(参考)外九九

徳川民部大輔欧行御用留 四冊の内

慶応二年十月~


 慶応三年(一八六七)正月、徳川幕府はパリで開催される万国博覧会に徳川昭武(清水家当主、将軍慶喜の実弟、一八五三~一九一〇、当時満十四歳)を代表とする外交使節団を派遣した。使節一行の顔ぶれは、駐仏公使である外国奉行向山隼人正一履(一八二六~九八)、同支配組頭田辺太一(一八三一~一九一五)以下の外国方役人、昭武の身辺警護にあたる水戸藩士、庶務・会計担当の渋沢篤太夫(栄一、一八四〇~一九三一)や留学生などで、ほかに英公使館附通訳アレクサンダー・フォン・シーボルト(一八四六~一九一一)も同行していた。

 昭武一行は、同年三月パリに到着、博覧会終了後は八月~十一月にかけて欧州各国を巡歴した。昭武は、この後数年間フランスに留まって勉学する予定であったが、幕府の倒壊にともない翌年十二月に帰国した。

 本史料は、この外交使節に関わる諸書類をまとめたものであり、四冊の構成は、「出帆前之件」(慶応二年十月~同三年正月)、(天)「出帆之件」(慶応三年正月~七月)、(地)「出帆後之件」(慶応三年八月~十月)、(人)「出帆後之件」(慶応三年十月~同四年七月)となっている。内容的には、使節の出立準備や博覧会展示品の選定・輸送に関する文書、日本出立後の向山・田辺と日本の外国方役人との往復書状、渡仏中諸費用の捻出や支払いに関する文書など、当該期間の間に外国方で作成したり受け取った文書類の控や写(原文書も含む)からなる。


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June 1996;