東京大学史料編纂所

HOME > 編纂・研究・公開 > 所報 > 『東京大学史料編纂所報』第7号(1972年)

所報―刊行物紹介

保古飛呂比 佐佐木高行日記 三

本冊には、巻二十一より巻二十四まで、すなわち明治元年高行三十九歳の正月より十二月までを収めた。戊辰戦争と新政府の樹立、この大変革を担う土佐藩の活動、そして維新の政局を敏感に反映しつつ展開する長崎の情勢を背景に、それと深くかかわる高行自身の行動について、本冊では、高行の日記を中心に諸史料を集録している。以下、本冊の記事から高行の履歴を摘記する。
正月、長崎奉行等幕吏が外国船で長崎を退去するや、高行は直ちに行動を起し、薩長両藩士と計り西役所を接収、在崎諸藩士で構成する会議所を設け、長崎奉行の権限を継承、内外人にこれを認めさせ、また花山院家理の党が鹵掠していた天草の旧幕領を奪回した。二月九州鎮撫総督として沢宣嘉が来崎すると、高行は長崎裁判所参謀ノ助役を命ぜられ、ついで三月、徴士として長崎裁判所兼九州鎮撫使参謀に任ぜられ、三月下旬より四月上旬までの間、浦上村天主教徒取調に参画、五月には肥後天草富岡知県事となり、六月天草へ赴任した。九月に前年の英人殺害事件について長崎によび戻されたところ、従五位下鎮将府判事に叙任され、上京を命ぜられた。かくて十月長崎出発、高知を経由、十一月京都に着し、参内、報告したところ、東京行を命ぜられ、同月東京に着し、十二月刑法官判事に任ぜられている。
(例言一頁、目次一頁、本文四二六頁)
担当者 小西四郎・山口啓二


『東京大学史料編纂所報』第7号p.45