編纂・研究・公開

2017年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 南北朝期興福寺関係史料の研究―『細々要記』の諸本調査と復元―

研究経費 27万円
研究組織 研究代表者 大薮海(お茶の水女子大学)
所外共同研究者 安田次郎(お茶の水女子大学)・荻島聖美(品川区立品川歴史館)
所内共同研究者 末柄豊・須田牧子
研究の概要 (1)課題の概要
南北朝期の古記録である『細々要記』は、奈良興福寺東金堂の僧侶である実厳により記された日記で、その抄出本が『史籍集覧』『続史籍集覧』『大日本仏教全書』などに収載・翻刻されている。南北朝期の興福寺は一乗院・大乗院の両門跡の対立により争乱が相次いでいたために史料が多く失われ、室町期の『大乗院寺社雑事記』のように詳細かつ連続した日記は伝わっていない。そのため『細々要記』は、現存史料が少ない南北朝期興福寺の様子を知ることができる貴重な史料と評価できるものであるが、これまでの研究ではほとんど活用されてこなかった。その理由は、抄出の形でしか伝存していないことに加え、諸本の校合が全くなされておらず、全体像の把握が困難なことに求められる。よって本研究では、全国各地に散在する『細々要記』の諸本を校合してできるだけ当初の姿に復元することにより、『細々要記』を南北朝期興福寺研究の基礎史料として活用できるようにすることを目指す。

(2)研究の成果
『細々要記』所蔵機関における調査や本所架蔵影写本・写真帳の利用により、『国書総目録』(とその後身の「国文学研究資料館 日本古典籍総合目録データベース」http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/)により所在が判明している『細々要記』のほぼすべてを、調査・撮影することができた。さらに、同書に記載がない新出の『細々要記』(安田女子大学図書館所蔵)の存在も明らかになった。
本文の検討では、現存する『細々要記』の多くが「南朝本」(南朝の出来事や南朝の視点に立って書かれた記事が中心)であり、「南都本」(南北朝時代の興福寺の出来事を中心に記録)は少数であることが判明した。「南朝本」の『細々要記』が他の南朝関係史書(『南方紀伝』や『桜雲記』など)とともに所蔵されている事例が多いことから、近世以降、南朝への興味・関心が高まったことを受けて「南朝本」の『細々要記』の写本が各地で作成され、現在まで伝えられていると考えられる。

一般共同研究 研究課題 東京国立博物館所蔵湿板写真ガラス原板に関する基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 遠藤楽子(東京国立博物館)
所外共同研究者 田良島 哲(東京国立博物館)
所内共同研究者 保谷 徹・箱石 大・稲田奈津子・谷 昭佳・高山さやか
研究の概要 (1)課題の概要
東京国立博物館が所蔵する古写真には、重要文化財に指定された「壬申検査関係写真」(2003年指定、計565点)をはじめ、明治初期の文化財・史跡関係の写真が数多く含まれている。壬申検査は明治5年5月から10月にかけて明治政府が行った文化財調査であり、ウィーン万博への出品選定をかねて、正倉院御物をはじめとする貴重な文化財が写真撮影されている。本研究では、このうちガラス原板写真を対象として高精細デジタル撮影による画像解析をおこない、既存のプリントと写真原版の照合作業をおこなうなど、幅広い分野の諸研究に利活用するために必要な基礎的調査を実施して、画像データの研究資源化を図ったものである。「壬申検査関係写真」を中心に、写真プリントとガラス原板の調査・照合作業を完了した2016年度に引き続き、2017年度は、湯島聖堂博覧会関係写真を中心としたアルバム「明治四年展覧会写真帖」と「旧聖堂博覧会関係写真」原板について調査し、東京大学史料編纂所にて成果発表「壬申検査関係写真展」を行った。

(2)研究の成果
当研究では、東京国立博物館の収蔵品に含まれる写真史料について、多くの研究への利活用をはかるための研究資源化へ前進することができた。2016年度・2017年度にわたり継続して調査を行った「壬申検査関係写真」については既に重要文化財に指定された分に加えて関係する可能性のある原板が見出されたほか、「明治四年展覧会写真帖」および「旧聖堂博覧会関係写真」の調査研究においては、東京大学史料編纂所にて確立された撮影方法による高精細画像を得ることにより撮影対象をより詳細に確認することができ、博物館を中心とした当時の文化活動を窺い知ることができた。今回の古写真研究プロジェクトとの連携により、東京国立博物館においても写真原板の歴史資料的価値とその保存・活用の重要性が改めて認知されることとなった。一方で、撮影された画像の解析、原板・プリントの分類方法、研究資源化の方法論の確立などには、さらなる工夫をおこなう余地が残された。今後も、高精細デジタル画像化の推進とともに、今回古写真研究プロジェクトとの連携により得られた成果や手法などについて、東京国立博物館においても活用しながら、助言を仰いでいきたい。

一般共同研究 研究課題 六所家史料旧東泉院聖教の復原的研究と公開

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 井上卓哉(富士山かぐや姫ミュージアム)
所外共同研究者 阿部美香(昭和女子大学)・阿部泰郎(名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター)・伊藤 聡(茨城大学)・猪瀬千尋(名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター)・大高康正(静岡県富士山世界遺産センター)・大東敬明(國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター)・三好俊徳(名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター)
所内共同研究者 藤原重雄
研究の概要 (1)課題の概要
富士市吉原の六所家は、江戸時代まで富士山東泉院という真言寺院で、朱印領を認められた富士下方五社別当であり、在地領主でもあった。その伝来資料や什物は、富士市立博物館(富士山かぐや姫ミュージアム)に寄贈され、調査会により古文書・絵画、民俗等各分野で整理と目録が進められ、その一環として2014四年度には「聖教」の報告書が刊行された(『六所家総合調査報告書 聖教』全462頁)。この目録をふまえ、東泉院聖教(約2000点)の寺院廃絶時点における復元的再構成を試みるとともに、その歴史的意義を解明して保存公開を目指す、アーカイブス化のための研究である。
東泉院聖教は、最後の住職であった蘂雄(1886年没)による目録化と整理がなされ、印信が備わる。このうち特に神道印信は歴代住持が高野山において伝受した八十通印信とともに、地域の社人へ伝授した切紙類が多数残る点で貴重である。東泉院聖教の形成過程を解明する上で神道資料の探査は欠かせないものであり、先の目録作成に携わった博物館担当者・大学研究者による調査を継続し、史料編纂所の資源を活用した全国的な俯瞰的視野を加えて、いっそうの基盤的調査研究を遂行する。

(2)研究の成果
旧東泉院伝来の宗教文献のうち、神道資料については、既に『六所家総合調査報告書 聖教』(平成27年)に、八十通印信を中心にその目録を作成して収められているが、神道資料の全体像とその特質については、充分に明らかにされていなかった。本研究では、これを研究対象として、八十通印信以外の神道印信類の整理と、他の神道資料全点のデジタル撮影を含むアーカイヴス化を実施した。あわせて、中世神道研究に大きく貢献する可能性を持つ旧東泉院伝来の『太祝詞』をはじめとして一部の重要資料の翻刻作業も実施した。
こうした研究成果については、『六所家総合調査だより特別号② 東泉院の神道資料』(発行:富士山かぐや姫ミュージアム・平成30年3月発行)に取りまとめ、関係機関や研究者に頒布するとともに、情報発信に努めている。今後、成果として提示した神道資料の解読から、今後の当地域の祭祀とそれを支える本地垂迹説にもとづく教義についての解明が期待される。
史料編纂所の史料蒐集事業の一環として、六所家史料の中世文書、寺誌・縁起類に加えて、富士山南麓地域の貴重な中世文書群である「矢部家文書」(富士山かぐや姫ミュージアムに寄託)について、調査・撮影を実施した。これにより、広く学界で参照できる状態となり、さらなる活用が期待できる。この点も、今次の共同研究の大きな成果の一つであるといえよう。

一般共同研究 研究課題 中近世社寺算用状類に見る会計知識の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 三光寺由実子(和歌山大学)
所内共同研究者 高橋敏子・ 金子 拓・川本慎自
研究の概要 (1)課題の概要
本共同研究は、東京大学史料編纂所(以下「史料編纂所」と称す)が収集架蔵する中世社寺の「算用状類」に関し、分野連携による研究資源化を試みるものである。
近年、歴史的に公的権力(政府等)を凌駕するほどの権勢を振るった宗教組織の会計史料に着目し、そこで行われた記帳方法の意義や、記帳体系と寺院経営の整合性、さらには当該時期の会計知識の展開を究明する「宗教組織の会計史研究」が国際的に注目されている。しかしながら、日本の宗教組織を題材とした研究は、ほとんど報告例がなく、さらに日本における会計史研究においても、江戸時代の商家の会計帳簿より以前の会計史料に関しては、ほぼ等閑視されている。
そこで本研究では、約2800点以上という、質量ともに豊富な研究資源である賀茂別雷神社文書における算用状類を中心に、史料編纂所架蔵史料中の算用状類をアーカイブ資料として再整理する。同文書については、既に『目録』(京都府教育委員会編『京都府古文書調査報告書第14集 賀茂別雷神社文書目録』2003)が作成されているが、その解題でも述べられているように、複数の種類の算用状が存在し、相互に関わり合うものであり、賀茂別雷神社における研究の基礎資料と位置づけられる。本共同研究においては、算用状類の整理にあたり、日本史ならびに、会計学の分野連携を図り、網羅的で体系的な研究基盤を再構築する。

(2)研究の成果
「賀茂別雷神社文書」中の天正期を中心とした各種算用状の翻刻を進めた。会計学における各種帳簿の機能研究を基に、賀茂社における算用状相互の機能を追究した。
新史料の収集としては、「賀茂別雷神社文書」群の特性を考慮し、本課題の直接の分析対象である算用状だけでなく、氏人組織の評定の結果を記録したと考えられる氏人置文や、文書群の内容読解の助けとなる近世の編纂物などについても調査し、撮影を行った。具体的には、『目録』Ⅱ-B-1の氏人置文、同Ⅱ-I-1の職中算用状、同Ⅳ-Aの社務所保管記録類である。さらに、賀茂別雷神社の神主を務めた社司家のひとつ鳥居大路家に伝来した文書(早稲田大学図書館所蔵)についても調査を行い、文書の伝来や家の継承、文書保管のあり方、社司・氏人の身分関係などに関わると思われる文書を中心にデジタルデータを収集した。
著書・論文・学会発表は下記の通りである。
三光寺由実子 "Accounting and power in the Society of Buddhism: An analysis of the income and expenditure reports of Toji Temple, 1427-1532"(Accounting History、査読有、掲載予定 )では、東寺百合文書の中にある、光明講方算用状(1437-1532)について、Giddensの構造化理論を基軸に、会計の社会的インパクトを考究した。中世寺院会計史の研究可能性が大いに残されている文書として、賀茂別雷神社文書を取り上げた。
金子拓「賀茂別雷神社文書中の丹羽長秀・織田信長文書について」(『戦国史研究』75、2018年4月)は、賀茂別雷神社文書中に残る丹羽長秀・織田信長発給文書のうち、年次未比定の文書について、賀茂別雷神社文書の算用状分析を行ない、その年次を特定した。この他、金子拓『戦国おもてなし時代 信長・秀吉の接待術』(淡交社、2017年10月)がある。
川本慎自「中世禅僧の数学認識」(佛教史学会大会、2017年11月18日、於龍谷大学)は、賀茂別雷神社文書の番衆算用状に起請文が付された事例と禅宗寺院の算用とを比較検討することによって、呪術的な数学理解を脱して合理的な理解へと変化してゆくことを位置づけた。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵賀茂別雷神社関係史料を中心とした同社文書および社内組織の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 野田泰三(京都橘大学)
所外共同研究者 三枝暁子(東京大学)・宇野日出生(京都市歴史資料館)・志賀節子(関西大学)
所内共同研究者 久留島典子・高橋敏子・金子 拓・遠藤珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
平安京の守護神として公武の厚い尊崇を受けた賀茂別雷神社(以下賀茂社と略記する)は、定員140名の氏人惣中と氏人に配分する往来田という固有の組織・制度を明治初頭まで維持しており、その運営実態や賀茂六郷の支配構造の解明が重要な課題となっている。
史料編纂所には「社司日記」(永禄8・9年、0173-25)、「往来貴布禰田川原畑老者田今者記」(0112-2)、「境内六郷正月番頭日記」(元和7・8年、0212-1)など賀茂社から流出した史料原本が所蔵されている。これらは膝下の賀茂六郷における収取システムとそれに基づく祭祀経営、戦国~近世初頭における賀茂社・六郷の動静を分析する上で貴重な情報を含んでおり、原本調査のうえ翻刻・データ化する。また早稲田大学(荻野研究室収集文書)や國學院大学にも賀茂社関連史料が少なからず所在しており、あわせて調査を行い、賀茂社文書の全体像の復元把握と賀茂社の社内組織・支配構造について考察する。

(2)研究の成果
昨年度に引き続き、賀茂社固有の往来田制度と賀茂六郷の収取関係を解明するうえでの基礎資料というべき「往来貴布祢田川原畑老者田今者記」(史料編纂所所蔵)の分析を進めた。賀茂社所蔵史料や旧社家である岩佐家文書所収史料など関連史料を踏まえた志賀の報告をもとに、研究会で継続的に検討・討議を行った。情報量が膨大なこともあり、史料に現れる用語の意味や氏人への役賦課のシステムなど事実関係の確定を進めている段階である。2月には、用語法の比較検討を行うために、史料編纂所写真帳『往来田巻物之写』や『家子鬮取次第』などの関連記載部分について調査を実施した。
昨年度に引き続き、遠藤の作成した釈文をもとに「上賀賀茂社社司日記」(史料編纂所所蔵)の読み合わせを進め、成果を編纂所紀要28号に発表した。神主の視点からみた賀茂社の年中祭祀や社家氏人の動向が記録された同史料は、神主(社司)の視点から見た通年の日記史料という点で、賀茂社の中世史料には類例が無く貴重である。
8月には國學院大学図書館が所蔵する賀茂社関連史料のうち約30点を手分けして閲覧・調査した。うち永禄~天正年間の氏人を書き上げた「賀茂社氏人座次第記」は当該期氏人の諱と官度途・大夫名が判明する基礎資料として貴重であり、1月の研究会で金子が分析報告を行った。これまでの成果と合わせて、賀茂社研究上必須の氏人個人データの蓄積を進めることができた。
1月の研究会では横井靖仁氏を招請し「中世初期の王権と返祝詞―返祝詞の「成立」時期と王権祭祀への定着を中心に」と題する研究報告をいただいた。賀茂県主一族の氏神であった賀茂社が王権(朝廷)祭祀に組み込まれていく過程を返祝詞や代始め神社行幸を素材に検討したもので、本研究の前提である賀茂社と王権との関係について共通理解を得ることが出来た。

一般共同研究 研究課題 泉涌寺所蔵の中・近世史料に関する基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 西谷 功(泉涌寺宝物館「心照殿」)
所外共同研究者 大谷由香(龍谷大学)
所内共同研究者 佐藤雄介・林 晃弘
研究の概要 (1)課題の概要
泉涌寺は応仁の乱の全焼、近世においても数度罹災することで、中世以来集積されていた多くの文書・聖教を失った。現在公刊されている泉涌寺関係史料は、『泉涌寺史』(法蔵館、1984)に掲載される233件程度である。泉涌寺は中世には中国仏教の窓口として重要視され、また近世にも天皇の葬儀を行う「御寺」として知られていながら、残存史料の少なさからその歴史的実態をつかむことが難しく、結果として周辺研究の遅滞を招いている。
しかし『泉涌寺史』公刊以降、既に30年以上を経過し、公刊時には検出できていなかった古文書・古記録が新しく1000点近く、また聖教については未紹介を多く含む500点近くが寺内調査によって発見されている。
本共同研究では、こうした泉涌寺所蔵の未紹介史料の調査・報告を中心とする。基礎的な情報を学界共有の財産として提供することで、寺史のみに囚われない、泉涌寺を中心とした中近世史構築への新たな視座を提示したい。

(2)研究の成果
①「山田家旧蔵泉涌寺文書」の調査・撮影
2016年度に引き続き、「山田家旧蔵泉涌寺文書」の調査を行った。今年度は目録の整備と、報告書作成に向けた史料翻刻・解読を進めた。また、第1回調査において全点のデジタル撮影を行った(1820コマ)。新出の中世文書の位置づけや、近世の泉涌寺の運営を世俗的な面で支えた寺役人の役割、門前地域の実態など、新たな知見を得ることができた。
②「泉涌寺文書」日並記の調査・撮影
第2回・第3回調査では、「泉涌寺文書」のうち、江戸時代中後期の日並記(全69冊)の撮影に取り掛かり、享保11年から嘉永7年に至る30冊分についてデジタル撮影を行った。泉涌寺の仏事・儀礼・内部組織や、朝廷・幕府との関係、地震等の災害情報など、内容豊かな史料であり、利用環境を整える利点は大きい。また、泉涌寺の名目金貸付等、財政史料についても調査を行った。
③別院・塔頭文書の調査
「悲田院文書」(第2回調査)、「雲龍院文書」・「新善光寺所蔵聖教」(第3回調査)など、泉涌寺の別院・塔頭の史料について概要を調査した。「雲龍院文書」からは新出の豊臣秀吉朱印状や、中世~近世の綸旨・写、17世紀中葉の大山崎神宮寺に関わる史料、幕末の天皇家の葬送に関する記録類、新出聖教類などを見いだすことができた。また「新善光寺文書」からは、これまで知られていなかった「泉涌寺版」の写本が2点検出された。いずれも永仁3年閏2月に泉涌寺僧観昭が開版したものである。このうち泉涌寺開祖俊芿の戒律についての疑義に回答した一人である南宋僧「了然」の著作である「釈門帰敬儀科釈」は新出文献であり、南宋教学の一端を明らかにできる重要な発見であった。
泉涌寺とその別院・塔頭が保持してきた史料は、時代もその内容も多岐にわたっており、専門領域が異なる研究者が一堂に会して調査を執行することがなければ、その幅広い価値に気づくことができない可能性も多分に存在した。共同研究として遂行したことが、泉涌寺の多面性を明らかにすることにつながった。

一般共同研究 研究課題 兵庫県下古代~中世地域中核寺院所蔵史料の調査・研究―播磨清水寺史料を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 前田 徹(兵庫県立歴史博物館)
所外共同研究者 石原由美子(豊岡市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」)・森下大輔(元加東市教育委員会)
所内共同研究者 伴瀬明美・村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
兵庫県下に存在する古代(平安期)から中世にかけての地域中核寺院所蔵史料は、明治期の史料編纂所の全県調査を嚆矢とし、昭和40年代からの、『兵庫県史』刊行にともなう史料調査や、各市町村史刊行のための調査により、数多くが発見され、利用・研究されている。ただし、『兵庫県史』刊行後は、逐次新発見が報告されてきているものの、現段階における最新情報を全県レベルでとりまとめた形での把握にはいたっていない。また情報は把握していても、実見に及んでいない文書が大部分である。以上のような状況を踏まえ、県内中核寺院所蔵史料で新たに発見されたものを中心に情報収集と調査を進め、研究・展示に活用する。

(2)研究の成果
本研究の中心的な課題であった、兵庫県指定文化財「清水寺文書」古代中世分(近世一部含む)680点のデジタル写真撮影(1200コマ)を行うことができた。これにより、『加東郡誌』と『兵庫県史』の異同等、不明瞭であった部分の解明ができ、文書の存否を確定することができた。さらには、これまで同寺文書の写真が公開されたことはなく、撮影・公開自体が大きな成果と言える。また、文書自体の現状であるが、大部分の、巻子に装丁された文書については良好であったが、まくりの状態で保管されている文書は、仮養生が施されているにすぎず、今後何らかの対応を行う必要があることを認識できたことも重要である。
清水寺以外の寺院史料については、尼崎市域の中心寺院長遠寺の所蔵文書8点、この地域に関わる中世文書である「寺岡文書」4点、神戸市の有馬地区の中心寺院「善福寺文書」14点の調査・撮影を行った。ただし今回調査した「善福寺文書」は、善福寺現蔵分のみで、流出分が県内川西市個人蔵となっており(史料編纂所影写本でしか確認されていない)、今回も、アプローチしたものの把握には至らなかった。善福寺文書総体の把握のためには、大きな課題である。
さらには、兵庫県域の中核寺院史料を探る過程で、各自治体・大学のご協力により様々な史料情報が集まり、直接の寺院史料ではないものの、神戸市域では神戸大学所蔵の「九鬼文書」(5点、新出)「中川文書」(250点)、太子町においては、新出の個人所蔵の秀吉文書およびこれと密接にかかわる「岩見井組文書」(5点)、姫路市個人所蔵の「熊谷文書」(29点)、小野市好古館所蔵の「一柳文書」(「太閤様御書之写」「天正年中諸事証文留帳」)の調査・撮影を行うことができた。
なお、本研究の成果の一部は、兵庫県立歴史博物館の2017年度秋期特別展「ひょうごと秀吉」に生かされている。

一般共同研究 研究課題 中世出雲地域を中心とした国人領主史料の研究―史料編纂所所蔵「中川文書」を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 倉恒康一(島根県古代文化センター)
所外共同研究者 伊藤大貴(島根県立古代出雲博物館)
所内共同研究者 西田友広・久留島典子
研究の概要 (1)課題の概要
中世出雲地域には多くの国人領主が盤踞しており、関係史料も、近世にはそのほとんどが毛利氏に従ったこともあって『萩藩閥閲録』に内容のみは筆写されている場合が多い。しかしながら、原本の残存数はそれ程多くはなく、家に伝わった、いわゆる家伝文書は数えるほどしか報告されていない。そのような中で史料編纂所所蔵の「中川文書」(旧「中川四郎氏所蔵文書」)は出雲国人赤穴氏に伝来した文書群で、総点数150に及びそのほとんどが中世文書である。上記の『萩藩閥閲録』に収載されたこともあり、内容は知られているものの、原本に基づいた研究はこれまで行われてこなかった。
そこで本研究では、料紙の紙質等にも目を配った原本ならではの情報を収集しながら、内容検討を行い、一方で現地に遺された関係史料と比較・対照することによって、出雲国人領主研究を進めていくための一基盤としたい。

(2)研究の成果
史料編纂所所蔵の「中川文書(赤穴文書)」の原本調査を行い、図録刊行のための、画像データ形成・釈文作成を行い、下原稿はほぼ完成し、残るは少々の校正のみとなり、刊行準備が整った。
岩国徴古館寄託の「吉川文書」3通はいずれも秀吉より吉川元春妻(元長母)に充てられたかな文書(自筆ではない)で、これまで知られていない新出史料である。吉川史料館所蔵「吉川家文書」に類例があるが、極めて珍しいものある。また「桜井文書」9点も新出である。「久利文書」は石見国人久利氏に伝来した文書。
赤穴氏の本領と隣接する地域に所在する「雲樹寺文書」は、これまで、史料編纂所影写本と、島根県の調査目録があるのみで、文書全体の写真撮影は行われたことがなかった。今回中世部分全体を把握・撮影の結果、杵築社(現出雲大社)に関わる新出文書が確認できた。これら新出も含め、写真および翻刻を掲載した、図録『雲樹寺文書』(東京大学史料編纂所研究成果報告2017-2)を刊行した。
その他、出雲の隣国、石見地域の国人益田氏の新出史料の調査・撮影を行い、併せて関わりの深い「亀井文書」(国立歴史民俗博物館所蔵)の調査・撮影も行った。さらには、戦国期に出雲を支配した毛利氏が残した「毛利家文書」の内、関連する武家故実関係史料の撮影を行った。

一般共同研究 研究課題 いの町紙の博物館所蔵『吉井源太翁遺文』のデジタルデータ化及び調査研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 別役理佳(いの町紙の博物館)
所外共同研究者 池 典泰(いの町紙の博物館)・鳥越俊行(奈良国立博物館)・有吉正明(高知県立紙産業技術センター)
所内共同研究者 末柄 豊・高島晶彦・畑山周平
研究の概要 (1)課題の概要
日本で独自に発展してきた製紙技術は、江戸後期から明治期の社会体制の変化によって多大な影響をこうむり、技術改良されて現在に伝わっている。そのため、江戸期以前の紙文化財に使用された料紙を理解する際、現在の手漉き和紙製造技術をそのまま前提とすることはできず、江戸後期から明治期を経て現在に至るまでの製紙技術の変遷について理解することが不可欠なのであるが、そのことは十分に認識されていない。
本研究の目的は、土佐藩の御用紙漉き家に生まれ、江戸後期から明治期において製紙技術の改良や新しい和紙の開発を積極的に進めた吉井源太が残した『吉井源太翁遺文』(いの町紙の博物館所蔵。製紙の改良研究に関する記録外雑記、及び日記)について、原本撮影によるデジタルデータ化をおこない、さらには部分的には翻刻もすすめ、広く学術利用され得る環境を整えることにある。それによって、我が国における製紙の歴史上大きな転換点の一つである近代初頭の製紙技術の変遷を明らかにし、江戸期以前の紙文化財に使用された料紙についての理解を深めることに繋げていきたい。

(2)研究の成果
『吉井源太翁遺文』は、製紙用具や各種紙製品、手帳、はがき、手紙など多数の資料からなるが、その最も主要な部分は、「日記」41冊と「製紙の改良研究に関する記録外雑記」14箱からなる。
今年度の調査においては、「日記」41冊および「雑記」1箱について撮影をおこなった。袋綴冊子で浩瀚なものが多いために、ノドの部分の判読が困難になるものについては、綴じを外して撮影をおこなった。撮影齣数は、日記全冊で約4900齣、「雑記」第1箱は約130齣、あわせて5030齣におよんだ。
同規模の調査・撮影をもう1回実施すれば、「雑記」の残りすべて、さらには、手紙やはがき・紙製品の一部についても撮影をおこない、本資料の主要部分についてデジタルデータ化を完了できる目処がたった。
また、同資料のいの町による文化財指定(1964年)および吉井家から町への寄贈(1981年)、町による整理の経緯を確認するために、関係資料の調査をおこなった。現状への整理が、1980年代後半におこなわれたことが明らかになった。
共同研究として調査・撮影をおこなったことで、デジタルデータ化の目処が立っただけでなく、現状に至る整理の過程などについて解明がすすんだことも重要な成果であった。

一般共同研究 研究課題 分散した丹波山国荘域史料の復元的研究―史料編纂所所蔵「横田文書」をとおして―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 岡野友彦(皇學館大学)
所外共同研究者 坂田聡(中央大学)・薗部寿樹(米沢女子短期大学)・柳澤誠(八王子市教育委員会)・石川達也(戸田市立郷土博物館)
所内共同研究者 前川祐一郎
研究の概要 (1)課題の概要
史料編纂所所蔵「横田文書」は、もと丹波山国荘地域に伝来した文書群であり、現在では、史料編纂所の所蔵史料目録データベースによりWEB上での画像閲覧も可能である。だが、同荘域に関する基本史料集たる野田只夫編『丹波国山国荘史料』などにも収録されなかったため、これまで学界で紹介され山国荘の研究に活用されることがほとんどなかった。本研究は、この「横田文書」の翻刻・紹介、および他の山国荘域史料との比較にもとづく位置づけの探求を試みる。あわせて、同様に山国荘域から分散・流出した史料の情報をできる限り収集し、それらの史料情報を同地域の史料群の存在形態と構造(旧荘官家・名主家等に伝来し、中近世の同荘域の地域秩序と深い関わりがある)の中で位置づけて考察し、同荘域の史料全体の復元的研究をめざすものである。

(2)研究の成果
今回の共同研究では、まず、史料編纂所所蔵「横田文書」の16~17世紀にかけての文書16点の法量を計測し、翻刻原稿を作成することからはじめ、各文書の記載内容および文書群の伝来主たる横田家に関する基礎的事実の掘り起こしと、その考察とを行った。
横田家は山国荘域の旧名主家の一つであり、近世には、山国神社の四禰宜家の一つとして、神道教義の上では吉田家の支配下にあって、同社の祭祀主導権をめぐって両部神道支配下の神宮寺社僧と争ったことが知られている(竹田聴洲『近世村落の社寺と神仏習合』法蔵館、1972年)。今回翻刻を試みた文書の大半は、横田家による田畠・山林の買得・集積を物語る売券類であり、山国荘域の他の文書や地籍図の調査成果によって、当該の田畠・山林の所在地を部分的に確定することができた。従来不明であった同家の経済的状況を検討するための基礎的事実を明らかにしえたと思われる。また同文書中に、近世の横田家が、山国荘域の旧荘官家から「同名」の名乗を許されていたことを示す史料の見出されたことは、近世山国荘域における「家」相互の地域的な秩序を考察する上でも興味深い。こうした基礎的事実の掘り起こしにより、「横田文書」の史料群としての性格が次第に明らかとなるとともに、現在も山国荘域に残る他の家の文書と合わせて、同地域の史料群全体の構造を復元的に研究する手がかりを得ることができた。
加えて、もと山国荘域の名主家などに所蔵されていた分散・流出文書の情報の探索・収集作業にも着手した。今回は、古書店の目録や個人の蒐集文書、京都府とその周辺の地誌・地方史などを主な対象とした史料情報の探索・収集につとめ、新たに数点の分散・流出史料の情報を得ることができた。

一般共同研究 研究課題 吾妻鏡諸本の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 高橋秀樹(文部科学省)
所外共同研究者 藤本頼人(青山学院大学)
所内共同研究者 井上 聡・遠藤珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
鎌倉幕府の歴史書である吾妻鏡は、日本中世史研究の重要史料として余りに有名である。これまで、数種類の活字本、訓読本が刊行され、ついには現代語訳まで完結するに至った。ところが、もっとも基礎的であるはずの諸本研究は、大正時代から1970年代にかけて若干の研究が行われて以来、長く手つかずであった。近年、本共同研究のメンバーによって、原本調査を踏まえた新知見が報告され、北条本・島津本・毛利本といった比較的著名な写本すら、これまでの通説的な見解に誤りがあることが明らかとなった。まだまだ調査されていない写本や、再調査が必要な写本も多い。そこで、全国各地の所蔵機関に架蔵される吾妻鏡写本のうち、これまでほとんど紹介されたことのない写本の原本調査や、これまでの調査から諸本のあり方を考える上で重要な位置にあると思われる写本の再調査を行い、その書誌データや、そこから得られた知見を学界共有の財産としたい。本共同研究の成果が、中世史料研究や、『吾妻鏡』を主たる史料とする鎌倉時代史研究に寄与する点も少なくないと考える。

(2)研究の成果
平成25年度・同26年度の一般共同研究「島津家本吾妻鏡の基礎的研究」における調査で重要性が再確認された写本の写真撮影および再調査、未調査だった写本の調査を中心に行った。
まず、集成系吾妻鏡写本の最善本である吉川本(岩国市・吉川史料館所蔵)と初めて重要性が確認された仮名の南部本(八戸市立図書館所蔵)の高画質デジタル撮影を行った。ともに、これまで研究者が利用できる写真は本所架蔵写真帳や国文学研究資料館マイクロフィルムのモノクロしかなく、朱筆が判別できないなどの難点があった。今回の撮影データが今後利用されることで、研究環境が飛躍的に高まると考えられる。
宮内庁書陵部の御歌所本(2部。調査のみ)、国立公文書館の町田久成旧蔵本(調査・写真撮影)は、いずれも北条本を祖本とする写本で、ほぼ北条本の字配りで写され、北条本の補写巻に生じている空白もそのまま空けられている写本であることが判明した。御歌所本の後半部分は破損により現在閲覧停止であったが、原本閲覧不許可部分の文字データについては本所架蔵の写真帳で補うことができた。本所の学術資産を活用できたのも、本研究を共同研究として実施した意義のひとつあった。
東京国立博物館所蔵写本(調査・写真撮影)は、蔵書印から一橋家旧蔵本であることがわかった。北条本の写で、これまで調査した吾妻鏡の中では最も大型厚手の料紙に写されている本である。北条本系の吾妻鏡が徳川将軍家の権威に裏付けられていたことをモノとして実態的に示す写本であった。このほか、静嘉堂文庫本、大西家文書本(京都府立京都学・歴彩館)の調査、広橋本の再調査も行った。
さらに、鹿児島大学附属図書館玉里文庫の『新編島津氏世録正統』『忠久公等御記録抜書』などを調査し、これらの記録に島津本や玉里文庫本吾妻鏡が利用された形跡があるかを検討した。また、吾妻鏡に関連する資料として、鹿児島県歴史資料センター黎明館に寄託されている「佐々木家資料」の中世文書の原本調査を行い、元暦2年(1185)の鎌倉殿侍別当下文がこれまで言われているような中世後期の写しではなく、原本と見て間違いないという結論を得た。兵庫県立歴史博物館の源平合戦図屏風の調査では、これまで不明とされていた場面が三浦義明討死の場面であることがわかった。
本年度に調査した吾妻鏡写本は、これまでほとんど調査されることもなく、本共同研究によって初めて調査されたと言ってもいいだろう。いずれの吾妻鏡も50冊を超える大部のものであり、個人研究では調査しきれるものではない。共同研究者が分担して調査・撮影し、共同作業によって、それぞれの知見を持ち寄ることで再認識できたことも多かった。共同研究として本研究を行った成果は十分得られたと考えている。書誌データ等はいずれ調査報告書の形で公開したい。

一般共同研究 研究課題 高野山子院および関連所領に関わる中世史料の調査・研究―蓮華定院・櫻池院を中心に―

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 坂本亮太(和歌山県立博物館)
所外共同研究者 鳥羽正剛(高野山霊宝館)・研谷昌志(高野山霊宝館)藤 隆宏(和歌山県立文書館)
所内共同研究者 村井祐樹・高橋敏子
研究の概要 (1)課題の概要
和歌山県における中世史料は、1970年代に刊行された『和歌山県古文書目録』や『和歌山県史』により、その全貌がほぼ明らかになっている。また高野山諸子院史料については、1930年代に刊行された中田法寿・金剛峯寺編『高野山文書』に主要なものについては収載されているものの、洩れた史料も少なくなく、刊行から既に約80年が経過していることもあり、その間の新出文書を含めた再調査を早急に行う必要がある。明治・大正期に作成の影写本、昭和以降に撮影の写真帳等、豊富な複本類を持つ史料編纂所と共同することで、調査を無駄なく、効率的に進めることが可能となろう。今回は数ある子院の中から蓮華定院と櫻池院(成慶院)を主な調査対象とした。
また、『高野山文書』にも収録された有田郡内の寺社(神光寺・西福寺・安養寺など)の所蔵する文書も調査対象とする。

(2)研究の成果
高野町・和歌山市調査は以下の通り。
「蓮華定院文書」は、中世文書についてはほぼ全て、供養帳については一部の撮影を行った(395コマ)。「櫻池院(成慶院)文書」のうち、高野山霊宝館寄託分の撮影を行った。霊宝館調査については、共同研究員の尽力により実現することができた(蓮華定院2点・成慶院7点)。
以下は、有田郡内に関わる中世文書。「能仁寺旧蔵文書」は廃棄寸前の文書が救済され博物館に寄託されたもの(62コマ)。このうち中世部分は出雲雲樹寺文書の写しである。「御前文書」は、これまで史料編纂所には一部が影写本に収められているのみであったが、今回の調査で全貌を把握した(17点)。このほか、「和歌山県立博物館新収文書」を撮影した。
「太田文書」(5点)、「和田文書」(2点)は、ともに和歌山市立博物館寄託で信長~秀吉時代の文書である。特に「和田文書」には新出が含まれる。
櫻池院を訪問し、次年度の調査について快諾を得た。
つぎに有田市・御坊市調査は以下の通り。
有田市郷土資料館に寄託された「神光寺文書」(15点)、「安養寺文書」(21点)、「宮原神社文書」(3点)、「西福寺文書」(16点)を撮影した。「安養寺文書」以外は史料編纂所における写真撮影は初である。「道成寺縁起」(重要文化財)は、ご所蔵者のご厚意により、撮影および熟覧調査を行うことができた。また大門再興勧進状は影写本に収められているが、史料編纂所による写真撮影は初である。
以上、いずれも研究代表者が地域の研究者・行政との不断のコミュニケーションにより、実現可能となった調査で、共同研究の効果が遺憾なく発揮された。

一般共同研究 研究課題 大阪府所在中世史料の調査研究―和泉国和田文書を中心に

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 矢内一磨(堺市博物館)
所外共同研究者 渋谷一成(堺市博物館)・藤田励夫(文化庁)・三好英樹(大阪府教育庁)
所内共同研究者 末柄 豊・小瀬玄士
研究の概要 (1)課題の概要
鎌倉時代から戦国時代にかけて、和泉国大鳥郡和田荘(現在の大阪府堺市南区美木多地域)を本拠地とした鎌倉幕府御家人和田氏の消長を伝える和田文書は、明治21(1888)年に修史局で影写された後、長らく所在不明となっていたが、平成6(1994)年に再発見され、京都府立山城郷土資料館に寄託された。しかし、その文書群総体を視野に入れた研究はなされてこなかった。平成28(2016)年に和田氏本貫地である堺市博物館へと寄託替えをされたことを契機に、本課題は、畿内武士団研究、南朝の社会史的研究、中世の和泉地域研究にとって極めて重要な和田文書を中心に、和泉地域の中世関係史料について調査・撮影をおこない、その成果を特別展の開催や研究報告の公刊、史料編纂所のデータベース上での公開によって、広く社会還元することを図るものである。

(2)研究の成果
堺市博物館においておこなった同博・文化庁・大阪府教育庁・東京大学史料編纂所による合同の和田文書原本調査によって、紙質を含めた詳細な目録を作成した。この目録がもととなり、同文書は2018八年3月に大阪府指定文化財に指定されることとなった。また、このときの知見も取り入れ、2017年11月には堺市博物館において企画展「泉北丘陵―谷あいの村々とニュータウン―」を開催し、谷あいの村々の一つとして和田氏の本拠美木多谷を和田文書と共に紹介した。また2018年3月には同じく堺市博物館において企画展「堺市の指定文化財」を開催し、和田文書の展示をおこなった。
また和田文書を調査するなかで、堺市博物館・大阪府教育庁の取り計らいもあり、祥雲寺文書、妙国寺文書、慈願寺文書、常光寺文書、真観寺文書、八尾市立歴史民俗資料館所蔵文書、大阪城天守閣所蔵文書の調査が可能となり、堺市博物館・大阪府教育庁・東京大学史料編纂所が共同して、原本調査・デジタル撮影を実施した。また東京大学史料編纂所によって、堺市博物館所蔵史料のデジタル撮影を実施した。

一般共同研究 研究課題 近代における京都御所東山御文庫整理事業の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 白石烈(宮内庁書陵部)
所外共同研究者 小倉慈司(国立歴史民俗博物館)・北啓太(元宮内庁京都事務所所長)
所内共同研究者 田島公・箱石大
研究の概要 (1)課題の概要
京都御所東山御文庫には、6万点に及ぶ勅封御物と、それには編入されなかった別置御物が収蔵されている。収蔵される史料は、近世の書写本・原本を中心に、平安時代初期から幕末・近代にまで及び、歴史的・文化的に貴重な史料群であるため、個々の史料についてはこれまで研究されてきた。しかし、東山御文庫の史料群が現在の形になるのは宮内省が行った明治以降の整理作業の結果であり、史料の配列等も含めてその来歴には様々な変遷があったことが指摘されているものの、その実態はいまだ不明な点が多く、特に別置御物の来歴等は全体像の概要把握も含めてほとんど未解明のままである。
その点、公文書管理法の施行により現在では宮内省の公文書が利用請求の対象となっており、同省の整理事業を分析するための環境が整いつつある。関連する公文書等を分析することにより、宮内省による東山御文庫の整理事業の実態解明が可能と考えている。

(2)研究の成果
2017年度は、東山御文庫御物目録類データベース作成のための底本収集と分析を進めた。
まず、2回の研究会を実施した結果、①明治期の京都御所内には二十余の御文庫が存在したが、各収蔵品の管理部局が複数あったこと、②各管理部局の保存方針によって史料の移動が行われたこと、③その結果、東山御文庫別置御物・宮内庁書陵部図書寮文庫・国立公文書館・東京大学史料編纂所所蔵「復古記原史料」にそれぞれ関連性の強い史料群が存在すること、④史料編纂所所蔵東山御文庫記録類目録と宮内庁書陵部宮内公文書館所蔵目録は内容的に相互補完の関係にあることが判明した。
さらに、合同研究会に参加した結果、史料編纂掛時代の公文書「往復」や、姫路文学館所蔵の辻善之助日記等に東山御文庫整理事業に関する情報が多く含まれる可能性が高いとの新たな指摘が得られたので、翌年度の調査計画に盛り込むことにした。
研究会で得られた上記の知見を元にデータベースの底本選定を行い、史料編纂所所蔵目録類(全24冊)と書陵部宮内公文書館所蔵の主要目録(16冊)をデジタル撮影した。これらの記載内容に添った入力フォーマットを検討作成するなど、入力準備作業を進めることができた。

一般共同研究 研究課題 関連史料の収集による大内氏の出雲出兵敗北とその影響の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 山田貴司(熊本県立美術館)
所内共同研究者 黒嶋敏・須田牧子
研究の概要 (1)課題の概要
天文9年(1540)から同12年にかけて勃発した大内氏と尼子氏の軍事紛争は、最終的に出雲における大内勢の敗北に終わり、大内氏衰退の一因になったと通説的に語られている。ただし、これまで史料集等がまとめられていなかったこともあり、両氏が戦場を安芸から出雲へ移していった背景や経緯には不明な点が多く、この敗北が大内領国や当主義隆の動向に与えた影響についても、その具体的な内容や敗北との因果関係が実証的に検討されているわけではない。そこで本課題では、山口県文書館等に残る未翻刻史料を含む関連史料の収集・検討を進め、大内氏の出雲出兵の経緯の復元と敗北が与えた影響の解明を目指す。
ただし、義隆期の関連史料は膨大に存在するため、本課題では対象を絞り、出雲出兵の経緯とその参加者、戦死者の検出、戦後供養の状況を示す史料、そして義隆発給文書について重点的に収集・検討する。それにより、大内領内におけるこの敗北の受容のあり様を明らかにすることができ、敗北が領内に、そして義隆に与えた種々の影響を、具体的に史料に即して検証することが可能になるものと考える。

(2)研究の成果
山口県文書館・島根県立図書館・東京大学史料編纂所・慶應義塾大学図書館等で史料調査・撮影等を行ない、およそ200件の関連史料を収集した。また、あわせて義隆発給文書の原本調査・撮影を進め、およそ60通分の調書を作成した。11月には、益田市の学芸員や島根県の学芸員の協力のもと、月山富田城や大内勢の敗走経路、戦後供養の史跡等をたどる巡見を実施し、出雲出兵の経緯復元に必要な現地の地理情報も把握することができた。これらの調査は、所内共同研究者及び研究代表者がそれぞれこれまで培ってきた人的ネットワークや所在情報の知見、そして東京大学史料編纂所に蓄積されてきた史料情報を有効活用することで、実現したものである。共同研究として本課題にとり組んだことの効果は、きわめて大きい。
収集した関連史料の分析により、出雲出兵が、中央政局と連関しつつ、出雲国衆の要請により企画されたこと、天文11年(1542)前半から翌年5月まで長期間に及んだ出兵期間中には、戦闘行為のみならず、帰参した国衆への給地分配や寺社・公家領の回復等の出雲支配に向けた政策実施、留守中の領国支配に関する政治的判断や文書発給、遣明船派遣にむけた室町幕府や本願寺との交渉等が同時並行的に進められていたこと、敗北の原因となった出雲国衆の裏切りの背景には、寺社・公家領の保護方針への反発があったと考えられること、多くの戦死者を出し、過酷な敗走を経験した義隆が、帰国後まもなく官途推挙状の文言を変更するなど、朝廷との親密な関係を材料に権力の健在ぶりをアピールしはじめ、それが結果的に自身の公家化や下向公家の増加に繋がっていったとみられることなどが、明らかとなった。とりわけ、関連史料の収集により出雲出兵の経緯が復元できたことで、義隆とその側近が出雲出兵中に領国内外の案件を陣中で処理していた実態や、敗走中には一時的に文書発給が止まっていた事実が判明したことは重要で、当該期及び前後の時期の関係文書の年次再比定にも資する成果ということができる。
また、あわせて実施した義隆発給文書の原本調査により、義隆が発給対象者によって料紙を使い分けていたことや、時期によって花押を変化させていたこと、年を追うごとに花押を巨大化させていた事実を確認することができた。花押の変遷と出雲出兵との間に直接的な因果関係はみられなかったものの、変遷の把握が無年号文書の年次比定に有効なことは言うまでもなく、今後さらなるサンプル数の蓄積と変遷状況の整理を進め、数年内に成果を発表できればと考えている。

一般共同研究 研究課題 日本史用語グロッサリーの蓄積と改良にむけて

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 Joan Piggott(南カリフォルニア大学)
所外共同研究者 David Eason(関西外国語大学)・伊集院葉子(専修大学)・亀井・ダイチ・利永子(立正大学)・栗山圭子(神戸女学院大学)・佐藤雄基(立教大学)・中村 翼(京都教育大学)
所内共同研究者 菊地大樹・遠藤基郎・高橋敏子・西田友広・伴瀬明美
研究の概要 (1)課題の概要
日本史研究の国際化は喫緊の課題である。史料用語・学術研究用語の日英対訳語を集めたグロッサリーの構築は、そのために不可欠である。史料編纂所が開発・運用している、応答型翻訳支援システム (On-line Glossary of Japanese Historical Terms、以下OGJHT)は、先駆的かつ唯一のオンライングロッサリーシステムであるが、いくつか克服すべき課題がある。本プロジェクトでは、①これまでに蓄積されたグロッサリーをOGJHTに追加登録すること、②OGJHTをよりユーザーフレンドリーなものとするためのシステム的な問題点の洗い出しと効果的なグロッサリー構築の手法の再検討と提言を課題とする。

(2)研究の成果
①日本史料英訳のプロジェクト:御成敗式目関係の北条泰時書状および『吾妻鏡』関連記事の英訳および古代中世朝廷皇女研究ための用語の検討を行った。前者については、書状2点(854語)、記事7条(1413語)、後者については25語について対訳語を確定できた。翻訳検討会では、SkypeおよびGoogle Driveを利用した。討論の過程で逐次修正される翻訳テキストをリアルタイムで共有できることは、英語の能力が不足している日本側研究者の主体的・能動的な参加を促すものとして有効であることが確認できた。
②OGJHTの追加・改良・検討課題洗い出し:5書目より新規追加に1359件を追加した。参考に3書目をあげる。
From Sovereign to Symbol: An Age of Ritual Determinism in Fourteenth Century Japan,Thomas Donald Conlan,2012,Oxford University Press
The Seven Tengu Scrolls: Evil and the Rhetoric of Legitimacy in Medieval Japanese Buddhism ,Haruko Wakabayashi ,2012 ,University of Hawai'i Press
Capital and Countryside in Japan, 300-1180: Japanese Historians Interpreted in English,Piggot, Joan R., ed.
これまで書名のみであったものに、出版社、出版年も表示するようにした。データの修正により検索漏れを回避する措置を施した。