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所報 - 刊行物紹介

3.国文学研究資料館所蔵史料の調査

 二〇二〇年一二月、国文学研究資料館にて和古書等を閲覧した。うち二点について簡単な覚書とする。
○付短冊申文(短冊申文集録)[ヤ二―七三]
 ※一冊、袋綴、裏打済、紙背文書あり。二九・五×二三・九cm。本紙は縦二八・八cmなどで、やや裏打紙が大きい。後補前後表紙、本紙(共紙前後旧表紙含め)二五丁。後補表紙、斜刷毛目、薄茶色。左右を入れ替えて綴じ直しの跡あり、現在は紙縒にて大和綴とする。外題なし、貼紙の貼り跡の有無も不明瞭。旧表紙(ないし旧遊紙)、後補表紙の見返しに貼られていたが剥がれ、白紙。円印「国民精神文化研究所/ 55848 /和漢書」。この紙のみ裏打紙を外側に打つ。第一紙、朱長方印「山科蔵書」、朱方印「国民精神文化研究所図書印」、朱長方印「国文学研究資料館」。書き出し「一、付短冊申文」。除目に関する故実書で、諸書と重複する内容も多いが関係は未勘。内給(国替・未給)・院宮(名替・国替・更任・二合・任符返上)・公卿(当年給・未給・二合・名替・国替)の項目にて、摂関・院政期の申文を多数引載。天延三年(九七五)から承安三年(一一七三)に及ぶが、治安三年(一〇二三)・長元九年(一〇三六)の件数が目立つ。引勘書として、「魚録抄」「江抄」「資抄(藤原資仲)」、また「資抄」からの重引として「権大夫記(長暦二年十月廿三日)」「平宰相(親信)記」「平宰相家書」「或抄」「経頼抄(故按察使大納言抄を引く)」「故春宮権大夫記(長暦四年十二月廿日)(長久二年正月廿一日)」「三条大相国口伝抄(藤原頼忠)」などに「今案」を加える。いわゆる『長兼卿抄』や『除目申文抄』(『続群書類従』十輯下)・『魚書奉行鈔』[九- 五〇五八]などとも重なるが、引用文ではより古態を示している可能性もあり、検討を要する。後ろ表紙(旧後ろ表紙)見返し朱方印「藤原師言」(山科師言:一七二二~七〇)。
 紙背文書は観察の難しい状態だが、正月・二月の日付が多くまとまった時期のものとみられ、「甘露寺殿」充を少なくとも四通含み、山科家ではなく甘露寺家にて成立した写本と思しい。末柄豊氏の御教示よると、第七紙紙背の書状に「長資朝臣上階事」と田向長資の三位昇叙の話題が見え、永享五年(一四三三)のものである可能性が高く、旧表紙紙背の「申従四位下/正五位下卜部兼名」とある申文は同四年頃のものとなる。申文は他に二通、また第二三紙の書状書き損じに「就星辰変異/禁裏御祈料事/自来廿二日至来月廿二□/別可抽□(以下書カレズ)」とあるなど、蔵人のもとに集積されたとみて傾向上の齟齬はなく、頭弁の甘露寺忠長(一四三六没)による写本と推定される。現状の綴じた状態でのマイクロフィルム撮影からのスキャン画像がWeb 公開されている。
○金輪法・尊勝法・如宝尊勝法[ヨ2―80]
 ※巻子一軸。新補表紙。本紙一一紙。縦一七・九×(①三・四+②四八・〇+③四八・二+④四八・二+⑤四八・一+⑥四八・一+⑦四七・九+⑧四一・八+⑨四八・三+⑩四八・一+⑪一四・〇cm:直に軸付)。端裏なし、登記ラベル「208615 /平成27
年3月4日」。天地各一本墨界、界高一四・一、界幅二・二cm。朱区切り点・返点・仮名、墨返点・仮名あり。裏書あり(紙背文書ではない)。本文と同筆の本奥書
「建永二年(一二〇七)正月十日伝受了、遍智院/僧正御房御判写本云、建永元年十二月廿二、於上醍醐中谷/理趣房書写了、求法沙門勝海写本云、貞応元年(一二二二)八月廿三日、於遍智院受之、
  同二年六月四日、以御本校合之、/金剛仏子道教
  徳治三年(一三〇八)三月二日、於瑜開日光/谷書写了、求法隠士房玄〈生年廿七、〉」
 守覚『秘鈔』第二の抄出で、本文は金輪法・尊勝法で、如宝尊勝法は尾題のみあり。
(藤原重雄)

『東京大学史料編纂所報』第56号