『日本中世気象災害史年表稿』ビューア

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ID和暦グレゴリオ暦地域天変地異などの記事原出典掲載書誌
00005701建武4年7月30日13370903大和夕、為祈雨龍池籠在之、人数廿三人<毎日一食也>、嘉元記改定史籍集覧24
00005702建武4年8月4日13370907大和午時、大雨下了、常行衆竜田宮参籠断食也、嘉元記改定史籍集覧24
00005703建武4年11月13371201山城[山城上野庄年貢散用状]…公田十一町一反八十歩…/不作参段大小廿歩/河成弐町四反小四十歩/…分御米六十八石二斗八升九合七夕三才…東寺百合文書へ52東寺文書2
00005704建武5年13380130紀伊[母乙女去状](略押、発行年次は暦応1.11.12、端裏書「トクカハチフミ」)永奉養幼童事/合壱人者 字徳童生年七歳也、/右件徳童者、自幼少、父ステヽカヘリミサルアヒタ、母是ヲハクヽムトイヘトモ、建武五年大飢饉ニセメラレテ、他国ヘ流浪スルウヘハ、イカナル路次ニモステタク候ヘトモ、進止殿ニ永マイラセ候ウヘハ、重代相伝トシテ可奉被進退者也、又父ト申シテモノニテモ候ヘ、主人ト申人ニテモ候ヘ、出来沙汰ヲイタシ候ハムトキハ、カシム相伝ノ沙汰ニテ、御進退アルヘク候、若千万ニ一モ違目出来候ハヽ、徳童カ妹松女・母乙女等ヲ、彼代ニ可奉被取流候、此上者、何雖逃籠権門勢家御領、又不嫌市町路次往返、可奉被押取候、其時雖一言、不可申子細候、仍為後日沙汰、放状如件、(所蔵者の林家は中世では、紀伊和田庄=五箇庄のうち吉原村の中言神社の社家、同庄公文、所蔵文書は全600点、小山靖憲「和田庄の「人身売買」文書」について」「歴史手帖」3-3、1975)、林家文書18和歌山市立博物館
00005705建武5年4月8日13380506大隅[うは太郎母人身質券]いけはたとのゝ御うちに、子息うはたらうわらわ、生年九になり候を、ようとう二百もんに、いれをきまいらせ候事、/右、今年ハきゝんにて候ほとに、わか身も、かのわらわも、うゑしぬへく候あいた、御うちにおきまいらせ候、たゝし、たうしの二百もんハ、日ころの二くわん、三くわんもんにもあたり候うゑ、さうせいと申、かのきゝんに給ハり候御をんをわすれまいらせ候て、もしらい九月中に、ふほうなる事候はゝ、かのわらわを、ゑいたいをかきりて、さうてんの御との人をめしとられまいらせ候へきなり、又かの御ようとうハ、らい九月中に、いちはいをもて、わきまゑ申所ちゝなり、もし又九月中すき候はゝ、このしやうを、はうけんとして、ゑいたいをかきて、かのうはたらうわらわを、さうてん、ふくしせられまいらせ候へきなり、よて状如件、大隅池端文書南北朝遺文九州編1-1165
00005706建武5年7月8日13380802摂津[垂水庄預所代助正陳状案]…洪水之時、此堤切候、東寺百合文書な1-10吹田市史5-125
00005707建武5年閏7月13380824鎌倉自去月、炎旱過法之間、諸人失色、可有祈雨之由、鶴岡八幡宮社務職次第旱魃霖雨史料
00005708建武5年閏7月4日13380827鎌倉祈雨事、以尾張五郎被仰下之間、無左右領状、則令始行之処、同七日及晩而、雷鳴大雨終夜、上下成奇異、法験掲焉之間、被送賀礼畢、鶴岡社務記録改定史籍集覧25
00005709延元3年閏7月5日13380828京都(年次は閏七月からの推定)兼又世上事、自去七月十二三日比静謐候了、然而京中飢餓をひたゝしく候て、洛中にも餓死する人、不知其数候、寺中の人数も、思々ニ他行候て、残多扶持候人数七十余人引き連れ候ても、田舎へも下向したく候へとも、あまりにつかれ候て、出立も不合期候之間、黙止候事、非本意候(大覚僧都宛日像書状)、妙顕寺文書大日本史料6-1
00005710延元3年8月13380922世間(年次は閏七月五日書状と内容が関連することによる)抑世間ハ秋ニなり候へとも、京都飢饉は未無申計候、万事そなたをこそ憑申候へ、なにも候ハん物は、可送給候也(大覚僧都宛日像書状)、妙顕寺文書大日本史料6-1
00005711暦応1年8月28日13381019改元代始(皇)、皇年代私記東大謄写本
00005712暦応1年8月28日13381019改元依兵革、皇代記新校群書類従2
00005713延元3年9月13381022常陸南方舟艦、遇颶風、漂着東国、北畠准后着常陸、拠伊佐・大宝諸城、…異本太平記後鑑1
00005714延元3年9月9日13381030陸奥延元三年秋、後村上院かさねての陸奥のくにへくだらせましゝけるに、いくほどなく御船伊勢国篠島といふ所へつきたるよし聞えしかば、勅使としてまいりたるけるに、このたび大風なのめならずして、御供なりける舟ども、おほくそむじけるを、おなじ風のまぎれに、御舟ばかりはことゆへなく、この国へしもつかせ給事、…新葉集神祇部後鑑1
00005715延元3年9月11日13381101伊豆東国下向舟共、於伊豆崎、遭大風、船漂没数千、南方紀伝日本の気象史料
00005716延元3年9月11日13381101伊豆進伊豆崎、遇颶風、義良親王漂至篠島、大日本史日本の気象史料
00005717延元3年9月13日13381103相模船二艘、被放風而、被吹寄江島之間、御敵多被生取…、鶴岡社務記後鑑1
00005718延元3年9月14日13381104相模船三艘、被吹寄神奈河之間、数輩生取之、切懸了、鶴岡社務記後鑑1
00005719暦応2年13390218京都為御瘧病御祈、於持明院被修之、五壇法略記大日本史料6-1
00005720暦応2年3月13390418会津大雨、会津大洪水、橋落ち、海の如し、異本塔寺長帳中世東国災害史略年表
00005721暦応2年5月26日13390711鎌倉祈雨、於社頭タラニ、鶴岡社務記録続史料大成18
00005722暦応2年6月22日13390806京都当時、瘧病流布、中院一品記大日本史料6-1
00005723暦応2年8月6日13390917鎌倉大風雨、所々山木崩倒了、鶴岡社務記録続史料大成18
00005724暦応2年8月12日13390923京都終夜吹大風、以外過法者也、師守記1史料纂集
00005725暦応2年9月12日13391023京都今日、雷鳴、如辻風吹風、家少々吹損歟、師守記1史料纂集
00005726暦応2年9月19日13391030備後今日、自備後国栗原保、飛却到来、是依損亡事也、師守記1史料纂集
00005727暦応2年11月13391210大隈[正八幡宮講衆殿上等申状案]正八幡宮講衆殿上等謹言上、…爰年来破損之上、去建武四年八月廿二日、依大風、悉顚倒仏像神体共、被侵雨露給之間、奉遷于他堂舎之、…大隈留守文書南北朝遺文九州編2-1438
00005728暦応3年2月21日13400327長門[某・某連署常不作地宛下状 兵衛三郎(泰武弘)宛]宛下正吉郷(豊浦郡)正安二年御内検以前常不作事、/弘安<弁之>一所二反小内<小者被結加先年了、残二反>/右於常不作者、正安二年以来為不作之間、二反内、但随令開作、段別三升宛ニ可致其弁之状、如件、長門有光文書18南北朝遺文中国四国編1-940
00005729暦応3年3月28日13400503京都天晴吹風甚、今暁寅刻雨降、雷鳴雷電甚、師守記1史料纂集
00005730興国1年4月28日13400602改元吉野新帝即位、南方紀伝古事類苑1