ID | 和暦 | グレゴリオ暦 | 地域 | 天変地異などの記事 | 原出典 | 掲載書誌 |
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00004951 | 建治3年 | 12770212 | 甲斐 | 疫病、 | 妙法寺記 | 富士吉田市史資料叢書10 |
00004952 | 建治3年 | 12770212 | 天下 | 秋以来、天下病患流布、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004953 | 建治3年2月 | 12770313 | 京都 | 後宇多天皇疱瘡により、薬師法を修す、秋以来天下病患流布、 | 華頂要略.園太暦 | 鎌倉時代医学史の研究 |
00004954 | 建治3年6月 | 12770710 | 日本 | [日永書状 下山光基宛]…所詮、日本国亡国となるへき期来る歟、又祈雨の事は、たとひ雨下せりとも、雨の形貌を以て、祈者の賢不賢を知事あり、雨種々也、或は天雨、或は龍雨、…或甘雨、或雷雨等あり、今の祈雨は、都て一雨も下らさる上、二七日か間、前より遥に超過せる大旱魃、大悪風、十二時に止ることなし… | 日蓮聖人遺文 | 鎌倉遺文12768 |
00004955 | 建治3年12月 | 12780102 | 天下 | 三箇日於法勝寺可転読仁王経由宣下、今秋已来、天下病患流布故也、<或記自春夏去>死人満道路者(園太暦追康永四九十九)、 | 続史愚抄.園太暦 | 編年差別史3 |
00004956 | 建治3年12月 | 12780102 | 京都 | 院宣を下し、法勝寺に秋以来流行の病患をはらわしむ、 | 続史愚抄 | 鎌倉時代医学史の研究 |
00004957 | 建治3年12月6日 | 12780107 | 天下 | 宣旨云、去秋以降、普天之下、病患流行、黎庶懊悩、非仰仁王之冥威、争救万民之危命、始自今月十日、三ケ日、於法勝寺、嘱当寺之臥雲、転読件経巻、攘率土之瘴煙、消除此災孽、其仏僧供料、用本寺物者、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004958 | 建治3年12月6日 | 12780107 | 天下 | 自来十日、三箇日、於法勝寺、可転読仁王経由宣下、今秋已来、天下病患流布故也、…死人満道路者、… | 続史愚抄前篇4 | 新訂増補国史大系 |
00004959 | 建治3年12月29日 | 12780130 | 諸国 | 宣旨云、仰せ五畿七道諸国、為攘流布之疾疫、早随官符之到来、擇定吉日、令転読仁王・般若経者、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004960 | 建治4年 | 12780201 | 東国 | 去ぬる弘安元年、坂東に疫癘おびただしくして、病死、数知らず侍りき、 | 沙石集12 | 鎌倉時代医学史の研究 |
00004961 | 建治4年 | 12780201 | 諸国 | [大和窪荘百姓等申状]東大寺三面僧坊御領窪庄百姓等謹言上、/去年大損亡、令超過例年間、雖無其足、本年貢三十七石内廿四石余、廻計略令備進畢、所相残今三分一歟、可蒙御免除由、度々令言上処、重及厳蜜御沙汰、難堪愁訴事/件子細者、当御領十五町内、依炎旱、去年七町余者、不苅取而捨畢、僅半分許雖苅入之、皆以有名無実也、…於近年者、大略依為毎年之炎旱、雖無本式之分…且不限当御庄、諸国平均之大損亡、世以無隠者歟、而及本所嗷々御沙汰、[ ]被仰下之条、旱損侘傺之上、重所懐愁歎也、所詮、於去年未済分者、且依御憐愍、且依大損亡、蒙御免除、或庄家安堵之思、欲致土民農業之営矣、… | 東大寺文書4-22 | 鎌倉遺文13059 |
00004962 | 建治4年 | 12780201 | 若狭 | 太良庄の年貢合計113.9986石-損亡分15.08石(10分の1損) | 東寺百合文書 | 若狭国太良荘史料集成1 |
00004963 | 建治4年2月13日 | 12780314 | 日本 | [日蓮書状 駿河松野氏宛]…但当世の体こそ哀れに候ヘ、日本国数年の間、打続きけかちゆきて、衣食たへ、畜るひをは食いつくし、結句、人をくらう者出来して、或は死人、或は小児、或は病人等の肉を裂取て、魚鹿等に加へて売しかは、人是を買くへり、此国存の外に、大悪鬼となれり、又去年の春より今年の二月中旬まて、疫病国に充満す、十家に五家、百家に五十家、皆やみ死、或は身はやまねとも、心は大苦に値へり、やむ者よりも怖し、たまたま生残たれとも、或は影の如くそゐし子もなく、眼の如く面をならへし夫妻もなく、天地の如く憑し父母もおはせす、生ても何にかせん、… | 日蓮聖人遺文 | 鎌倉遺文12983 |
00004964 | 弘安1年2月29日 | 12780330 | 改元 | 依疫癘也、 | 皇年代略記 | 日本災異志 |
00004965 | 弘安1年2月29日 | 12780330 | 改元 | 疫疾(皇)、自去年春、病事流布故也(続)、 | 皇年代私記.続史愚抄 | 東大謄写本 |
00004966 | 弘安1年2月29日 | 12780330 | 改元 | 改元為弘安、依疾疫流布歟、 | 師守記4 | 史料纂集 |
00004967 | 弘安1年2月29日 | 12780330 | 改元 | 依疾疫也、 | 皇代記 | 新校群書類従2 |
00004968 | 弘安1年2月29日 | 12780330 | 改元 | <弘安>、依疾疫流行也、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004969 | 弘安1年5月18日 | 12780616 | 大和 | 為疾疫御祈、使百僧於興福寺、造等身十一面観音像、 | 続史愚抄前篇4 | 新訂増補国史大系 |
00004970 | 弘安1年5月18日 | 12780616 | 天下 | 近日、天下疾疫繁昌之間、為祈祷、等身十一面観音像一日造立之、以百口僧供養之、 | 興福寺略年代記 | 続群書類従29下 |
00004971 | 弘安1年5月22日 | 12780620 | 京都 | 被行軒廊御卜、依同事(疾疫流布)也、 | 師守記4 | 史料纂集 |
00004972 | 弘安1年5月26日 | 12780624 | 世間 | (疾疫流行により)召廿二社社司、世間病事、可祈謝旨、仰之、 | 内山記 | 史料綜覧5-232 |
00004973 | 弘安1年5月26日 | 12780624 | 世間 | 被行軒廊御卜、又召廿二社々司、世間病事、可被祈請之由御祈、奉行職事被下知云々、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004974 | 弘安1年5月29日 | 12780627 | 天下 | [大和窪荘預所実順請文]…天下一同大損亡之外、更不可致一塵未済之由、乍出委細請文、近年於事違犯、去年者大和一国猶以非一同之損亡、况全非諸国平均愁吟之処、…次去年々貢未済間事、雖加厳密之下知、依庄家大損亡、無其足之間、…随又天下一同大損亡之時、可蒙免除之条者、本所承諾之上者、不能子細歟、就之、去年旱魃者希代之珍事也、縦雖天下一同之請文、不及天下一同之実検、皆以近国之准、追遠国之法者、諸荘園之通例也、就中、於当国者、大損亡之条、…所詮、依去年大損亡、庄家雖無其足、預所実順可致其弁否、伏所奉仰 聖断也… | 東大寺文書4-22 | 鎌倉遺文13060 |
00004975 | 弘安1年6月22日 | 12780720 | 天下 | 被立廿二社奉幣使、依天下疾疫事也、… | 師守記4 | 史料纂集 |
00004976 | 弘安1年6月22日 | 12780720 | 京都 | 被発遣廿二社奉幣使、先被定日時使等、 | 園太暦1 | 続群刊行会 |
00004977 | 弘安1年6月22日 | 12780720 | 京都 | 依疾疫、被発遣廿二社奉幣使、 | 続史愚抄前篇4 | 新訂増補国史大系 |
00004978 | 弘安1年6月25日 | 12780723 | 日本 | [日蓮書状 日女御前宛]…今日本国の去年今年の大疫病は、何とか心うへき、…今日本国の者、去年今年の疫病と、去正嘉の疫病とは、人王始て九十余代に並なき疫病也…日本国の一切衆生、すてに三分か二はやみぬ、又半分は死ぬ、今一分は身はやまされとも、心はやみぬ、…今日本国の疫病は総罰也…代に大禍なくは、古にすきたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召も決せすして、法華経の行者を二度まて大科に行ひしはいかに、不便不便… | 日蓮聖人遺文 | 鎌倉遺文13092 |
00004979 | 弘安1年6月25日 | 12780723 | 日本 | 今日本国の者、去年・今年の疫病と、去正嘉の疫病とは、人王始て九十余代に竝なき疫病也、…日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ、又半分は死ぬ、今一分は、身はやまざれども、心はやみぬ、…今日本国の疫病は總罰也、定て聖人の国にあるをあだむ歟、… | 293日女御前御返事 | 昭和定本日蓮聖人遺文 |
00004980 | 弘安1年6月26日 | 12780724 | 日本 | [日蓮書状 中務左衛門尉宛]…今の日本国去今年の疫病は、四百四病にあらされは、… | 日蓮聖人遺文 | 鎌倉遺文13095 |