大日本古記録「小右記六」

この冊には治安元年から同三年に至る三箇年間の記を収めた。この間、元年夏・三年二−三月を欠き、元年冬及び三年正月二日以降のみが広本である。元年秋及び三年夏以降の部分以外は先行刊本(史料通覧・史料大成)には収められていない。
 この時期、記主藤原実資は六十五−七歳、正二位大納言右大将から治安元年七月右大臣右大将に昇任し、同年八月以降皇太弟傅を兼ねている。この大臣昇任に伴う実資の執政形態の変化がまず本冊の注意すべき内容の一面をなす。このほか藤原道長とその子頼通・教通等の奢侈と驕傲のその生活・行動上での顕著化(道長による法成寺金堂の建立とその落慶供養、頼通による高陽院の造営等)、地方官の失政・腐敗の問題化、宮廷内での廷臣の闘乱など、この時期の政治・社会の態様を象徴する記述は少くない。なお、内容の詳細は上欄の標出によって容易に一覧することができる。
 この冊ではじめて三条西本を小部分ながら底本としたので、図版二葉は同本の紹介を意図して選んだ。同本については、この冊とほぼ同時に刊行された史料編纂所報第五号の桃裕行氏の論文七ページが好個の解説となっているので参照していただきたい。ここでは第二葉について二点だけを補足しておく。
(一)ここに見える治安三年三月十八日条は内容から見れば正月十八日条であるのが自然であり、果して広本の形で伝存している京都御所東山御文庫本の同日条には完全に本条が含まれる。従ってここに見える「三月」の語は恐らくは衍である。
(二)四月一日条の後段は、広本の本文と照合すると、語句こそ同日条に対応するものを見出しうるとはいえ、二日条によってはじめて知られる事実を述べたものであることが知られる。これは小右記の略本制作の態度としては極めて異例の大胆さであって、むしろ他書が引用する場合の取意抄出の態度に近い。
 最後に、本冊の含む誤謬のうち、本文の文字の誤読または誤植及び傍証の錯誤に限って、今日までに知りえたところを掲記して、担当者の努力の至らなかったことをお詫びする。(ページ数・行数・訂正事項)
一二・六・(藤原道隆)→(藤原道兼)、一七・六・〔侯〕→〔作〕、二六・一五〔成ナ〕→〔白ナ〕、三二・三経仲ノ傍証・(源)→(藤原)、三二・四・重道→重通、三二・六・今参→即参、四八・九・武清→清武、五五・一・〔公〕ヲトル、六四・六・(公信)→(経通)、七五・五朝任ノ任ノ右傍・〔経〕ヲ補ウ、八〇・一〇・(藤原)→(源)、八三・一二・(源)→(藤原)、八四・一四・済致→済政、九二・一四右肩・廐家→厨家、九四・一左傍・経進→『経通』、一〇二・一二(藤原)→(平)、一〇四・一・炙治→灸治、一二二・五・賢房→資房、一三九・四実基ノ傍証・(藤原)→(源)、一五九・一一・右大夫→右大史
(例言一頁、目次一頁、本文二五五頁、挿入図版二葉、岩波書店発行)
 担当者 近衛通隆・龍福義友・石田祐一

『東京大学史料編纂所報』第6号 p.104*