「特別展図録の編集」 藤原 重雄
  (『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』17、2002年4月)


 本誌一五号でご案内した史料集発刊百周年を記念した特別展「時を超えて語るもの−史料と美術の名宝−」(二〇〇一年十二月十一日〜二〇〇二年一月二十七日)は、共催の東京国立博物館(以下、東博)関係者、出陳にご理解いただいた所蔵者各位など、多くの方々のご協力を得て、無事に終幕した。開催にあたっては史料編纂所(以下、編纂所)内に実行委員会を組織し、史料選定・企画立案から調査・研究・撮影、また東博側との協議、設営・移送、広報・関連事業などなど、事務・図書・技術部と連携して、展覧会に関する諸実務にあたった。
 図録の編集も大きな仕事であった。東博の編集出版室とともに、筆者が編纂所側の担当者となり、編集者の奈良ゆみ子氏にも献身的なご助力をいただいた。経験豊富な学芸員諸氏には子どもの感想文で、直接に本センターのプロジェクトではないが、今後の参考になろうかとも思い、こころ覚えを記しておきたい。

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 図録に関して最初に決まったのは、形態面での大枠である。出陳点数、過去の図録、予算・販売などを勘案して、製作を東京大学出版会(以下、出版会)に委ね、定価二〇〇〇円の範囲に収めることとなった。カラーページは一六〇ページを上限とされた。個人的な好みとしても厚すぎる図録は使い勝手が悪く、会場での参照にも不便で、おおむね妥当なところと思われた。それでも観覧者からは高い・重いという声はあったが、別ヴァージョン(釈文のみの版、平易な内容の版、英語版など)を作る余裕はなかった。
 一方、当面は編纂所所蔵の代表的な史料の図版目録としても役立つことが期待されていた。貴重書類の情報は図書室のカードや所蔵史料目録データベースで公開されており、『所報』などに解題が載るものもあるが、主だった所蔵史料を簡便に見る手段には乏しい。また、記念事業の一環である『東京大学史料編纂所史史料集』の編纂に伴う調査研究の成果を、ごく一部分にせよ披露して、本所の歴史と事業を紹介する役割もあった。

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 文字原稿の部分は、東博での従来の図録構成を参考にして、編纂所と東博とで総論・テーマ解説・各論や資料を分担するとともに、作品解説の執筆を割り振った。一点あたり本文四○○字と短いが、ページ数から逆算してやむを得ないと見込んだ。そのなかに、史料解題であり、かつ展示意図に沿った注目点のエッセンスを盛り込んでもらう。編纂所側では、企画を担当した実行委員に限らず、若手を中心にできるだけ多くの所員に執筆いただくようにした。原稿整理や統一・調整に却って手間がかかったが、担当展示を回り持ちする博物館・美術館とは事情が異なる。また、東博側執筆分との内容的な調整では、スケジュール上の都合や図録を通読することはあまりないといった観点から、結果的にさほど手を加えないことにした。ただし、『大日本史料』でも通読する人は多くないが、体裁的な不揃いは信用度に疑問を抱かせる虞れがあり、また史料相互の関連性もわかりやすいよう、限られた範囲ながら配慮している。
 この一点解説には、釈文と参考文献をなるべく入れた。文献史料が多くを占める展覧会に、図録にさえ釈文が示されていないのは欠落と言われよう。また史料集発刊百周年記念なのであるから、編纂所のこれまでの出版物をできるだけ紹介し、図録自体も史料集として一定水準を満たすことが、学術的に真っ当な祝い方だろうと考えた。参考文献に周知の刊本でも取り上げたのは、幅広い観覧者層をも相手にしているばかりか、時代・分野が異なると当たり前のことが当たり前でなかったりするからである。研究文献については二点に絞り、役割を探求の手掛かりとなることに限定した。それでも、端緒が示されているのといないのとでは、図録の価値に格段の違いがある。このような一点解説については、時間的に十全には行いえなかったが、編纂所側の委員には校正・素読みなどで協力を要請し、種々の改善を図った。
 最後までやっかいだったのは、図録のみの問題でないが、作品名称である。東博側との協議で了解した方針の主だったところは次のとおり。あまり専門用語を使わず簡潔に、また人名も著名なもの採る(例えば武田晴信→信玄)。書跡としても鑑賞されるから、自筆か否かがわかるようにする。そうした関係で、一般的な古文書学での名称とは異なる場合がある。絵巻については、通行の名称にかかわらず「○○絵巻」と改める。名前の付け方は対象をとらえる視点や文脈と無関係でありえず、図録に記載されている名称が正式だとか編纂所の見解といったことではない。英文も全く同様である。

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 図版は、見開きを基本的単位として構成した。絵巻・継紙などの横への連続性を活かすためである(A4横置きは見送った)。ノドの部分が犠牲にならないよう、文字をかけずに配置し、造本を工夫してもらった。
 この見開きは、意味的なまとまりの単位でもある。小見出しで処理できれば明快であるが、所蔵史料を中心とした今回の展示では、バランスよく付けてゆくのも難しい。しかし単なる名品の羅列ではなく、点数の限られた展示品どうしの関係づけには委員も知恵をしぼり、東博側とも検討を重ねた。レイアウトには、それを視覚的に伝える役割がある。その分デザイン的な洗練に欠けたかも知れないが、史料集的な性格を優先させた。
 作業は以下のような段階を踏んだ。筆者がラフなスケッチを用意し、奈良氏がパソコンで簡略なイメージを作成し、フィルムを見ながら企画担当者・解説執筆者の意向を踏まえて東博側と調整、その結果を受けて版面の大きさで台紙に図版のコピーを貼り込み、最終的に出版会のデザイナーが本全体を視野に入れてチェックする。表紙・扉といったブックデザインは基本的にデザイナーに委ね、全体に図版が大きめになった。東博側との連日の作業では教えられることも多く、初校・色校でも少なからず修正を加えた。
 この前提として、本センター手練のスタッフの協力により、その設備を活用して、4×5フィルムをスキャンしてデータ化するとともにプリントアウトした。それをコピー機で拡大縮小して台紙に貼り込むが、当初のイメージどおりに収まらないことがままあった。こうした作業はコンピュータで処理するのが現在の趨勢であろうが、技術的な未練ばかりでなく、構成を作り上げてゆくのには感覚として手作業の方が筆者にはなじんだ。なお、センタープロジェクトとして編集の『日本荘園絵図聚影』でも細かなレイアウトを作成して入稿しているが、ほとんどはコンピュータ上で作業して効率化を図っている。
 色校正では、当初想定していたページ単位での指示ができず、特に異なった状態のフィルムが混在した台(4ページ分)に調整がうまくゆかなかった場合がある。また作業場の照明の具合でも調子が変わるし、実物に近いはずの色とそのモノらしい色とのずれがあるのも実感した。現場の学芸員であれば百も承知のことであろうが、微調整で絵の印象まで操作できてしまう。

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 東博と編纂所と出版会の間での分担は、最初から整理されていたわけでない。作業が進むにつれ、多種多様な要望を抱え、図録作りも今回限りの編纂所側で多くを背負い込むことになった。分不相応の大仕事を担当する冥加に、可能な限り拘っておくのも悪くはないと考えた。時に図版の難や筆者の釈文の誤りなどもあるが、この図録が各地での展示企画・図録編集に参考となることがあれば、それらの労作・力作に啓発・恩恵を被ってきた一人として、大変嬉しい。
 末筆ながら、この機会にお願い申し上げる。フィルム一枚の手配からしても、図録作成に投下される資金や労力を考えると、二〇〇〇〜三〇〇〇円程度の価格は格安である。しかし、発行などの情報入手は容易でない。情報集約の提言はあったが、とりまとめる機関が直ちにできることはないだろう。それでも例えば東博のほか、国立歴史民俗博物館や国際日本文化研究センター、東京文化財研究所、東京都現代美術館、横浜美術館などで各々特徴的な図録の集積が公開されている。史料編纂所も、前近代日本史の史資料情報の収集に努めるとともに、研究を目的とした閲覧者に対して開かれた図書室を備えており、各地での労作をご寄贈いただくことによって、それを求めている人々や呼応する史資料との出会いを提供できる可能性を持っている。


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録