東京大学史料編纂所

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盛岡市中央公民館所蔵正保・元禄南部領国絵図の調査撮影

 一九八八年十月十三日より十五日まで三日間、盛岡市中央公民館に出張し、同館所蔵の正保度・元禄度の陸奥国南部領国絵図、各一葉を調査撮影した。今回の調査は前年度、一九八八年三月七日より九日まで、同館において加藤・黒田の両名が行らった国絵図等の調査に基づき、一九八八年度に刊行する日本関係海外史料オランダ商館長日記原文編之七、および一九九〇年度刊行予定の同訳文編之七に巻頭口絵として挿入するカラ—図版の原画撮影を主要な目的としている。なお、今回調査撮影を行なった国絵図については、同館所蔵の他の国絵図とともに、前回の採訪調査報告に解説したもので、『所報』第二十三号を参照されたい。
 今回撮影した史料は次の二点で、いずれも、南部領山田浦(岩手県下閉伊郡山田町)の部分で、寛永二十年六月十三日に同地山田湊に漂着したオランダ船ブレスケンス号の船姿が描写された箇所である。撮影した史料の絵図名・番号・絵図の大きさ等を、同館発行の『郷土史料目録』(昭和五七年)によって左に掲げる。頭書の括弧内の数字は、『所報』第二十三号所収の前回調査報告に附した見出し番号で、参照のため便宜附記した。  

(一)領内図                   折一      二八・八—六
(七)南部領高都合并郡色分目録    縦約二八尺×横約一四尺
                         折一     特二八・八—七

 (一)の絵図は正保国絵図の控図であることが確実な絵図で陸奥国南部領正保国絵図としては最も良質なものである。(七)は元禄国絵図で、描写彩色ともに前項の正保図同様、よく出来ており、保存状態も良好である。元禄図の控図と推定されるものである。今回の調査では(一)の正保図を挿入図版用にカラー・モノクロで撮影したが、参考資料として、(七)の元禄図についても、同様に山田湊の部分をカラーとモノクロで撮影した。
 今回の調査に当り、前回同様、盛岡市中央公民館の御好意と御協力を賜わった。撮影を許可された同館館長ならびに御便宜を与えて下さった担当の各位に心から感謝を捧げる次第である。
                      (加藤榮一・黒田日出男・針生邦男)


『東京大学史料編纂所報』第24号p.85