大日本史料第五編


11月3日庄四郎を地頭代に

 庄四郎は法名が道顕、実名は不明です。 あっ、もちろん庄が姓、四郎が通称です。庄四郎、姓欠ク、ではありませ ん。(うぷぷ。)


11月是月実深、醍醐寺座主を望む

 実深は「じつじん」と読むそうです。成賢の室に入り、報恩院憲深の法 を嗣いだ人です。三宝院流のうちの報恩院流第2世(流祖は憲深)。  当時、醍醐寺の座主は勝尊、実賢の嫡弟と目されていた人です。実深に してみれば、三宝院流の正統は成賢であり、成賢の教えを受けた憲深、も しくは自分こそが、という自負があったのでしょう。で、実力者である実 賢が寂すると、すぐさま動き出したのでしょうね。

目次へ戻る