蒋洲咨文について
嘉靖 35 年(弘治 2、1556)11 月、明朝の使者蒋洲が「対馬島」に宛てて、倭寇禁圧を求めた文書。咨文は対等の役所間で用いられた、明朝の公文書の形式の一つ。江戸後期に編纂された『江雲随筆』や『続善隣国宝記』に写が収められており、外交に携わる人々の間では、江戸期からよく知られた史料であったと推察される。宗伯爵家に伝来し、朝鮮総督府・韓国国史編纂委員会の所蔵を経て、その後経緯は不明ながら書店の入手するところとなり、1977 年、購入により本所の所蔵となった。「倭寇図巻」研究の進展とともに、本史料も「倭寇図巻」の主題と密接に関わり、16 世紀東アジア海域世界の動向を具体的に語る重要史料として注目されるようになり、対外関係史上また古文書学研究上に貴重な外交文書原本として、2016 年、重要文化財に指定された。
差出人の蒋洲は寧波の出身で、浙江巡撫胡宗憲により起用され、倭寇の頭目と見なされ日本に逃れていた王直を招撫して帰国させること、また日本国王へ倭寇禁圧を要求することを目的として、日本に派遣された人物である。嘉靖 34 年(1555)五島に至り、平戸に拠点を置いていた王直と交渉して帰国を承諾させ、ついで豊後に赴いて大友義鎮と会談した。義鎮は倭寇禁圧を約束し、使者を明朝に派遣することを決めた。この義鎮の決定をうけ、対馬島としても倭寇を取り締まるようにと要求したのが、本史料の主旨である。だが当時対馬島を支配していた宗氏がこの要求に応答した形跡はない。ただ朝鮮王朝にこのような文書が来た旨、報告したことが『朝鮮王朝実録』に見えるのみである。蒋洲は嘉靖 36 年(1557)大友氏使者とともに帰国したが、紆余曲折の末、蒋洲は投獄され、大友氏使者は明軍と合戦のうえ逃亡し、同行した王直は斬首された。