モンスーン・プロジェクトⅢ
活動報告
2026年8月31日、アムステルダムのホイヘンス・オランダ歴史文化研究所Huygens Instituut voor Nederlandse Geschiedenis en Cultuurを訪問しました。
参加者は、メンバーでオランダ東インド会社(VOC)史研究者の大東敬典、陳瑢真さん(台湾/國立暨南國際大學)、松方冬子のほかに、中村覚さん(東京大学史料編纂所、人文情報学研究者)、吉村雅美さん(日本女子大学、日本近世史研究者)です。
終始、和やかな雰囲気の中で、活発な議論が交わされました。
東京大学史料編纂所とホイヘンス研究所の置かれた状況に多くの共通点があり、大きな共感を覚えるとともに、状況や時代の変化への対応方法における日蘭の違いを感じました。さらに、デジタル化とオンライン公開、AIの登場によって世界の歴史学は大きく変化しようとしていますが、人間同士の信頼関係が重要であることに変わりはないと思えた半日でした。
以下に、参加記を掲載します。また、Globaliseのシステムの積極的な利用者・活用者である台湾の陳瑢真さんからのコメントも掲載します。
【参加記】
ホイヘンス研究所は、アムステルダム中央駅から歩いて10分ほどの運河沿いにある。中に入ると、廊下の壁に貼られたタイルが印象的な建物であった。
ホイヘンス研究所は、2011年に王立オランダ科学アカデミーKoninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen (KNAW)傘下の研究所として設立された。ホイヘンスの名前は、17世紀の政治家・詩人であるコンスタンティン・ホイヘンス Constantijn Huygensからとっている(したがって、もともとは文学の研究をしていたと理解している)。2011年に、オランダ史研究所Instituut voor Nederlandse Geschiedenis(ING)と合併して、現在の姿になった。INGは、1902年以来の伝統を誇り、オランダ史のための史料集である『国家歴史出版Rijks Geschiedkundige Publicatiën (RGP)』シリーズを出版していた、オランダ版の史料編纂所とも言える研究所であった。
東京大学史料編纂所では、2009年にINGとともにセミナーをデン・ハーグで共催したことがあり(東京大学史料編纂所・オランダ歴史研究所との共催セミナー開催)、今回の訪問はそれに続くものである。当時も、史料編纂所とINGの置かれた状況に多くの共通点があり、大きな共感を覚えるとともに、状況や時代の変化への対応方法における日蘭の違いを感じたものであるが、今回もまた同じような感想を抱いた。
日本人が最後の最後まで旧来のやり方と制度的な枠組みを維持しようとするのに対し、オランダではむしろ状況の変化に先んじて、やり方や枠組みを新しくしようとする傾向がある。したがって、彼らの姿は「史料編纂所の近未来」を想像させるものではあるが、同時に、我々には別の選択肢があるだろうこともまた浮き彫りになった。

まず、ホイヘンス研究所を拠点とするプロジェクトであるグローバライズGlobalise の皆さんと意見交換を行った。先方の参加者は、Globaliseの代表者のMatthias van Rossumさんと、Manjusha Kuruppathさん、Lodewijk Petramさん、広報担当のMelinda Susantoさんである。Matthiasさんは、オランダ東インド会社史のご専門で、奴隷制などの研究をされている。Manjushaさんも同じくVOC史の専門家で、VOCがもたらした情報が当時のオランダの演劇等に与えた影響についての著書がある。Lodewijkさんは現在、Globaliseで情報学的な研究をされている。
Globaliseは、ウェブサイトに載せられている端的な説明によれば「研究者と一般社会のために、初期のグローバリゼーションと植民地主義の歴史の鍵を開けるUnlocking the history of early globalisation and colonialism for researchers and the general public」ためのプロジェクトである。2022年1月に開始し、AIを利用してVOC文書のうち「東インドよりの到着文書集Overgekomen Brieven en Papieren (OBP)」の翻刻データを作成し、研究データベースを構築してきた。今年12月に終了予定である。
メンバーの大東敬典は、2025年2月ホイヘンス研究所にGlobaliseを訪問、2025年12月にGlobalise主催のオンライン・ラウンドテーブルに参加、さらに2026年3月にGlobalise主催の国際学会 “ Colonial Pasts, New Approaches and Historiographical Futures: Explorations of GLOBALISE, the Dutch East India Company Archives and the writing of new histories”にも参加した。今回の訪問は、これらの交流の積み重ねの上に実現した。
会合ではまず、Globaliseが行ってきたVOC文書のテキスト認識が話題になった。史料編纂所側で中村さんが準備をしてくださったこともあり、話はいきなり佳境に入った。残念ながら、この分野についてまったくの素人である私はついていくのが難しかったが、素人なりに理解したことは、テキスト認識にはいくつかの段階(レイヤー)があり、レイヤーごとに必要とされる情報学的専門知識は異なるということである。レイヤーは、とりあえず下記の①②③のようにわかれる。
①紙面の中のテキストの構造を明らかにする。VOC文書は、本文に加えて、(手紙であれば)宛名や署名、(日記であれば)日付や曜日などが、構造的に配置されている。また、商品の一覧などの場合は表組でわかりやすく示されていることもある。このような2次元的な配置は人間の目にわかりやすいのであるが、コンピュータには難しいらしく、構造や配置が複雑になると苦戦するとのことであった。
②テキストそのものの認識
③認識したテキストの単語をカテゴリー(地名、商品名、役職名など)にわけて認識することである。Globaliseでは、一つ一つをきちんと定義(「長崎の奉行」のうち「長崎の」は、「形容詞的な地名」と定義される)したうえで、タグ付けしているとのことであった。タグ付けは、10分の1程度を人力でやり、それを教師データとして、残りをAIにやらせたとのことである。
次に、VOC文書とそれ以外の史料群との連携も問題になった。Globaliseとしては、地域史料、つまり「海外の(たとえば日本語の)史料」と連携したいとのことであったが、オランダ国内の地域史料との連携については、個人の研究者の努力に委ねられているように見受けられた。日本語史料の場合、多くがまだ個人所蔵になっており、利用に際してまずは所蔵者との個人的な信頼関係の構築をしなければならない場合もあるということを説明した。吉村さんが、平戸の個人所蔵文書の調査風景の写真をノートPCに投影して紹介したところ、大きな関心が寄せられ、オランダ側研究者がPC画面をスマホで撮影する光景が印象的だった。
そのほかに、ホイヘンスとVOC文書原本を所蔵する国立文書館Nationaal Archief(NA)との協力関係や仕事のすみ分けの問題や、技術革新がもたらす歴史学の世界的な潮流への影響(グローバル・ヒストリー化)、Globaliseの成果をオランダのみならず世界中の学生の教育に反映させていく取り組みなどが話題になった。
Globaliseはあと3か月ほどで終了する。それまでに、さらに多くのデータを公開する予定とのことであった。終了後は公開したデータの品質管理はできないため、ユーザ同士の相互監視に依存せざるを得ないという見通しが示された。しかし、データがハイジャックされる危険性もあるとのことで、いろいろな意味での試行錯誤が続くことがわかった。
総括として、プロジェクト開始時に期待した以上の成果を上げたとの感想が示された。
◆
次に、ホイヘンス研究所データ・コレクション部門(D&C)長のSebastiaan Derksさんとの会談が行われた。Sebastiaanさんは、イタリア史がご専門で、以前NAで勤務されていた。Globaliseとの会合とは異なる観点からの交流を行うことができた。
Sebastiaanさんの仕事の中心は、研究所の中心的な研究者にプロジェクトを組織させ、予算を獲得するために下記のような仕事をすること、とのことであった。
A 採択率を上げるため、他機関との連携により予算を申請する
B 専門の研究者だけでなく、社会へのインパクトを説明する
C 研究所内でも、人文学者だけでなく、デジタル・インフラストラクチャー部門(DI)の情報学研究者・技術者との連携を模索する
ホイヘンス研究所は、KNAWの中で、オランダの言語や文化を扱うメールテンス研究所Meertens Instituut, 社会史を扱うInternational Institute of Social History (IISH)とともに、130人の研究者(約半数がパーマネント、残りが任期付きプロジェクト雇用)を擁するHumanities Clusterを構成している。このうち、ホイヘンス研究所、メールテンス研究所、IISHそれぞれの組織に属する研究者は合計約60人、さらに3研究所に共有の部門としてのD&C(合計約40人)とDI(合計約30人)があり、図1のような構造になっている。

(図1)
プロジェクトのための予算を申請する際、たとえばホイヘンス研究所で企画したプロジェクト案はまずD&Cが見て、DIとどのような連携がありうるかを考える。ホイヘンス研究所とDI部門の考え方は相当違うため、すり合わせは難しく、すり合わせができないと、「ホイヘンス研究所単独でやれ」になる場合もあるとのことである。

Sebastiaanさんとの会合の後、最初の会合のメンバーおよびGlobaliseのメンバーの一人で言語学者Leon van Wissen氏も参加して昼食会が開かれた。
最後に、今後とも連絡を取り合い、協力を模索することを約して散会となった。
今回のGlobalise訪問は短い時間であったが、たいへん貴重な機会となった。この機会を準備してくださったメンバーの大東さんに感謝します。

【Globaliseの利用者としてのコメント】
Globaliseプロジェクトは、VOC(オランダ東インド会社)史料に関心を持つ世界中の研究者に対し、利便性に優れたオープンな活用基盤を提供している。その最大の貢献は、膨大な画像史料を検索可能なテキストデータへと変換し、手作業による翻刻・筆写にかかる時間を大幅に短縮した点にある。これにより、利用者は関連史料を迅速に検索・特定できるだけでなく、テキストデータをダウンロードして直接分析に供したり、AIツールを活用した多言語翻訳へと展開したりすることが可能となった。
ただし、自動認識の精度は万全ではなく、原本の保存状態や筆跡の明瞭度、文書の類型によって差異が生じる。そのため、研究における正確性を担保するには、人手による目視確認と校正が欠かせない。本システムを真に活用するためには、利用者自身にも基礎的な古文書の翻刻・解読能力が依然として要求される。
このようにいくつかの課題は残されているものの、本システムが史料の利便性を高め、今後の歴史研究の可能性を広げる一助となることが期待される。
2026年6月8日(月)、オランダよりライデン大学助教Lennart Bes氏を迎え、オランダ語史料の編纂・公開の現状と課題について意見交換を行いました。
日時:2026年6月8日(月)15:30~17:45
会場:史料編纂所205室
使用言語:英語
近年とくにオランダにおいて、オランダ語史料の電子公開や、AIを利用した史料翻刻・翻訳が急速に進み、従来の史料編纂や公開のあり方をめぐり国際的な議論が生じている。
2025年12月には、ハイヘンス研究所の Globaliseプロジェクト 主催で下記のオンライン・ラウンドテーブルが開催され、Bes氏、現在本所で研究活動に従事しているTristan Mostert氏、大東敬典(全員本プロジェクト・メンバー)が参加した。
online roundtable “The Changing Archive: Digitization, Translation, and Historical Research on the Early Modern Indian Ocean World.”
こうした現状を踏まえ、Bes氏、Mostert氏、大東の3名が、同問題についてさらに意見交換を行った。

2026年5月16日(土)、5月19日(火)に、それぞれ京都と岡山で2つの国際研究集会を開催しました。
【京都】
「海域アジア史研究会2026年5月例会」
日時:2026年5月16日(土)13:30〜17:00
会場:同志社大学烏丸キャンパス志高館1階SK101教室
使用言語:日本語・英語
共催:東京大学史料編纂所共同利用・共同研究拠点特定共同研究(海外史料領域)「オランダ東インド会社文書研究資源化のための国際的研究ネットワークの構築」
本研究集会は、海域アジア史研究会との共催で、ハイブリッド形式で開催された。参加者は対面12名、オンライン8名、合わせて20名だった。本研究プロジェクトから、現在史料編纂所において研究活動に従事しているTristan Mostert氏が登壇した。
「海域世界からディアスポラの今を見る:マレーシア・ペナン島におけるタミル系ムスリムの経済活動の変遷から」
中島咲寧(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程、日本学術振興会特別研究員(DC1))
“Clove War: The Power Dynamics of the Eastern Indonesian Archipelago and the Struggle for Access to a Global Commodity”
Tristan Mostert (Leiden University)

【岡山】
International Workshop “Bridging Time and Space: Cultural Interaction in Early Modern Asia and European Sources”
日時:2026年5月19日(土)15:30〜17:30
会場:岡山大学津島キャンパス文法経1号館・多文化共修スペース
使用言語:英語
主催:岡山大学文学部東洋史研究室
共催:東京大学史料編纂所共同利用・共同研究拠点特定共同研究(海外史料領域)「オランダ東インド会社文書研究資源化のための国際的研究ネットワークの構築」
本研究集会は、岡山大学文学部東洋史研究室との共催で、対面形式で開催された。参加者は8名だった。本研究プロジェクトから、Tristan Mostert氏と大東敬典が登壇した。
“Clove War: Struggle for Access to a Global Commodity in the Eastern Indonesian Archipelago, c. 1600-1660”
Tristan Mostert
“Indian Textiles Varieties and Their Names in Early Modern European Sources: Issues of Translation”
Ikuko Wada (Okayama University)
Comments: Norifumi Daito (Historiographical Institute, The University of Tokyo)


両研究集会を通じて、海域アジア史、東南アジア、オランダ東インド会社に関心を持つ研究者や学生と交流した。交易ディアスポラ、商品史、オランダ語史料など共通の話題を得て、有益な議論を行うことができた。
趣旨とメンバー
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