編纂・研究・公開

所報 - 刊行物紹介

2.東京大学駒場図書館所蔵『本朝世紀』の調査・撮影

 二〇二〇年一〇月より、東京大学駒場図書館所蔵の第一高等学校旧蔵本(以下、一高文庫本)のうち『本朝世紀』全冊を外部業者(インフォマージュ)に委託して撮影した。撮影画像は東京大学学術資産等アーカイブズ共用サーバに搭載してWeb 公開、また史料編纂所データベースにも登録の予定である。同館図書館サービスチーム専門員の宝来貴子氏には種々ご手配を頂いた。記して謝意を表す。以下、Web 公開用の説明資料及び書誌を掲げる。
 『本朝世紀』は、六国史が途絶した後の年代を補うものとして、藤原通憲(信西入道:一一〇六~五九)により編纂された歴史書である。完成には至らなかったが、平安時代中後期の動向を押さえる基本的な史料となっている。現在まで研究に用いられているのは、『新訂増補 国史大系』(吉川弘文館、一九三三年)の活字本で、翻刻の底本を伏見宮蔵(現在は宮内庁書陵部蔵[伏-四一七])の二二巻とし、その欠脱を補うものとして一高文庫本が採用された。現存する『本朝世紀』は約四七巻で、実際には一高文庫本に拠って収録された分量の方が多いことになる。
 一高文庫本は江戸時代中期の書写にかかるが、享保七年(一七二二)に幕府へ贈るため霊元院が伏見宮本を書写させた際に生まれた写本に由来すると思しい三部のうちの一部で、兄弟関係とみなされる三部間の優劣は不確定ながら、『新訂増補 国史大系』の底本となったことから、伏見宮本に次ぐ善本との位置づけが与えられている(他の二部は、京都御所東山御文庫本[勅封五三-一、五四-一]および宮内庁書陵部所蔵藤波本[二一七-四五二]で、前者は史料編纂所図書室の端末にて閲覧可能)。一高文庫全体のなかでも、前近代日本史史料という観点からは、最重要な書目の一つと評価できよう。
 『本朝世紀』は諸本間での異同が少なく、『新訂増補 国史大系』も、字体を含めてかなり忠実な翻刻を意図しており、相対的には、写本に戻って検討する場面の少ない史料ではあるが、逆に言えば、一高文庫本の画像Web 公開によって文字の読解を固められることにもなる。すでに伏見宮本の画像は、史料編纂所と国文学研究資料館とから重複してWeb 公開されており、一高文庫本の公開ができれば、『新訂増補 国史大系』の底本を誰もが参照できる状態となる。急速に進む古典籍画像Web 公開の状況下、公的機関である所蔵者側としても、特に公開の必要性が高い書目となろう。現在、画像がWeb 公開されている主要な写本としては、伏見宮本の他に、宮内庁書陵部所蔵柳原本[柳-五五九]二二冊があり、比較も可能となる。
 また『新訂増補 国史大系』に固有の問題として、いわゆる異体字まで、形を模した活字を作成して出版しており、印刷本の制約下、原本をできるだけ再現しつつ、整理された本文を提供しようとする意志が、かえって今日の読者には利用しにくくなっている面も否めない。一高文庫本の画像公開に続けて、用字を単純化したフルテキストを史料編纂所データベース登録することによって、学界・社会へ寄与することも可能であろう。
【参考文献】宮内庁書陵部編『図書寮典籍解題』歴史篇(養徳社、一九五〇年)、橋本義彦「本朝世紀」(『国史大系書目解題』上、吉川弘文館、一九七一年。『平安貴族社会の研究』同、一九七六年、再録)。
【書誌】袋綴冊子、全四八冊。同一体裁。数筆の寄合書で一冊中でも分担あり。目録冊。二九・七×二〇・六cm。包背装。渋斜め刷毛目表紙、綴糸外れ紙縒にて仮綴。左上黄貼紙外題「本朝世紀目録 全」。右上隅ラベル「三門/い別/30号」、右下に登記番号ラベル。墨付六丁+前後遊び紙。一丁オ、内題「本朝世紀」、朱丸印「第一高等中学校図書/中央閲覧室用」、上部に朱方割印「第一高/等中学/校図書」。「承平五年〈五月・六月〉 一」より「同(仁平三)年〈自七月至十二月〉 四十七」まで。第一冊。二九・六×二〇・六cm。外題「本朝世紀〈一〉」、扉題「承平五年〈自五月至六月〉 本朝世紀」。扉、前遊び紙、墨付五丁、後ろ遊び紙。以下、冊次の編成は前掲橋本解題附表を参照。『新訂増補 国史大系』にて合巻されている巻は以下。第六冊は天慶五年〈三月・四月〉、第七冊は同年〈自二月至五月〉、第八冊は同年〈自五月至六月〉。第十五冊は長保元年〈自二月六日至三月七日〉、第十六冊は同年〈自三月八日至六月廿九日〉。第二十九冊は久安二年〈正月・二月・三月〉、第三十冊は同年〈四月 五月〉。また扉後ろの遊び紙ウに「史官記」とあるのは、第二・五・六・九・十・十一・十三・十四・二十三~二十七冊。除去すべき附箋若干あり。第三十七冊では「裏書」が錯簡。
(藤原重雄)

『東京大学史料編纂所報』第56号