正倉院文書調査

昭和四十五年十一月九日より十四日まで六日間、正倉院事務所に出張し、例年の如く断簡の接続の点検を主にした正倉院文書の調査を行なった。今回の調査でも写真では到底不可能な新発見が多く、原本調査の成果が大いにあがった。以下、参考までにその一例として、「大宝二年筑前国嶋郡川辺里戸籍」の場合を紹介する。
 この戸籍は正倉院文書の正集三十八・三十九・続修六と蜂須賀家所蔵の断簡に分かれており、全体で一五断簡よりなる。すでに北山茂夫氏(「大宝二年の筑前国戸籍残簡について—大領肥君猪手の家族—」『歴史学研究』七ノ二、後『奈良朝の政治と民衆』に収む)や宮本救氏(「古代戸籍の整理」『史学雑誌』六〇ノ三)によってその断簡が一部整理され、また竹内理三氏によって原本調査の結果が報告されている(「正倉院戸籍調査概報」『史学雑誌』六八ノ三、六九ノ二)。
 いま戸籍調査の慣例に従い、『大日本古文書』所収(一ノ九七〜一四二)の一五断簡に、それぞれAからOまでのアルファベット記号をつけて説明すると、北山氏によって断簡J・Dが接続し、次に一二人分即ち一二行分の欠失部分があってBが配列されることがわかり、宮本氏によって、断簡LとCとは間に二行分の欠失部分をおいて並ぶものであることが明らかになった(竹内氏の報告では両氏による成果の紹介が正確ではない)。
 原本によってJ(続修六1)とD(正集三十八4)の接続をみると、Jの左端に、表に二箇の国印の右半、裏に継目裏書と一箇の国印の左半が残り、Dの右端に、表に二箇の国印の左半、裏に継目裏書と一箇の国印の右半が残っていて、両者が合致することにより接続は容易にたしかめられる。連続した戸籍が、二断簡に分れたのは、写経所に於て継目よりはがされて、Jの裏が千部法華経校帳(九ノ六二〇〜六二三)に、Dの裏が後一切経筆帳(三ノ七七)に利用されたためである。
 DとB(正集三十八2)については、Dに一一行、Bの第一紙に一九行で、合わせて三〇行になり、筑前国戸籍の完全一紙は四〇行前後であるから、戸口の総計から考えて間に一二行不足するという北山氏の推定は、原本についてみても可能である。
 L(続修六3)とC(正集三十八3)の配列については、竹内氏の報告にある通り、宮本氏の推定した如く二行分の不足が確認できる。
 以上がこれまでの成果の確認であるが、次に今回の調査による新発見を紹介しよう。
 文部省史料館所蔵の『東大寺正倉院文書』は、小杉〓邨が明治八年から九年にかけて浅草文庫に於て影写したもので、『大日本古文書』編纂当時、正倉院の原本にあたれないものについて小杉本として利用された本である。いまあらためてこの本を調べ直してみると「続修の整理以前の正倉院文書の状態や、今日では散逸してみることのできない断簡などが忠実に影写されていて興味深いものがある。
 ところでこの小杉本の「戸籍計帳」の冊をみると、断簡Oの最後の行「受田参町玖段」の次に一行の空きがあって、次に「戸主追正八位上勲十等肥君猪手、年伍拾参歳、正丁、大領、課戸」以下の断簡Jが続いている。この部分はまた「戸籍銭用帳月借銭」の冊にも影写されていて、そこでも同じく両断簡は接続している。
 このことは、『大日本古文書』一にOが〔小杉本戸籍計帳〕として収められているように、編纂当時気づいていた筈であるが、J・K・L・M・Nを続修六によって収め、Oは原本にあたれない別のものとして最後に配列するという編纂方法をとったため、折角の小杉本の利用価値が生かされないでしまったのである。Oは後に『蜂須賀侯爵家文書』として影写されたが、今回この影写本を正倉院に持参して原本との接続を検したところ、小杉本にある如くぴったり接続することが確められた。即ち続修が整理されてJが続修六の第一断簡として配列される以前には、O・Jは接続していたのであり、〓邨の影写後、前半のOの部分が切断されて蜂須賀家の所蔵となったことがわかったわけである。このことはまた裏の千部法華経校帳が接続することを示しているが、ここでは裏の文書の接続については、他にも発見が多いので省略する。
 次に裏の文書の接続を調査することにより、原本の欠脱部分の文字が判明した例をあげておこう。断簡E(正集三十八5)の第一行の首部は『大日本古文書』では約四字分欠けており、原本についてみても三字分欠けているが、この断簡は裏が天平廿年三月廿九日の古乎万呂の手実(三ノ六三)に利用され、もとは現在の続々修六ノ十の万昆太智の手実(十ノ二四五)の前に接続して、間写六十花厳経廿一部手実となっていたのである。二つの断簡に分れ、文字の欠脱部分ができたのは、続修の整理のためEがはがしとられ、文字の一部分が本体の方に残ったためである。続々修六ノ十に残った文字をみると、Eの欠脱部分は「男ト部」の三字であることがわかった。
 以上は正倉院文書の調査結果のほんの一端を紹介したに過ぎないが、これによっても、原本調査の必要性と、現在我々が行なっている調査方法について、御理解いただけるものと思う。(稲垣泰彦・土田直鎮・皆川完一・岡田隆夫)

『東京大学史料編纂所報』第6号