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所報 - 刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十八 東大寺文書之二十四

 本第二十四冊収録の文書は、東大寺文書(未成巻文書)第1|24(寺領部 雑荘)の336から549までであり、小番号単位も含め若干の調整をすると、二七六点である。
(中略)
〔1-1(伊賀 黒田荘)〕
対象と判断されるのは二二点である。これらは、近年刊行された『三重県史』によってカバーされている。
(嘉暦三年〔一三二八)カ)七月二十八日伊賀黒田荘執行僧某申状(二三四〇号)は、従来、平安時代のものと考えられてきたが、関係文書によって修正した。現地荘官である執行のたどたどしいかな書き文書である。
(正慶元年〔一三三二〕)十一月十六日東大寺西室信聡カ御教書(二一九九号)と(永仁四年〔一二九六〕カ)七月二十二日賀茂別雷神社年預衆書状(二二〇〇号)とは、現在、1-24-388として架蔵されている二紙からなる書状の一部であって、現状の第一紙は二一一九号、第二紙は二二〇〇号の一部である。これまで、全く別の文書を継ぎ合わせひとつの文書としていたために、文意が通じなかったものを、今回正しい原状に復元できた。二一九九号の西室は寺内の有力院家であり、この時、朝廷との交渉役であった。知行国伊賀をめぐって、西室と惣寺とで齟齬が生じており、苦慮する西室の様子が窺える。
一方二二〇〇号は、木津川による伊賀国東大寺領の年貢運送の押領に関するもので、東大寺から犯人追捕を依頼された領主賀茂別雷社よりの返答である。賀茂側は、自分の領地の人間であっても現在は他領におり追捕はできないと回答している。この地域の悪党取り締まりの困難さを示している。
(中略)
〔その他〕
次の二点は大変興味深い内容ではあるのだが、さらなる探究が必要である。
(南北朝期頃カ)月日未詳大進殿才々分注文(二二五二号)。内容からみて、大進公に譲渡する北伊賀の荘園所職と奈良の屋敷、武具、茶具足の書き上げと考えられる。武具の多さが目を惹く。手掻少進房などの僧名も見えており、境内の転害門近隣に僧房のあった学侶に関わる可能性が高い。内容・筆跡・料紙などから南北朝期と推定したが、なお後考を俟ちたい。
応仁三年(一四六九)二月三日某方政所内加具注文(二一九四号)。単に「政所」としかなく、また差出の若井源左衛門なる人物も不明である。可能性としては、東大寺別当政所と荘園政所のふたつがある。室町中期の東大寺文書に見えるのは、後者の荘園政所である。すなわち播磨大部荘と遠江蒲御厨である。いずれかの荘園政所の設備をうかがわせるものではないか。四六品目のうち、半分以上は調理・饗膳関係であり、中には茶桶・茶臼もあり、折敷が大小一五枚ある。寄合の場としての側面を窺わせる。さらに流鏑馬具足として、狩衣・矢・鐙なども見えている。これは荘園の祭礼神事の道具であって、いわば荘園の共有財として政所が管理していたことの証拠となるものだろう。

以上、散漫な紹介に終始したが、本書の利用の一助となれば幸いである。また重ねての案内にはなるが、『大日本古文書 東大寺文書』は、史料編纂所の古文書フルテキストデータベース・日本古文書ユニオンカタログデータベースを介して利用することで、その研究資源としての効能は発揮される。そのための、データベースの整備にも心がけており、データベースの利用をお願いしたい。なお本冊は、JSPS18H03583による調査成果を反映している。
(例言四頁、目次二一頁、本文三五一頁、花押一覧六葉、本体価格九、〇〇〇円)
担当者 遠藤基郞

『東京大学史料編纂所報』第55号 p.52-57