【文献案内】

泉万里『扇のなかの中世都市−光円寺所蔵「月次風俗図扇面流し屏風」−』

(大阪大学総合学術博物館叢書1、大阪大学出版会、二〇〇六年三月)

(藤原重雄、『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』35、2006年10月)

 副題の作品は、十六世紀中頃、天文年間に狩野元信工房で制作された扇面二四点を、近世前期に下絵のある屏風に貼ったものである。六曲一双であったと思われるが、現在は右隻相当(春夏)の一隻のみが伝わる。扇面のうち二三点は、京および近郊の季節の行事や名所を描くもので、初期狩野派研究はもとより、洛中洛外図屏風との関わりでも注目されてきた作品であり、遺品が少ない室町時代風俗画の主題と図様と復元する手がかりともなっている。

 本書は、A4版九六頁のコンパクトな分量で、図版と解説・研究を一冊にまとめている。扇面一点づつをA4版のカラー図版として巻頭に置き、一点ごとに見開きで右頁に解説、左頁にモノクロで二カット部分図を配するのが基本構成。末尾では、本作品を少し広い視野に置いたときに見えてくる諸問題の糸口を示しながら、解題を行なっている。

 本書制作の動機には、このような重要で興味深い作品であっても、細部まで確認可能な図版の存在しなかったことがあるという。文献史学の基礎が史料集であるのと同様に、絵画を対象とした諸分野の研究者にとって、作品の画像をよい条件で簡便に見られることは研究の前提条件となる。一点の絵画作品を主題として図版・研究を掲載する書物は、一部の有名作品を除き、博物館の出版物や寺社等の私家版、あるいは豪華本として出ることが多く、流通しにくかったり、容易に個人では手が届かない。定価二〇〇〇円の一般書籍であることも大きな利点である。この価格・体裁であれば、大学の演習用テキストにもなるし、幅広い層が手に取ることができる。

 本書の焦点が「絵をよく見ること」に当てられていることは、各扇面の全図の図版レイアウトにもあらわれている。扇面(あるいは絵巻や屏風でもよい)は横長であるから、書籍の天地に対して九〇度横に寝かせて図版にすると大きくなる。しかし一般書籍では、天地方向に逆らったレイアウトには存外と抵抗が大きく、絵の天地方向と書籍のそれとを合致させるため、版形にあったサイズでしか図版にならなかったり、絵がノドの部分にかかってしまったりする。大学出版部の学術出版ならではだろう。

 さらに本書の肝要な点は、あくまでも作品を主人公とし、書き手の過剰な言説ではなく、画面の詳細な読み取りと、新知見を交えながら施された解説によって、しっかりと絵画と時代・社会のなかへ読者を誘ってゆくバランス取りにある。洛中洛外図のような作品が解説とともに図版掲載される事例は多いが、大概は描写対象である年中行事の沿革や寺社の概要にとどまりがちであった。本書の解説では、何が描かれているのかを記述してゆくことにより、分らないことの指摘も含めて、画面の読みを深めてゆく。これまで絵を見ているつもりであっても、実はどのような描写・表現がなされているのか、意外と注意が向いていなかったことに気づかされるだろう。こうした記述は、事象の挿絵・添え物としての絵画から、絵画を歴史的に読み解くことへと人々を導くことになる。絵画技法など様式面については控えめだが、著者の専門は美術史学で、より詳しい分析が可能と推察するが、むしろ隣接学問諸分野に向った記述をおこない、「扇のなかの中世都市」へと関心を広げてゆこうとする意図なのであろう。

 ところで本書の出版は、大阪大学総合学術博物館統合資料データベース「日本の中・近世絵画史料集成」での画像公開と連動している(現在本作品は休止中?)。出版物とデータベースないしWebギャラリーとは、重なる部分もあるのだが、この作品での二つの公開形態は、それぞれに素材の制約と媒体の特性を意識して工夫されたものだと思われた。データベースのみでこと足りるとの風潮もあろうが、冊子というモノの形態を取っていることのメリットは大きいし、わたし自身はそこに愛着がある。データベース用のデータ生成から逆算する出版物制作には魅力を感じない。最後に、こうした書籍・データベースでの公開に対する原本所蔵者のご理解には、深く敬意を表して紹介を終えたい。


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録