大日本近世史料「諸問屋再興調十一」

本巻は旧幕引継書類のうち「諸問屋再興調」拾捌および同拾旭を収めている。拾捌の前半は前巻に収めておいたが、後半の「北方年番方書留写 十組諸問屋一件 難破船調」が四九通の文書を輯め、かなりの丁数にのぼるものであるため、本巻にゆずることにしたのである。拾旭に収められる文書五六通は、こんにゃく・干鰯・炭薪・書物・染革類・紙煙草入・花松・豆腐・木綿・紫根・湯波・糸など諸品の取引仲間や、髪結仲間・御堀浮芥定浚仲間に関するものである。
 江戸時代に廻船の海難が頻発したことは周知のとおりである。商品を積載した廻船が難破して漂着した場合、難船事情の調査、残り荷の検査と保管、損失額の勘定などの事項は、海上交通上制度として確立していなければ、自由な商品の輸送と流通は、望むべきもないことであったから、当然これらの規則は、問屋たちにとって大きな問題であった。この難破船調も、菱垣廻船仲間の三橋架直しの義務に関する北町奉行上申書(天保十三年正月)と、もう一つ、今日なお、難船漂着地点の境界を遠州灘において検視・損失勘定の措置としているかという老中書取(天保十二年十二月)にはじまっている。町奉行はこの下問を受けて、詳細な事情調査を行なうとともに、城米船条目・浦高札・町触などの法例を挙示・勘案し、また過去における十組諸問屋の出願書々抜などを揃えたりしたので、これらの文書が収められることとなった。一方、取締の直接責任者であった町年寄に対する廻船問屋行事・元十組極印元行事の答申書なども、天保改革時の実情を語るものとして興味ある文書である。しかし難破船調の主眼は、難破における損失勘定の仕法についての大坂町奉行の問合せに対する回答にあったから、過去の沿革と慣例の勘案ののちに、現情に対する適切な方策として結論が出された措置が上申されている天保十三年五月の北町奉行上申書(第四二号)が最も重要な位置を占めている。この難破船調のなかでは突然的な印象を与える史料であるが、第四八号文書において、老中が天保改革の趣旨が徹底しないのは、町年寄館市右衛門の怠慢から起きていると叱っているのは、この改革の評価にさいし、すこぶる興味深いものがある。
 原本拾旭に収められている商品は右にのべたように多いが、所収の関係文書の多くは、さしたる内容をもつものではない。こんにゃく問屋の再興については、起立が文化以後のものであるし、また水戸藩国産品でもあるので、複雑さを示している。ただ北町奉行相談書に、文化以前の問屋の再興が終了すれば、それ以後の問屋の再興をも考えてよろしかろうといい、また再興を文化以前のものに限定するのは、文化以後の弊害をさけるためだろうといっているのも、改革の方向を語るものとして注目される。干鰯問屋関係については、浦賀と江戸の両地問屋の競合事情がくりひろげられている。炭薪仲買については新規加入問題、髪結伸問については駈付焼印札の再交付と新開町屋の髪結の焼印札下付の問題、書物問屋については仮組新規加入の問題、染革鼻緒商売については仲間結成の出願の件、紙煙草入問屋については成員以外の者の商法紊乱の件、花松問屋については大量一三名の新規加入問題などに関する文書である。その他の商売については、木綿問屋関係に難事船の勘定をめぐっての本組と仮組の対立が存在することが示され、糸問屋関係については仮組の入荷高が増大したことによって、仮組を本組に組替えようとする動きがあらわれ、それが許可されるばかりにあった事情が語られている。
(目次九頁、本文二一二頁)
担当者 阿部善雄・進士慶幹

『東京大学史料編纂所報』第6号 p.107