東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 建内記 三

本冊には、永享十一年十月より嘉吉元年七月までを収めた。底本として、自筆の原本の現存する部分は勿論それに拠り、また建内記抜萃・建内御記抜書のように、他に写本の見出せなかったものについては、それぞれその本を用いた。
原本の現存しない永享十一年十月を収めるにあたって、底本に柳原本後小松院七回御法会記を採用せず、続群書類従原本の収めるところに拠ったのは、柳原本には(一)続群書類従原本巻七百六十五第二十二丁表裏の一丁分(本冊第三ページ第六行より第四ページ第三行まで)が脱簡していること、(二)傍注・割注などに書き損じや脱落があること(例えば、第八ページ最終行の挿入符の有無)等によるものであって、これらは続群書類従原本のほうを是とするものであることは、言うまでもあるまい。また、原本の伝わらない嘉吉元年二月を収めるにあたっては、京都大学文学部国史研究室所蔵の勧修寺本を底本とした。そのほか、永享十二年正月、嘉吉元年三月・四月・五月・六月・七月等、原本の欠損部分の補填にも同本を優先的に用いた。その理由は、勧修寺本は原本と照合すると、字配りなど殆ど原本のそれに近く、諸写本中もっとも原本の体裁に忠実であり、且つ誤写も比較的少いことにある。
内容は、記主万里小路時房の権大納言・勧修寺長者という地位、武家伝奏の職を追われたとはいえ後花園天皇の厚い信任、さらに教養と見聞の広さに加えて筆忠実な性格から、朝廷・幕府に関する当代一級の記録である。そればかりでなく、公卿生活・風俗などにいたる諸般の事柄にわたっても詳細である。本冊の目ぼしいものを列記すれば、神事では賀茂祭、仏事では後小松院七回御法事・称光院十三回御法事・禁裏孔雀経法(正応年間中絶したものの再興)、公事では革命当否および改元仗議、幕府関係では、足利義教の弟大覚寺門主義昭の誅伐・赤松義雅所領の没収・富樫家督の廃立・結城氏の乱・いわゆる嘉吉の変の将軍義教の横死・畠山家の内紛・山名持豊の洛中不法張行など記事は多い。このほか内裏にしばしば盗人が入ったり、室町第では何人かに女中の髪が切られたり、義教室が夫の死後巫女の口寄で夫と対話した話や、毒雨が降るという訛言が流れたり、異類の者が一条堀川の橋上で歌舞したりする等の世事が細かに書き綴られている。経済記事としては、高利貸として名高い東大寺僧見賢の失脚や、万里小路家の家計に関するものとして酒屋土倉を兼業する羽田承賢との交渉、播磨吉川荘・尾張六師荘等の経営などがみられる。
また学芸関係としては、後花園天皇が本朝書籍目録所載の書籍を諸処に徴されている記事、船橋業忠の進講の記事などがある。担当者 斎木一馬・百瀬今朝雄・益田宗。
(例言二頁、目次二頁、本文三一八頁、挿入図版二葉、岩波書店発行)


『東京大学史料編纂所報』第3号p.68