東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料 第五編之二十三

 本冊は、後深草天皇宝治元(1247)年10月より同年12月に至る3箇月間の史料を収める。
 依然京都にあっては後深草天皇の御父後嵯峨上皇の院政に変更なく、鎌倉にあっては将軍藤原頼経・執権北条時頼・連署同重時がその地位を占めたが、公武いずれも政治上の大きな変動は見られず、関東申次の任には相変らず前太政大臣藤原実氏(西園寺)がこれに当っていた。この3箇月間特筆すべきほどの事件もなく宝治元年は終了したわけである。
 しかし宮廷に於ては、10月1日に行われた旬平座並びに更衣に対する諸国からの所課の未進は、いうまでもなく「太以不法」の有様ながら、「向後可精好之由」ということで「宥用」せられた。それ故11月24日の賀茂臨時祭に際して、その用途調達のために任官の功が募られたのも当然で、加うるに祭使はなかなか決定出来ず、重盃以下の所役もこれを引受ける殿上人がなく、「再三譴責」して漸く領状する状態であって、祭の当日も使・舞人以下遅参するに至った。つぎに内侍所御神楽に於いても、日来の奉行が所労と称して辞退したので後任の人選に苦心し、供神物も深更に及んで漸く備進されたのである。しかし、このような暗い史料ばかりの中にあって、弁内侍(藤原信実女)が文才に任せて書綴ったところの10月24日の記録所御方違行幸、同月16日の五節、同19日の豊明節会、及び同24日の賀茂臨時祭の記事は、宮廷生活の彩りを偲ぶに充分である。こうした中にあって10月9日の後嵯峨上皇を御父、中宮藤原歟子を御母とする綜子内親王の生誕をみることになる。この慶事に関しては前々冊第五編之二十一、宝治元年4月8日中宮御著帯の記事以降、その史料を主として葉黄記・門葉記等に仰いでいたが、本冊では加えて宮内庁書陵都所蔵伏見宮本の御産部類記から関係史料を収録した。実氏公記(常磐井入道相国記)・菊園(公相公記)・権大納言実雄卿記(山科入道左府実雄公記)の逸文がそれに当る。その他に同じく伏見宮本の顕朝卿記を掲載した。ひきつづいて11月1日の内親王宣下、同月8日の同内親王家侍始、同26日の御行始、及び同28日の御五十日の儀の記事により慶事の賑々しい有様がうかがわれる、次には凶事として12月21日の順徳天皇の中宮藤原立子(東一条院)の崩御のことがある。東一条院は順徳天皇佐渡御遷幸の後一度も相見え給ふことなくして生涯を終へられた悲運の女性である。その幼時の記事は玉葉に詳しく、長ずるに及んで父良経は土御門天皇の後宮に納れたい希望であったのに、後鳥羽上皇の叡慮によって順徳天皇の後宮に入ることとなった、文机談の「御面目なかりし御うらみ」はその間の事情を物語るものであり、東一条院の立場をうかがう好史料といえよう。つぎに12月3日の久我相国置文案には太政大臣源通光が「久我をはしめとして荘々、家の宝物・日記・文書にいたるまで、一向女房のさた」にてあるべき旨が書認められてあり、後に故通光室と源通忠との間の遺領に関する係争の発端をなしている。
 次で鎌倉関係では、去る5月宝治の乱の際に焼失した鶴岡の流鏑馬舎の再建が行われた。建築史の一史料であると共に北条氏の政策の一端をうかがうことが出来よう。幕府評定としては、地頭一円の地の名主・百姓の訴訟のことを議し、また諸国地頭と公家寺社雑掌との訴訟を裁して旧令の率法に従わしめ、本地頭及び新補地頭の徴租法式を定めたことが挙げられ、京都大番役交替の期を改定して、参箇月を限度とした。更に三浦盛時が波多野義重と随兵の序列のことに就いて幕府に訴え出たことは、鎌倉武士の気風をうかがうに足りよう。
 次に本冊の3分の1に近い紙数を費しているのは11月26日に寂した浄土宗西山派の流祖證空(善恵)の伝記史料である。選択本願念仏集の撰述にも参与した源空(法然)門下の俊才の行状・教学の要旨を網羅し、従来錯簡のあった所謂「西山上人縁起」を、兵庫県浄橋寺所蔵の三条西実隆書写の「善恵上人絵」6巻に拠って修正することが出来、その全文を掲載した。また三鈷寺文書所収の法孫恵篤(善空)の置文によって證空の活動を明らかにし、京都市清凉寺及び奈良市興善寺所蔵の證空書状によってその筆蹟や、彼の弟子に接する態度を知ることが出来る。なお誓願寺所蔵の證空書状には彼の人間味がにじみ出ている。
最後に高野山奥院僧徒が糾合して東寺長者高野山伝法院主僧正行遍の大僧正に転じ東寺寺務になされざらんことを請うた解状には、彼等の根来伝法院に対する感情が露呈している。なお本冊には阿波守護小笠原長経と伊豆守加藤尚景の伝記史料をも収録している。
 挿入図版として11月26日の条に、證空書状(清涼寺所蔵)と證空(善恵)画像(誓願寺所蔵)とを収めてあるほか、同日の条に網版で證空書状(誓願寺所蔵)、證空寄進舎利器銘(叡福寺所蔵)及び證空撰文の浄橋寺鐘銘(浄橋寺所蔵)を収録した。
(目次12頁、本文478頁)
担当者 花田雄吉・辻彦三郎・桑山浩然


『東京大学史料編纂所報』第4号p.76