東京大学史料編纂所

2013年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 中近世医書に見る外来医学知識の研究

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 榎本渉(国際日本文化研究センター)
所外共同研究者 呉座勇一(東京大学大学院人文社会系研究科研究員)
所内共同研究者 岡本真
川本慎自
研究協力者 村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
前近代の日本において、支配層・富裕層がもっとも切実に必要とした外来知識の一つは、自身やその関係者の延命に供する医学・薬学であった。戦国期・織豊期医学の新動向としてもっぱら取り上げられるのは南蛮医学だが、当該期の主流だったのは金元医学の系譜を引く漢方医療(江戸時代における後世方)である。そこで本共同研究では、医学関係史料の調査を通じて中近世移行期の外来医学知識について明らかにしようとするものである。具体的には、国際日本文化研究センター(以下、日文研)宗田文庫所蔵の写本『医工可慎持之法』(曲直瀬道三、天文16年)や『東井御釈談』(曲直瀬玄朔の講義録、天正9年)を手がかりとして、諸所に散在する曲直瀬道三に関わる諸写本の調査を行なう。曲直瀬流の切紙やその関係史料の所在や内容を調査することによって、今後の研究の基礎情報とすることを目的とするものである。

(2)研究の成果
本共同研究においては、日文研所蔵本を起点として、東京大学総合図書館鶚軒文庫の医書の調査を行ったが、その過程で曲直瀬道三と毛利氏の関係を示す識語が複数確認されたことから、三原市立図書館里村文庫・出雲岩﨑家所蔵史料など、道三およびその門下にかかる医書を含む中国地方所在の史料群に重点を置いて原本調査を行った。その結果、当該地域における中近世の医学知識の展開について、典籍の面から考察することができた。
具体的には、小早川隆景の侍医水野松林軒や出雲の医師岩﨑宗右衛門家に伝わる曲直瀬道三由来の医書について、道三の毛利領国への下向を契機として曲直瀬流の門人が中国地方に広がり、そこで伝授された知識が近世の医家へ引き継がれてゆく様相を典籍の上から確認することができた。また個別の点では、岩﨑家に伝わった『惣薬炮製部』の一部は、道三門下に参じたと伝えられる吉田宗桂に由来することなど、その伝来過程の一端も明らかとなった。その他、里村文庫所蔵の朝鮮版『黄帝内経素問』や、岩﨑家所蔵の近世初期出雲で開版された古活字版『医方大成論』(明代医書の抜粋)なども、外来医学知識の伝播・定着における中国地方の位置を考える上で注目される。
 以上の成果からは、対外関係史から地域史までを医書を媒介に一つの線でつなぎうる可能性も指摘できる。そうした意味で地域の医学史研究と連携した共同研究も重要であり、今回の共同研究ではそこまで至ることはできなかったが、今後の展開が期待されるものである。  なお、本研究において調査・撮影した史料の画像は、所蔵者の承諾が得られたものについては史料編纂所図書室において閲覧公開に供する予定である。

一般共同研究 研究課題 島津家本吾妻鏡の基礎的研究

研究経費 44万円
研究組織
研究代表者 高橋秀樹(文部科学省)
所外共同研究者 藤本頼人(青山学院大学)
所内共同研究者 遠藤珠紀
井上 聡
研究の概要 (1)課題の概要
島津家文書として国宝に一括指定されている東京大学史料編纂所所蔵の島津家本吾妻鏡は、新訂増補国史大系本の対校本に用いられて以来、ほとんど利用されていない。そこで、この研究では、毛利家本・北条本・吉川本ほかの諸本との異同確認などの基礎的な調査を行い、島津家本の伝本としての性格を明らかにする。また、江戸時代には一部が『東鑑脱漏』『東鑑脱纂』の書名で流布したことが知られるが、現存の島津家本の目録には明治期の押紙が残されているものの、本文には書き入れ等の利用の痕跡がほとんどない。『島津国史』『通俗国史』などの編纂著作を行っていた近世・近代の島津家が、この吾妻鏡を利用していたのかを、島津家文書等の関係史料から探ることで、島津家本吾妻鏡の在り方を考察する。

(2)研究の成果
史料編纂所において調査撮影した島津家本吾妻鏡のデータを利用して、吉川本・北条本・毛利本との間の所収年月日の異同、および目録・巻1~3、21・22、26・27、41をサンプルとした詳細な字句の異同に関する比較検討を行った。その結果、島津本と毛利本とは所収年月日が同じで、字句も誤字脱字程度の異同しかないことから、共通の祖本を持つこと、毛利本は江戸時代に刊行された版本との校合がなされているものの、ともに本文自体には共通祖本以後の増補がないことが明らかとなった。毛利本には文禄5年(1596)の本奥書があり、両本の目録部分の人名表記から考えると、共通祖本はそれに先立つ16世紀半ばに成立していたと見られる。北条本と島津・毛利本との間には所収年次の違いがあり、独自の増補が行われていることを示すが、共通する巻においては文字の異同は比較的少ないから、多くの巻がさらなる共通祖本に遡れる。ただし、北条本に欠失している『東鑑脱漏』部分につづく巻27(安貞2年~寛喜2年)は北条本と島津・毛利本との間に、転写という作業のみでは生じ得ないような文体の違いがあるから、この巻については異なる親本に拠ったと見られる。この異質な文体は、吉川本には存在しない巻41(建長3年)の北条・島津・毛利の3本共通の文体と類似している。この巻については北条本も同系の親本に依拠せざるを得なかったのだろう。もう一本の吉川本との間には、所収年月日や字句に大きな違いが見られ、吉川本が独自の増補を施していたことを裏付けることになった。
 島津本は幕府に献上した本の副本であると言われ、献上本をもとに『東鑑脱漏』や『古本東鑑纂』(神宮文庫ほか所蔵)などが作られたとされる。しかし、島津家に伝来した島津本そのものには北条本や毛利本に見られるような校合、読みの書き入れ、朱線など、利用した形跡がほとんど見られない。明治時代になってから、書写本ないし抄出本を作成したことを示すような押紙が見られるのみである。『島津国史』『薩藩旧記』などの修史事業を行った島津家においてこの本が利用されていたのかという点がもう一つの課題であった。そこで、『島津国史』と伊地知季安らによって編纂された『薩藩旧記』を調査したところ、鎌倉時代初期の部分には島津本利用の形跡はなかったが、『島津国史』およびこれを原史料とする『薩藩旧記』の嘉禄元年・安貞元年の二つの記事に「拠島津氏蔵東鑑」の注記が見られ、「忠久公御譜」を原史料とする『薩藩旧記』嘉禄3年の記事が脱漏部分に相当するほか、島津本を利用している可能性のある記事も数か所見られた。島津家では北条本系の版本を補う形で島津本が使われていたようである。
また、島津久光の旧蔵書である鹿児島大学附属図書館玉里文庫の『東鏡』に島津本利用の形跡があるかどうかの調査を行ったが、利用の形跡は見られなかった。仮名本である玉里文庫本は書き下しという二次的加工が施された本であると見られていたからか、これまでほとんど学界に紹介されることはなかった。しかし、今回の調査で、北条本系統を主としつつも吉川本にしか現存していない記事やいずれの伝本にもなかった新出記事が含まれていること、既知の集成本とは異なる増補が施された集成本が存在していたことが判明した。玉里文庫本自体は江戸時代前期の写本であるが、この本の出現により、寛永版本に基づく仮名本刊行以前にまったく別系統の仮名本が成立していたことが明らかになった。そこから、巻27や巻41など、転写という作業のみでは生じえないような語順の違いがある巻の親本が仮名本で、その仮名文を再漢文化したために現状の異様な文体になったのではないかという仮説を立てることができた。 共同研究の形ですすめたことで、史料編纂所の研究者と外部の研究者のそれぞれが持っている視点や調査の手法が活かし、またそれを共有することができた。さらに、それを次の世代の研究者に伝えることができた点でも有効であった。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵豊前宇佐郡関係史料の調査・研究

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 櫻井成昭(大分県立歴史博物館)
所外共同研究者 平川 毅(大分県立歴史博物館)
高宮なつ美(大分県立歴史博物館)
木村直樹(長崎大学)
所内共同研究者 井上 聡
研究の概要 (1)課題の概要
史料編纂所には、大分県立歴史博物館が所在する豊前国宇佐郡(現大分県宇佐市)の歴史を語る中世史料が多数架蔵されている。本研究では、とくに宇佐宮の神職家に関わる「益永文書」と宇佐郡の在地土豪に関わる「佐田文書」に焦点をすえて、基礎的な調査・デジタル撮影を実践し、史料学的見地に立って研究を進めてゆく。あわせてその成果を学界ならびに地域社会に還元してゆくことを目指したい。両文書群ともに、複製史料にもとづいた史料集が刊行されているが、原本に基づいた史料集は今なお未刊である。より正確な史料テキストの確定を進めると同時に、編纂所ならびに大分県立歴史博物館を通じて詳細な史料情報とこれに基づく地域の歴史文化に関する情報を発信することを目指す。

(2)研究の成果
*熊本における調査成果
 熊本県立図書館に所蔵されている佐田家文書は、史料編纂所に寄託されている同家文書と一体であったもので、佐田家が熊本を去るにあたり同地に遺した史料群である。これまで両者が分離された経緯や内容面の比較に関する検討が充分でなかったが、本研究の調査を通じて、その概要を把握することができた。具体的には、熊本県立図書館所蔵分120点余の史料の精査を行い、目録を整備することで、これが主として佐田家歴代当主の手になる日記から構成されていることが認められた。内容としては、細川藩士として携わった公務に関わるものが多い。史料編纂所寄託分が、中世以来の相伝文書と同家独自の近世文書から構成されていることを考えあわせると、選択的に熊本に遺された可能性が大である。受け入れ記録などが残されておらず、同館所蔵分の伝来過程を明らかにすることはできなかったが、佐田家に関わる史料の総体を把握することができた。
また熊本県立美術館においては、佐田家文書のうちに写として伝来する豊後野上文書の原本調査を実施した。中世大友氏関連史料を多く含む野上文書は、近世以降、各地に分散したため全容解明がなされていない。今回、佐田家と姻戚関係のあった野上氏庶流の文書が、県立美術館に寄託となっていると判明したことから、撮影ならびに調査を実施した。佐田家文書には姻戚関係などを通じて、他家から諸史料が流入しており、学界未紹介のものも多く含まれている。そうした史料群についても調査を実践することで、佐田家文書の全体像を解明していく必要が大きい。

*史料編纂所における調査成果
 史料編纂所においては、佐田家文書の近世部分を中心として目録の修正・追加を実施した。また付随して寄託となった多数の美術品について、目録の整備を進めるとともに、専門的な観点から分析を行った。当該調査に関しては、近く成果報告を行う予定である。

*大分県下における現地調査の成果
 佐田氏が中世段階で根拠地としていた宇佐市安心院町佐田については、大分県立歴史博物館のスタッフを中心として現地調査を実践した。その成果をもとに、佐田家文書に伝来する境界相論史料について分析を行った。

一般共同研究 研究課題 樺山家および陽明文庫所蔵樺山家史料の調査・研究

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 林 匡(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
所外共同研究者 内倉昭文(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
栗林文夫(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
新福大健(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
崎山健文(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
新名一仁(鹿児島大学)
所内共同研究者 遠藤基郎
榎原雅治
田島 公
藤原重雄
小瀬玄士
高島晶彦
研究の概要 (1)課題の概要
樺山家は,薩摩島津氏の支流であり,かつ島津氏の重臣として,鎌倉期から江戸幕末まで一貫して南九州で活動した一族である。その伝来史料の大部分は,現在,東京大学史料編纂所に所蔵されているが,歴代当主の肖像画や近世史料は,現在も鹿児島県姶良市の樺山家に所蔵されている。樺山家所蔵分については,本格的な学術調査が行われたことがなく,全容がいまだ明らかになっていない。本研究課題においては,樺山家所蔵の肖像画を調査し,その制作年代を検討するとともに,全点を撮影する。あわせて近世史料についても調査し,その概要を把握する。また,現在財団法人陽明文庫に所蔵されている樺山家文書1巻についても,原本調査・撮影を行う。

(2)研究の成果
1.樺山家所蔵分(黎明館寄託)に関する成果
  ① 現存する樺山家伝来史料のほぼ全体を把握することができた。
  ② 特に珍しい夫婦共に描かれた肖像画などの肖像画史料の存在を確認し、全てを撮影収集できた。
  ③ 戦国期に活躍した樺山玄佐に関わるものも確認できた。
  ④ 近世史料について,樺山氏及びその支流庶家の系図作成に関する、まとまった点数の系図が確認できた。
  ⑤ 六歌仙目録や和歌筆者目録,和歌・漢詩,手習いと思われるもの、そして極書が多く残されている。薩摩藩上級城下士の樺山家における文化的関心を窺えることができた。
  ⑥ 藩政データブックといえる「要用集(薩藩政要録)」のうち、幕末(嘉永~安政初年)作成6冊中5冊(1~5巻)が確認できた(6巻は鹿児島県立図書館所蔵)。
 なお、調査の過程において次のことが指摘・確認された
  ① 料紙について新たな知見が得られた(室町期の料紙と思われる引合紙の使用)
  ② 文化朋党事件で処罰された樺山主税の肖像画の他にも,肖像画が複数(下絵も含め)残されているが、顔つきや背景に描かれた(描かれない)書籍・道具などに相違がある。全て別人とも考えられるが、一方で,私領藺牟田に蟄居謹慎し,後に切腹させられた主税について,それぞれ絵師に依頼して描かれた可能性も指摘された。
  ③ 「西明寺殿百首和歌」(西明寺殿は北条時頼。時頼に仮託された教訓歌)に天文20年9月28日の奥書が確認された。
2.陽明文庫所蔵分に関する成果
陽明文庫所蔵の樺山家文書(伝家亀鏡巻十二)の調査・撮影を行った。樺山家文書のうちの重要文書を巻子仕立てにした「伝家亀鏡」は全17巻、うち16巻は現在史料編纂所所蔵であるが、巻十二のみが陽明文庫の所蔵になっている。史料編纂所には、昭和11年に広島県の個人蔵として撮影された伝家亀鏡巻十二のレクチグラフが架蔵されており、同年以後に陽明文庫に入ったことが推測されていたが、今回の陽明文庫での調査で、同文書の箱の蓋内側に「昭和十五年五月 文麿敬題」の箱書きを確認し、移動の時期を4年間に絞り込むことができた。

一般共同研究 研究課題 史資料原本調査をもとにした『越佐史料』巻七(未刊)の再編成

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 前嶋 敏(新潟県立歴史博物館)
所外共同研究者 高橋一樹(武蔵大学)
田中 聡(長岡工業高等専門学校)
水澤幸一(胎内市教育委員会)
広井 造(長岡市立科学博物館)
福原圭一(上越市総務管理課公文書センター)
田中洋史(長岡市立中央図書館文書)
所内共同研究者 鴨川達夫
村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
『越佐史料』は、大正14年(1925)から刊行が開始された、越後・佐渡の古代・中世にかかる編年史料集として知られ、「地方史の金字塔」(黒田日出男『謎解き洛中洛外図』岩波書店)とも評される。しかし、同書は昭和6年(1931)に編集者高橋義彦の死によって巻六(~天正12年6月)で途絶している。また、その後の研究の進展から、その編年も多くの見直しが必要になっており、さらにそれ以後発掘・発見された資料も数多い。
また『越佐史料』に引用された史料には、その典拠が明確でないものも複数含まれる。それぞれの史料の出典等を明らかにしていくためには、その編集過程を検討する必要がある。これらは近代における歴史編纂過程を明らかにすることにもつながる。
そこで本研究では、あらためて『越佐史料』の編集過程を踏まえて、巻七(未刊分)を題材として、それ以後の研究の進展、史資料の発掘状況等を加えて再編成し、公開することを課題とする。

(2)研究の成果
本研究では、『越佐史料』巻七(未刊)該当期間を中心とした史資料原本の調査として、次の古文書群の調査を行い、記録撮影等を行った。本研究で撮影した文書群は以下の通りである。
 ・佐渡市内調査
   「舟崎文庫文書」
   「佐渡博物館文書」
   「片岡文書(佐渡博物館寄託)」
   「佐渡国分寺文書」
 ・山形県内調査
   「御殿守文書」
   「米沢市上杉博物館文書」
   「宇津江文書(上杉博物館寄託)」
   「樋口文書」
   「山形市内個人所蔵文書(山形大学管理)」
なお本研究において、あらたに新出の古文書原本を複数確認した。たとえば山形県内で確認した慶長期頃とみられる上杉氏家臣発智氏関連文書は、上杉景勝会津移封とその後の状況をうかがううえでも注目されよう。これらの成果により、『越佐史料』をさらに充実した資料集としていくことが可能となっていくものと思われる。また、佐渡市内の調査においては、東京大学史料編纂所の情報および上越市史編纂時の調査成果・新潟県立歴史博物館の調査情報等をあわせて資料所在等を確認し、調査を進めた結果として、さらに別の中世文書の所在情報を得ることにもつながった(今回の研究においては未調査)。これらは、本研究を共同研究として実施したことによって得られた成果のひとつともいえよう。
さらに、北方文化博物館所蔵『越佐史料稿本』および個人蔵の編纂関連資料の調査から、その編集過程の一端をうかがうことができた。『越佐史料』の編纂は、史料編纂所所員らを多数委嘱して行われた事業である。これらは共同研究として、さらに深めていく必要があるものと思われる。

一般共同研究 研究課題 加藤清正関係文書の基礎的研究 -所在調査・編年・目録化-

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 大浪和弥(宮崎県延岡市教育委員会)
所外共同研究者 山田貴司(熊本県立美術館主任学芸員)
鳥津亮二(八代市立博物館未来の森ミュージアム)
所内共同研究者 金子 拓
研究の概要 (1)課題の概要
豊臣秀吉の家臣であり、肥後の近世初期大名として知られる加藤清正について、本研究では全国各地に散在する関連一次史料、具体的には加藤清正発給・受給文書の情報を把握するため、史料編纂所所蔵の研究資源・データベースおよび全国の所蔵機関にて調査を実施する。原本確認可能なものについては実見調査をおこない、画像データを含めた史料情報を集積し、史料年代を分析する。そのうえで昨年度に調査をおこなった加藤清正発給文書データと併せて編年目録を作成し、公開することを目的とする。

(2)研究の成果
史料編纂所をはじめ各地の史料所蔵機関における所在調査、および諸文献調査により、リスト上では加藤清正発給文書619通の存在を確認している。このうち460通ほどについては、史料編纂所所蔵の影印や写真等の画像データを把握しているもの、あるいは史料所蔵機関で原本を調査・撮影の上、画像を取得することができた。
上記の所在・収集調査に加えて、目録整備に向けての年次比定作業にも重点的に取り組み、検討会議も開催した。把握している文書総数619通のうち、無年号文書は約400通ある中で、検討会議等を通じて280通ほどの年次を比定することができた。しかし、これらのうちでも具体的な年次を確定することが難しいものもあり、ある程度の幅を持たせた年代の推定に留まっている。これらを含め、残りの無年号文書の年次比定が今後の課題として残っている。
また、2012年度・2013年度と2ヶ年にわたって実施した当該共同研究の学術的成果を外部に公開して、本共同研究に対して広く意見を求める場として、2014年3月9日(日)に熊本県立美術館本館講堂において、一般共同研究「加藤清正関係文書の基礎的研究」グループ主催「公開研究会「加藤清正文書研究の最前線」を開催した。共同研究員個々の研究報告とパネルディスカッションをおこない、熊本県内外から参加した研究者や一般市民から幅広い意見が寄せられ、有意義な研究会となった。会では、大浪が清正文書の花押と印判について、鳥津が自筆文書についての報告をおこなった。共同研究により得られた画像情報などをもとに文書論まで分析を加えることができたことは大きな成果の一つである。また、山田は清正文書の中から隣国・相良家との関係が窺える文書を抽出して、中近世移行期における加藤家の近隣大名論という新たな視点を提示した。
このように様々な研究アプローチの可能性を持つ清正文書を全国の研究者の研究利用に供するため、今後は年次比定の精度を高めた編年をおこない、2014年度内の「加藤清正文書目録」刊行に向けて準備を進めている。

一般共同研究 研究課題 文献・考古両分野による中世後期 西日本海地域における流通経済の解明

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 中司健一(益田市教育委員会)
所外共同研究者 本多博之(広島大学大学院)
長谷川博史(島根大学)
所内共同研究者 西田友広
研究の概要 (1)課題の概要
本課題は、中世西日本海地域における流通経済について、海上・河川流通路やそれらを担った人々、取り扱われた物資、それらへの領主の関与などを、石見国益田地域を主な題材とし、文献・考古両分野の手法・成果を用いて具体的解明を試みるものである。
 中世益田地域には、有力国人領主益田氏が勢力を誇り、その家文書「益田家文書」が東京大学史料編纂所に所蔵され、このほか島根県・山口県などに多くの中世石見国関係史料が伝わっている。これらを利用した研究では、益田氏の海洋領主的性格が指摘されている。
また近年、益田地域の中世遺跡からは多くの輸入・国産陶磁器が発掘され、そのうちの中須東原遺跡・中須西原遺跡は中世港湾都市の大規模な遺跡として注目されている。
 このように恵まれた文献・考古両分野の資史料と成果を踏まえ、さらに幅広く資史料を収集・調査し、両分野の手法を組み合わせることで、所期の目的の達成をめざす。

(2)研究の成果
○現地調査の実施
・共同研究者で益田の中世港湾遺跡とその出土物の調査を実施、共同研究者で最新の調査成果を共有するとともに、益田市の発掘担当者にとっても様々な知見が得られた。
・共同研究者で益田市内の「原屋家文書」の調査を行った際には、その調査の様子を市民に公開し、共同研究者が史料の解説を行うことで、地元市民にとっても地域の古文書に対する理解を深めることができた。
○新出史料の発見
・従来、井上寛司氏の調査・発表されていた「大賀家文書」について、その原本を確認するとともに、新出文書正文3点を調査・撮影することができた。また「大賀家文書」が所在する浜田市三隅町湊浦地区の景観調査を実施し、中世山陰の湊の景観復原を試みることができた。
・新出の「益田高友家文書」を調査・撮影した。この文書は従来「閥閲録」巻168益田五郎兵衛家として知られていた家の文書であるが、その原本と多数の新出文書が含まれており、中世益田氏研究に重要なだけではなく、益田氏と肥前松浦氏との関係を示す文書が含まれるなど、共同研究の目的達成のためにも、非常に有用な史料を発見することができた。
○基本的な史料の調査・撮影
・既発表史料についても実物を調査・撮影することにより、その精査を行い、より理解を深めることができた。
以上により、領主の海上交易への関与、山陰地方の湊の実態、流通に実際に携わった領主の実態など、中世西日本海地域における流通経済の具体像ついて、新たな知見を得ることができた。

一般共同研究 研究課題 アカデミズム史学の形成と研究資源蓄積に関する史学史的研究

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 松澤裕作(専修大学)
所外共同研究者 高木博志(京都大学)
廣木 尚(早稲田大学)
所内共同研究者 尾上陽介
研究の概要 (1)課題の概要
東京大学史料編纂所が、その前身組織の時代も含めてみずから作成した文書・記録の研究を行う。とくに、帝国大学史料編纂掛・史料編纂所時代の公文書を中心とし、それらの整理・分析を通じて、戦前のアカデミズム史学が、いかなる歴史資料を選択して研究対象としたのか、どのような方法によって研究資源として蓄積したのかを検討する。
すなわち、東京大学史料編纂所が現在所蔵する研究資源は、明治政府の修史事業の発足以来、事業の帝国大学移管、史料編纂事業への転換、第二次世界大戦後の国立大学附置研究所化を経て今日に至る、長期間にわたる活動の成果として蓄積されたものであるが、こうした研究資源の形成過程を歴史的な記録・文書によって具体的にあとづけてゆく。

(2)研究の成果
第1回研究会においては、東京大学史料編纂所が所蔵する史料群の全体像把握と、今後の整理・調査方針の立案をめざし、松沢がこれまでの経緯について、高木が類似のケースとおもわれる東京国立博物館所蔵の「館史資料」について、それぞれ報告し、今後は、未整理史料中の「往復」と題されたシリーズを整理・調査の中心にすることが確認された。
 これをふまえ、書庫10層の「往復」類の封筒づめ、粗目録作成を行い、総点数が435点、時期は明治23年から昭和26年に及ぶことを確認した。
 第2回研究会では、粗目録を基礎として、内容の確認と並行して目録の完成をはかった。以上の作業によって、全体のほぼ半分に相当する大正期までの「往復」類の目録が完成した。その内容は、史料の貸借に関するもの、史料編纂掛・編纂所出版物の頒布に関するものなどが中心であることがあきらかとなった。特に前者の情報は、今後、史料編纂所に現存する影写本・謄写本との突き合せによって、研究資源蓄積過程の復元をめざす基本的な情報源となることが展望される。
 上記目録作成作業と並行して、「往復」類のうち初期に属する部分のデジタル撮影をおこない、研究参加者が共有して内容の精査にあたった。くわえて、書庫外史料の所在確認をおこない、これによって史料編纂所の所蔵する所史関係史料の所在がほぼ明らかとなった。

一般共同研究 研究課題 近世新吉原遊郭関係史料の基礎的研究

研究経費 45万円
研究組織
研究代表者 横山百合子(元帝京大学)
所内共同研究者 松井洋子
研究の概要 (1)課題の概要
江戸遊廓新吉原は、城下町の遊廓、宿場、湊町など、全国各地の公認・準公認の売春施設の維持運営に際して規範的位置を占め、また、近世の性売買をめぐる言説の発信源としても圧倒的な存在感を示している。しかし、このような隔絶した位置にある新吉原遊廓を歴史学的研究対象とする際、基本的な史料として用いられるのは、旧幕引継書類、幕府判例集類を除けば、1970年代までに活字化された新吉原名主による編纂史料「洞房語園」「洞房古鑑」などに限られており、実質的にはきわめて開拓の遅れた分野だといわざるをえない。本研究は、このような遊廓研究における史料環境の現状をふまえ、近世遊廓の中核的位置を占める新吉原について、一次史料をふまえた学問的検討を進めることを目的とし、そのための研究環境の基礎的整備を目指すものである。

(2)研究の成果
新吉原遊廓関係史料は、新吉原遊廓が、江戸だけでなく全国におよぶ多様な組織や社会集団と関わりながら存立するという特徴を反映して、各地に断片的に散在する点に大きな特徴がある。そこで、本研究では、新吉原遊廓関係史料を仮に以下の①~⑥に大きく区分し、それぞれの史料の発見およびその所在状況の把握に努めると同時に、一部を試掘的に調査・撮影し、今後の遊廓研究のための研究整備に必要な作業を把握し、いかなる共有資源化が可能であるのかを探ることに重点をおいた。
①遊廓を維持運営する名主・遊女屋などの作成史料
②遊女に関係する史料・遊女が作成した史料
③性産業としての遊廓維持のための金融関係資料
④新吉原遊廓の管理・統制を行う町奉行所およびその後継の東京府等、行政組織の作成史料
⑤遊客の作成する史料、または遊客の実態を明らかにする史料
⑥遊廓の広報・宣伝物や性的言説を発信する画家、文人の創作物など
①~⑥は、必ずしも明確に区分できるものではなく、重複するものもあるが、①については、東北大学図書館狩野文庫に収集されている新吉原五町名主の用場で作成された史料数点を発見した。これは、②遊女に関する情報も含んでおり、幕末期新吉原遊廓運営の最も基礎的な史料だと考えられるため、活字化による共有資源化を計画している(ただし、史料原本は所在不明であるため、狩野文庫マイクロ版集成によって確認)。③については、すでに研究代表者が新吉原遊廓を投資対象とする寺社名目金貸付の実態を明らかにするものとして、信濃国高井郡中野代官所管内の豪農坂本家、山田家、中山家などが所蔵する地方文書に着目し史料整理に着手しており、本研究においてはこの整理・細目録作成を進め、一部の撮影を行った。また、関連する史料として寺社側(京都府の仏光寺、東京都の西徳寺)の史料の所在状況を確認した。④は相当量の史料が予想されるため、国立国会図書館旧幕引継書に含まれる史料の一部を複写・参照するにとどめたが、今後、上記①~③の研究に併行して行うべき重要な課題となろう。⑤については、「笠間日記」(加賀市立図書館編『加賀市史料』所収)に見られるような活字史料を含む史料編纂所所蔵の日記・伝記等に断片的な記述が多数散在しており、所内担当者との共同により、その一部を複写し収集した。⑥については、国立国会図書館、史料編纂所、都立中央図書館など、東京都内で所蔵されている「吉原細見」に限定して調査・撮影に着手したが、これは、遊廓の社会構造を物語る基本的データとして極めて有効な史料であることが明らかになった。
以上の作業から、遊廓研究のための基礎的情報収集を進め、遊廓研究の史料的基盤の拡大を図る見通しを得、収集した史料の一部は活字化による共有資源化に着手したところである。また、本研究成果の一部は、下記の論文・報告等において公表した。

一般共同研究 研究課題 丹波国山国荘地域における中世文書に関する史料学的研究

研究経費 39万円
研究組織
研究代表者 坂田 聡(中央大学)
所外共同研究者 薗部寿樹(米沢女子短期大学)
岡野友彦(皇學館大学)
吉岡 拓(日本学術振興会特別研究員)
所内共同研究者 前川祐一郎
研究の概要 (1)課題の概要
丹波国山国荘地域(現京都市右京区京北)に残された中世文書は、中世村落研究・地域社会研究にとって重要な史料である。しかも、同地の中世文書は、それが今日まで続く個々の百姓の家に伝存するという、稀有な史料伝存のあり方を示している。
だが、『丹波国山国荘史料』等で活字化された史料はそのごく一部にすぎず、本格的な史料調査と整理の作業が十分には行われなかったこととも相まって、同地の古文書は史料保全の面で危機的な状況にあった。こうした中、申請者を中心とする調査・研究グループ(山国荘調査団)は、この15年間、近世・近代文書も含めた同地の史料の抜本的な調査・研究を続けるとともに、その過程で得た史料情報を学界で共有する方法を模索してきた。
本研究は、由緒書や「偽文書」に着目した史料学的研究手法を用いることによって、これまで行ってきた山国荘調査団の研究を、さらに深化・発展させるとともに、文書写真と文書目録の公開というかたちで、同地の中世文書に関する基礎的情報の研究資源化をめざすものである。

(2)研究の成果
山国荘域およびその関連史料の所在先を調査し、代表者を中心とする山国荘調査団の調査・研究の蓄積と、史料編纂所の史料調査・研究資源化の経験とを相互に参照・活用することによって、以下のような共同研究の成果が得られた。
 まず、研究資源化の成果として、山国荘調査団の調査成果をふまえ、「西文書」「菅河文書」「宮春日神社文書」「上黒田春日神社文書」などを、研究資源化に適したデジタル画像で撮影することができた。これらについては、撮影目録を作成し、史料編纂所のデータベース上での公開という形態での研究資源化の準備をすすめている。なお、本研究によって得た研究資源は、「山国荘調査団ホームページ」(http://yamaguni.blogspot.jp)で公開された同調査団の調査・研究成果とあわせて参照されれば、より有効に活用されるものと思われる。
 つぎに、これまでの山国荘調査団の調査・研究をさらに深化・発展させ、山国荘の調査研究の成果を総括し、今後の調査のあり方を展望するとともに、由緒書や「偽文書」に着目した史料論的考察をふまえ、同荘地域の民衆の意識の中の天皇像の再検討という研究成果をあげることができた。
 さらに、山国荘現地で行われた研究会では、中世史・近世史のみならず近現代史や民俗学・社会学の研究者による研究交流から、多くの新しい知見が得られた。特に、山国荘域および近隣地域の史料に関する情報が寄せられ、参加者に共有されたことは、今後の同地域の研究に大いに裨益することであろう。