東京大学史料編纂所

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奈良県立奈良図書館及び東大寺図書館所蔵史料の調査・撮影

 前年度より継続事業の奈良市内諸寺院・諸機関所蔵にかかる寺院史料調査の一環として、今年は県立奈良図書館郷土資料室及び東大寺図書館の調査を実施した。
 A奈良県立奈良図書館所蔵史料
 同館郷土資料室には、奈良県にかかわる原本・写本・刊本など多様・多数の資料が架蔵され、『奈良県立奈良図書館郷土資料目録』二冊(昭和四十三・五十四年)が刊行されている。また同館寄託の史料にも注目すべきものが少なくない。そこで昭和五十七年一月二十六・二十七両日同館の御厚意により架蔵史料の調査・撮影に着手したが、予備調査での予想に比して分量が多く、期間内に所蔵史料の採訪を終了するに至らず、また寄託史料については全く手をつけずに終った。次年度の再調査により調査の完了を期し、調査目録も完了時に併せて報告する。
 B東大寺図書館所蔵史料
 東大寺図書館所蔵の聖教・記録類の調査・撮影は、一月二十八日より三十日の間に実施した。採訪史料の目録を以下に掲げる。
(104/112/1)一性義私記巻下(首尾闕)              一巻
 南北朝期成立 巻子装 斐交楮紙 九紙貼続 縦二九・〇糎横 首ニ後補表紙「一性義私記巻下鎌倉  巻首尾欠」(書出)「中返[  ]」(書止)「此話此伝具故ニ也、」紙背アリ返点・送仮名アリ、
(104/113/1)大乗玄論巻第一註釈(首尾闕)            一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 十三紙貼続 縦二七・六糎横 (端裏)「四論玄第三之通講師者成証師云有三家光宅之亮教由耶/(付箋)『大乗玄論巻第一註釈』」
 (書出)「於在意者依今日ノ契」(書止)「故也、方々不/審也、如何、」(奥書)「正和二年五月三日■■抄之了、経心廿」紙背アリ、返点・送仮名・墨朱合点・朱頭点アリ、後補軸
(104/114/1)大乗玄論註釈(首闕)                一巻
 鎌倉中期成立 巻子装 楮紙 四十八紙貼紙 縦二八・六糎横 (端裏・付箋)「大乗玄論註釈」(書出)「三根□者/〓相門」(書止)「則是福後恵則是恵也云々」紙背アリ 料紙区々
(104/115/2—1)中論疏聞思記第一二三              一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 四十三紙貼続 縦二六・〇糎横 (内題)「中論疏聞思記弘安十年二月十七日於法金剛院始之、講師中観上人(別筆)『相伝英訓』」(書出)「疏第一先講論席、次積本論題目□二行八句頌了後請疏文可講之也、」(書止)「乱粗生故也、/已上、」(尾題)「中論聞思記疏第一英訓草」紙背アリ 返点・送仮名、後補軸
(104/115/2—2)中論疏聞思記第六七八              一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 三十三紙貼続 縦二八・一糎横 (端裏)「中論疏聞思六七巳下□□」(書出)「并塔厳四大文、一云」(書止)「已上」(奥書)「于時正応三年十月十三日於花洛東山摂嶺院僧正記之、/了首尾九日設之矣、金陵末資藏海/同聴人々/明圓房、實圓ヽ、明光ヽ、正覺ヽ、覺爾ヽ、順觀ヽ、禪覺ヽ、已上比丘、本明ヽ斎/浄義ヽ同、覺如、沙、」紙背アリ、返点・送仮名
(104/117/1)中論疏玄指第二(首闕)               一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 斐交楮紙 二十七紙貼続 縦二六・四糎横 (内題)「中論疏玄指」第二」(書出)「疏之第二重牒八不解尺者」(書止)「自他二見正無来心等義了也、」(尾題)「中論疏第二抄」(奥書)「嘉元三年九月廿二日於法安寺書写了、/垂陵末資道暁」
(104/118/1)中論疏抄自第一至第五                一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 斐交楮紙 五十一紙貼続 縦二六・八糎横(外題)「中論疏抄出自第一至五(木印)『北林院□□』」(内題)「中論疏抄自第一巻終第五巻」(書出)「反ニ文 ヲ 反三種方玄一 親幹文易躰(ヤウテイオ)」 (書止)「長羅者生死長夜網也、」 紙背アリ、合点・送仮名・返点
(104/120/1)中論疏第一聴聞抄(尾闕)              一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 斐交楮紙 三十三紙貼続 縦二五・八糎横 (内題)「中論疏第一聴聞抄」(書出)「中論疏内第一于云」(書止)「起載次第ナラハ[  ]也云々、」紙背アリ、合点・送仮名・返点後補軸
(104/120/1)中論疏巻上(首尾闕)                一巻
 鎌倉中期成立 巻子装 楮紙 三十六紙貼続 縦二六・三糎横 内外題ナシ (書出)「何ヲ大意尺名入交拝見」(書止)「屯々見是[ 」合点・返点・送仮名大正蔵四二所載
(104/121/1)中論疏第二抄(首闕)                一巻
 鎌倉中期成立 巻子装 楮紙 十五紙貼続 縦二九・一糎横 (書出)「論有五日偈云々、爾者初牒」(書止)「尋経論者定執畢云々、」(奥書)「中論疏第二巻抄出、為宗御三十講/馳筆了、/弘安十年十一月七日三論宗(花押)」紙背文書アリ破損甚ダシ、後補軸
(104/122/1)中論疏第一未                    一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 十八紙貼続 縦一四・二�横(内題)「中論疏第一巻□□事十一月(ママ)十七日□□於法安寺始之、」(書出)「吉藏ヌ於テ字ニ」(書止)「即躰中為義也、」(奥書)「嘉元四改徳治元年十二月/十七日於法安寺聞之、首尾/十二月一日廊談也、小比丘賢恩/生年三十四歳、法年十二也、」 送仮名・返点・紙背アリ、
(104/123/2—1)百論疏巻上抄(首闕)              一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 十七紙貼続 縦二六・〇糎横 (端裏付箋)「百論疏註釈巻上」(書出)「阿〓達磨発智力」(書止)「能ク支テ象持ルカ故七枝也、」(奥書)「自招提寺長老覚禅上人相伝之、良猷/(別筆)『教林』」返点・送仮名紙背文書アリ、後補軸
(104/123/2—2)百論疏巻下註釈(首闕)             一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 二十七紙貼続 縦二五・七糎横 (書出)「[ ]元康師明」(書止)「是又沢者ノ所為也、可准彼歟、」(奥書)「于時□〔元〕応二年八月十七日書之、終此。(下品)談義首尾二十二[ ]/打集十余人、但或ハ中途退出、或ハ有名無実、雖然/清談其趣為後稽古注之、上人既七十二才、漸以老耆[ ]/設雖保ニ給八旬之算」、当家ノ談義難有也、就中令□/打集被引種々宝物了、財宝両施真俗、興□/尤末代之物語後日之思出也、/尋恵生年三十五(花押)/(後筆)『自招提寺長老覚禅上人相伝之、/良猷』」全紙紙背文書アリ、破損甚ダシ、墨返点・送仮名
(104/124/1)百論疏中巻抄                    一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 楮紙 二十三紙貼続 縦二七・二糎横 (内題)「百論疏中巻抄[ ]四物有□出已畢、」(書出)「[ ]不残」(書止)「不可有相違者也、」(奥書)「元亨第四之暦孟冬下旬之比、於洛陽城/遍照心院首尾廿二日 被終談畢、聴聞/之次、少々抄之、宜以余暇可再治、先度妙/出在之間、殊存略被要探詮記之而已、/住心卅一歳十一夏」合点・送仮名 包紙・後補軸 大正蔵四二収載
(104/125/1)百論下巻聞記抄(首闕)               一巻
 鎌倉後期成立 巻子装 斐交楮紙 三十九紙貼続 縦二四・八糎横(端裏・後筆)「百論勘文集」(書出)「現在因中在早性、未来」(書止)「語仮名義顕之故云爾也、」(尾題)「百論下巻聞記抄則二十三日一校了、」(奥書)「延慶第三之暦孟春下旬之候、於廣隆寺桂宮/院南房北面書写之畢、是偏為興隆仏法/済令識也而已、申請御草本書写之、可秘之〓、末資珎憲生年廿二歳」
                        (永村眞・厚谷和雄・八木威雄)


『東京大学史料編纂所報』第17号p.88