編纂・研究・公開

2020年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 加藤嘉明関係文書の総合的研究―加藤嘉明発給文書を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 山内治朋(愛媛県歴史文化博物館)
所外共同研究者 井上淳(愛媛県歴史文化博物館)・土居聡朋(愛媛県教育委員会生涯学習課)・藤本誉博((一財)今治文化振興会今治城)・川島佳弘(松山市坂の上の雲ミュージアム)・甲斐未希子(愛媛県スポーツ・文化部まなび推進課)
所内共同研究者 井上聡・村井祐樹・畑山周平
研究の概要 (1)課題の概要
加藤嘉明は、豊臣秀吉のもとで大名となり、秀吉没後は徳川家康のもとでその地位を固めた近世初期の大名である。その領国支配は伊予国内で32年と生涯の約半分に及び、伊予の近世の礎を築いた一人である。これまで、自治体史・展覧会図録などに掲載された関連史料も少なくないが、集約的な史料集や目録などはいまだ作成されておらず、近年愛媛県で松山城築城者として嘉明への関心が高まりを見せる反面で、嘉明に関する研究はあまり進んでいない現状にある。本研究では、昨年度の加藤嘉明受給文書の収集・調査に引き続き、発給文書および関連する一次史料について、加藤嘉明関係自治体における情報・データベースなどを活用するとともに、愛媛県の博物館活動の成果なども継承しつつ情報把握・整理を進める。未調査の史料については史料調査を行うなどしながら、目録化を進め、未公刊の史料を紹介し、今後の加藤嘉明関連の研究に資する基本情報を公開する。

(2)研究の成果
以下、調査を行った文書をあげる。
〔徳島城博物館所蔵文書〕
〔徳島県立博物館所蔵文書〕
〔高松市所蔵文書〕
〔香川県所蔵文書〕
〔香川県三豊市個人所蔵文書〕
以上の内、特に徳島城博物館所蔵の加藤嘉明関係史料は、影写本段階では把握されていたものの、その後行方不明になっていた文書であり、再発見された意義は極めて大きい。
ただ、新型コロナウィルス流行により、その他予定していた調査を行うことができず、次年度に繰り越さざるを得なかった。

一般共同研究 研究課題 武田流弓馬故実の形成過程に関する史料学的研究

研究経費 55万円(前年度よりの繰越分を含む)
研究組織 研究代表者 阿部能久(聖学院大学)
所外共同研究者 大澤泉(鎌倉歴史文化交流館)・石井千紘(鎌倉国宝館)
所内共同研究者 高橋慎一朗・林晃弘
研究の概要 (1)課題の概要
流鏑馬・笠懸・犬追物などの騎射の武芸は、鎌倉時代の武士の鍛錬手段として広く行われたものであるが、室町時代以降は衰退に向かい、江戸時代に入って弓馬故実として再構成された。とりわけ流鏑馬は、現代まで伝承されて各地の神社祭礼などの際に執行され、国際的にも関心が高い。現代に伝わる流鏑馬などの弓馬故実は、主に武田流と小笠原流に大別され、鎌倉時代から続く鶴岡八幡宮の流鏑馬においても、両流によって流鏑馬の奉仕がなされている。しかし、戦国時代から江戸時代にかけて展開した弓馬故実の形成過程はかなり複雑であり、いまだ明確にされてはいない。
本共同研究は、鎌倉の金子家に伝来した学界未紹介の武田流弓馬故実書群の目録作成と原本調査による奥書の分析を通じて、その史料群としての性格を明らかにし、中世から近世にかけての弓馬故実の形成・伝承過程と、現代鎌倉を代表する伝統行事である流鏑馬故実の歴史的系譜を解明することをめざすものである。

(2)研究の成果
金子家敏氏所蔵史料の調査により、武田流が伝承された初期熊本藩の築城に関わるやりとりや、江戸時代に江戸城内でおこなわれた騎射の詳細が判明した。

一般共同研究 研究課題 文禄の役における朝鮮王子関連文書の調査・研究・目録化

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 川西裕也(新潟大学)
所外共同研究者 木村拓(鹿児島国際大学国際文化学部)・久野哲矢(佐賀県文化スポーツ交流局文化課)
所内共同研究者 金子拓
研究の概要 (1)課題の概要
文禄の役の最中の1592年7月、朝鮮国王・宣祖の王子である臨海君・順和君が日本軍によって捕縛された。その後、二人の朝鮮王子は、約1年間にわたって日本軍の捕虜となっていたが、翌年6月、一時的な講和の成立にともなって解放された。
この二人の朝鮮王子のエピソードについては、文禄の役における重大事として広く知られている。しかし、彼らが捕虜となっている間に日本の武将や僧へ送った文書(書簡・詩文など)が日本各地に多数現存することについては、これまでほとんど注目されてこなかった。その結果、二人の朝鮮王子の動向については不明な点がきわめて多い。
本研究では、こうした研究現況を踏まえ、日本に現存する二人の朝鮮王子文書を網羅的に調査・研究・目録化することを目的とする。原本が確認できるものについては実見調査を行い、各文書の詳細なデータを集積する。また、各文書の発給年月日と様式・内容を検討した上で、編年目録の作成と公開を行う。

(2)研究の成果
2020年11月から2021年3月まで、東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄附研究部門と共同で、3回に渡って研究会(壬辰戦争研究会)を開催した。本研究会はzoomを用いてオンラインで開催されたが、国内外から多数の研究者が参加し、活発な議論が交わされた。研究会を通じて得られた多岐に渡る知見は、今後の研究に大いに活用されるものと期待される。

一般共同研究 研究課題 観世音寺公験案の集成と研究

研究経費 64万6960円(前年度よりの繰越分を含む)
研究組織 研究代表者 森哲也(九州大学大学院人文科学研究院)
所外共同研究者 重松敏彦(太宰府市公文書館)・三輪眞嗣(神奈川県立金沢文庫)
所内共同研究者 稲田奈津子・遠藤基郎・山口英男
研究の概要 (1)課題の概要
保安元(1120)年、筑紫観世音寺は東大寺末寺化に伴い、8世紀代以来の伝来文書について公験案を作成して進上した。それらは東大寺図書館を始め、国立公文書館(内閣文庫)等、寺外の各所にも分蔵され、確認できる公験案は24点を数える(1点は焼失、2点は正文)。本研究では、これら公験案24点を集成・翻刻して広く学界の共有財産化を図るとともに、地方寺院における文書保管、資財管理の実態解明、寺領経営の再検討等、公験案としての分析を行おうとするものである。2019年度は、公験案すべての釈文案を完成し、伝来過程等に関しても整理を行うことができた。2020年度は、昨年度の成果を踏まえ、共同研究者による検討を経て釈文を確定するとともに、公験案に関する分析を行って本研究の完成を図る。

(2)研究の成果
2020年度も、新型コロナウイルス感染拡大防止対策の影響により、必ずしも計画通りに進捗しなかった部分もあったが、以下のような形で課題を遂行した。
本課題の中核たる観世音寺公験案について、昨年度にひとまず完成した釈文案をもとに、公験案ごとに平安遺文、大日本古文書の文書番号、紙番号、伝来過程、関係する影写本・写真帳のデータ、参考文献等を加え、今後の活用に備えられるよう完成を図った。その過程で、従来の釈読や判(外題)の比定に関し修正案を示すことができた。公開された研究成果の他(詳細割愛)、具体的な分析として、森哲也が公験案の作成から伝来までを俯瞰した総論として「観世音寺公験案の基礎的考察」を、三輪眞嗣が観世音寺の末寺化と東大寺別当の関わりについて考察を加えた三輪眞嗣「一二世紀前半の東大寺別当と観世音寺・鎮西米―特に寛助に注目して―」をまとめており、これらはさらに検討を加えた上で、報告書に収録し学界の共有財産化を図る。また、2020年度に実施した延喜五年観世音寺資財帳の複製調査では、規則的に残る虫損の痕跡等から、現状に至る間に料紙が脱落した可能性も想定された。これは2019年度に行った延喜五年観世音寺資財帳の原本調査の成果(文字の訂正、紙継目の状況、紙背の記載等)と合わせ、釈文として掲載が難しい部分についても、補説のような形で報告書に盛り込む予定である。いずれも、共同研究という形で、正倉院文書、東大寺文書に関する調査・編纂・研究の経験知が生かされた成果といえる。

一般共同研究 研究課題 藤波家旧蔵史料の調査・研究

研究経費 72万6080円(前年度よりの繰越分を含む)
研究組織 研究代表者 高橋秀樹(國學院大學)
所外共同研究者 田中大喜(国立歴史民俗博物館)・比企貴之(國學院大學)
所内共同研究者 尾上陽介・遠藤珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
神宮祭主であった藤波家の旧蔵史料は、宮内庁書陵部や國學院大學の史料群が知られているが、史料編纂所にも「藤波家蔵書」の蔵書印をもつ近世写本が所蔵されているほか、各地の所蔵機関に旧蔵の文書や書籍が所蔵されている。また、国立歴史民俗博物館の「広橋家旧蔵記録文書典籍類」が明治時代末~大正時代には藤波家に所蔵されていたことも知られており、その時期に複数回作成された蔵書目録が史料編纂所・東洋文庫、國學院大學に現蔵されている。
昨年度は、各所蔵機関の蔵書目録等から判明する藤波家旧蔵史料をデータ化し、京都学・歴彩館、徳島大学等の現蔵史料を調査した。そこで本年度は、①未調査分の史料調査を行い、データの充実を図る。②昨年度画像データを取得した複数の蔵書目録の分析を行って、目録間の異同と、現存する旧蔵書との関係を明らかにし、複数の所蔵機関にまたがる公家文庫を総合的に研究するための基礎を築く。③奥書等の分析から祭主家がどのように公家日記を集積したのか、またどのような経緯を経て蔵書が散逸していったのかを関係史料から追究する。

(2)研究の成果
今年度の研究成果は、二〇二一年三月二七日にオンライン研究集会「藤波家旧蔵史料調査の成果と課題」を開催して報告した。以下はその成果概要である。
追加調査によって、ノートルダム清心女子大学には昨年度判明していた二点に加えて計五点の藤波家旧蔵本が存在することと、稲賀敬二氏が一点を所蔵されていたことが判明した。『弘文荘待價古書目』掲載本の追跡調査では、宮内庁書陵部・神宮文庫・京都文化博物館・東京大学史料編纂所・京都大学附属図書館・早稲田大学図書館・天理図書館に各一点現蔵されていることが明らかとなり、その調査過程で、神宮文庫にはほかにも藤波家旧蔵本が所蔵されていること、これまで千家達彦氏所蔵と報告されていたものが國學院大學所蔵分に含まれていることもわかった。これまでに明らかとなった旧蔵書の分析により、藤波家蔵書のおよその形成時期と流出・移動時期について仮説を立てることができた(高橋秀樹「藤波家旧蔵史料の現状と伝来」)。
東京大学文学部宗教学研究室所蔵「正親町家旧蔵神道関係史料」は、近世の藤波家を知るための重要史料であり、藤波家が伝えた中世祈祷命令文書は、祭主岩出家としての家の歴史を示すアイデンティティーであった(比企貴之「近世の祭主藤波家と伊勢神宮」)。
国立歴史民俗博物館所蔵「広橋家記録文書典籍類」の表紙・押紙に付された記号、本紙の丁付けと、東京大学史料編纂所架蔵『藤波家蔵文書記録目録』の記載から、大正時代に岩崎家によって継ぎ合わせを含む大規模の改装が施される前(広橋家・藤波家旧蔵時代)の史料の在り方が復元できることがわかった(田中大喜「「広橋家旧蔵記録文書典籍類」所収文書群の書誌学的考察」、尾上陽介「東京大学史料編纂所所蔵『藤波家蔵文書記録目録』に見える『民経記』原本の構成」)。
藤波家への移動以前にも、広橋家文書には何回もの危機があり、それを乗り越えて蔵書が伝えられたこと、その間に他家の文書の流入もあったことがあきらかとなった(遠藤珠紀「広橋家文書の伝来寸描」)。
研究テーマを異にする研究者が共同研究を行ったことで、それぞれの専門分野では常識でありながら、他の分野の研究者には共有されていなかったことが明らかとなり、有意義な情報交換ができた。しかし、コロナ禍によって、対話の機会が限られたこと、出張をともなう原本調査が今年度も行えなかったことが悔やまれる。

一般共同研究 研究課題 松尾大社所蔵史料の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 野村朋弘(京都芸術大学)
所外共同研究者 角田朋彦(駒澤大学)・佐々木創(京都芸術大学)
所内共同研究者 畑山周平・村井祐樹・高島晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
本研究は京都市西京区に鎮座する松尾大社の史料群について、調査・研究するものである。松尾大社は国家祈祷を行う二十二社の一つとして、朝廷及び歴代の幕府から崇敬を受けており、古代から近代まで豊富な史料を有している。松尾大社には代々社家を勤めていた東家・南家があり、家ごとに所有していた文書群が近代になってから神社へ寄託された。現在、松尾大社には約二〇〇〇点の史料が所蔵されている。史料編纂所においては戦前及び戦後に史料採訪を実施し、影写及びマイクロ写真撮影が行われていた。しかし神事注文や次第といった冊子形態の史料の紙背文書の多くは採訪時に史料が修補されておらず、調査・撮影がされていない。また現在、松尾大社では神社誌の一環として活字史料集が刊行されているものの未翻刻史料も多くある。更には二〇一九年の共同研究において、新たに未調査・新出の史料があることを発見した。そこで本研究では撮影されていない史料を中心に調査・撮影を行い、松尾大社が所蔵する資料群の全体像の把握に努めたい。併せて各時代で豊富な史料を有しているため、料紙の科学的調査のデータ収集対象としても貴重である。それらの基礎的な情報を学界共有の財産として公開し、神社史研究に新たな視座を提示する

(2)研究の成果
今年度の共同研究は、新型コロナウイルスの感染拡大のため、調査回数や人数など大幅に制限がなされ、予定を変更せざるを得なかったものの、松尾大社の許可を得て一〇月に調査及び撮影を実施することが出来た。以下は今年度の調査において得られた知見である。
調査において松尾大社史料の目録化がなされている文書の撮影・調査の他、中世から近代にかけての史料群を閲覧することが出来た。調査日程が短かったため、総数などの把握は次年度以降の課題としたものの、大まかな分類を行い、特に中世の史料については三点確認し撮影を行った。
また松尾大社が所蔵している「松尾神社及近郷絵図」の近代の模写も発見された。明治期に入ってから社家である東家・南家が神社運営や祭式に関わらなくなる中で、社家が保有していた史料群を神社が収集・所蔵し、模写などを作成する経緯も明らかとなった。
神社が所蔵する史料群のあり方については、研究代表者である野村が神道史学会の大会にて研究報告を行った。

一般共同研究 研究課題 多可町杉原紙研究所所蔵寿岳文章和紙コレクション料紙調査研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 湯山賢一(多可町杉原紙総合調査委員会)
所外共同研究者 安平勝利(多可町那珂ふれあい館)・大川昭典(元高知県立紙産業技術センター)・本多俊彦(金沢学院大学)・富田正弘(富山大学名誉教授)
所内共同研究者 及川亘・石津裕之・高島晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
本コレクションは、日本前近代における紙の歴史の学術的研究について先駆的業績を残した寿岳文章氏が、その研究のため全国を回って蒐集した和紙原本の集積である。寿岳文章氏が新村出氏とともに、中世に最も使用された杉原紙の原産地として、多可町杉原谷の地を認定したのをきっかけとして、多可町で杉原紙の復興と研究の機運が高まり、杉原紙研究所が設立され、活動を続けてきたが、文章氏の没後、令嬢の章子氏から当該コレクションが杉原紙研究所に寄附され、研究所で整理が行われてきた。ただ、これまでの整理では、産地と紙の種類などの確認がなされているが、紙の厚さ・重さ・密度、原材料や填料、製紙法の解明など物理的技術的解明までは行われていない。
この調査研究は、これまでの整理をさらに進化させ、上記の調査研究を進めようとするものである。確かに、このコレクションは、戦前に制作されたものではあるが、原材料や技術は前近代に近いものがあり、何よりも全国にわたって網羅的に蒐集されているところに意義がある。したがって、近世の製紙の地域的特質を考える上でも、重要な材料となることは間違いない。そして、これらの調査研究の結果を、数量的に、かつ顕微鏡写真などによって視覚的に、学界の共通素材として提供せんとするものである。

(2)研究の成果
現在調査を終えたもののデータを例示すると、茨城県の西の内紙は楮繊維で米粉や柔細胞・表皮細胞の非繊維物質を多く含む。繊維配向は1.1347と緩やかに流れていてネリはあまり効いていない。
滋賀県の鳥の子紙は雁皮繊維で米粉よりも径の大きい粒子が添加されている。柔細胞などの非繊維物質はほとんどない。繊維配向は1.0710とほとんど配向しておらず、ネリは効いていない。但しこれまでの調査でみた中世の鳥の子紙の配向は1.10以上あり、緩やかに配向している。
和歌山九度山の高野紙は楮繊維で米粉などの填料はないが、柔細胞などの非繊維物質を多く含む。
繊維配向は1.20以上の強い配向強度を示し、ネリが良く効いて勢いよく流れている。
伊予の泉貨紙は楮繊維で米粉や柔細胞などの非繊維物質を多く含む。繊維配向は1.1775とやや高く普通に流れていて、ネリが程よく効いている。
このように填料の量によって配向に差が生じているとみえ、これらの数値を参考に今後の課題とする。

一般共同研究 研究課題 『江雲随筆』の研究資源化―近世初期日朝「境界」文書群―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 米谷均(早稲田大学)
所外共同研究者 村井章介(東京大学名誉教授)・佐伯弘次(九州大学)・臼井和樹(宮内庁書陵部)
所内共同研究者 鶴田啓・須田牧子・岡本真
研究の概要 (1)課題の概要
東京大学史料編纂所所蔵謄写本『江雲随筆』は、近世初期の日朝関係史に関わる文書を多数収める文集で、田中健夫編『善隣国宝記 新訂続善隣国宝記』(集英社、1995年)で『続善隣国宝記』の校合に用いられただけでなく、研究代表者・共同研究者も論文でしばしば利用してきた。しかし未だ全文翻刻はなされておらず、史料的性格・成立・諸本系統といった基礎的事項も本格的に検討されてこなかった。本共同研究では、①諸本および関連諸史料の調査、②調査結果をふまえた本文校訂・所収文書の年代推定・人名比定などを行い、③『江雲随筆』の全文翻刻を行うものである。

(2)研究の成果
2020年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のための活動制限により、予定した調査・研究会等をすべて行うことができなかった。したがって現状は、2019年度実績報告書に記した状態(今後の計画については2020年度実施計画書に記した内容)にとどまっている。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵明清中国公文書関係史料の比較研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 渡辺美季(東京大学)
所外共同研究者 荒木和憲(国立歴史民俗博物館)・辻大和(横浜国立大学)
所内共同研究者 須田牧子・黒嶋敏 ・岡本真
研究の概要 (1)課題の概要
東京大学史料編纂所には、明清時代中国の公文書ならびにその関連文書が複数所蔵されている。それらは中近世東アジアの国際関係を読み解く際の貴重な史料であり、中近世日本における中国公文書の社会的価値を具体的に検討し得る好素材でもある。すでにある程度、基礎的データの作成や国内の類似文書のデータ集成が進められているが、これらの文書を古文書学的に位置付けるためには、明清国内における形式・作成・発給過程についての制度的研究と、実際に発給された類似文書との比較検討が不可欠である。
そこで本研究ではこれらの文書について、①形式・作成・発給に関わる中国側の諸規定を調査・把握し、②それらの規定と編纂所の所蔵史料との対照調査を行った上で、③台湾の中央研究院・国立故宮博物院において類似文書(原本)との比較検討を実施する。これにより、規定と実態の両面からそれらの文書の古文書学的位置付けを明らかにし、東アジア地域で共有し得るレベルでの「史料の研究資源化」を目指したい。

(2)研究の成果
2019年度メンバーに加え、朝鮮史の専門家も加わったことで、明清代中国・朝鮮・日本といった同時代東アジア諸国の発給文書をより複眼的な視野で見通すことが出来るようになり、2019年度の台湾調査等を踏まえて、韓国調査の対象と意義も鮮明になった。調査が出来なかったのは残念であるが来年度を期したい。また2020年度の研究会での議論を生かし、現在、中央研究院所蔵の明清発給文書を中心に、簡単な解説を付したカラー刷での成果報告書を準備中である。

一般共同研究 研究課題 18世紀オランダ東インド会社の遣清使節日記の翻訳と研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 大野晃嗣(東北大学)
所外共同研究者 森田由紀・Leonard Blussé(ライデン大学)
所内共同研究者 松方冬子・大東敬典
研究の概要 (1)課題の概要
オランダ東インド会社は、清朝との貿易を実現・改善するため、何回か使節団を派遣しているが、そのうち、1794~1795年の乾隆帝の在位60年を祝う使節団は、有名なイギリスのマカートニー使節団との対比上も有名である。正使は、日本商館長を務めたティチングであった。しかし、ティチング使節団の残した記録は、ティチング自身によるオランダ語の日記のほか、副使ファン・ブラーム・フックへーストによるフランス語の日記、さらに通訳として同行した学者ド・ギーニュによるフランス語の日記があり、最低限でもオランダ語とフランス語の読解力が必須である。さらには地名・人名・官名を含む当時の中国についての広範な知識をも必要とするため、今まで日本語に訳されたことはなかった。今回、中国史研究者(大野、Blussé)、オランダ語史料の翻訳実績を持つ史料編纂所海外2室の教員が、在野の翻訳者に協力する形で、この課題に挑む。

(2)研究の成果
少しずつではあるが、多分野の研究者が一堂に会することによる、新たな知見が生まれつつある。ほんの一例ではあるが、オランダ使節のティチングが、Sjapというマレー語で表現しているものが、清朝の総督・巡撫が任地にあっていわば「皇帝の代わり」として儀礼に使用する「龍牌」(大清會典に見える)であることが判明した。

一般共同研究 研究課題 長崎市中「本石灰町乙名本山家文書」の研究資源化に向けた調査研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 藤本健太郎(長崎外国語大学)
所外共同研究者 木村直樹(長崎大学)・吉岡誠也(東京大学)・赤瀬浩(長崎市長崎学研究所)・德永宏(長崎市長崎学研究所)
所内共同研究者 松井洋子・荒木裕行
研究の概要 (1)課題の概要
本石灰町(もとしっくいまち)は長崎市中80か町のうち、丸山遊廓を構成した丸山町と隣接する町である。本石灰町の乙名職は18世紀後期以降、本山家が6代にわたり襲職し明治に至った。本山家で保管していた古文書史料のうち、約1,150点が「本石灰町乙名本山家文書」として現存している。「本石灰町乙名本山家文書」は、近世長崎の町乙名を中心とした都市運営の実態を知る上で貴重な記述が多数確認されており、近世都市史研究にも研究成果を還元できる重要な史料群である。
しかし、当該史料群の収蔵機関は、現在東京大学史料編纂所(所蔵分と寄託分)と長崎歴史文化博物館(長崎県立長崎図書館寄贈分、長崎市長崎学研究所購入分を収蔵)の2か所に分散しており、両機関に収蔵されている史料を本山家に由来する史料群として、包括的に整理・把握できていない状況にある。
本研究では、両機関に収蔵されている史料群の概要把握を進めるとともに、史料1点ごとの概要掲載を含む、詳細な総合目録を作成することで「本石灰町乙名本山家文書」の研究資源としての活用に努めたい。また、その史料群の特性を踏まえた共同研究も実施する。

(2)研究の成果
今回の共同研究を通じて、長崎歴史文化博物館及び東京大学史料編纂所、双方の史料を詳細に比較・分析することが可能となった。
そのことにより、本山家の歴代当主及び乙名在職期間など「本石灰町乙名本山家文書」に関する基礎研究を進めることができた。加えて、当該文書群の近代以降の来歴についても追跡し、当該文書群が各機関に分散して伝来するに至った経緯を明らかにすることができた。
同文書群の来歴と構成は以下のように整理できる。
A史料編纂所収蔵
寄託分 約1050点 同家から親族に継承された文書・古写真・御絵像等を含む。
購入分 約450点
B長崎歴史文化博物館収蔵
①長崎県立長崎図書館寄贈受入れ分
・本山和雄氏から寄贈を受け一般郷土資料に含まれるもの 約60点
・郷土史家福田忠昭氏収集史料の寄贈による「福田文庫」に含まれるもの 約30点
②長崎市長崎学研究所購入分 約50点

全体としては、乙名本役の職務、乙名加役としての本山家が務めた盗賊掛吟味方、旅人改方及び銅座跡支配掛の職務、本山家や本石灰町の活動のそれぞれに関わる史料が確認でき、多角的な分析が可能な史料群であることが明らかになった。

一般共同研究 研究課題 幕末維新期における民衆生活の改変と信心の歴史的転回に関する調査・研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 奈倉哲三(跡見学園女子大学名誉教授、以下A)
所外共同研究者 靱矢嘉史(早稲田中学校・高等学校、以下B)・児玉憲治(千葉県文書館、以下C)・千葉茉耶(野村胡堂・あらえびす記念館、以下D)・斎藤悦正(本郷中学校・高等学校、以下E)・芹口真結子(岐阜大学、以下F)・清水有子(明治大学、以下G)
所内共同研究者 石津裕之・杉本史子・箱石大
研究の概要 (1)課題の概要
近世の民衆は各地の日常的な生活のなかに「信心行為」を抱え込んでいた。幕末期において、その信心は社会変動の一環として大きく歴史的に転回する。その転回は、維新期においては権力的な改変によるものも大きいが、民衆自身が自らの生活を改変していこうとする苦闘のなかで、信心を転回していく動きとしても生まれていた。従来、「幕末民衆宗教の誕生」といった括りでは捉えられていたこの歴史事象を、ごく普通の生活を営む民衆が地域生活を改変させるなかで、信心をも転回させていた現象として、史料から解明する課題が本共同研究の根底にある。この根底の課題を果たすには、各地の多様な信仰の実態を、地域生活が具体的に判る史料とともに解明することが必須である。本共同研究の直接的な課題は、この根底の課題に寄与し得る史料が、どの地域にどのように存在しているかを目録の状態を含めて具に調査したうえで、その史料研究成果を社会に発信することにある。

(2)研究の成果
A、柴崎村から拝嶋村まで9ヵ村の村民が、九ヵ村用水の共同利用と運営を核とした地域生活共同体を営んでいたことを解明、旱魃時には9ヵ村の合議で用水の管理・修復が細かく決められ、共同で技術改善に当たっていたこと、一方で、嘉永年間の旱魃時には大山への代参を含む呪術的な雨乞祈願が熱心に展開されていたことも解明した。だがこの雨乞祈願では、代参人帰参を受け9ヵ村全村民が多摩川河原に出て万垢離するなど、用水修復に全力を傾注すべき時期に、労働力が大きく削がれることから、文久年間には、普済寺での大般若経転読祈禱に切り替えたり、帰参を受けての万垢離を用水取入口での「神水」撒きに代え、用水修復工事への投入を図ったりするなど、呪術はなおも有効としながらも、技術優先で信仰の転回を地域生活共同体全体で計っていたことを解明した。また、こうした研究方向を一つの典型的試みとして、共同研究員全員に示すことが出来た。B、武蔵国各村において、鎮守を管理する修験・寺院と村方の間に幕末期から認識の相違や対立が潜在し、維新の際に神仏分離や修験・寺院の復飾・神勤が実施されるなかで係争として顕在化するという、全国に共通する動向を看取することができた。一方、維新後に復飾して神職となっても、近世以来の旧修験と氏子・旦那との関係(配札・祈禱)が継続していたと思われる事例も確認することができた。共同研究による他地域(Dの岩手地域)の修験史料の調査成果などをふまえると、明治維新・神仏分離が、修験など宗教者と村方の関係にもたらした、近世からの変容・断絶の側面と連続性の双方について個別実証を積み重ねて総合的に位置づける課題が浮上した。C、中奈良村の村況および同村の天王宮祭礼の概要を把握し得た。ここから、農村荒廃を背景として生じた、天王宮祭礼・信仰をめぐる村内の軋轢が明らかになった。また、購入・複写した文献から把握した当該地域の水利関係については、Aの調査報告を参考にしつつ、次年度の史料調査で解明する。D、調査を行った史料群は古文書類を中心とした膨大な量で、総点数4桁になると思われ、無造作に箱に入った状態の未整理もので、目録もなかったため、データベース入力による目録作成をしながら撮影するという作業となった。全量からみればまだ緒についたばかりだが、今後の継続調査のための基礎的作業ができた。史料群が修験関係の史料であるという点ではBの調査活動との関係から学ぶことも多く、今後の史料整理に活かしていく。E、近世後期から明治初期までの出入・訴訟関係文書を調査し、地域社会における紛争処理過程で寺院が関与する調停や、村民の入寺行為のうち、複数村の諸寺院による連携の事例を見た。この事例から地域内諸寺院の社会的機能とその相互連携の究明について、Aの旧来の研究を活かし、信仰・生業・支配など複眼的視点からの検討する方向性が生じた。F、安城市歴史博物館の調査では本證寺が作成した「諸事記」や「御請印形帳」、本山家臣ないし末寺・触下寺院宛に作成した書状類の紙焼きを撮影。宗名論争に関する寺内百姓が作成した史料などを発見した。また、岐阜県歴史資料館では阿子田昭家文書のうち、幕末期に発生した西蓮寺檀家不帰依一件に関する史料原本を撮影した。阿子田家「薬師寺来歴(写)」などでは、争論に関係する寺院の由緒を確認することができた。また脛永村会所取立一件は、剃髪僧形となった百姓が自家の寺院化を目指し、他の門徒と共に檀那寺からの独立を目論んだ事件で、既存仏教教団内における民衆の信心の転回事例として把握することができた。寺院と地域生活の関係では、これまでのA・Eの研究成果を活かしている。G、浦上潜伏キリシタンの「信心」に関しては、長崎奉行所の「御用留」に自葬で摘発された数名分の口述書があり、その詳しい理由を知ることができた。また一部地域(里郷・平野宿・中野郷)の人数・年齢・名前を記載したリストや、浦上四番崩れの流罪者の財産処分に関する書類から、信徒の生活状況が、断片的ではあるが解明できると思われる。同地域の民衆に関しては、長崎奉行所と隣村の渕村庄屋の「御用留」から信仰生活に関して日常的にいかなる管理がなされていたかが分析可能であるが、Aが解明したような「地域民衆生活」について追究しているものの、手がかりとなる史料をまだ得ていない。ただし、明治初期の西彼杵郡の寺院明細帳から、浦上村民の生活圏にある寺院名は把握できた。
以上の成果を得た一方で、コロナ禍のため史料編纂所への来所調査は不十分であった。また、対面での共同研究ができないことを補う方法として、毎回の調査ごとに「調査概要報告書」を作成、送信して共有化を図ったが、その報告書を相互評価・批判することにより、共同研究としての質を高めていくという点で、不十分さを残した。

一般共同研究 研究課題 14~17世紀における奄美・琉球関係史料の学際的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 村木二郎(国立歴史民俗博物館)
所外共同研究者 荒木和憲(国立歴史民俗博物館)・田中大喜(国立歴史民俗博物館)・池田榮史(琉球大学)・鈴木康之(県立広島大学)・池谷初恵(伊豆の国市教育委員会)
所内共同研究者 黒嶋敏
研究の概要 (1)課題の概要
琉球は明の冊封を受けた14世紀以降、周辺諸島を軍事的に侵攻していくが、そのうち奄美諸島への侵攻過程については史料的な制約が大きく未解明な点も多い。しかし近年、奄美諸島のうち琉球の侵攻対象となった喜界島では重要な中世遺跡の発掘成果が相次いで報告されており、考古学の見地から琉球側の勢力伸長の過程を跡付けつつある。一方で、当該地域に関する同時代の文献史料は乏しいが、のちの時代に作成された地誌類や絵図といった近世・近代史料のなかに援用しうる歴史情報を持つものが少なくない。
そこで本研究では、14~17世紀における琉球の侵攻・支配について、喜界島に焦点を定め、考古学・文献史学それぞれの視点から学際的に検討を進めていく。考古学の研究者による、現地調査を主とした当該期の集落の検証と、文献史学の研究者による、史料編纂所が所蔵する関連史料の原本調査と高精細デジタル撮影を主とした比較・解析を行い、双方の研究成果を突き合わせ、成果を公開して「史料の研究資源化」を行うものである。

(2)研究の成果
千竃文書は鹿児島県出水郡長島町在住の個人所蔵資料で、現在は長島町歴史民俗資料館に寄託されている。その地理的条件から、資料の重要性は知られていたものの実物を実見する機会は限定されていた。そこで調査成果を踏まえて、国立歴史民俗博物館で複製品を制作し、広く研究資源として活用できるようにした。この史料には中世の喜界島や奄美大島を含めた南西諸島の情報が盛り込まれており、史料編纂所所蔵の関連史料と併せて調査・研究することで理解が深まる。そのため、2021年3月開催の国立歴史民俗博物館特集展示「海の帝国琉球―八重山・宮古・奄美からみた中世―」のⅢ章「境界領域としての奄美」2節「北からみた奄美」コーナーではこれらの資料を陳列し、南九州の武士団が奄美を含めた領域をどのように認識していたか追究した。一方で、考古学的調査成果として奄美地域の集落遺跡から出土した陶磁器を分析すると、これらの史料の時期には集落に大きな変化はなく、その後の15世紀中頃の琉球による侵攻期に大変動が起こることから、南九州の影響と琉球の影響の在地に与えたインパクトの差を比較検討することができた。また、正保琉球国絵図写の撮影によって高精細画像が得られ、紙の継ぎ目の折れ部分などこれまで見えなかった細部が明瞭になった。また村や航路に書き込まれた文字情報もより鮮明に読めるようになった。
しかし、今年度は新型コロナウィルスの感染拡大に伴う研究活動の停滞と行動制限により、当初予定していた調査を完遂することができなかった。そのため未調査分は翌年度に延期することとし、研究費264,230円は繰り越すこととした。

一般共同研究 研究課題 中近世山陰西部における曹洞宗寺院の諸関係―石見国妙義寺を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 中司健一(益田市歴史文化研究センター)
所外共同研究者 目次謙一(島根県古代文化センター)・福田善子(山口県立美術館)・濱田恒志(島根県立古代出雲歴史博物館)・角野広海(島根県立石見美術館)
所内共同研究者 西田友広
研究の概要 (1)課題の概要
島根県益田市の曹洞宗妙義寺は、中世以来の歴史を誇り、中世のものも含め豊富な古文書を伝える。それらは一部が『曹洞宗古文書』や『中世益田・益田氏関係史料集』に収録されているが、まだその全体像は示されていない。
妙義寺は、中世に益田氏の菩提寺であったこと、中国地方の曹洞宗の中核的な寺院である大寧寺との緊密な関係、末寺である益田市域の多くの曹洞宗寺院との関係、江戸時代における三隅の龍雲寺や津和野藩との末寺の帰属をめぐる問題、一方で広域的な文化交流の様相など、中世・近世における曹洞宗寺院の支配者や他寺院との関係について非常に興味深い事例を多く見いだすことができる。
そこで、本共同研究では、妙義寺文書や所蔵する文化財について学際的に調査し、目録化・活字化を進めるとともに、関連する寺院等の文書や文化財もあわせて調査することで研究資源化と、中近世山陰西部における曹洞宗寺院の諸関係、すなわち領主との関係や他寺院との本末関係・文化的交流などについて考察することとしたい。

(2)研究の成果
妙義寺の釈迦十六羅漢図及びこれに類似する作品の調査を実施し、作品間の関係を検討した。また、釈迦十六羅漢図のもととなった作品についても情報収集と検討を行い、その美術的、美術史的価値を考察した。
妙義寺及び大寧寺の文献調査により、釈迦十六羅漢図が妙義寺に施入された背景や、禅僧間のつながり、その後の妙義寺においてどのような位置づけがなされていたかを検討した。
中世末期に益田氏が大寧寺に寄進したという仏像三体については、写真を見ての所見であるが、16~17世紀頃の作か、という評価を得た。大寧寺等の文献では中世の寄進という証拠は得られていない。

一般共同研究 研究課題 和歌山平野を中心とした地域所在中世史料の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 坂本亮太(和歌山県立博物館)
所外共同研究者 小橋勇介(和歌山市立博物館)・砂川佳子(和歌山県立文書館)
所内共同研究者 村井祐樹・高橋敏子
研究の概要 (1)課題の概要
和歌山県における中世史料は、『和歌山県史』の刊行により、その全貌がほぼ明らかになっている。また、本研究で対象とする和歌山平野域(主に和歌山市)については、『県史』刊行後、『和歌山市史』が刊行され、『県史』未収録の史料群も『市史』により把握されている。ただし、当時においても種々の事情により十全な調査・発掘が行われたものではなく、存在は把握していながらも点数が少ないという理由で採録しなかったものや、原本調査に至らず、史料編纂所架蔵影写本に拠らざるを得なかったものも多数あった。さらに、刊行から既に40年以上が経過し、その間に新たに発見された史料も少なくない。
以上の様な状況の中で、本課題で対象とする和歌山平野域(主に和歌山市)では、林家文書(和歌山市立博物館所蔵文書と林峯之進家文書)・玉置作太夫家旧蔵文書など、『県史』『市史』からも漏れた少なからぬ新出文書が確認されており、さらには市立博物館の精力的な研究・展示活動により、和歌山市域外の関係文書も多数発掘されている。そこで、明治・大正期に作成された影写本や、昭和以降に撮影された写真帳等、豊富な複本類を持つ史料編纂所と共同することで、当該地域所在史料の調査・研究を行いたい。

(2)研究の成果
以下、調査・撮影を行った史料を挙げる。
林文書(AB2種 市博所蔵・寄託)
歓喜寺文書(市博寄託)
向井文書(同上)
鷺森別院文書(同上)
末永雅雄コレクション(大阪狭山市教育委員会寄託)
以上の内、林文書Bは、これまで行方不明とされていた一群であり、近年和歌山市立博物館に寄託された。既知の林文書Aと併せて調査・撮影を行った。
また、末永雅雄コレクションは、考古学者であった故末永雅雄氏の収集したもので、和歌山関係の文書を多く含む。この中には、『和歌山県史』に収められているものの、所在不明だったものもあり、今後の和歌山中世史研究における活用が望まれる。

一般共同研究 研究課題 中・近世畿内寺院史料の調査・研究と研究資源化―般若寺および念仏寺を中心とする―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 服部光真(公益財団法人元興寺文化財研究所)
所外共同研究者 澤井廣次(天理大学附属天理図書館)・三宅徹誠(公益財団法人元興寺文化財研究所)
所内共同研究者 藤原重雄・遠藤基郎
研究の概要 (1)課題の概要
歴史的に有力な寺社が集まる奈良・大阪地域では、各研究機関や自治体などによって寺院資料の調査が個別的に進められてきたが、今なお多くの史料が未調査、未紹介のままとなっている。古代以来、中・近世を通じて日本仏教の一大拠点であり、また寺院を核として形成された各地域社会や歴史都市の奈良を抱える大和・河内・和泉の宗教史、中・近世史研究の進展のためには、中小規模の寺院を含めた未紹介史料の研究資源化が不可欠である。
本研究では、奈良市内の真言律宗般若寺・浄土宗念仏寺の所蔵する資料を対象に、近年の寺院史料論・宗教テクスト研究の成果を踏まえて聖教類を含めた未紹介の中近世史料を悉皆的に調査し、これらの宗教史・仏教民俗関係史料と相互補完的な関係にある史料編纂所収集の中世史料および金石文拓本史料と合わせて、中近世の宗教史研究・寺院史研究の立場から各寺院史料全体の性格についての総合的な研究を行う。調査成果は、目録化と史料編纂所での画像公開によって、学界共有の研究資源化を図る。

(2)研究の成果
般若寺所蔵の古文書・聖教の調査では、叡尊願文写本のような断片的に知られてきた中世文書のみならず、中・近世史料(指定品・一切経を除く)を悉皆的に対象とし、目録・解題として公刊し、伝来してきた中・近世の古文書・聖教を群として把握することが可能となった。古文書・聖教は資料番号で62件に整理し、他に版木13点があり、細目総計97点となった。
近世の般若寺村の検地帳や村絵図・境内絵図、また聖教類には未紹介資料が多く含まれ、近世の般若寺村・般若寺について、奈良近郊の農村史、律院史の一事例として多くの新知見が得られた。その他、中世般若寺の特徴的な動向を示す文化財としてよく知られる十三重石塔や笠塔婆の伝来や修復に関わる近世・近代の史料についても、写真撮影によって全文が確認できるようになり、それぞれの文化財の再評価にもつながりうる成果が得られた。とりわけ笠塔婆の銘文については、現状では石材の劣化により全文の解読が困難であるが、過去の解読例の検討を進めていく。
調査資料については、東京大学史料編纂所内の端末での画像データ閲覧に供する準備を進め、目録・解題の刊行と合せて研究資源化についても目的を達した。
また関連して、史料編纂所にて採訪していた個人蒐集文書に、般若寺旧蔵史料が見いだせた。般若寺所蔵の文禄・慶長期の検地帳よりも遡る大永期の収納帳であり、都市奈良でとりわけ大きな役割を担っていた中世段階から、近世へと移行していく時期における般若寺の動向や社会的基盤を知りうる貴重な史料である。調査した般若寺所蔵資料とも密接不可分の内容を有する本史料の存在を検討対象として共有でき、合わせて検討する条件が得られたことは、共同研究として遂行した利点である。研究期間も年度繰越しとなったので2021年度にも引き続き分析を深める。

一般共同研究 研究課題 中世大和国宇智郡関連史料の研究資源化―栄山寺を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 下村周太郎(早稲田大学)
所外共同研究者 高木徳郎(早稲田大学)・山崎竜洋(五條市教育委員会文化財課文化財保存係)
所内共同研究者 菊地大樹・尾上陽介・木下竜馬
研究の概要 (1)課題の概要
大和国宇智郡(現・奈良県五條市)は、大和国の南半分を占める吉野郡と河内国および紀伊国と境を接する「国境地帯」であり、大和街道(古代下ツ道)と吉野川とが交わる交通の要衝ともなっている。平安期は興福寺の影響下にあったが、中世になると高野山(真言宗)や葛城山(修験道)など多様な宗教的要素が入り込んでくる。また、南北朝期には南朝の、室町期には河内守護畠山氏(いわゆる分郡守護)の支配を受け、戦国期には国人や地侍による「惣郡」の一揆が結ばれたことでも知られている。
本研究では、上記のように宗教的・社会的にも政治的・軍事的にも特色あるフィールドとなっている中世宇智郡に関する史料の研究資源化を目指すが、特に栄山寺を調査対象の中心に据える。藤原武智麻呂の創建と伝えられる栄山寺は、奈良時代に遡る全国的にも屈指の古刹であり、古代以来の古文書や金石文を伝えているが、現在は所蔵先が分散している。また、近世・近代に調査が入り、文書の写本も数多く作成されたが、全体像を完全に把握するには至っていない。こうしたことから、栄山寺文書の諸写本、栄山寺文書以外の同寺関連史料、栄山寺の金石文などの調査を軸に、宇智郡関連史料の研究資源化に取り組む。

(2)研究の成果
栄山寺五輪塔群については、すでに戦前から存在が知られており、史料編纂所には紀年銘のある一石五輪塔の拓本が架蔵されている。加えて、戦後にも『五條市史』において調査報告がなされている。これらの内容はおおむね一致するが、後者には一部新出史料も含まれていた。しかし、その後は調査が実施されておらず、無紀年銘五輪塔を含む全貌や現状について悉皆的な調査が望まれていた。とくに、文書や近代にいたる記録および、現地景観とこれらの金石文を詳細に対照することにより、従来知られていなかった中世栄山寺に関する新たな事実の発見が期待される。
今回の悉皆調査により、まず栄山寺一石五輪塔群の現状を全面的に把握することができた。戦前以来、逸失したものはわずかであり、同五輪塔群全体の保存状態が比較的良好であることが確認された。また、従来の調査はおもに紀年銘が完全に残っているものを対象としていることが分かった。すなわち今年度の調査により、干支のみあるいは人名のみの銘文をあらたに多数見出している。
同五輪塔群全体の紀年銘や特徴から、製作時期は15世紀末から16世紀に絞ることができることから、多くの干支については具体的な年次を推定できる。また、文書と照合した結果、一部の銘文に現れるのと同一人物の名が文書に見えることも明らかとなった。ここから、同五輪塔群の造立主体やその階層を新たに推定することが可能となったのに加え、文献史料と相互に関連づけることにより、栄山寺の寺内組織や複雑な宗派的動向、寺辺民衆の寺内への関与のあり方など、さらに豊かな中世栄山寺の歴史像を復元する方向に展開することが予想される。

一般共同研究 研究課題 高野山伝来聖教奥書集成にむけての調査・研究―平安・鎌倉時代を中心として―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 藤本孝一(龍谷大学)
所外共同研究者 土居夏樹(高野山大学)・野田悟(高野山大学)・坂口太郎(高野山大学)・木下浩良(高野山大学)・大河内智之(和歌山県立博物館)・小林雄一(漢字文化研究所)
所内共同研究者 渡邉正男・高橋慎一朗
研究の概要 (1)課題の概要
近年、日本中世史の分野では、寺院史料の重要性が強く認識されつつある。とくに、南都仏教や真言・天台宗の寺院に伝来した聖教には、仏教史・寺院史のみならず、政治史・社会史・文化史に関わる内容を持つものが多く、豊かな可能性を持つ史料群と言える。
本研究は、高野山の主要な子院に伝来した平安・鎌倉時代の聖教を研究対象とし、調査・検討を進めるものである。高野山の聖教は、これまで多くの調査がなされてきた。しかし、子院伝来の聖教は、さほど情報公開が進んでおらず、研究の促進に繋がっていない。聖教の内容に踏み込む以前に、基本的な奥書情報の採集・公開がなされるべき状況にある。
そこで、本研究では、金剛三昧院・西南院・三宝院・持明院・真別処などの子院に伝来した聖教(西南院以外の聖教は、高野山大学図書館に寄託中)の調査に取り組む。とくに、奥書類の翻刻・集成を通して、今後の研究者による聖教調査・研究の基盤を整える。

(2)研究の成果
本年度は、新型コロナウィルス感染症の拡大によって、当初構想していた研究計画の実施については、見送らざるをえなかった。ただし、次年度の共同研究に向けて、可能な範囲で予備的な作業を行なった。具体的には、以下の2つである。
①「『金剛三昧院毘張蔵聖教目録』の調査」
戦前に中野達慧氏(仏教学者)らが編録した当目録は、金剛三昧院聖教(高野山大学図書館に寄託中)を調査・研究する上で、羅針盤的な性格を有する。そこで、高野山大学図書館の許可を得て、その中核をなす特別部上・下2冊を通覧し、順次カード化を進めつつある。この作業を通して、金剛三昧院聖教の持つ史料的性格を把握し、次年度の調査に備えた。
②古血脈の翻刻・研究
およそ、聖教奥書を歴史史料として活用する上では、奥書に登場する僧侶について、その基本情報(生没年、法流上における師資関係、所属寺院など)が解明されていることが望ましい。しかし、高野山の僧侶の場合、事績が不明な人物も多いため、研究を進める上で一つの障害となっている。このような問題点は、一朝一夕に解決できるものではないが、まずは未翻刻の古血脈や、その他の信頼できる史料を地道に調査・検討し、紹介することが欠かせない。
そこで、本年度の西南院調査の際に発見した、『保寿院流血脈私』全1巻(第73函)の翻刻・研究に取り組んだ。同血脈は、明徳4年(1393)8月から応永2年(1395)11月の間に成立したと考えられる古血脈である。撰者は明記されていないが、内的徴証から、高野山一心院の僧であった舜覚房忠禅の可能性が高い。
『保寿院流血脈私』の史料的価値は、高野山一心院を中心に相承された、保寿院流金玉方高野伝の師資関係について、詳細な情報を含んでいる点にある。従来、中世前期の高野伝については、その実態がほとんど不明であった。しかし、『保寿院流血脈私』と関係史料をあわせて検討すると、高野山の僧侶だけではなく、一心院で学んだ京都の権門寺院ならびに地方寺院の真言僧・律僧にも、高野伝が幅広く相承されていた史実が浮かび上がる。
また、一心院に属した僧侶の一部には、南朝と密接な関係を有した人物がおり、南北朝時代の高野山史を研究する上で見逃せない。とくに、『保寿院流血脈私』の撰者と考えられる忠禅は、南朝の長慶天皇から、仏舎利を下賜されるなど、格別の帰依を受けていた。『保寿院流血脈私』に類する古血脈と、関係する聖教奥書を組み合わせることで、大きな成果が期待される。

一般共同研究 研究課題 中近世古文書の多面的分析にもとづく料紙の歴史的変遷の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 天野眞志(国立歴史民俗博物館)
所外共同研究者 小倉慈司(国立歴史民俗博物館)・富田正弘(富山大学・名誉教授)・野村朋弘(京都芸術大学)・柳原敏昭(東北大学)・名和知彦(陽明文庫)・貫井裕恵(神奈川県立金沢文庫)
所内共同研究者 尾上陽介・山田太造・渋谷綾子・高島晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
本研究では、古文書研究の総合的な進展を目指し、古文書料紙に含まれる繊維や添加物等の構成物や抄紙過程で付与される諸情報に注目し、考古学や植物学などの成果や手法を踏まえた総合的な料紙分析をおこなう。
具体的な方法としては、光学顕微鏡やデジタルマイクロスコープを用いて料紙を非破壊的に調査し、繊維および添加物の状態を分析する。特に、史料編纂所所蔵「島津家文書」、陽明文庫所蔵文書、松尾大社所蔵文書、東北大学保管「結城白河家文書」、米沢市上杉博物館所蔵「上杉家文書」を調査し、古文書料紙に含まれる繊維や添加物など構成物を、種類・量・密度の解析をおこなう。さらに、糸目や簀目、皺などの抄紙過程で付与される表面情報を踏まえた多面的な分析から古文書料紙の基礎情報を蓄積することで、中世から戦国期における公家・武家文書の地域的特質や歴史的変遷について科学的検証に基づく検討をおこなう。

(2)研究の成果
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、当初予定していた調査・研究活動が制限されたが、共同研究者間で検討を重ねて統一化した古文書料紙分析のためのデータ項目と顕微鏡観察・撮影手法により、松尾大社所蔵史料、金沢文庫文書、仁和寺所蔵史料を対象とした古文書料紙の顕微鏡撮影を行った。
松尾大社所蔵史料では南北朝期以降の文書料紙を顕微鏡撮影するとともに、明治初年の太政官・神祇官発給文書も撮影を行い、中近世古文書料紙との比較に向けたサンプル調査を行った。金沢文庫では、聖天・倉栖兼雄書状等7件の文書料紙について撮影して料紙の表裏における混入物の差を確認した。
研究成果として『東京大学史料編纂所研究紀要』に論文が掲載された。さらに2021年3月にAnnual Conference of Association for Asian Studies 2021(AAS20201)にて研究発表を行って本研究の調査成果を含むデータ共有基盤のあり方について議論した。

一般共同研究 研究課題 承久の乱関係史料の基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 長村祥知(京都府京都文化博物館)
所外共同研究者 有賀 茜(京都府京都文化博物館)・梅沢 恵(神奈川県立金沢文庫)・小倉嘉夫(大阪青山歴史文学博物館)・西谷 功(泉涌寺宝物館心照殿)・貫井裕恵(神奈川県立金沢文庫)・山岡 瞳(京都府立大学)
所内共同研究者 木下竜馬・藤原重雄・堀川康史
研究の概要 (1)課題の概要
承久の乱とは、承久三年(一二二一)五月、後鳥羽院が鎌倉幕府執権北条義時の追討を命じるも、上洛した鎌倉方武士に京方武士が合戦で敗北し、後鳥羽を含む三人の上皇が遠方に流された事件である。その研究は長く停滞していたが、近年になって研究書や新書が相次いで刊行されるなど、社会の関心も高まりつつある。
本研究課題は、この承久の乱に関する史料の原本調査に取り組む。かつて承久の乱研究が停滞していた一因は関連史料が限られていたことにあった。その数少ない史料も、『大日本史料』や『大日本古文書』といった先駆的な翻刻に依拠してきたため、かえって史料の原本に即した研究が十分ではない。承久の乱研究を中核として、今後の関連諸課題の基礎となるための、個々の史料に即した研究資源化を進めたい。
具体的には、史料所有者・管理者の権利・意向や規程を尊重した上で、史料原本の熟覧調査、カラー写真の撮影、厳密な翻刻文を作成し、その成果を展示・書籍・報告書・論文等を通して広く社会に公開していく。

(2)研究の成果
本課題の共同研究員の専門分野は、日本中世の政治史・法制史・宗教史・対外交流史・文学史・絵画史や日本近世の文学史・絵画史といった諸分野にまたがる。その強みを活かして、古文書・古記録のみならず、古典籍・古筆切・和歌懐紙・聖教・屏風絵・肖像画・絵巻・古絵図・瓦・彫像・刀剣といった様々な歴史的諸資料の原本・実物の調査を進めた。そして、後鳥羽院と鎌倉幕府、承久の乱について、政治・社会・文化など多角的な視角から検討を加えた。
主要な成果として、以下の点が挙げられる。
・従来は翻刻が知られるのみで原本情報が不分明であった「山内家文書」(個人蔵〈山口県文書館〉 *この表記は同館の指示による)のうち、巻子装となっている古文書30通や系図2巻について、所内共同研究者が撮影した全巻カラー写真と装丁・寸法等の調査知見を公刊した。
・従来は『大日本史料』に翻刻が分載され、部分写真のみが掲載公刊されている「承久三、四年日次記残闕」(仁和寺蔵)の全巻カラー写真と装丁・寸法等の調査知見を公刊した。
・美術を専門とする所外共同研究員と共同で調査を進めることで、「熊野本地仏曼荼羅」(聖護院門跡蔵)が鎌倉時代の制作と考えられることや、「曽我物語絵巻」(神奈川県立歴史博物館蔵)と「承久記絵巻」(個人蔵)の制作環境が近いこと等が明らかとなった。
・1939年に恩賜京都博物館(現京都国立博物館)で展示された後、所在不明となっていた「承久記絵巻」全6巻(個人蔵)を再発見し、主要な部分に解説を加えて展示・図録掲載した。
・後鳥羽院の文化史上の再評価を試み、大陸由来の新しい宗教の動きに関心を示したことや、後鳥羽撰の『時代不同歌合』が歌仙絵の展開に重要な位置を占めることなど、従来看過されてきた宗教的事蹟や文化史上の意義に注目し、展示や図録を通して一般の方に紹介した。

一般共同研究 研究課題 聖衆来迎寺史料の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 高橋大樹(大津市歴史博物館)
所外共同研究者 和田光生(大津市歴史博物館)・井上優(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課・琵琶湖文化館)
所内共同研究者 林晃弘・末柄豊・村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
滋賀県大津市比叡辻に所在する聖衆来迎寺は、最澄の建てた地蔵教院を起源とし、源信が念仏道場として再興したという所伝を有する天台宗の古刹である。もとは比叡山横川に伝来した国宝『六道絵』15幅を所蔵するほか、天正年間に京都に所在した元応寺を併合したこともあずかり、多数の文化財を伝えている。
東京大学史料編纂所は、早くに明治21・大正12・昭和2年の3度にわたる史料採訪を行い、文書・聖教取り混ぜて少なからぬ影写本・謄写本を作成している。その後、『六道絵』については、近年本格的な調査研究がなされたのに対し、文献史料については、1984年に琵琶湖文化館が「特別展 聖衆来迎寺」を開催したのを契機に、江戸時代成立の寺史『来迎寺要書』を紹介した程度で、本格的な調査研究はなされていない。『新修大津市史』編纂のための調査でも、対象史料は一部に限られ、写真撮影もほとんどなされなかった。
今般研究代表者の勤務先である大津市歴史博物館では、仏像・絵画を中心に同寺の寺宝展を開催することとなり、付随して所蔵史料についても悉皆調査の御許可を得た。この機会を生かし、文書・聖教の総合調査を行いたい。予備的な調査によって影写・謄写の対象になった中世史料の一部の存在を確認したほか、未調査の近世史料が多数存在していることが判明しており、近世史料も視野に収めた調査研究をすすめたい。

(2)研究の成果
聖衆来迎寺所蔵史料は、大津市歴史博物館、滋賀県立琵琶湖文化館、京都国立博物館に寄託されている。大津市歴史博物館にて開催した企画展「聖衆来迎寺と盛安寺」では、主要な仏像・絵画・聖教・古文書を、調査により得られた知見を加えて紹介した。
近世・近代文書の大部分は未整理分であり、大津市歴史博物館において目録作成を進めた。内容は多様であるが、特に元禄期以降の開帳関係の史料が多数確認された。また、近江国高島郡阿弥陀寺(大和西大寺末、真言律宗)に関する史料も含まれていることが明らかとなった。
企画展会期中に大津市歴史博物館・琵琶湖文化館において、共同での史料調査を実施した。史料編纂所が影写本・謄写本で把握していたものの原本に加え、新たに中世に遡る史料も見いだされた。中世文書・聖教と、近世文書の一部についてはデジタル撮影を行い、計1,482コマに及んだ。
新出史料については大津市歴史博物館にて基礎的な整理を行ったことで、調査・撮影を効率的に進めることができた。中世文書や聖教については、原文書を実見しながら意見交換をすることができ、史料に対する理解を深めることができた。

一般共同研究 研究課題 中世信越地域寺社所在史料に関する調査・研究

研究経費 3万857円(前年度よりの繰越分)
研究組織 研究代表者 前嶋敏(新潟県立歴史博物館)
所外共同研究者 高橋一樹(明治大学)・田中聡(国立長岡工業高等専門学校)・福原圭一(上越市公文書センター)・村石正行(長野県立歴史館)・原田和彦(長野市立博物館)
所内共同研究者 鴨川達夫・村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
弘治四年(1558)正月、武田信玄は信濃守護職を獲得して信濃国の実効支配の正当性を得ている。ただしそのいっぽうで、中世における越後守護上杉氏権力は、信濃北部地域を分国としてその影響下に置いていたことが推測される。このことから、戦国期には信越をめぐって上杉氏・武田氏の争いが激化していたとみられる。
信越地域には上杉氏・武田氏等の権力と結びつき、またそれら権力とも関わる古文書を現在まで伝える寺社が少なくない。これらの古文書は、地域が権力といかに関わっていたのかをうかがううえでも注目される。
そこで本研究では、信濃国・越後国に所在する、上杉氏・武田氏等にゆかりの寺社所蔵の史料を主な題材として、中世の信越と権力との関わりについて調査・研究を実施する。

(2)研究の成果
本研究では、中世信越地域の寺社等をめぐる各地の動向を検討するための史資料原本の調査として、次の古文書群の調査を行い、また記録撮影等を行った。本研究で撮影した文書群は以下のとおりである。
◎長野県内調査
「個人所蔵文書」「真田宝物館所蔵史料」

一般共同研究 研究課題 高野山西南院文書の調査・研究―高野山伝来史料の研究資源化にむけて―

研究経費 1万8040円(前年度よりの繰越分)
研究組織 研究代表者 坂口太郎(高野山大学)
所外共同研究者 藤本孝一(真言宗大本山随心院顧問)・土居夏樹(高野山大学)・野田悟(高野山大学)・木下浩良(高野山大学)・辻浩和(川村学園女子大学)・澤田裕子(京都光華女子大学)
所内共同研究者 渡邉正男
研究の概要 (1)課題の概要
本研究は、高野山西南院に伝来した古文書・聖教・石造物について、調査・研究を行なうものである。西南院は高野山の子院の中でも、屈指の文化財を伝えることで知られる。その中核となるのは、重要文化財『西南院文書』全11巻(高野山霊宝館寄託)であるが、それ以外にも貴重な古文書・聖教が数多く保管されている(「西南院現蔵史料」)。

本共同研究では、2018~19年度に、重要文化財『西南院文書』の原本調査・撮影を行ない、同文書の翻刻や「西南院現蔵史料」の調査にも着手した。本年度においては、重要文化財『西南院文書』の翻刻を継続するとともに、「西南院現蔵史料」についても、より正確な全体像を把握すべく、調査・撮影を進める。さらに、高野山最古の紀年銘を持つ鎌倉時代の五輪塔など、西南院境内にある石造物の調査を行ない、文献史料と併せて検討することで、中世高野山をめぐる信仰について検討を進めていく。

(2)研究の成果
昨年度に引き続いて、重要文化財『西南院文書』全11巻の翻刻に取り組み、第4巻・第5巻の大部分を完了させた。このうち第4巻は、1969年に西南院で火事が発生した際に、大きな焼損を蒙った文書を含んでおり、翻刻にあたっては、損傷以前に撮影された史料編纂所架蔵のマイクロフィルムから、大きな便益を受けた。
本年度の調査成果で特筆すべきは、「西南院現蔵史料」から、昨年度と同様に、重要史料が出現したことである。以下、主要なもの2点について、概要を述べる。
まず、『保寿院流血脈私』1巻(第73函)は、室町時代初頭に舜覚房忠禅(高野山一心院の僧)によって編纂されたと考えられる古血脈である。同血脈の史料的価値は、高野山一心院を中心に相承された、保寿院流金玉方高野伝の師資関係について、詳細な情報を含んでいる点にある。従来、中世前期の高野伝については、その実態がほとんど不明であったが、『保寿院流血脈私』やその他の関係史料にもとづいて検討を加えると、高野山の僧侶だけではなく、一心院で学んだ京都の権門寺院や地方寺院の真言僧・律僧にも、幅広く相承されていた史実が浮かび上がる。
次に、「文観房弘真授有源許可灌頂印信紹文」1通(第70函)は、後醍醐・後村上両天皇に仕えたことで知られる文観が、正平3年(1348)3月18日に、有源という僧侶に授けた文書である。全14行からなり、(A)第1行から第12行の部分と(B)第13行・第14行の部分で、筆跡が2つに分かれる。(B)の筆跡は、正平3年7月25日付「文観寄進状」(『高野山文書 続宝簡集13』)の筆跡と違わぬことから、文観の自筆と判断して間違いない。中世の真言密教における印信作成のあり方を考える上でも、貴重な素材と言ってよいだろう。
また、受者の有源がいかなる人物であったかは不明であるが、おそらく高野山に属した僧と考えられる。かつて文観は、高野山から敵視されたが、晩年になると、南朝の意向を受けて高野山と密接な関係を結んでいた。この印信紹文は、文観および南朝と高野山との政治的関係を考える上でも、重大な史料的価値を帯びると評価できる。なお、この印信の発見については、『毎日新聞 和歌山版』2020年11月25日朝刊で、大きく取り上げられた。
なお、西南院境内にある鎌倉時代の五輪塔5基(砂岩製。このうち1基は、高野山最古の紀年銘あり)を調査し、新たに作成した実測図・拓影に基づいて、風輪が火輪の上部に喰い込んだ「噛合わせ五輪塔」の特徴を明らかにした。

一般共同研究 研究課題 参詣曼荼羅図を中心とする富士山信仰史資料の総合的研究と公開

研究経費 9万円(前年度よりの繰越分)
研究組織 研究代表者 大高康正(静岡県富士山世界遺産センター)
所外共同研究者 井上卓哉(富士市市民部文化振興課)・阿部泰郎(名古屋大学・龍谷大学)・伊藤 聡(茨城大学)・阿部美香(昭和女子大学)・三好俊徳(名古屋大学)・猪瀬千尋(金沢大学)
所内共同研究者 藤原重雄・及川 亘
研究の概要 (1)課題の概要
富士山南麓には、中世/近世/近代を通じて形成・伝承された豊かな富士山信仰に関わる資料が散在する。例えば村山修験の祖末代上人ゆかりの村山浅間神社の信仰資料(富士宮市教育委員会寄託)や、富士下方五社の別当寺であった富士山東泉院伝来の顕密仏教の聖教資料(富士山かぐや姫ミュージアム所蔵)などが挙げられる。これらの信仰遺産は個別に調査が進められてきたが、その全体を把握し歴史的関連のもとに位置付けることは、富士山信仰の総合的研究と情報共有の上で急務である。
そのための指標として、本研究は富士山信仰の世界観を象徴的に描いている富士参詣曼荼羅図を活用して、富士山信仰史資料の総合的研究と整理保存に基づく公開を目指す。加えて一切経をはじめとして、儀礼書や唱導文芸など、時代や位相の異なる多様な信仰資料も存在しており、これらジャンルの異なる資料の全体像を把握し、アーカイブス化を進めていく必要がある。

(2)研究の成果
富士山南麓の富士山信仰に関わる史料群について、二〇一九年度に実施できた亀山市内に引き続き、二〇二〇年度への繰越分を活用して、三重県内にての史料・現地調査を実現できた。
神宮文庫では、申請可能な上限数の件数にて、富士信仰関係史料を閲覧した。このうち、詳しい分析や既知の史料との照合を必要とするものについては、紙焼きの頒布を受けた。
志摩市歴史民俗資料館では、本課題と直結する企画展「熊野古道沿いの富士信仰―伊勢志摩とのつながり―」を開催中で、展示見学とともに担当者との情報交換を行い、さらに志摩市南張地区の富士講関係者への聞き取りや、鳥羽市海の博物館にても富士信仰関係史料の所在を確認した。これらの成果は、静岡県富士山世界遺産センター編『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』(2021年3月)にも翻刻・解題として収録している。

一般共同研究 研究課題 近世朝廷行事の通時変化と空間構成に関する史料情報の研究資源化

研究経費 23万3520円(前年度よりの繰越分)
研究組織 研究代表者 村和明(東京大学)
所内共同研究者 山口和夫
研究の概要 (1)課題の概要
近世(江戸時代)の朝廷行事が描かれた近世ないし近代初頭成立の各種絵画史料と文献史料・絵図とを併用し、描かれた行事の名称・場・人物(役職名)・内容年代等を読解する。近世朝廷固有の機構・職制が関わる行事の史料情報を特定・抽出する。得られた知見を整理して一覧表・目録稿類を作成・公開し、近世朝廷行事の空間構成(場)と通時変化の視覚的・総体的把握の一助とする。

(2)研究の成果
宮内庁京都事務所での京都御所(安政度内裏遺構)調査、泉湧寺宝物館での史料調査とも、東京大学史料編纂所の事業と共同利用・共同研究拠点の活動に対する理解、公募型共同研究制度があって、実現することができた。2名という極小の研究組織も、共同作業の日程調整上、利点が大きく、課題関連知識・文献・史料情報を共有し合え、異なる視点・発想からの対話や議論が弾み、有益であった。なお主な成果を要約して下に記す。
① 近世中期に社家から分れて成立した地下家出身で、父を襲い、天明度内裏で非蔵人、安政度内裏で六位蔵人を務め、昇殿も勅許され、明治維新後の新政府にも一時出仕、華族編入請願を退けられ、京都府士族として他界した藤島助順の履歴・人物情報を一定程度把握することができた。②「旧儀式図帖」について、「孝明天皇紀」附図、「公事録」附図とも対比し、光格上皇葬儀時からの仙洞御所・泉涌寺境内・路中をも含む空間を対象に、人物の縮尺や絵画表現には凝らないながら、年中行事・儀式の構成と詞書(解説文)とは、「公事録」のそれに相当程度近似しつつも、近世以前に成立・維持された朝儀・公事に加え、近世朝廷固有の構成員の関わる儀式・行事をも克明に記録した点で稀少な明治年間成立の史料であり、史料批判を踏まえれば近世朝廷研究に資し、活用するに足る、という見通しを得た。
文献史学からの朝廷研究は、主に1980年代以降21世紀の現在まで実務機構に関する実証的成果が蓄積されつつあるものの、近世史料の記載分析に比べ、アーカイブズ学的研究、記録の生成、機能、蓄積、管理、伝来過程の解明は、緒についたばかりで、残された課題が多い。
大工頭中井家旧蔵建築指図・移築現存遺構からの建築史学の研究も、寛政度・安政度内裏で復古調が意図され、現存する儀式空間・天皇らの居住空間、移築された居住空間・祭祀空間を主対象に進み、職制にもとづく実務空間を対象とする研究蓄積は厚くはない。こうした現状に対し、調査成果から視座を相対化し、課題・論点を提起することができた。
③ 幕府・幕藩関係では、中井大和家・甲良豊前家・木子家旧蔵指図や幕政史料・大名家伝来文献史料が活用され、江戸城(村井益男・松尾美惠子・深井雅海氏等)、藩邸(吉田伸之・岩淵令治氏等)、武家の表奥の空間概念(福田千鶴氏)、公務の場としての老中役宅(荒木裕行氏)につき研究が進捗しているが、空間論の視点を加味した近世朝廷研究開拓の端緒を示し得た。感染症拡大のため広範な史料調査を尽くすことはできなかったが、今後も時間をかけ、調査・解析を続け、実証的寄与を果すべく努めたい。

一般共同研究 研究課題 勝尾寺文書の史料学的調査・研究

研究経費 21万円(前年度よりの繰越分)
研究組織 研究代表者 市澤哲(神戸大学)
所外共同研究者 藤田励夫(文化庁)・佐藤健治(文化庁)・三好英樹(大阪府教育庁)・磐下徹(大阪市立大学)
所内共同研究者 末柄豊・伴瀬 明美・小瀬 玄士
研究の概要 (1)課題の概要
中世における寺院の広範な活動の展開を考えるうえで、北摂に位置する勝尾寺は重要な存在である。同寺は中世文書だけで1000点以上を数える文書を蔵している。それらは、同寺が祈祷によってその信仰を集めたことを証する史料のみならず、土地売買史料、在地における寺院の意義を物語る史料など、中世の在地社会、在地社会と寺院の関係を考える上で欠くことのできない史料を豊富に含んでいる。さらに、権力との関係を物語る政治史研究の素材ともなる史料も含まれている。同寺文書群は、史料点数、内容ともに中世在地寺院文書として、希有の存在といえるだろう。
すでに同寺の文書は、中世の土地売買、土地所有研究において活用されてきているが、1960年代に編まれた『箕面市史』で調査が行なわれて以来、史料学的な調査はほとんど行われておらず、その史料群の全貌も実は明らかになっていないのが現状である。本共同研究は、同寺の協力をもとに、勝尾寺文書の原本調査を行ない、史料学的な研究を進めようとするものである。

(2)研究の成果
継続的なCOVID-19感染症の流行により、調査を実施することは叶わなかった。このため、将来的な調査の準備として知られている範囲の勝尾寺文書についてテキストデータ化を進めてこれを完成させた。今後、原本調査を実施するにあたり、基礎的なデータとして活用されることが期待される。