東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本近世史料 柳営補任七 索引上

柳営補任は徳川幕府初期より幕末に至る幕府諸役人の任免を記したもので、編者は幕臣根岸衛奮である。原本は東京都徳川恒孝氏の所蔵であり、次の二十五冊より成る。

柳営補任 自巻之壱至巻二十
二十冊

 天保八年正月より編纂に着手して同十四年に成り、安政五年八月衛奮が新潟奉行在任中に二帙として現在の体裁にし、後に加筆した。

柳営補任之余
一冊

 表紙に「柳営補任 全」、内題に「柳営補任之余」と題し、安政三年六月に成り、後に加筆した。

柳営補任巻之余 乾・坤
二冊

 表紙右側上方に、「安政以来新規御役之部」の記載があり、一帙に収める。

柳営補任別巻 乾・坤
二冊

 二欄を一帙に収め、帙表に「奥向代々記」、帙裏に「弘化五戊申年二月衛奮」の記載がある。
編者根岸衛奮は、幼名栄太郎、後に九郎兵衛・肥前守・備前守を称し、根岸衛粛の男として生れた。名町奉行として、また「耳袋」の著者として有名な鎮衛は、その祖父である。衛奮は嘉永二年以後使番・西丸目付・新潟奉行・奈良奉行・外国奉行・勘定奉行・小普請組支配・小性組番頭・大目付・勘定奉行・南町奉行・講武所奉行並・関東郡代・一ツ橋家家老のように、幕末の動乱期にあって幕府の要職を歴任した。明治九年八月三日卒し、根岸家代々の墓所である麻布善学寺に葬られた。過去帳によれば享年五十六才である。
本冊は大日本近世史料「柳営補任」全六冊の索引として編纂したものである。索引は役職名索引・姓名索引・称呼索引の三部より成り、本冊には役職名索引・姓名索引を収めた。
役職名索引は、本書に収録されている全役職を五十音順に配列し、役職名に変更のあるものや参考のためのものも→印をもって示した。
例えば

撒兵頭 持小筒組之頭
洋書調所頭取 蕃書調所頭取
江戸町奉行 町奉行
明信院用人 鶴姫用人

のごとくである。
姓名索引は、同一人物を一括し、苗字・諱による表示を原則として、通称・官職名・初名等を注記した。しかし本文中に諱の記載されていない人物は、その在職最終時の通称・官職名等を以て表示し、諱の明かな人物の後に一括して配列した。同姓同名でも、俄に同一人物と判断し難い人物は、それぞれ別人として掲げておいた。
原本には姓・諱・通称等に誤字・脱字があり、それらは第一冊の例言で示したように〔 〕によって注記してあるが、注記のない場合もある。本冊の例言で示したように、本索引に於いて本文の誤りを訂正してあるので、索引に表示した姓・諱・通称等で本文中のそれ等と異なるものがある場合もある。なお本文と異なるため、特に検索を誤る懼れのある場合には※印を付した。
柳営補任本文の担当者は、第一冊村井益男・山口静子、第二冊より第五冊片山勝・鈴木圭吾、第六冊山口啓二・加藤秀幸であり、第七冊索引上は鈴木圭吾・黒川高明が担当した。
(前付三頁、本文二四二頁)


『東京大学史料編纂所報』第4号p.83