このサイトについて

このサイトは、WEB上で正保琉球国絵図の画像を公開するとともに、絵図に描き込まれた情報を分析するために構築されたデジタルアーカイブです。

正保の琉球国絵図

正保の国絵図は、1644 年に、江戸幕府が全国に命じて製作を開始した国ごとの絵図です。このうち琉球国絵図は、当時の琉球王国の版図とされた奄美諸島~八重山諸島までの島々を、3舗に分けて仕上げた大型絵図になります。幕府に提出された原本の所在は不明ですが、製作時から約 50 年後になって薩摩藩が原寸大で忠実に写したものが、東京大学史料編纂所の所蔵する国宝「島津家文書」のなかに残っています。大型の琉球絵図としては最古のもので、地形・地名・石高・交通など豊富な情報が盛り込まれおり、高い史料的価値から歴史学や地理学など様々な分野の研究素材となってきました。

正保の琉球国絵図3舗の正式な史料名と請求記号・法量は次のとおりです。

  • ① 正保琉球国絵図写(請求記号:S島津 76-2-4、法量:354.1×731.0cm)
  • ② 正保琉球国悪鬼納島絵図写(請求記号:S島津 76-2-5、法量:353.7×621.6cm)
  • ③ 正保琉球国八山島絵図写(請求記号:S島津 76-2-6、法量:345.3×635.9cm)

絵図に描かれたもの

江戸幕府は正保の国絵図の製作にあたり、細部まで様式を定め、統一的な基準のもとで製作するように命じました。この様式を、正保の琉球国絵図3舗も踏襲しています。

絵図の縮尺は6寸1里(約 21,600 分の1)になっています。村は楕円形で、琉球の統治者である国王の居城がある首里は大きな四角形で描かれています。道路や航路は朱色の線で描かれるとともに、距離を明記し、道路には一里ごとに一里塚を意味する黒丸が書き込まれました。村や間切(琉球の広域行政単位)ごとに石高が記され、主要な島ごとの石高の合計は、絵図の周縁部に四角い枠線(畾紙といいます)のなかに記されました。石高は、将軍から薩摩藩主島津氏に宛行われるものと一致しており、形式的には、琉球も将軍の支配下にあったことを示しています。

陸上の山や樹木の描画は絵師の裁量に任されたようですが、沿岸部や港湾などは、地形を丁寧に描くのが特徴です。港湾の規模や特徴に関する情報に加え、沿岸部の干瀬やサンゴ礁まで詳しく描き込まれた背景には、正保の国絵図の製作時の対外関係が影響しています。当時の江戸幕府は、いわゆる鎖国体制を作り上げるなかでキリスト教勢力との断交を進めていました。キリスト教勢力の拠点となった東南アジアと地理的に近い琉球は、つねに異国船が来航する可能性があり、幕府は港湾や沿岸部の地理情報に強い関心を持っていたのです。

デジタルアーカイブの機能

東京大学史料編纂所では、2020 年に国立歴史民俗博物館の協力のもと、琉球国絵図のデジタルスキャンを行いました。このデジタル化によって、展開の不便な大型絵図の画像をWEB上で提供できるようになっただけでなく、さらにアノテーションで書き込まれた文字など 895 件の情報を画像に紐づけ、検索機能も持たせています。また IIIF により、他機関が所蔵する国絵図との並列表示(比較)や、現代地図との重ね合わせ(現代地図)といった表示方法も可能となっています。

〔参考文献〕

  • 黒田日出男・杉本史子「島津家文書国絵図調査報告」『東京大学史料編纂所報』24、1989 年
  • 沖縄県教育庁文化課編『琉球国絵図史料集』沖縄県教育委員会発行、1992 年

〔付記〕

このデジタルアーカイブは以下の各種研究費の成果によるものです。

  • JSPS 科研費 18H00698・18H03592・20H00010・21K18014
  • 鹿島学術振興財団研究助成「正保琉球国絵図の研究資源化とデジタルアーカイブの構築」(研究代表者・黒嶋敏)
  • 東京大学史料編纂所画像史料解析センター「港湾都市那覇を題材とした空間図の総合的研究」プロジェクト(研究代表者・黒嶋敏)
  • 東京大学史料編纂所一般共同研究「14 ~ 17 世紀における奄美・琉球関係史料の学際的研究」(研究代表者・村木二郎氏)
  • 東京大学 FSI 事業「データ駆動型歴史情報研究基盤の構築」