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所報 - 刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十九 醍醐寺文書之十四

本冊には、前冊に引き続いて、醍醐寺文書(醍醐寺所蔵)の第十九函七十号から第二十一函六十号に相当する文書を、整理番号の順に収めた。本冊における文書番号は第三一二一号から第三三三一号までである。
本冊所収文書の年代は、南北朝・室町時代のものを中心として、鎌倉時代から江戸時代まで及んでいる。
第十九函相当部分は、抄物・聞書のような純粋宗教的な内容のものが多くなっている。なかでも、第三一二五号「別授菩薩戒略作法」は、全二二頁に及ぶ長大なものであるが、享禄四年に堺の正法寺で書写された浄土宗西山流の系統のものと思われ、浄土系の聖教までもが含まれていることは興味をひかれる。また、第三一三五号「法華経大意抄物」、第三一三六号「出入息覚書」、第三一三九号「倶舎頌疏抄物」は、いずれも戦国期の理性院主である厳助の筆にかかるもので、その前後の聖教も厳助もしくはその周辺に伝来した聖教である可能性がある。第三一四六号「五社講伽陀」の紙背には、連歌懐紙が存する。
第二十函相当部分は、南北朝期の所領・所職の譲与関係、後七日御修法関係などの文書を中心とする。第三一六九~七一号は、建武年間の大智院をめぐる相論に関するもの、第三一七五号、第三一七七~七九号は報恩院・釈迦院関係、第三二一五~一八号は近江香庄関係、第三二二五号は勝倶胝院関係、第三二二七号は伊豆山密厳院関係である。また、三宝院賢俊の譲状・置文の類が多くみられるのも特徴のひとつで、第三一七六号、第三二一九~二四号などがそれにあたる。
第二十一函相当部分は、前の函に引き続き、南北朝期の所領関係、三宝院賢俊関係、後七日御修法関係の文書を中心とする。第三二六四号は遍智院・覚洞院をめぐる賢俊と聖尊法親王の和与状、第三二六九~七三号は丹後志楽庄関係、第三二七六~八〇号は近江香庄関係、第三三〇九号、第三三一三~一八号は尾張国衙領関係である。
なお、第二十一函は未了であり、次冊へ続くものである。
(例言三頁、目次二三頁、本文三一八頁、花押・印章一覧七丁、花押・印章掲載頁一覧表一丁、本体価格八、二〇〇円)
主担当者高橋慎一朗

『東京大学史料編纂所報』第42号 p.41*-42*