行動する人の歴史

活動報告

2022年3月30日、対面で第8回研究会を開催しました。

第8回研究会(行動する人の歴史)

(参加記)
 2022年3月30日、本郷キャンパス史料編纂所会議室で、この企画研究の最後の研究会が対面で行われました。今回は江口さんが進行役を務められ、行動する人の歴史・力はどこからくるか」という企画の趣旨・切り口や、その背景となっていた松方さんの現状の歴史学に対する認識をめぐり、これまでメンバー間でどのような議論があったのかを振り返りながら、各メンバーにインタビューをするという形式で進められました。ライターである江口さんが、メンバー間での認識のずれについて、鋭く、かつあたたかなご指摘を次々に展開され、それを受けて各メンバーが率直に意見を述べるなかで、3時間(そのあとの「おしゃべり」を含めると計5時間)があっという間に過ぎてしまいました。やりとりのなかから、様々な興味深い問いが浮かび上がり、そのひとつひとつからさらに議論を深めることができそうでしたが、一例を挙げるならば、「ことば」をめぐる認識や使い方のずれについて、活発な意見交換が行われました(例えば「権力」「民衆」など)。これらのことばについての理解が、メンバーによってどのように異なっていたかが明らかになるとともに、そのずれ自体を考察することが、歴史や社会の捉え方にかかわる重要な問いを提起していることも浮かび上がってきました。また、こうしたことばが異なる場面でどのように使われ、理解されてきたのかを、様々な時代・地域の事例をもとに検討することの意義や、それに関連する「翻訳」の問題についても議論が発展しました。「ことば」をめぐる認識をはじめ、今回の研究会でも前回までと同様に、メンバー間での歴史学に対するアプローチのしかたの違いが明らかになりましたが、そうした相違自体もまた、多様な歴史研究のあり方を示すものであり、そこにもまた、「新しい歴史学」を考えるうえでの手がかりがあるように感じました。コロナ禍のなかで、思うように研究交流ができないなかで、この2年間、こうして専門とする時代、地域の異なる歴史研究者のあいだでの率直な意見交換の場をもてたことはたいへんありがたく、企画者である松方さんをはじめ、メンバーのみなさまに、この場を借りて改めて感謝申し上げます。また今後、別の場を通じて、この企画研究を通じて提起された様々な問いについて対話を続けていければと願っています。

(文責・井坂理穂)

2021年11月29日、対面で第7回研究会を開催しました。

 2021年11月29日、本郷キャンパスにて対面で第7回研究会を開催しました。これまでの研究会が主に皆で話題を持ち寄り議論する形式であったのに対し、今回は、三枝暁子さんに約1時間、まとまった形の発表をしていただきました。タイトルは「地域史」(=「民族史」)から考える」。前回の研究会で出た「誰の歴史を語るのか」という問いを受け、三枝さんがこれまでのご自身のご経験をふまえた話をしてくださいました。
 最初に着任された大学で、三枝さんは「京都学専攻」の創設に関わることとなりました。「歴史都市・観光都市」である京都について、文学、地理学、歴史学といった枠組みを超えて学ぶことを目指す計画であり、その学際性から得るものもあったそうですが、実際に授業を担当される中で、さまざまな課題に直面したといいます。根底には、京都という地域と、そこに暮らす人々を主対象とする地域連携型の学問の構築を目指すものの、その取り組みが、教育・研究上の内在的な問いからではなく、大学の経営上の動機から生み出された計画であったことから生まれた齟齬がありました。また、この新しい動きを受容し希求する土壌が地域社会の側にも形成されておらず、専門性がともすれば不明瞭になりがちな学生を実習に受け入れてくれる機関や団体は、多くはなかったといいます。
 三枝さん自身は、京都の中でも、特に旧北野天満宮領である西京を長らく研究対象としてこられました。「保」と呼ばれる地域に暮らす領民たちは、神事に奉仕しつつ、酒造りに必要な麹の生産や販売に従事し、神人(じにん)と呼称されてきました。現在も神輿作りに使われる千日紅が栽培され、西京瑞饋(ずいき)神輿保存会が形成されています。農家の多い地域でしたが、1960年代以降急速に都市化が進み、2018年には、京都市内最古級であった町家も解体されてしまいました。地域の歴史をいかに伝えてゆくかという問題に、三枝さんも研究の中で直面してきたのです。
 前任校での勤務のご経験と、2003年以来のご自身の研究の双方から、「地域史」を考えることの課題に必然的に向き合ってきた三枝さんからの問題提起をうけ、参加者からはさまざまな質問が出ました。個人のみでなく共同体の歴史を問う必要がある一方で、「民衆」と呼称すること自体に、一人一人の人間の存在を軽んじる危険性はないかという指摘などは、「誰の歴史を語るのか」という課題の難しさを示していたように思います。また、特定の地域の歴史を問うことは、ひいてはその地域が交流をもってきた別の地域との関係史を問うことなどにも繋がり、グローバルになり得るとの意見も出されました。三枝さんのご発表は、具体的な内容であると同時に、この研究プロジェクトのテーマの根幹を考えさせてくれるものでもありました。

(文責・永井久美子)

2021年10月5日、対面で第6回研究会を開催しました。

 東京の感染状況もやや落ち着きを見せ、今回の研究会は対面で開催されました。7月のオープンセミナーに関する反省会(第5回研究会?)を8月に行った際に、全体ピクチャー、「語る」ことについての3人の報告、聴衆の皆さんを交えてのディスカッションという3つの部分が、それぞれ光るところはあるものの、必ずしも有機的に結びつかなかったのではないかという感想が出されていました。そこで今回は、一端立ち止まり、プロジェクトの趣旨について話合い、メンバー間での共有点を探ることとしました。
 まず、稲田奈津子さん、三枝暁子さんからプロジェクトの趣旨について忌憚のないご意見を出していただきました。次いで永井久美子さんから次回オープンセミナーの題材として北条政子を取り上げ、「語る」ことと関連して検討する可能性についてご説明をいただきました。
 プロジェクトについての意見としては、たとえば、動詞をkey にして検討するとして、時空を超えた共通性に注目するのか?多様性をどのように考えるのか?7月のオープンセミナーでは「語る」という動詞に注目したが、動詞はいくらでもあげることができ、今後プロジェクトをどのように紡いでいくのか?といった疑問が出されました。
 プロジェクトの根幹にさらに関わる問いも出されました。新しい歴史の語りが必要とされるのはなぜなのか?「今、ここ」を共有している限り対話は成り立つはずと言っても、「今」をどのようにとらえるのか?歴史「を」ではなく歴史「で」語るということなのか?何のために何を語るのか?
 これらに対しては、発信を意識した歴史なのではないか、今の段階でグランドピクチャーを目指すものではないなどの感想、意見が出されましたが、短い時間で意見の収斂・一致を見るには至りませんでした。そこで次回も引き続き同じテーマで議論を続けることとなりました。

(文責・後藤春美)

2021年8月30日、第5回研究会を、オンラインで開催しました。

おもにブレークアウト・セッションを使って、7月開催の第38回オープンセミナーの振り返りを行いました。ライターの江口絵理さんにもご参加いただきました。内容面だけでなく、「議論の場の作り方」も話題になりました。

第5回研究会(行動する人の歴史)


2021年7月9日、 第38回東京大学HMCオープンセミナー「語る力が権力を作る?―歴史からの問い―」を開催しました。

報告者は報告順に、松方冬子、水野博太、後藤春美、井坂理穂です。197名の方々から参加登録をいただき(関係者含む)、実際に109名の方にご参加いただきました。有難うございました。

2021年7月9日第38回東京大学HMCオープンセミナー

(参加記)
 私たちのとりくんでいる企画研究も、早くも1年目を終えることとなり、今日はその成果を発表すべく、HMCのオープンセミナー(オンラインで開催)にメンバー4名が登壇しました。「語る力」と「権力」の取り合わせが時宜にかなったものでもあったからか、200名に迫る参加申し込みがあり、熱気に満ちたセミナーとなりました。

 はじめに、企画研究の代表者である松方冬子さんから、本企画研究の趣旨説明がなされ、「動詞」に着目するという本企画研究の趣旨が、アカデミアの枠組みをも超えた歴史学の新しい足場づくりとしての意義をもっていること、その足場がときに時間軸や空間軸をも止揚して形成され得るものでもあることが確認されました。次いで本セミナーの趣旨についての説明がなされ、経済権力や軍事権力、宗教・学術権力など、様々な権力の複合・補完によって様々な地域・時代の「国家」の性格も規定され得るなか、現代日本の政治家の「語る力」をどのように評価すべきか、様々な時代や地域の事例と結び合わせることで普遍化していく必要のあることが確認されました。

 以上の趣旨説明を受け、まず水野博太さんが、19世紀日本における「演説」について取り上げ、報告しました。水野さんによれば、「演説」という言葉は、明治初頭に西洋文化にふれた福澤諭吉がspeechの訳語として造語したということです。福澤は、人々が集い議論し意思決定を行って社会を動かしていくことを願い、その手段として「演説」を重視し、「演説」を機能させるための「体裁」にもこだわりました。しかし、落語や講談などを「演説」の起源であると評価することで福澤の「演説」論を批判する者が現れたり、「演説」の効果を無にしかねない「根回し」の慣習が根強く存在したりしたことなどから、「演説」が日本社会に定着することはなかったということでした。

 次に後藤春美さんが、1940年にイギリス首相となったチャーチルの「語り」を取り上げ、その特徴について紹介しました。チャーチルの演説は、首相となった直後の6月に議会で行ったものをはじめ、特に戦時のものが有名です。その内容は最悪の事態にもふれ、国民に自分たちと同様あるいはより明瞭に状況を理解していると感じさせた上で、「これが聞きたかった!」と思わせる、国民の願望に合致した内容でした。それゆえチャーチルは国民の信頼を得ることができました。そしてこのような、国民の願望にかなった「語り」という特徴は、昨年4月、コロナ禍のなかで発せられたエリザベス2世女王のスピーチにもみられるもので、チャーチルもエリザベス女王も、前者はドイツとの「戦い」を後者はコロナとの「闘い」を、ともに「語る力」によって支える演説を行ったという点で共通していたということでした。

 最後に井坂理穂さんが、20世紀前半のインドで非暴力・不服従運動を展開した人物として著名なガーンディーの「語り」について紹介しました。ガーンディーは、多様なテーマについて語る人であり、英語、ヒンディー語、グジャラーティー語による膨大な分量の『全集』が刊行されているということです。彼にとって私と公の領域は分けることができず、彼はあらゆる面に関して「真理」の探究を掲げ、その模索の過程を語っていたそうです。言葉ばかりでなく、行為や身体を通じた発信力ももっていました(例えば糸紡ぎ姿など)。さらに彼は対話を重視し、広範な人々の間で共有できる「ことば」を模索しました。そうした彼の語りを記録し、様々なかたちで伝えていった人々の役割にも注目する必要があるということでした。

 以上3つの報告を受け、参加者の方々からチャットとsli.doを通じ質問や意見を受け付け、討論となりました。企画研究の趣旨や個別事例報告の内容について補足説明を求める質問や、「語り」が持つ力の限界をどうみるか、「語る力」と対照的な「黙る力」をどのように評価するか、など、多岐にわたる質問がありました。ここで逐一紹介することはできませんが、コロナ禍のなかでの女性指導者の「語り」やポピュリズムの動向、トランプの「語り」をどのように評価するか、いままさに日本や世界で起きていることと関連している質問や意見の多かったことが、強く印象に残りました。

 参加しながら、たえず自分が主に研究している14~16世紀の日本の「語る力」について考え続けていました。水野さんの報告をきいて、福澤の重視した集団の形成や意思決定のありかたについては、寺院大衆による「集会(しゅうえ)」や、村落における一揆などが思い浮かびましたが、「演説」に対比できる「語り」はあったのか、音声資料がのこらず、史資料の種類も限られている時代の「語り」をどのように捉えたらいいのか、しばし考えこんでいます。一方、参加者から、トランプの「語り」とチャーチルやエリザベス女王との「語り」の力の違いは何かという質問があった際に、松方さんが前者は「排除」の「語り」であり、後者は「包摂」の「語り」であると回答されていたことに目の開かれる思いがしました。分断の進む日本や世界で、改めて「包摂」の「語り」がもつ力に目を向けてみる必要を強く感じました。

(文責:三枝 暁子)

2021年6月1日、はじめて対面で、第4回研究会を開催しました。

ライターの江口絵理さんにもご参加いただきました。7月9日に予定している、オープンセミナーの準備をしました。

(参加記)
 第4回研究会は、初めての対面での実施となりました。「語る」という動詞をキーに据えることに決まった7月のオープンセミナーに向け、「語る」とは何かについて「語り」あいました。多くの名演説が記憶される社会、パフォーマンスに伴って「語り」が存在する社会、文字記録を媒介とした「語り」、琵琶法師のような文学的「語り」など、時代や地域によってバラエティーに富んだ「語り」が存在し、その対象や目的も様々であることが確認されました。また、たとえば日本は「語らない文化」と考えられがちですが、それも「黙る」「待つ」といった能動的選択行為と捉えられるとの指摘も新鮮でした。

 議論は、現代日本の政治家の「語り」や欧米諸国との違い、さらには英国・インド・米国の「語り」をめぐる文化・社会についての実体験を交えた話題へと展開しました。いずれも大変興味をそそられるお話しだったのですが、内容が内容だけに、ここでは泣く泣く省略させていただきます。

 主催者の松方さんからは、あらためて本研究のめざすところが語られました。極限まで実証研究が進められた日本史研究の中にあって、国際性をもつ普遍的な議論との乖離がますます広がっていることを実感されているとのこと。それをつなぐ架け橋として、専門分野の枠を超え、現代に生きる研究者としてのつながりから出発し、普遍的な課題へと取り組んでいきたいとのことでした。私自身はふだん東アジアの範囲内で考えることが多く、欧米中心ではない普遍性という観点には賛同しつつも、めざされる普遍性と欧米的思考との距離感については若干の違和感もありました。今後も皆さんの議論をうかがいながら、勉強させていただきたいと思っております。

(文責:稲田奈津子)

2021年3月16日、オンラインで、第3回研究会を開催しました。ライターの江口絵理さんにもご参加いただきました。

また、HMC川村朋貴さんのご退職にともない、後任の笠原真理子さん、新たに着任されたHMC(リエゾン)特任研究員:太田泉フロランスさんもご参加くださいました。

2021年3月16日オンライン第3回研究会

 今年度の成果としての、オープンセミナーに向けて、メンバーの皆さんからご報告をいただきました。「語る人」「学ぶ人」「歌う人」などの話題が続きました。

(参加記)
今回は今年度の締めくくりとなるオープンセミナーの準備として、事前に代表者の松方冬子さんから本企画研究の「総論」にあたる文章が配られました。それを各自が読んだうえで、第3回研究会当日はメンバーの方々6人(井坂理穂さん、稲田奈津子さん、後藤春美さん、永井久美子さん、三枝暁子さん、水野博太さん)がそれぞれ、一つのキー動詞とビジュアル資料をベースに話題提供の発表をされました。

時代は古代・中世から近現代まで、地域は日本のみならずインド、イギリスなど、時代も地域もバラバラのご専門の方が集まっているからこその、びっくり箱のように何が出てくるかわからない発表は実にエキサイティングでした。

古代日本の復元展示や女性首長をシャーマンと見なす言説に見え隠れする現代のジェンダー観、常にガンディーのかたわらに付き添い、その語りを世に「伝える」役割をした人物の存在、「(何があっても)学び続ける」という営みを歴史の中に探る上で言及された、「Keep Calm and Carry On」というイギリス政府のメッセージなど、地域別の歴史、時代ごとの歴史、あるいは経済史や政治史などでくくったら、同じ場で扱われることはまずないであろう取り合わせでした。

全員の発表後、オープンセミナーではある程度ストーリーラインを明確にしたほうがセミナー参加者との対話が生まれやすいだろうという提案からの議論があり、「語る人」と「権力」の関係を軸とする方向性が見えてきたところでこの日の研究会が終わりました。その後もメーリングリストでストーリーのブラッシュアップが続いています。 

(文責・江口絵理)

2020年10月6日、オンラインで、第2回研究会を開催しました。先回に続いて、ライターの江口絵理さんにもご参加いただきました。

オンライン第2回の研究会を開催

(参加記)

参加記

 第2回の会合もオンラインでの開催となりました。今回は,初回会合で共有したいくつかの動詞をキーとしつつ,そのキー動詞から連想した画像・ビジュアルなどを各先生が持ち寄って議論の口火としよう,という段取りで進められました。画面共有が簡単な,あるいはその場でネットにアクセスできるオンラインならではの趣向だったでしょうか。
 「戦う」=軍事権力/「商う」=経済権力/「癒す」=宗教権力という,権力関係を示すキー動詞を設定するならば,持ち寄られた画像には「戦う」「癒す」人々を描いたものが多く,「商う」人々はビジュアル化されにくかった,あるいはされる(富をひけらかす)ことを好んでこなかったのではないか,などと話題になりました。アヘン戦争において英国海軍がジャンク船を攻撃した有名な絵(図:パブリック・ドメイン: ダンカン,NEMESIS Destroying the Chinese War Junks)を起点にして,権力が究極的には軍事力=「戦う」ことに依存する所が大きかったことが指摘されつつも,一方では日本史の教科書にも載る足軽略奪の絵(真如堂縁起絵巻)からは,中世日本においては「商う」あるいは「耕す」人々が時と場合に応じて「戦う」人々ともなり,その動機は純軍事・権力志向というよりも経済的と言えることも多いという議論も展開され,「戦う」という行為の複雑さを予感させるものでした。
 言うまでもなく,画像やビジュアルを起点に議論を進める場合,それが描かれた・作られた背景や意図についての批判的分析を抜きにして検討をおこなうことはできません。韓国・日本の古墳における葬祭儀礼の復元図や再現ジオラマなどに,無意識のうちに両国それぞれの現代の慣習・常識が根拠なく反映されてしまっているという指摘や,古代インド女性を描いた近現代の絵画・漫画で,その女性の衣服が時代考証の観点ばかりでなく,画家が生きている時代の社会規範を反映している事例の紹介からは,過去を描くという行為について,その描く主体が生きている時代の持つ価値観や制約から逃れられないという当たり前の事実が,とりわけ絵や造型などにおいては顕著に現れやすいということを示していたように思われます。
(文責・水野博太)

2020年8月28日、オンラインで、第1回研究会を開催しました。松方が、「行動する人の歴史:力はどこからくるか」というタイトルで報告し、質疑応答が行われました。ライターの江口絵理さんにもご参加いただきました。

オンライン第1回の研究会を開催

(主催者のメモ)
 COVID-19の影響で、第1回の顔合せがオンラインになってしまいました。お互いに初対面の方々が多かったので心配しましたが、皆様のご協力を得て、和気あいあいとした会になりました。
 かなり「ぶっ飛んだ」報告をしたにもかかわらず、「動詞をキーにすると、ビジュアルで動いている人をイメージできるからよい」「文学との親和性がある」「古来、物語は絵とともにあった」といった好意的なご意見をいただき、意を強くしました。
 東京大学の複数の人文学の先生方から「言語は、身分や社会的属性を引きずってしまう。文字史料を残した階層は限られているので、相対化できると良い。」「自分ができない言語から日本語に翻訳されたものは、勉強してきたはずの内容なのに正直わからない。」と言った率直なご意見が聞かれたのも驚きでした。人文学にとって逆風の時代ですが、ピンチはチャンス。良い意味での、人文学の「ゆらぎ」のようなものを感じました。
 当面は、肩の力を抜いて、目標は見えなくてもよいので、分野を超えた人々が、分野を超えてコミュニケートするには、どうしたらよいのかを探っていければ、と思います。

(文責・松方冬子)

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