編纂・研究・公開

2016年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 成菩提院所蔵近世史料の研究資源化

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 曽根原 理(東北大学)
所外共同研究者 青柳 周一(滋賀大学) 井上 智勝(埼玉大学) 朴澤 直秀(日本大学) 梅田 千尋(京都女子大学) 東 幸代(滋賀県立大学) 湯浅 治久(専修大学) 大島 薫(関西大学)
所内共同研究者 林晃弘
研究の概要 (1)課題の概要
本研究では、成菩提院(滋賀県米原市)という特色ある寺院が所蔵する近世史料の調査・研究を行う。同寺は、近江東部、美濃との国境に位置する天台宗の拠点寺院の一つで、中世には代表的な談義所として、教学の集積や説法の道場として知られた。また、古代・中世の聖教・古文書・文化財を数多く有することが早くから知られており、研究史上も注目されてきた。
しかしながら、近世以降の史料は悉皆的な調査が行われていない。本研究では、近世史料の全点調査を行い、近世成菩提院の存立構造を明らかにし、それとともに同寺の史資料全体像把握への見通しを示す。

(2)研究の成果
①現地調査 共同研究の経費による現地調査(7月・10月・12月、内2回は朴澤直秀氏の科研との合同調査)を行った。本共同研究メンバーのほか、青谷美羽・上野大輔・小松愛子・下田桃子・芹口真結子・松金直美の各氏の協力を得た。
小箱1~7のうち合計で約1,360点の目録を作成した。近世中後期~近代の一紙文書が中心で、内容は天台宗の教団内行政や成菩提院住持交替時の史料、朱印改めに関するもの、弔人手形、勧化関係などである。一部、同寺住職であった尾上寛仲氏が昭和50年頃に整理を行った史料もみられた。一括関係等を踏まえつつ中性紙封筒に収納し、前年度購入した中性紙箱に納め、整理した。なお、今年度までの調査で主要な部分の整理・目録作成はかなり進んだが、近代文書・襖下張文書があり、さらに新たに別置の近世文書の存在も判明した。今後も他の研究費等により調査を継続する予定である。
②史料編纂所での調査 共同研究員は史料編纂所図書室にて適宜調査を行い、近隣の天台宗寺院である「金剛輪寺文書」や「徳源院文書」の写真帳などを利用した。
③研究会での報告 近世の宗教と社会研究会2016年6月例会(@滋賀県長浜市)にて、曽根原・林が本共同研究の成果を踏まえた報告を行った。林「近世前期北近江の寺社」は成菩提院を一つの事例に取り上げ、16世紀末から17世紀の諸相を報告。曽根原「成菩提院と安楽騒動」は、成菩提院の人事が18世紀の天台教団内での安楽律をめぐる動向をうけて展開したことを解明した。
2017年3月に史料編纂所にて、共同研究グループ内での成果報告会を行った。曽根原「『天台談義所 成菩提院の歴史』について」は刊行準備中の寺史について説明し、出席者からさまざまな指摘があり、改善点が見つかった。林「天海の地方寺院末寺化について」は成菩提院を兼帯した天海について、近年の研究状況を踏まえつつ、地方寺院との関わりを検討した。
④寺宝展への協力 10月末~11月の土日に米原市内の4ケ寺で開催された寺宝展のうち、成菩提院における展示について山口住職から相談をうけ、資料選定や内容解説に関する各種の助言を行った。

一般共同研究 研究課題 南北朝期興福寺関係史料の研究-『細々要記』の諸本調査と復元-

研究経費 44万円
研究組織 研究代表者 大薮 海(お茶の水女子大学)
所外共同研究者 安田 次郎(お茶の水女子大学) 荻島 聖美(品川歴史館)
所内共同研究者 末柄 豊 須田 牧子
研究の概要 (1)課題の概要
南北朝期の古記録である『細々要記』は、奈良興福寺東金堂の僧侶である実厳により記された日記で、その抄出本が『史籍集覧』『続史籍集覧』『大日本仏教全書』などに収載・翻刻されている。南北朝期の興福寺は一乗院・大乗院の両門跡の対立により争乱が相次いでいたために史料が多く失われ、室町期の『大乗院寺社雑事記』のように詳細かつ連続した日記は伝わっていない。そのため『細々要記』は、現存史料が少ない南北朝期興福寺の様子を知ることができる貴重な史料と評価できるものであるが、これまでの研究ではほとんど活用されてこなかった。その理由は、抄出の形でしか伝存していないことに加え、諸本の校合が全くなされておらず、全体像の把握が困難なことに求められる。よって本研究では、全国各地に散在する『細々要記』の諸本を校合してできるだけ当初の姿に復元することにより、『細々要記』を南北朝期興福寺研究の基礎史料として活用できるようにすることを目指す。

(2)研究の成果
本調査では、『細々要記』の所蔵先として『国書総目録』に記載されている機関を中心に、史料調査(閲覧・撮影)を実施した。各機関に所蔵されている『細々要記』は、すでに活字化されているものと同一、あるいは類似の内容のものが多く、近代になってから刊本を筆写したものもあった。しかしながら、東京大学史料編纂所に写真帳として架蔵されている『修南院史料』中に、刊本により周知となっている記事以外をも載せる、全く異なる系統に属するとみられる『細々要記』が見出されたことは大きな成果であった。また、同じく東京大学史料編纂所に写真帳が架蔵されている『松雲公採集遺編類纂』に含まれる『常喜院記』の記事中に、刊本の『細々要記』と極めて類似した記述があることが判明した。このことにより、『細々要記』という史料名がいつの頃から用いられたものなのか、検討する必要が生じた。

一般共同研究 研究課題 『山槐記』本文テキストの基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 石田 実洋(宮内庁書陵部)
所外共同研究者 高橋 秀樹(文部科学省)
所内共同研究者 尾上 陽介 遠藤 珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
平安末から鎌倉初めにかけて活躍した公卿藤原忠親(1131~95)の日記である『山槐記』について、本文テキストの基礎的研究を行う。
『山槐記』は、平氏政権から鎌倉幕府へと大きく世情が変転する12世紀後半の根本史料のひとつとして、歴史学のみならず国文学や美術史など幅広い分野において研究に利用されてきた。しかしその一方で、まとまった古写本が少なく、また部類記・儀式書などに引用された逸文も多いことから、「どの時期の記事がどこにあり」、「どの部分はどの本に拠るべきか」というテキストを考える上での最も基礎的な理解が、平安・鎌倉時代の古記録のなかで最も共有されていないものでもある。
このような状況を打開するため、共同研究メンバーそれぞれがこれまで蓄積してきた古記録学研究の成果に基づき、その知見を共有しつつ、各地の文庫等に蔵される諸本の書誌的分析と内容の比較、逸文の蒐集と検討により、良質な本文テキストの復原を目指す。

(2)研究の成果
昨年度に引き続き主に古写本の調査・研究を進めた。『山槐記』の古写本について、日次記として伝来したもの7点、別記あるいは抜書3点、『山槐記』のみから作成された部類記4点の所在を確認し、そのうち京都大学文学部所蔵の永万元年六月記について翻刻を行った。また『山槐記』逸文を含む部類記などの古写本、中山定親の作成した写本を親本とする写本についてもリストアップした。この成果は『東京大学史料編纂所紀要』(27、2017年3月)に石田実洋・遠藤珠紀・尾上陽介・高橋秀樹「『山槐記』古写本の解題と翻刻」として掲載した。
さらに『山槐記』応保元年十二月記、『政部類記』などの原本調査、翻刻作業を進めている。こうした古写本の調査と併行して、『山槐記』にどのような記事があり、どの部分はどの写本によるべきか、という最も基礎となる情報を、新写本の調査結果も含めて、一覧表のかたちにまとめつつある。

一般共同研究 研究課題 東京国立博物館所蔵湿板写真ガラス原板に関する基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 遠藤 楽子(東京国立博物館)
所外共同研究者 田良島 哲(東京国立博物館)
所内共同研究者 保谷 徹 箱石 大 稲田 奈津子 谷 昭佳 高山 さやか
研究の概要 (1)課題の概要
東京国立博物館が所蔵する古写真には、重要文化財に指定された「壬申検査関係写真」(2003年指定、計565点)をはじめ、明治初期の文化財・史跡関係の写真が数多く含まれている。壬申検査は明治5年5月から10月にかけて明治政府が行った文化財調査であり、ウィーン万博への出品選定をかねて、正倉院御物をはじめとする貴重な文化財が写真撮影されている。本研究では、これら壬申検査や博覧会出品写真のうち、これまで十分な調査が行われてこなかったガラス原板写真を対象として高精細デジタル撮影による画像解析をおこない、画像データの研究資源化を図りたい。これまでの東博における研究成果を活用し、被写体の内容や撮影目的を特定して、既存のプリントと写真原版の照合作業をおこなうなど、幅広い分野の諸研究に利活用するために必要な基礎的調査を実施する。

(2)研究の成果
壬申検査写真について、既存の調査成果を参照しながら、原板と焼付写真との照合を行い、新たに壬申検査に関係するガラス原板若干枚を確認した。さらに高精細画像の撮影や、古写真に精通した研究グループとの共同研究によって、コレクションの客観的な情報の取得が実現でき、今後の活用の可能性を広げるための成果を得た。今年度の調査では、壬申検査写真のうちプリント109枚、原板84枚を対象とし、このうちの原板84枚を撮影した。この調査成果についてデータとして取りまとめたほか、遠藤楽子「東京国立博物館所蔵ガラス湿板写真原板の基礎的研究と壬申検査関連写真―「日本史史料の研究資源化に関する研究拠点」一般共同研究報告―」(『東京大学史料編纂所付属画像史料解析センター通信』第76号、2017年1月)で成果報告をおこなった。

一般共同研究 研究課題 明治天皇第1回東幸の史料学的研究

研究経費 36万円
研究組織 研究代表者 奈倉 哲三(跡見学園女子大学)
所内共同研究者 箱石 大
研究の概要 (1)課題の概要
明治天皇の第1回東幸は、明治元年9月20日京都を発輦し、10月13日東京に着御、50日余り滞在の後、12月8日東京を発輦、京都へ還幸した。この第1回東幸について、錦絵などを活用した研究は散見できるが、未翻刻の原写本史料が各研究機関に埋もれたままであり、誰も活用していない。東京大学史料編纂所には「御東幸諸留」などの原写本のほか、鳳輦行列錦絵が数点あり、東京都公文書館には「府治類纂」など、数多くの関連記録がある。また、都内各地の史料館にも東幸時の人夫役負担の史料が散在している。また、鳳輦行列を描いた錦絵中には着御以前の「想像図」もあるが、着御以後の見聞錦絵との比較も行われていない。また、東京府民への「御酒下賜」の実態解明もまだなされていない。本研究は未翻刻原写本史料を撮影・複写蒐集し、新たな史料の紹介・分析を通じ、東京府民にとっての第1回東幸の意味を解明し、公表する。

(2)研究の成果
⑴ 従来、明治天皇の第一回東幸に関しては、果たしてその時点で「遷都」を明確に意図していたものであったか否か、東幸早期実現論者と時期尚早論者との政府内論争、などに関する研究はあったものの、東幸の実態、なかでも「東京」と定められたばかりの東京府民にとって、東幸がいかなる意味を有していたかなどを、原史料に基づいて研究したものは皆無であった。
⑵ この研究状況のなかで、本共同研究では全12機関・26日間にわたる史料調査を敢行した。これにより、従来存在すら把握されていなかった原史料や、一部活字化されていながらも、編纂方法が不適切なため史料の性格が判らなくなっていたものなども含め、膨大な量の史料を蒐集した。
⑶ この共同研究による多量の史料蒐集により、まず東幸時に東京府民に対して実施された「御酒下賜」の実態を細部にわたって解明し、その経費支払いをめぐって東京府と政府の間に鋭い緊張があったこと、さらに財政的裏付けのないまま政府が断行した目的などが解明された。
⑷ 次に、この第一回東幸実施直前まで、東京府民のなかに、なお反政府感情が強く残っており、着御二ヶ月前においても、「脱走兵」が東京近郊農民の協力により、政府機関と官軍に見つけられずに無事に「解兵」を済ませ、府内・近郊への潜伏を果たす、などの事件さえおきていたこともあきらかとなった。また、東京府民の反政府感情をよく知っていた三条実美・大久保利通・江藤新平などが、それゆえにこそ、緊張のなかで東幸を実現させたことなども解明できた。
⑸ また、東幸に関する錦絵は大別して「鳳輦行列錦絵」と「天盃頂戴錦絵」の二種があるが、従来の研究は、錦絵のみによる画像論に留まっていたが、本共同研究で蒐集した史料に基づいて分析することにより、二種の錦絵個々について、その虚実性に論究することが可能となり、それによって、これら錦絵が民衆の意識形成に果たした役割についても論ずることが可能となった。

一般共同研究 研究課題 東京大学史料編纂所所蔵東アジア関係古文書資料の調査・研究

研究経費 47.7万円
研究組織 研究代表者 小島 浩之(東京大学)
所外共同研究者 橋本 雄(北海道大学) 藤田 励夫(文化庁) 矢野 正隆(東京大学大学院経済学研究科) 森脇 優紀(東京大学大学院経済学研究科) 冨善 一敏(東京大学大学院経済学研究科)
所内共同研究者 須田 牧子 黒嶋 敏 髙島 晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
本研究は、史料編纂所所蔵の前近代東アジア各国の古文書類について、所蔵状況、書誌情報、文書様式、内容を確認し、さらに紙質や厚みなどの形態的な観点からの計測・観察も行った上でデータとして整備し、東アジア古文書の基礎的な情報を集成しようとするものである。東アジアの国々には概して伝世古文書が少ないことから、古文書原本の観察に基づいた、様式データを集成するような基礎的研究があまり行われてこなかった。他方、日本史研究においては、外交文書として日本に伝わるアジア各国発給文書の研究が盛んだが、これらについて、東アジア史研究の側からの検証は十分に行われていない。東アジア古文書学研究の発展のためには、国内に存する東アジア古文書のデータ集成が不可欠であり、その端緒として、東京大学史料編纂所所蔵史料の調査を行おうとするものである。

(2)研究の成果
史料編纂所において写真室創設以前に、乾板で撮影し鶏卵紙に焼き出され厚手の台紙に貼付けた史料写真である台紙付写真のメタデータ11,962件中、アジア関係の文書類が写されたものは138件であった。このほか絵図や経典、拓本などが写されたものもあるがこれら非古文書についてはひとまず除外して考える。内容的には国書・官文書などの公文書や私文書のほか、書や画賛も多く撮影されていた。公文書では入唐僧関係、豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴うやりとりなどが目につく。今年度はこの中から特に「劄付」に着目して史料調査や公開研究会を行った。劄付は官庁が発行する下達文書の一種で、ここでは、文禄の役後の講和処理の中で、秀吉配下の武将に発給された任官通知を指す。編纂所に前田玄以宛、毛利博物館に毛利輝元宛、上杉神社に上杉景勝宛のものがそれぞれ残されており、2015年度の共同研究で毛利宛劄付を、今年度に上杉宛劄付を調査した。毛利宛劄付と上杉宛劄付では、付与する官名を記した部分二カ所が改変されていることは知られていたが、改変方法が本紙を切り取って別紙を裏から貼り当てたものであること、別紙の紙種が毛利宛劄付は竹紙、上杉宛劄付は雁皮紙であることなどが、今回の共同研究による観察・調査により明確となった。また、毛利宛劄付の改変部分が「同知」の二字、上杉宛劄付の改変部分が「督同知」の三字であることから、毛利宛劄付は「都督僉事」用の空名劄付を、上杉宛劄付は「都指揮使」用の空名劄付を改変したものである可能性が高まった。本共同研究で得られたこれらの成果は、今後、文禄の役の明朝と豊臣政権との和睦交渉について、日中双方の文献史料を読み解く際の貴重な傍証史料として利用できよう。
本共同研究では、台紙付写真の調査を基軸として関係する原史料の調査を行い、日本史、東洋史、保存化学の三つの学術的観点から議論を深めてきた。このような複数分野にまたがる共同研究は、日本史研究のみならず、各国史研究にとっても不可欠な基礎研究の一端を担い、さらには、史料編纂所所蔵史料の学術的意義を明確にし得る点でも有効であったと考えられる。

一般共同研究 研究課題 近世公家日記を用いた地震活動評価の研究

研究経費 37万円
研究組織 研究代表者 西山 昭仁(東京大学)
所内共同研究者 佐藤 孝之 松澤 克行 荒木 裕行
研究の概要 (1)課題の概要
過去に発生した地震に関する研究は,地震学において重要な課題である.観測機器がない前近代に発生した地震については,古文書や日記などの史料にある記録に基づいて,地震の揺れ方や被害状況を検討する必要がある.なかでも公家日記は,記録された場所が明らかなだけではなく,日々の連続した記録の中に地震発生の日付とおおよその時刻が記されているために,歴史時代の地震観測記録として活用することができる.しかし,公家日記は観測地点が京都に限られており,これだけでは記録された地震が京都周辺で起きた地震なのか,遠方で起きた大地震であるのか判別できない.そこで本研究では,京都の禁裏御所近辺で記された『基煕公記』にある有感地震記録に,日光東照宮で記された継続的な日記である『御番所日記』にある有感地震記録を組み合わせることによって,遠方で発生した巨大地震と京都やその周辺で発生した中・小規模な地震とを選別していく.そして,近世の京都やその周辺地域における巨大地震後の有感地震の発生頻度を明らかにし,この地域での地震活動の推移について評価する基礎データとしたい.また,本研究で得られた成果と現行の地震活動とを比較・検討することから,歴史時代を含めた中・小地震の活動の推移が明らかになり,巨大地震発生との関係を解明する一助になればと考えている.

(2)研究の成果
元禄十六年(1703年)十一月二十三日に発生した海溝型巨大地震である元禄関東地震と,宝永四年(1707年)十月四日に発生した海溝型巨大地震である宝永地震の本震後の有感地震記録について,東京大学史料編纂所に所蔵されている近衛基煕の『基煕公記』(写真版)と,日光東照宮で記された『御番所日記』(刊本)を用いて検討した.
『基煕公記』によると,元禄十六年十一月二十七日の未明と,同十二月十一日の戌刻(午後7~9時頃)に小さな有感地震があった.しかし,『御番所日記』では十一月二十七日や十二月十一日に有感地震の記録は見られない.そのため,この日の有感地震については,元禄関東地震の余震ではなく,京都周辺で発生した中・小規模の地震である可能性が高いと考える.
同じく『基煕公記』によると,江戸からの伝聞情報として,宝永五年正月二十四日から同二十七日まで朝晩の区別なく有感地震があり,二十五日は特に大きな揺れであったとある.また,同史料からは,同年正月二十七日の暁に京都で有感地震のあった様子がわかる.しかし,日光で記された『御番所日記』の同年正月二十四日から二十七日までには,有感地震の記録はみられない.これらのことから,『基煕公記』にある正月二十四日から同二十七日の連続した有感地震は,江戸で大きく揺れて京都では有感であったが,日光では無感であった状況が窺える.そのため,『基煕公記』にあるこの地震は,江戸と京都の間で発生した地震であり,江戸に近い南方で発生した群発性の地震であったと考えられ,宝永地震の余震であった可能性が想定できる.
このように,京都で記された『基煕公記』には,京都での有感地震だけでなく,伝聞情報による江戸で有感地震について記されている場合があり,これに日光の『御番所日記』の記録を組み合わせることで,有感地震の発生域について想定することができた.今後は,有感地震が記録されている他の地域の日記史料を増やしていき,有感地震の発生域を絞り込んでいく必要があると考える.

一般共同研究 研究課題 織豊期の文書料紙の形態・紙質について-前田家関係史料を中心に-

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 本多 俊彦(高岡法科大学)
所外共同研究者 富田 正弘(富山大学名誉教授) 瀬戸 薫(石川県立図書館) 天野 真志(東北大学)
所内共同研究者 末柄 豊 髙島 晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
近年、中世文書料紙研究は著しい進展をみたが、この成果を近世文書料紙研究へと及ぼすには、移行期である織豊期の文書料紙の有り様についての精確な理解が必須である。このため、本研究では当該期文書料紙について、物理的な計測および繊維の顕微鏡観察による紙種・紙質の究明を行い、室町期の足利将軍家の文書料紙の継承の有無などの中世文書料紙から近世文書料紙への系譜を実証的に解明することを目指す。
具体的には、2015年度に引き続き「多賀文書」(史料編纂所寄託)の料紙調査を行うほか、「津田遠江守家文書」(富山市郷土博物館寄託)「中川家旧蔵津田文書」(金沢市立玉川図書館近世史料館蔵)などの前田家関係文書群を調査対象とし、織田信長や豊臣秀吉、前田利家・利長、堀秀政らの発給文書の料紙を調査・検討した。第一義的な目標は文書料紙の系譜の解明にあるが、そこにとどまらず、加賀藩研究、ひいては近世史研究や地方史研究における史料学的アプローチとしての文書料紙研究の有効性を示すという意義もある。

(2)研究の成果
本研究では、織豊期の文書料紙について、物理的な計測および繊維の顕微鏡観察によって、紙種や紙質の究明を目指す。申請者は現在、科研費基盤研究(B)「近世文書料紙の形態・紙質に関する系譜論的研究」に取り組んでいるが、中世から近世へ至る文書料紙の系譜の検証は緒についたばかりである。この究明には調査データの蓄積が不可欠であるが、両者の過渡期に位置する織豊期の文書料紙に関する基礎的な調査研究はほとんど存在しない。
このため、本研究ではまず、織豊期の文書料紙データの蓄積に努めた。2015年度中の文書料紙調査では、富田文書(史料編纂所所蔵)56点、長家文書(穴水町歴史民俗資料館寄託)39点、伊藤宗十郎家文書・日野烏丸家文書(ともに中京大学古文書室所蔵)計94点、2016年度中の調査では多賀文書(史料編纂所寄託)186点、津田遠江守家文書(富山市郷土博物館寄託)9点、中川家旧蔵津田文書(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵)33点、青地家文書(個人蔵、加賀本多博物館保管)6点の文書料紙データ及び繊維画像データを集積することができ、比較・検討の基準となるデータの提示に向けた準備が整いつつある。
このような作業を推し進めることは、文書料紙の変遷過程やその転換点の把握につながり、無年号文書の年代比定に資することなども期待できる。例えば、豊臣秀吉発給文書の料紙の紙質・法量の変遷を仔細に追うことで、大高檀紙によって表象される秀吉権力の確立に至る過程を可視化することが可能となる。本研究は中世文書料紙から近世文書料紙への系譜を実証的に解明することを目指しているが、文書料紙研究の日本史研究における有効性を提示するという意義も併せ持っているといえるだろう。また、本年度に調査した多賀文書(史料編纂所寄託)や津田遠江守家文書(富山市郷土博物館寄託)、青地家文書(個人蔵、加賀本多博物館保管)については目録なども作成されておらず、その実態が広く知られているわけではない。今後、今回調査したデータをまとめ、研究成果として公開していく予定である。

一般共同研究 研究課題 六所家史料旧東泉院聖教の復原的研究と公開

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 井上 卓哉(富士市立博物館)
所外共同研究者 大高 康正(世界遺産センター) 猪瀬 千尋(名古屋大学) 三好 俊徳(名古屋大学) 阿部 美香(昭和女子大学) 坂本 正仁(大正大学) 阿部 泰郎(名古屋大学)
所内共同研究者 藤原 重雄
研究の概要 (1)課題の概要
富士市吉原の六所家は、江戸時代まで富士山東泉院という真言寺院で、朱印領を認められた富士下方五社別当であり、在地領主でもあった。『富士山大縁起』(永禄3年)をはじめその伝来資料・什物は富士市立博物館に寄贈され、調査会により古文書・絵画、民俗等各分野で整理と目録化が進められ、その一環として2014年度には「聖教」の報告書が刊行された(富士市立博物館編『六所家総合調査報告書 聖教』)。この目録をふまえ、東泉院聖教(約2000点)の復元的再構成を試み、その体系を解明して保存公開を目指す、アーカイヴス化のための研究である。
東泉院聖教は、最後の住職であった蘂雄(1886年没)による目録化と整理がなされ、印信が備わる。中核をなすのは、元禄年間に護持院隆光の許で伝来した真言聖教(例えば聖天法に関する聖教は、将軍吉宗から期待された東泉院の宗教的役割を示す)で、近世仏教史の重要な史料である。中世の書写本、また内容的に貴重な聖教も確認されつつある。先の目録作成に携わった博物館担当者・大学研究者による調査を継続し、史料編纂所の資源を活用した全国的な俯瞰的視野を加えて、いっそうの基盤的調査研究を遂行する。

(2)研究の成果
『六所家総合調査報告書 聖教』の東泉院聖教目録、並びに『六所家総合調査だより』(大高康正報告)の成果に導かれ、第十世精海が書写・伝領した聖教を選び出し、整理とデジタル撮影を行った。その上で、隆光僧正日記等の研究によりこの分野の第一人者である坂本正仁教授の指導を得て、全員で精海の聖教及び関連する印信・文書等の精査と分析、研究を行った。
その結果、東泉院聖教は、『薄草紙』をはじめとして隆光による醍醐寺報恩院流伝受を代表する事相聖教が中核を成していることが明らかになった。加えて、隆光のもとで寺院復興活動を担う傍ら、新義に属しつつ古義に学んで、真言宗の権威と正統な伝法を東泉院に樹立しようと勤める精海の多面的な姿が浮かび上がるとともに、将軍綱吉のもとで元禄から宝永期の仏教隆盛を担った動向が、東泉院聖教を通じてより具体的に知られることとなった。
共同研究を通して明らかになった東泉院における護持院隆光と精海の活動および文献資料の全体像は、市民に向けた報告書兼図録として、坂本氏の論文と資料解題を備え、『六所家総合調査だより』の特別号(A4版・36頁、富士山かぐや姫ミュージアムより発行)「護持院隆光と東泉院精海」にまとめ、刊行することができた。このように共同研究による取り組みが、東泉院聖教のアーカイヴス化の基礎を築くことに繋がっただけでなく、今後の保存修復と研究にむけた大きな推進力となっている。

一般共同研究 研究課題 都市奈良における中小規模寺院資史料の基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 佐藤 亜聖(元興寺文化財研究所)
所外共同研究者 服部 光真(元興寺文化財研究所)
所内共同研究者 高橋 慎一朗
研究の概要 (1)課題の概要
日本を代表する歴史的都市である奈良は、豊富な寺院史料をもとに中世・近世を通して多様な姿が明らかにされてきた。近年は考古学的資料も蓄積され、その研究は幅を広げている。しかし、都市奈良研究の主力を担ってきた史料群は、大半が興福寺・東大寺・春日社に関わるもので、奈良内部に多数存在する浄土宗、融通念仏宗などの中小規模寺院については調査研究がほとんど及んでいない。代表者はこれまで、中近世移行期の都市奈良の転換について、旧来的な興福寺系勢力から距離を置く中小規模寺院の林立がメルクマールになると考えてきた。しかし、これら中小寺院の創建時期については、公開されている縁起など一部の情報や、福智院などの少数の寺院における石造物調査に依拠してきた経緯がある。本研究は上記問題意識による研究課題の克服をめざし、奈良内部に所在する中小規模寺院に残る文書群の調査と、代表的石造物の資料化を行うものである。

(2)研究の成果
今回の研究では、従来あまり俎上に上がらなかった奈良の中小規模寺院をテーマとすることで、室町時代後期以降中小規模寺院が都市のなかで大きな役割を果たしてゆくことを明らかにした。研究の基本視座は所内共同研究者である高橋慎一朗教授の研究視点に負うところが大である。
まず石造物調査の成果からは、中小規模寺院の成立が十六世紀後半以降以降にあることを指摘した。さらに、従来はこうした都市寺院の成立と、こうした寺院に置かれる講衆碑の成立は、興福寺権力の弱体化と都市共同体の成長を示すものと考えられてきたが、主に墓標の変遷から、中小寺院の檀家が都市共同体と一致しない可能性を指摘し、中小規模寺院の成立と檀家制度の成立が、都市共同体の形成とは別論理で進む可能性を指摘した。
文献調査では、中・近世移行期の奈良において、浄土系寺院の進出に埋没して捉えられがちな顕密系寺院側の動向をとりあげた。町会所と集合することで寺院の一部が存続した福寺の例と、真言寺院に純化しつつ檀家寺院に転生した十輪院の例を紹介し、十七世紀初期の流動的な状況下、都市の中に新たな存立基盤を得るための主体的な自己変革の動きのあったことを指摘した。こうした点は、十輪院文書、来迎寺文書などの中小寺院の伝世文書の検討に加え、本寺として中小寺院と関係を有した興福寺関係の史料(春日神社文書、大乗院文書、水木直箭氏所蔵文書)を東京大学史料編纂所架蔵写真帳で調査し、多面的に分析することで判明した。

一般共同研究 研究課題 中世社寺算用状類に見る会計知識の研究

研究経費 40万円
研究組織 研究代表者 三光寺 由実子(和歌山大学)
所内共同研究者 高橋 敏子 金子 拓 川本 慎自
研究の概要 (1)課題の概要
本共同研究は、東京大学史料編纂所(以下「史料編纂所」と称す)が収集架蔵する中世社寺の「算用状類」に関し、分野連携による研究資源化を試みるものである。
近年、歴史的に公的権力(政府等)を凌駕するほどの権勢を振るった宗教組織の会計史料に着目し、そこで行われた記帳方法の意義や、記帳体系と寺院経営の整合性、さらには当該時期の会計知識の展開を究明する「宗教組織の会計史研究(*注)」が国際的に注目されている(Cordery, C. [2015] “Accounting history and religion: A review of studies and a research agenda,” Accounting History, Vol. 20(4), pp. 430-463)。しかしながら、日本の宗教組織を題材とした研究は、ほとんど報告例がなく、さらに日本における会計史研究においても、江戸時代の商家の会計帳簿より以前の会計史料に関しては、ほぼ等閑視されている。
そこで本研究では、約2,800点以上という、質量ともに豊富な研究資源である賀茂別雷神社文書における算用状類を中心に、史料編纂所架蔵史料中の算用状類をアーカイブ資料として再整理する。同文書については、既に『目録』(京都府教育委員会編『京都府古文書調査報告書第十四集 賀茂別雷神社文書目録』2003)が作成されているが、その解題でも述べられているように、複数の種類の算用状が存在し、相互に関わり合うものであり、賀茂別雷神社における研究の基礎資料と位置づけられる。本共同研究においては、算用状類の整理にあたり、日本史ならびに、会計学の分野連携を図り、網羅的で体系的な研究基盤を再構築する。
(*注)会計史という研究分野は、会計研究と歴史研究との境界に位置する学際科学である(中野常男・清水泰洋編著『近代会計史入門』2014,同文舘出版,序文(1))。

(2)研究の成果
(1)新史料の収集として、賀茂別雷神社にて、約400通ある番衆算用状のうち300通余の撮影を行った。(『目録』Ⅱ-I-2 1号~333号)
(2)残存する職中算用状のうち初期段階における15世紀のものを中心に分析した結果、この時期の算用状は一般的に想定される収支計算書ではなく、大半は支出が収入を上回り、月ごとに最後に支出-収入の額に利息を加算して計上するものであったことが分かった。しかしながら、研究対象とする賀茂別雷神社文書を中心とした算用状類は種類が多い上に解読が困難であったため、サンプル的に翻刻を進めているはものの、各算用状の役割と関連などの分析については未だ時間が要される。ただし、今後の研究にとって有益と思われる、賀茂別雷神社算用状に見える接待記事の分析成果、禅僧の数学知識と経済活動に関する研究成果、中世東寺の湯方算用状の機能と残存時期に関する研究成果(いずれも下記7. 研究成果の公開を参照)ならびに社寺(東寺を中心とする)算用状に関する会計学的分析を行った一定の研究成果(会計史の国際ジャーナルAccounting Historyに投稿、査読審査中)があった。2017年度は上記の新収集史料も含め、各算用状の性格・役割について検討を進めていきたい。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵賀茂別雷神社関係史料を中心とした同社文書および社内組織の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 野田 泰三(京都光華女子大学)
所外共同研究者 三枝 暁子(東京大学大学院人文社会系研究科) 宇野 日出生(京都市歴史資料館) 志賀 節子(関西大学)
所内共同研究者 久留島 典子 高橋 敏子 金子 拓 遠藤 珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
平安京の鎮守神として公武から崇敬された賀茂別雷神社(以下賀茂社と略す)では、中世には固有の氏人組織と往来田制度が形成され近代初頭まで維持された。これら固有の組織・制度やこれを基にした賀茂社による膝下六郷の支配構造についての研究は緒についたばかりであり、今後の研究の進展がまたれるところである。
史料編纂所にも、上賀茂社社司日記(永禄8・9年)・往来貴布禰田川原畑老者田今者記・境内六郷正月番頭日記(元和7・8年)など賀茂社関連文書が所蔵されている。これらは氏人組織や往来田制度、戦国~近世初頭における祭祀神事や社内の動静を分析する上で貴重な情報を含んでおり、原本調査のうえデータ化を行う。また早稲田大学(荻野研究室収集文書)や國學院大学にも賀茂社関連史料が少なからず所蔵されており、あわせて調査を行い、賀茂社文書の全体像の復元把握と賀茂社社内組織の研究を進める。

(2)研究の成果
・永禄8・9年の上賀茂社社司日記は当時の社司森高久の筆になり、戦国期の賀茂社の年中行事・祭祀神事や内部組織をうかがうことができるため、野田・三枝・遠藤を主担として全文翻刻したうえで輪読を行い、賀茂社神事に詳しい宇野を中心に、鎌倉期の「賀茂経久記」および近世にまとめられた賀茂社の神事注釈書「諸神事註秘抄」と比較検討を行った。記主の関心にもよるのであろうが、当該機期の神事祭祀の在り方は「賀茂経久記」や「諸神事註秘抄」にみえるそれと異同が多いように思われる。
・往来貴布禰田川原畑老者田今者記(0112-2)は天正期(天正17~19年頃か)の検地帳をもとに各氏人が保有する往来田以下の石高ならびに田地一筆毎の細目や御結鎮銭・正税等の記載がなされ、以後代々の受給者名を記す。「筒校合」(享保9年往来田巻物之写との照合)による石高等の訂正も見られる。今者記については2回の研究会で志賀・金子による3報告を用意し、それらをもとに検討・意見交換した。非常に情報量の多い史料であるだけに、記事の年代比定から個々の記載内容の解釈等々多くの課題を残しており、他の関連史料との比較検討も含めて、今後なお検討を要する。
・往来貴布禰田川原畑老者田今者記をもとに、賀茂社文書を特徴づける氏人置文の百名を越える署判についても若干の分析を行い、沙汰人、評定衆、番衆(番ごと)の順であること、末尾に老者田受給者が署判する場合もあることが判明した。

一般共同研究 研究課題 泉涌寺所蔵の中・近世史料に関する基礎的研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 西谷 功(泉涌寺宝物館)
所外共同研究者 大谷 由香(龍谷大学)
所内共同研究者 高橋 慎一朗 林 晃弘
研究の概要 (1)課題の概要
泉涌寺は応仁の乱の全焼、近世においても数度罹災することで、中世以来集積されていた多くの文書・聖教を失った。現在公刊されている泉涌寺関係史料は、『泉涌寺史』(法蔵館、1984)に掲載される233件程度である。泉涌寺は中世には中国仏教の窓口として重要視され、また近世にも天皇の葬儀を行う「御寺」として知られていながら、残存史料の少なさからその歴史的実態をつかむことが難しく、結果として周辺研究の遅滞を招いている。
しかし『泉涌寺史』公刊以降、既に30年以上を経過し、公刊時には検出できていなかった古文書・古記録が新しく1,000点近く、また聖教については未紹介を多く含む500点近くが寺内調査によって発見されている。
本共同研究では、こうした泉涌寺所蔵の未紹介史料の調査・報告を中心とする。基礎的な情報を学界共有の財産として提供することで、寺史のみに囚われない、泉涌寺を中心とした中近世史構築への新たな視座を提示したい。

(2)研究の成果
本研究は、これまで未調査となっていた泉涌寺文書・聖教の調査、目録化を通じて、基礎的な情報を学界共有の財産として提供すること、泉涌寺を中心とした中近世史構築への新たな視座を提示するためのものである。
今回は、泉涌寺文書のなかで、坊官を勤めてきた山田家に伝来した文書群「山田家文書」の調査を中心として行い、175件の史料を検出し、基礎データ、目録化を進めた。中には、泉涌寺のみならず塔頭雲龍院などの既知史料の欠を補う史料や、近世の泉涌寺流の地方展開を考える上で重要な新出文書などもあり、寺史を中核としつつも、中近世の経済史、社会史、寺院制度史などの新知見を得ることに成功した。
他方、史料編纂所架蔵の他機関文書・写真帳の閲覧を通じ、泉涌寺伝来の宋式「仏教儀礼」の中近世における地域的な拡がりや、歴代天皇家の葬送儀礼関連史料の知見などを得ることで、こうした史料を踏まえた泉涌寺史の構築が可能となった。

一般共同研究 研究課題 兵庫県下所在豊臣秀吉文書の調査・研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 前田 徹(兵庫県立歴史博物館)
所外共同研究者 市村 高規(龍野歴史文化資料館) 石原 由美子(豊岡市教育委員会) 工藤 祥子(淡路市教育委員会)
所内共同研究者 村井 祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
兵庫県下に存在する豊臣秀吉文書は、明治期の史料編纂所の調査を嚆矢とし、昭和40年代からの、『兵庫県史』刊行にともなう史料調査や、各市町村史刊行のための調査により、数多くが発見され、利用・研究されている。その数は、『兵庫県史』収載分だけでも400点以上にのぼる。これは、秀吉が信長の部将として播磨や摂津支配を任されていたことが大きな理由であり(天正4~10年頃まで)、天下人となる以前の秀吉の事跡は、多くが兵庫県との関わりにおいて明らかにされてきたともいえる。
しかしその一方で、これまで県内各地の自治体史が刊行されていく中などで一定の新発見が報告されてきているものの、『兵庫県史』刊行以降は全県レベルでの整理が十分になされておらず、また文書の真贋についても確定できないものも見受けられる。以上のような状況を踏まえ、県内で新たに発見された秀吉文書の把握・調査を進め、情報を集約するとともに、今後の各施設における研究・展示に活用していきたい。

(2)研究の成果
本研究の成果は以下の通りである。
兵庫県調査(6月)
・個人所蔵文書2件/大円寺文書/豊岡市保管文書/大岡寺文書
和歌山県・大阪府調査(7月)
・小山文書/個人所蔵文書
兵庫県・徳島県調査(9月)
・廣田文書/木砕之注文/菅生文書/太龍寺文書/緒方文書/仙光寺文書/三木文書
武林翰/徳島県立博物館所蔵文書/丈六寺文書
兵庫県調査(1月)
・三雲文書/清水文書/壷井八幡宮文書/志紀長吉神社文書/久米田寺文書
杜本神社文書/神床文書/廊坊文書/専宗寺文書
なお、本研究で発見された豊臣秀吉発給の新出文書を、2017年度の早い時期にマスコミ発表を行う予定である。

一般共同研究 研究課題 中世石見在地領主肥塚家文書の調査研究

研究経費 48.8万円
研究組織 研究代表者 倉恒 康一(島根県教育庁文化財課)
所外共同研究者 本多 博之(広島大学) 佐伯 徳哉(新居浜工業高等専門学校) 中司 健一(益田市歴史文化研究センター) 目次 謙一(島根県古代文化センター)
所内共同研究者 西田 友広
研究の概要 (1)課題の概要
石見地域に伝えられた在地関連一括文書群として貴重な肥塚家文書を調査研究し、目録と翻刻を作成する。同文書には益田氏の同族で現地の有力領主である三隅氏関連史料が多数含まれていることから、合わせて同地域に残る関連未活字史料の発掘も試み、確認されたものは同様に目録や翻刻を公開する。これらを通じて、三隅氏と関わりの深い益田氏や同氏伝来の「益田家文書」や、さらには石見地域の中世史の研究環境を一層充実できるよう努める。

(2)研究の成果
本調査では、当初から予定していた肥塚家文書(島根県浜田市個人蔵)に加えて、石見の有力国人である吉見氏関係文書(神奈川県逗子市個人蔵)及び安芸廿日市の有力商人で石見益田氏とも通交があった糸賀氏の文書(広島県廿日市所蔵)を調査した。追加の調査はともに共同研究員(前者は益田市教育委員会、後者は史料編纂所)に寄せられた所在情報をもとに実現したものであるが、単一の地方自治体では予算はもとより文献史学の専門職員のマンパワーも不足しているため、情報がもたらされたとしても史料調査を実施できる回数に限界がある。今回、共同研究として実施したことで、幅広く情報が得られただけでなく、経費・マンパワー確保の面でも大きな支えとなった。
肥塚家文書の調査では戦国期の50点の古文書の目録作成・撮影・整理を行い、新出史料1点及び大正時代の調査以降、原本の所在が不明となっていた古文書1点を新たに確認した。さらに天文年間(1532-54)の浜田地域に周防大内氏の勢力が浸透していることを窺わせる史料も確認した。戦国期山陰地域における要港の一つとされながら、関連史料が少ないために実態解明が進んでいない浜田地域の中世史研究を前進させる貴重な成果である。
吉見氏関係文書の調査では、新出史料3点及び従来写しの存在が知られていた史料の原本1点の計4点を確認した。吉見氏は毛利氏によって近世初頭に族滅させられているため、その家伝文書は少なく、ためにその実態解明も遅れている。今回発見した史料はいずれも中近世移行期の吉見氏の内情を伝える史料であり、登場人物の比定など内容の分析はなお必要だが、当該期の吉見氏の動向を探る上で重要な史料と考えられる。
糸賀家文書に関しては19点の中世文書を調査した。これらはいずれも『萩藩閥閲録』にその写しが収録されてはいるが、今回の調査で『萩藩閥閲録』の誤りを数か所確認したほか、原本の形態・花押など写しでは省略される情報を収集することができた。このほかにも「御書覚」・「御判物写」・「糸賀氏略系」などの近世文書を調査した。

一般共同研究 研究課題 「異国渡海船路積」と『坤輿万国全図』系世界図の研究

研究経費 50万円
研究組織 研究代表者 中島 楽章(九州大学)
所外共同研究者 鹿毛 敏夫(名古屋学院大学) 藤田 明良(天理大学) 山崎 岳(奈良大学) 鷲頭 桂(九州国立博物館)
所内共同研究者 杉本 史子 岡 美穂子
研究の概要 (1)課題の概要
海外との交流が限定的であった近世という時代において、「世界地図」は上流階級や知識人の間で一定の需要があり、今日、江戸時代に日本で製作された「世界地図」はおよそ30点以上存在する。これらの世界地図は、写本から写本へと写しを重ねられ、その源流となる地図のモデルについて先行研究では、オルテリス『世界の舞台』、マテオ・リッチ『坤輿万国全図』等が考えられてきた。本研究では、これらの現存する「世界図」を可能な限り調査し、16世紀にヨーロッパから伝わったと思われる地理情報が、日本においてどのように伝播したかを明らかにする。また、「世界図」は国内に複数存在し、その中には屏風として仕立てられたものもある。これらの「世界図」には、近世初頭の海外情報である「異国渡海船路積」が「詞書」として付されるものも複数存在する。「異国渡海船路積」の諸写本は、「詞書」ではなく、単独文書の形態をとる場合もあるが、それらの諸写本の内容には、微小な差異が見られ、「世界図」に記される地理情報とあわせて検討することで、その記述の元になる情報が作成された年代等を厳密に特定することが可能になると考える。

(2)研究の成果
本年度のプロジェクトにおいては、合計三か所の地域(七つの所蔵施設)において、およそ10点以上の江戸時代に製作された「世界図」を調査することができた。また『坤輿万国全図』(京大所蔵本)原本も実見調査した。各調査先との交渉は、所外共同研究者の個人的なコネクションにもとづいて便宜が図られたケースが多く、共同研究としておこなう意義の高いものであった。とりわけ岡山県の妙覚寺所蔵世界図屏風は、これまで企画展等による外部展示がほとんど行われておらず、調査が困難なものであると想定されたが、鷲頭氏の尽力により、岡山県立博物館の収蔵庫を借りて、詳細な調査をすることができた。その結果、妙覚寺屏風は、藤田氏が従来調査を進めてきた堺市博物館所蔵の世界図屏風と、ほぼ内容的にも、描写スタイル的にも一致するものであることが確認された。
また臼杵市歴史資料館所蔵の旧稲葉家所蔵世界図には、『坤輿万国全図』の写し系統のものと、別の南蛮系世界図の写しの系統のものが混在することが確認された。江戸時代、稲葉氏が海外情報の蒐集に務めた知的ネットワークも興味深い。また大分先哲史料館には、『坤輿万国全図』の写し系統の世界図2点があり、日本で製作された写本であるが、5月の京都調査で得られた情報により、オリジナルの『坤輿万国全図』と比較して、どのような情報選択を経て写本が製作されたかを確認することができた。
本年度の調査を通じて、これまでの中村拓氏(「南蛮屏風世界図の研究」)や川村博忠志(『近世日本の世界像』)の先行研究で提示されてきた分類や説が必ずしも適切とは思えない点があることが発見され、今後もプロジェクト(画像史料解析センター)として共同研究を継続していく予定である。

一般共同研究 研究課題 大分県所在の城郭絵図に関する収集資料群の基礎的研究

研究経費 48.8万円
研究組織 研究代表者 櫻井 成昭(大分県立先哲史料館)
所外共同研究者 河原 晃永(大分県立先哲史料館) 武富 雅宣(大分市歴史資料館)
所内共同研究者 佐藤 孝之 井上 聡
研究の概要 (1)課題の概要
大分県下には、緊急に調査・保全を要する各種の貴重な絵図群が伝存する。なかでも喫緊の課題となっているのが、城郭絵図などの大型絵図である。こうした絵図を研究資源化するには、調査・撮影・保存に関する高度な知見と経験が必須ながら、県下においては蓄積が十全とは言えない。そこで本研究は、画像史料解析センターを中心に、多くの研究を展開する史料編纂所と連携することを通じて、基礎的な調査・デジタル撮影・史料保全の方法論を確立するとともに、その成果を地域社会および学界に還元してゆくことを目指したい。大分県下の絵図に関しては、基礎データを集成すると同時に、史料編纂所ならびに大分県立先哲史料館などを通じて、史料情報を発信することを目指している。

(2)研究の成果
前年度に引き続き、史料編纂所が蓄積をすすめてきた、大型絵図史料の調査・撮影・情報化スキームを用いて、大分県下に所在の大規模史料群の調査・撮影を継続した。具体的な調査対象は、継続課題である有力譜代大名本多家の家老であった中根家が所蔵する城郭絵図群(総数約130点)とし、史料編纂所・先哲史料館・市歴史資料館による共同調査・撮影を行った。2月20日より先哲史料館の講堂を活用して機材を設営し、3日間にわたり1辺が2m前後の大型絵図を約40点処理した。つづいて22日午後には、調査成果を踏まえ、前年度同様、先哲史料館にて、同館と史料編纂所の共催による史料デジタル撮影に関する講習会を実施した。実際の撮影機材を用いた実践的な方法論の共有や、調査データの活用方法を巡って、県内9機関から約20名の参加を得て、活発な議論を行った。また3月には、撮影データをもとに、調査成果の評価と課題の析出を行うととともに、未撮影絵図に関する今後の調査方法などを協議した。