頁
(社五七)「器物引渡目録〈明治五年〉」                目録六頁

 ※外題「明治五壬申稔七月/器物引渡目録綴/春日社務所」、内題「明治五〈壬申〉年七月/内蔵江諸道具納目録」、末尾「右之通御引渡申上候、以上、/明治〈壬申〉年七月 御蔵執事 従五位芝小路豊訓/従五位竹園用長/朝倉景隆/雲井春影」  

(社九一)「南郷常住古文書写」                    目録九頁
 ※出納されず。かなり以前より行方不明とのこと。
(写九四)「当社旧記」                        目録九頁

 ※一冊、原装袋綴・仮綴、表紙共八丁(紙背文書あり)。永島福太郎校注『神道大系 春日』(神道大系編纂会、一九八五年)に翻刻・解題あり。  

(社一〇〇)「若宮神主家記録勘例〈永仁二年以後〉」          目録九頁

 ※一冊、袋綴、二十四・六×十七・五、近世写。本所謄写本『春日社記録』四[2012—325—4]に含まれる同名書の原本。  

(社一二九)「春日社領越前国大野郡小山庄田数諸済等帳」       目録一二頁

 ※一冊。表紙「永享十弐年〈庚申〉卯月/春日社領/越前国大野郡小山庄田数諸済等帳/長栄」、奥書「昭和第二春写 □□□(ヨメズ)(朱印)」。  

(社一六七)「古今最要抄」                     目録一四頁
 ※全八冊。全体に虫損甚しく、詳細は再調査の際に報告する。
(社一六八)「古今最要抄第六抜書」                 目録一四頁

 ※一冊、袋綴、八丁、二四・八×一八・八。表紙「古今最要抄第六之抜書/大東」、本紙第一紙オ目次「神殿灯呂懸落御事/権官社務代事/朔旦冬至事/着到事」。但し「権官社務代事」に該当する内容は書写されていない。  

[祭典(宝庫)]
(書三六)「春日祭宣命祝詞本」                   目録二〇頁

 ※(書三七)とともに、一箱。箱ウワ書「春日祭宣命祝詞本 弐巻」、箱裏書「弘安六年二月 正預祐家筆一巻/応永二十六年 中臣祐時筆 一巻/春日社家大東家伝来」。もとの包紙「春日祭宣命祝詞本 伝来社司大東家」。包紙「春日祭祝詞 弘安六年二月筆記正預祐家」。続紙、二紙、二九・二×四四・七十四三・三。端裏「二季御祭祝」、奥書「執行正預中臣祐家(花押)春日祭宣命祝詞本 弘安六年二月十八日於社頭書了」「明治廿五年七月元春日社務/大東延慶寄附」。影写本『春日神社文書』[3071.65—8]一七、七一丁以下。「大社文書」一一一六号。  

(書三七)「春日祭宣命祝詞本」                   目録二〇頁

 ※続紙、二紙、三五・五×五〇・五+三八・四。端裏「春日祭宣命祝詞本 応永廿六年/祐時御筆」、袖下「社家大東家伝来」、奥書「此本ハ去応安八年乙卯二月十八日…」「明治廿七年十一月寄附/秀行三十代孫/春日神社祢宜従八位大東延慶(花押)」。影写本『春日神社文書』一七、七四丁以下。  

[祭典(書庫)]
(祭九四)「古今最要抄〈若宮祭例之条々〉」             目録二八頁

 ※一冊、袋綴。表紙「古今最要抄鈔第四/若宮祭礼条々」。(社一六七—一)の付加一箇条の識語の部分、中臣祐用の花押があり、その祖本に相当する。  

[造営(宝庫)]
(書一六七—)「春日社造営古文書」                目録三四頁

(一・三〜九・一一・一二・二一〜二三)※出納されず。
(二)建保二年春日御社造営并御遷宮記
 ※「大社文書」一一二五号。旧ラベル「造—古二の二」。表紙裏「明治八年第三月修理之、延慶」、第一紙端裏「紙数十四枚続壱丈八尺余 大東家蔵」。天三条地一条界線あり。前掲『春日大社名宝展』五七頁に一部図版掲載。

(一〇)自天文十八年三月廿二日至同年七月廿一日御造替段銭納下算勘状
 ※「神社文書」一一九九号、「大社文書」一一二八号。
(一三)寛永八年十二月当社御造営ノ時 山木伐除長者宣写
 ※「神社文書」一一九三号、「大社文書」九三七号。旧ラベル「造三四乙」
(一四)貞応元年十一月五日春日御社廻廊修造用途事
 ※「神社文書」一一八八号、「大社文書」六二七号。旧ラベル「造一一二」
(一五)貞応二年七月十日春日御社廻廊修造事
 ※「神社文書」一一八九号、「大社文書」六二九号。旧ラベル「造一一三」
(一六)春日御社廻廊修理用途事
 ※「神社文書」一一九〇号、「大社文書」六三〇号。旧ラベル「造一一四」
(一七)春日五社立柱上棟日時
 ※「神社文書」一一九一号、「大社文書」八五九号。旧ラベル「造一一五」
(一八)率川社造営用途云々
 ※「神社文書」一一九二号、「大社文書」六三九号。旧ラベル「造一二五」
(一九)万治三年緑香池さらへ普請入用覚
 ※「神社文書」一一九六号、「大社文書」九六八号。旧ラベル「造一三六」
(二〇)他所神社遷宮次第
 ※「神社文書」一一九七号。旧ラベル「造一三七(抹消)」
(二四)正遷宮文書断片
 ※「神社文書」一一九四号。旧ラベル「造一四三」。二九・五×一〇・五。墨界罫線あり。記録の断簡ならん。
  なお、参考史料として以下も調査した。
○造営記巻第五〈応永十四年/古物支配分〉
 ※「神社文書」一三三五号。旧ラベル「一三三五、第四」

○〔禄物注文〕
 ※「神社文書」一三三三号、「大社文書」一一二六号。旧ラベル「一三三三、第二号」。自署部分についての「大社文書」傍注の当否は判断できず。

○〔至徳元年禄物注進〕
 ※「神社文書」 一三三四号、「大社文書」一一二七号。
[制度(書庫)]
(宣四三)「久安三年二月正預中臣連祐房口宣案之留以下」       目録五六頁
(宣四四)「同年権預中臣祐通口宣案之留以下」            目録五六頁
(宣四五)「同年大中臣時盛口宣案之留以下」             目録五六頁
(宣四六)「保元三年三月廿八日正預中臣連祐清口宣案之留以下」    目録五六頁
 ※各一冊。以上四冊は、細目を採取した。
[楽舞(宝庫)]
(書二一)「楽所補任」 二巻                    目録六〇頁
(書二二)「楽所補任附属楽書」 五巻                目録六〇頁
 ※以上二点、前掲『春日大社名宝展』六四・六五頁に一部図版掲載。本所影写本[3086—2〜5]。
[古文書(宝庫)]
(書九)「院宣」 一巻                      目録一二一頁

 ※「神社文書」一二七〇〜一二七七号、「大社文書」五九四〜六〇一号。「大社文書」五九四号(第一紙:三三・〇×三八・六、第二紙:三二・八×二三・五)、五九五(礼紙:三二・三×四〇・二、第一紙:三二・三×四六・五、第二紙:三二・〇×二四・五)、五九六号(三三・二×四七・八)、五九七号(三四・一×五一・八)、五九八号(本紙:三三・五×四四・四、礼紙:三三・五×四八・一)、五九九号(本紙:三一・五×四六・三、礼紙:三一・六×三〇・八)、六〇一号(三一・五×三七・三)、六〇〇号(三〇・九×三七・二)。  

(書九八)「中臣祠司補任記」                   目録一二二頁

 ※現状、三冊を一箱に納める。それぞれ後補の表紙に「上」「中」「下」。上冊、首題「中臣社司補任着名」、冒頭「造営預補任次第〈今名正預〉」。中冊、首題「神宮預補任次第」、途中「預補任次第〈今名次預〉」・「権預補任次第」。奥書「永享八年〈丙辰〉五月之比、古文破損之間、為末代/書改之古本同副置之、/権預中臣連祐勝〈年八□〉(花押)」。下冊、表紙「中臣祠官補任着名下/権預祐勝(花押)」、冒頭「権預補任次第」、途中「加任着預補任次第」。奥書「永享八年〈丙辰〉閏五月之比書写之、古文破損故也、古本同副置之、/権預中臣連祐勝〈年八□/于時/□官一臈〉(花押)」。奥書の位置からは、もとは二冊か。各項目末尾に余白があり、書継がなされている。

[目録(書庫)]
(目一)「春日社奉寄進書籍名目」 一冊             目録一四二頁
[雑(書庫)]
(雑五)「古語拾遺」 一冊                    目録一四五頁
(雑六)「古語拾遺」 一冊                    目録一四五頁

2【奈良国立博物館所蔵史料】
一、門葉記(寺領目録)一巻
 ※『門葉記』原本から分かれた一巻。活字本『大正新修大蔵経』図像十二の『門葉記』「雑決一・二」(三六八〜七六頁)の翻刻には錯簡が認められるが、『華頂要略』巻五十五上(謄写本[2072—24—54]、活字本『天台宗全書』第三冊一一八九〜一二〇八頁)には原本のかたちで引用されている。ただし原本には、写本・活字本には見られない貼紙(押紙)が多数あり、剥離痕もまま確認される。全体にわたって尊道親王の紙背継目花押あり。『奈良国立博物館蔵品図版目録 書跡篇』(同館、一九九〇年)参照。本所では、一九五八(昭和三十三)年反町茂雄氏所蔵、一九七六(昭和五十一)文化庁保管としてマイクロフィルムの撮影を行い、後者は写真帳『青蓮院寺領目録』[6152—3]として配架されている。また、『門葉記』「雑決四(あるいは三)」の原本と見なせる史料を所蔵する。山家浩樹「史料紹介 本所所蔵「姉小路宮初度御院参記等」(『門葉記』のうち)について」(『東京大学史料編纂所研究紀要』2号、一九九一年)を参照。
二、叡山拝堂記      一巻
※正慶元年(一三二二)八月九日〜十一日の、尊円法親王の拝堂記。翻刻が『大正新修大蔵経』図像十二の『門葉記』巻一七五「山務三」(六二八〜三〇頁)にあり、謄写本『門葉記』[2072—21—96]も刊本と同じ状態である。青蓮院現蔵『門葉記』原本(写真帳[6172—1—30])には当該部を欠き、『門葉記』原本から分かれて一巻となったもの。一巻となってからの虫損も確認できる。全九紙で、本紙の料紙一紙ごとの横幅は、第一紙:三五・七、第二〜八紙:平均四五・〇、第九紙:一一・九センチメートル。前掲『奈良国立博物館蔵品図版目録 書跡篇』参照。本所では、一九七六(昭和五十一)年文化庁保管としてマイクロフィルム撮影を行い、写真帳『叡山拝堂記』[6115—85]が配架されている。
三、雑筆集   五巻のうち三巻(「灌頂歎徳」「講肆」「諸表白」)
※田中穰氏旧蔵古典籍のうち。院政期の表白集。送りがな・訓点などが多く付けられている。当初・現在とも巻子であるが、一時期約二五・五センチメートル幅の折本となっていた時期がある。『解説版 新指定重要文化財』七(毎日新聞社、一九八一年)一〇二頁、参照。『国書総目録』には、「昭和法宝目録〈高山寺方便智院聖教目録〉による」として載るのみ。『仏書解説大辞典』には、高野山大学所蔵写本を載せる。本所では、一九九五(平成七)年『田中穰氏旧蔵典籍類』(奈良国立博物館所蔵)[採訪マイクロ1994—201]として撮影済。なお、国立歴史民俗博物館編『田中穰氏旧蔵典籍古文書目録[古文書・記録類編]』(二〇〇〇年)も参照。
        (近藤成一・山家浩樹・田島 公・末柄 豊・伴瀬明美・藤原重雄)


『東京大学史料編纂所報』第35号p.66