東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料 第七編之十九

本冊には、称光天皇応永二十年十二月十九日から、翌二十一年三月に至る期間の史料を収載してある。この間、応永二十年の年末雑載(災異・神社・仏寺・公家・武家・諸家・死歿・学芸・荘園・所領・年貢・諸役・訴訟・契約・譲与・処分・寄附・売買・貸借・雑)を収める。
 本冊においては、特に注目すべき事件に乏しいが、応永二十年是歳に収めた「長講堂領・法金剛院領・熱田社領・播磨国衙別納目録」(京都御所東山御文庫記録甲百八)は、これら天皇家領荘園の多くが守護の請所となっていた当時の情勢を示している。なお、長講堂領目録には、これ以前のものに、建久二年十月のもの(島田文書)、応永十四年三月のもの(八代恒治氏所蔵文書)があり、それぞれ大日本史料第四編之三補遺(第四編之六所収)、同第七編之八、応永十四年三月是月に収載されている。
 また、応永二十年における我が国と朝鮮及び明との交渉が、一括して是歳の条に収められている。
 次に、年末雑載「学芸」の項に、京都市南禅寺金地院所蔵の『渓陰小築図』のコロタイプ図版を挿入した。これには、大岳周崇・玉畹梵芳・履仲元礼・大愚性智・謙岩原冲・大周周奝等六人の禅僧の賛があり、太白真玄の序が記されているが、その序に「応永癸巳夏」とあるところから、本冊に収めた。真玄の序によれば、『渓陰小築図』は南禅寺子璞□純のために画かれたもので、箱書には明兆筆と記してある。なお、賛の部分と序及び画の部分とは別紙である。本冊に掲載したコロタイプ図版は、昭和四十一年十月、東京国立博物館に依頼して撮影せるものを用いた。
 応永年間に始まるとされる詩画軸については、ここで触れる余裕はないが、大日本史料第七編においては、『渓陰小築図』以前にも、応永十六年十月二十六日条(七之十二)に『瓢鮎図』の、応永十七年雑載「学芸」の項に『芭蕉秋雨図』のコロタイプ図版を挿入してあるから、参照されたい。
 本冊においては、前円覚寺住持学隠友修(応永二十一年正月二日条)、前豊後泉福寺住持玉田妙高(応永二十一年正月二十五日条)、下野浄因寺開山偉仙方裔(同上)、前参議従三位葉室長親(応永二十一年三月是月条)の事蹟を集録してあるが、なお、建仁寺九十一世巨闡崇閶・九十二世大岡祖運・九十四世明溪光聞・九十五世南洲章珍・九十七世福岩全禧・九十九世玉峰宗琢・百世竺卿霊彦の示寂の年月が詳かでないため、その事蹟を、叔芳周仲が建仁寺の住持となって入院した応永二十一年三月四日の条に合叙した。
 また、応永二十一年二月二十三日の条に、足利義満七回忌追薦法華八講日時僧名定が行われた記事を載せているが、等持寺法華八講のことは四月十四日の条に見え、これは次冊に収録の予定である。なお、二月二十三日の条には、足利義持が北野社に参籠した際、子晋明魏(花山院長親)を招いて和歌を談ぜしめ、ついで明魏・飛鳥井雅縁・冷泉為尹等が詠進した天神名号和歌、及び後小松上皇が義持に賜った天神名号の御和歌を収めてある。
 担当者 臼井信義・今枝愛真・新田英治・安田寿子
 (目次一〇頁、本文四四三頁)


『東京大学史料編纂所報』第2号p.39