「平安初期天皇の肖像誌」補注   藤原 重雄


(1)亀山天皇像 (2001年4月記)
 162頁本文および図4として史料編纂所所蔵模本を掲げた天竜寺蔵の亀山天皇像(148-9頁の表No.32)の原本全図カラー図版が、『北条時宗とその時代展』図録(NHK、2001年4月)にNo.152として掲載されています。描表装で、周囲には菊花紋を描いています。「桃山時代」とされていますが、そのように『国史肖像集成』での年代より降るでしょう。(2001年4月14日、東京都江戸東京博物館にて展示。)

(2)桓武天皇像 (2003年1月記)
 150頁本文および史料1に紹介した延暦寺所蔵・楽田寺旧蔵の桓武天皇像(148-9頁の表No.2)の裏書に見える僧侶のうち、筆頭にあげられている「定玄」が記したとみてよい楽田寺の勧進帳を紹介しました。「大和田原本・楽田寺の勧進帳」(『季刊ぐんしょ』再刊58、続群書類従完成会、2002年10月)。併せてご参照ください。

(3)訂正など (2003年1月記)
 (148-9頁の表の典拠18) 『樹宝 東寺』 → 『秘宝 東寺』
 (150頁の史料2) (「一躯」「一幅」の高さ揃える)
 (150頁8行目) 口絵 → 口絵右
 (163頁5行目) (麹塵にルビ「きくじん」
 (166頁5行目) 桓武天皇像 → 桓武天皇像(口絵右、表No.2)
 (170頁9行目) (この行、171頁12行目と13行目の間に移す。)
 (171頁1行目と2行目の間) 「同 編 『有職故実大辞典』吉川弘文館 一九九六」を追加。

(4)嵯峨天皇像(東寺本) (2003年4月記)
 151頁本文で簡単に言及した東寺所蔵の嵯峨天皇像(148-9頁の表No.16)について、本来の像主が後二条天皇であることを明らかにしました。「東寺蔵「嵯峨天皇像」と史料編纂所蔵正親町本「後二条院御影粉本」」(『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』21、2003年4月)。現状は傷みの激しいものですが、大幅の俗人肖像画を考える上で貴重な作例を思われます。併せてご参照ください。

(5)嵯峨天皇像(御物本) (2013年9月記)
『時慶卿記』文禄二年三月十九日条〔刊本1-176頁〕に関連記事があります。
「天晴、斎了清凉寺釈迦御身拭也、両人又伝奏詣候、栖(棲)霞寺一見候、嵯峨天皇御象〔像〕拝シ候、万里少路モ同心候、」
※(2014年2月追記)この記事については、『宸影光曄』(京都市史編纂事務局、1940年)にすでに言及がありました。

(6)ベルリンに渡り、後に返還された「嵯峨天皇像」(御物本)をめぐる日独交流に関しては、安松みゆき氏の一連の論考によって研究水準が一変しています。直接関係するものとしては、安松みゆき「1939年開催の「伯林日本古美術展」をめぐる2点の日本絵画」(『別府大学紀要』42、2001年)を参照。キュンメルに関しては、例えば安松氏「美術史家上野直昭とベルリンの「日本研究所 Japaninstitut」の活動をめぐって」(『別府大学紀要』43、2001年)116-117頁、同「1939年の「伯林日本古美術展覧会」と新聞・雑誌批評―国家意識と美術の関係を指標にして―」(五十殿利治編『「帝国」と美術』国書刊行会、2010年)など。(2014年5月記)
→安松みゆき『ナチス・ドイツと〈帝国〉日本美術』(吉川弘文館、2016年)にまとめられました。御物本については52〜65頁参照。(2016年2月追記)

(7)延暦寺所蔵・楽田寺旧蔵「桓武天皇像」裏書、および「大和田原本・楽田寺の勧進帳」(上掲補注2)に関連して、『不空庵常住古書古文書目録』(松田福一郎、1943年)三頁、「二〇、弁財天曼荼羅 一幅/文安三年丙寅十月二日奉寄進賢観房阿闍梨長慶。和州十市県田原本楽田寺。幅の裏面に以上の墨書あり。」との記載が見える。(2014年5月記)
→当該作品と思しき画幅がサントリー美術館の所蔵となる。同館・龍谷ミュージアム編『水 神秘のかたち』(2015年)No.27掲載。(2016年2月追記)
→佐々木康之「サントリー美術館蔵 弁財天曼荼羅図―資料紹介・修理報告―」(『サントリー美術館 研究紀要』4、2018年3月)に詳報。(2018年4月追記) →サントリー美術館編『ざわつく日本美術』(2021年7月)No.19掲載。

(8)嵯峨天皇像(御物本模本) (2015年11月記)
叡山文庫所蔵模本(表10-1)が、大津市歴史博物館「比叡山―みほとけの山―」展に出陳され、図録にカラー図版掲載(No.143)。他にも真超が書写させた肖像画粉本を掲載。

(9)村上天皇像 (2016年1月記)
一覧表未掲。永平寺所蔵、絹本著色、102.0×50.0cm。福井県立美術館編『大本山永平寺展』(1994年)No.40「藤原隆信筆 村上天皇御宸影」、福井県立美術館編『大永平寺展』(2015年)No.67としてカラー図版掲載。「四聖御影」を抜き描きしての作品。「亀山天皇像」とも似通う。國學院大學久我家文書編纂委員会編『久我家文書』四-二二〇〇号「久我家家財目録」明治六年(1873)六月に京都の御殿から東京へ報告、「御文庫入之部」に「〇一、村上天皇様御像 同(一箱)」と見える(〇は御殿に残すものの印)。道元の生家である久我家より、七十三世祖学泰禅(一八七三〜一九六八)の代に永平寺へ寄進。

(10)鳥羽天皇像(安楽寿院) (2016年1月記)
和歌山県立博物館編『京都・安楽寿院と紀州・"あらかわ"』(2010年)に、No.36鳥羽法皇・美福門院・八条院像(安楽寿院蔵)、No.37鳥羽法皇像(同蔵)、No.68伝美福門院像(個人蔵)を掲載。安永拓世「京都と"あらかわ"の美福門院像の謎」のコラムあり。三連幅は、和歌山県立博物館編『弘法大師と高野参詣』(2015年)No.99にも図版掲載、解説。

(11)延暦寺所蔵・楽田寺旧蔵「桓武天皇像」 (2017年12月)
芳井敬郎「勅使参向と法華大会」(『民俗文化複合体論』思文閣出版、2005年)に、江戸後期の『公事録』にもとづき、宝物点検の儀の解説があります。

(12)泉涌寺への霊牌・御影・仏像などの集約 (2018年9月)
高木博志「近代皇室における仏教信仰―神仏分離後の泉涌寺を通して―」(祭祀史料研究会編『祭祀研究と日本文化』塙書房、2016年)
辻岡健志「皇室の神仏分離とその後の仏教―宮内省の対応を中心に―」(『書陵部紀要』69、2018年) 〔PDF〕

(13)桓武天皇像(延暦寺) (2018年11月)
松浦武四郎『壬午遊記』(松浦孫太解読・佐藤貞夫編集、松浦武四郎記念館、2011年、14頁以下)の明治十五年(1882)四月七日条に坂本・滋賀院にて宝物拝見の記事がある。
  第一朱ぬり唐櫃を出す。
    勅封の御箱
  一、桓武天皇 御影
  (中略)右、当山第一之宝物ニテ御一新前は勅封也、
  一、桓武天皇 御影一幅
  (後略)

(14)東京国立博物館所蔵模本 (2020年2月)
148・149頁「平安初期天皇の肖像一覧表」に収めた東京国立博物館所蔵模本(典拠番号24)のうち、蜷川式胤の模写について、恵美千鶴子「東京国立博物館所蔵の蜷川式胤関係資料」(奈良国立博物館編『正倉院宝物に学ぶ』3、思文閣出版、2019年10月)に書誌などの紹介あり。表1:10・24・29・30・32が、一覧表No.20-2、16-1、29-2、10-3、8-2に対応。

(15)センチュリーミュージアム本「三跡像」・広岡コレクション(兵庫県立歴史博物館)本「嵯峨天皇像」 (2021年9月)
・センチュリーミュージアム本「三跡像」(一覧表No.15)
  『三都古典連合会創立十周年記念 古典籍下見展観大入札会目録』(1972:S47年12月)No.124としてモノクロ図版掲載(147頁)。
・広岡コレクション(兵庫県立歴史博物館)本「嵯峨天皇像」(一覧表No.11)
  同じく『三都古典連合会創立十周年記念 古典籍下見展観大入札会目録』(1972:S47年12月)No.123としてモノクロ図版掲載(146頁)。
  『三都古典連合会 展観入札目録』(1966:S41年5月)No.1706(図版182頁)にも掲載。

(16)清和天皇像 (2021年9月)
清和院所蔵、天和三年(1683年)銘の清和天皇像・清和上皇像:平成洛陽三十三所観音霊場会・京都府京都文化博物館監修、長村祥知編『京都観音めぐり 洛陽三十三所の寺宝』(勉誠出版、2019年)三十三番札所・清和院No.1/2カラー図版掲載。(一覧表No.18・19参照)

(17)桓武天皇像 (2021年10月)
東博・九博・京博ほか編『最澄と天台宗のすべて』(2021年10月)No.36「勅封唐櫃及び納入品」としてカラー図版掲載、永島明子「勅封唐櫃」のコラムあり。

(18)嵯峨天皇像(御物本) (2021年12月)
伊東史朗「松尾大社の神像―秦氏の祖神と外来神―」(『松尾大社の神影』松尾大社、2011年)67〜68頁に、老年相神像の像容と当画像との類似を指摘し、「この肖像画は鎌倉時代のものだが、古い粉本があったとすれば、秦氏の祖でもある老年相神像の像容に、その期〔仁明〜文徳〕の皇統の祖に当たる嵯峨天皇の姿が重ねられたと見ることは可能ではなかろうか。」という。


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録