「記録に貼り継がれた絵図−−東京大学史料編纂所所蔵『徳大寺公清公記』所載「車絵図」を中心に−−」
   (『MUSEUM』575、東京国立博物館、2001年12月)  補注・訂正 (2003年4月/9月記)


(1) 訂正

7頁下段8行目: 諸家写本 → 諸家記写本
15頁上段15行目: 甥公継と伯父道雲 → 兄公継と弟道雲
15頁下段5行目: 紅梅、 → 紅梅花、
27頁2紙目2段目: 料紙の項「6日」を日次記の項に移す 

(2) 補注

 10頁下段以下で対照した文治六年の藤原任子入内屏風については、国文学の研究で言及があることに気づいたものの収集に怠り、重要な論文を見落としておりました。谷知子「文治六年任子入内屏風と和歌」(『玉藻』〈フェリス女学院大学〉36、2000年6月)は、歌題の選択や歌の内容に踏み込んで分析し、藤原兼実の構想や意向に応じたものとして理解しようとするものです。
 この論文で紹介されている国文学での先行研究も紹介しておきます。
・久保田淳『新古今歌人の研究』第三篇第二章第三節一(東京大学出版会、1973年。初出「建久元年の新進歌人たち」『白百合女子大学研究紀要』4、1968年)
・橋本不美男「文芸様式と年中行事 4古代・中世和歌」(山中裕・今井源衛編『年中行事の文芸学』弘文堂、1982年)
・高野晴代「歌題の生成と屏風歌−貫之「延喜六年内裏月次屏風歌」を中心に−」(『国文目白』33、1994年)

(3) 補注

 16頁上段17行目に補注、史料を追加します。
 『玉蘂』嘉禎四年(1238)四月十一日条、九条忠家の首服の記事に、「網代車〈袖上透之、其下網代松巌融、文亀甲、物見塗紺青、画千鳥、是譜代文也、委見絵様、〉」とある。あるいは『九条家車図』と関わりがあるか。

(4) 補注

 20頁上段7行目、『薩戒記』応永三十三年七月二十三日条の陽明門前での車の立様の図(図14)は、『三条中山口伝』第一甲の「立車事」の記述をもとにした指図が下敷きになっているようである。詳細未調。

(5) 補注

 注(8)に関連して、諸機関に分蔵の徳大寺家旧蔵本の全体像については、『史料館所蔵史料目録68 山城国諸家文書目録(その二)』(国文学研究資料館史料館、一九九九年)を参照。

(6) 補注

 同じく注(8)に関連して、上杉和彦「鎌倉期越中国の徳大寺家領荘園について−「徳大寺家史料」所収文書の検討から−」(鎌倉遺文研究会編『鎌倉時代の政治と経済』東京堂出版、一九九九年)を挙げ落としてしまいました。お詫びして追加いたします。


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録